第11話 任務

 二階にはすでに他の客がいた。僕たちとは逆から来たのだろう。すこし周りの目を気にしながらも、なつみは海の世界をそれなりに楽しんでくれた。


 そしてついに例のイルカショーの時間が迫ってきた。

 僕たちは三階にあるステージへ移動し、最前列の席を確保する。


「あれ? キミ、そういえば飲み物買わなかったっけ?」

「えーと、言われてみれば買ってないね。何か欲しい? すぐ買ってくるけど」

「ん? 何か違う気がするな……。やっぱり後でいいや。今行くとギリギリになっちゃうし」


 たしかにそうだ、と賛同する。


 それにしても、目の前のプールが最前列からやや近すぎる気がする。水槽のようなバリケードが僕の座高くらいの高さであり、水位はちょうど溝内にあたる。イルカが泳ぐには水位が低かろうと思ったが、よく見ると地面の下にまでプールが広がっている。おそらく大きな円柱状の水槽があり、観客は水面が平行に見られるくらいの高さから見る、という仕組みだろう。


「キミ、電話鳴ってるよ!」

「え、ああ、ホントだ」


 プールの方をじっくり観察していたためすぐに気づかなかったが、僕のスマホが震えている。デート中だから「どうせファントムバイブレーションだろう」と無視したかったが、なつみに仕草で出るように言われたので、仕方なく着信相手を確認する。


 げっ、父さんアイツか……。さすがに有給を申請をしたから仕事関係ではないと信じたい。なつみには少し席を外すと言って一旦客席の後ろに移動する。


「はいもしもし」

『――お前か。今どこにいる?』

「神奈川の水族館。デート中」


 声の主である父は、僕の事情など心底どうでもいいかのように平然と言う。


『仕事だ。重大案件のため迅速に対処するんだ』

「はあ⁉ 今日は有給だって言ったよな。使える駒がないからって部下の休暇を――」

『いいから聞け! 用件を聞けばお前の意見など二の次だと解るはずだ!』


 鬼気迫る声に耳が壊れそうだ。しかしそこまでして優先しなければならない事項があるのなら、無視するわけにはいかない。くだらなければ切ってやればいい。


『単刀直入に言う。お前のいる水族館にて、テロ組織の人間による取引が行われる。これを阻止しろ』

「なるほどね。結局その場にいる奴なら誰でもいいじゃないか。で、規模は?」

『日本全国、もしくはアジア全土の存亡がかかっていると言ってもいい。それほど極めて重要な案件だ』


 その取引とやらが成立してしまえば、アジアが滅びる。要約するとそうなる。

 もしこれが仕事でないと聞かされていれば、フィクションだの一級のスパイ映画だと一蹴するところだ。  


 しかし僕もそこまで融通の利かない盆暗頭ではない。


 ――これは仕事、人を助けるための仕事

 僕が僕であるための、僕が公安警察である限り付随する行動理念だ。

 ふう、と息を吐き、僕は要件を受け入れた。


『ではその詳細を送る。目標と接触したら……さ…………キー……』

「ん? おい、さっきから音が途切れて聞こえないんだが」


 父の言葉は所々砂嵐が混ざったような音でかき消され、要件を聞くことができない。

 するとぷつんと通話が切れてしまった。スマホの画面をみると右端に小さく文字が映っていた。


「圏外……考えうる限りそいつらの細工だよな」


 外部との交信を途絶えさせ、自分たちの取引を水面下で遂行させるための常套手段だ。先刻までは何ともなかったが、今この段階で通信障害が起こるとなると、目標はすでに館内にいることになる。

 仲間もいない今、とにかく自分一人で取引相手とやらを探さなければならないが、父の伝言や任務の詳細が分からない。いったん外へ出て電波を受信する手もあるが、それこそ敵側の思う壺だ。


 しかしどうしたものか。情報がないのなら迂闊に行動できない。

 それにここにはなつみもいる。一人にしてはおけない。


「とりあえず戻って考えるか」


 僕は客席へと戻ろうとするが、ステージの扉を開けた瞬間、歓声やショーのBGMで溢れていた。父の声よりよっぽど鼓膜へのダメージが大きい。最前列のなつみはイルカのアクロバティックな動きに釘付けだった。


「ごめん、遅くなった」

「あ、おかえり。やっぱり着信の相手、お父さんだったでしょ」

「おお、よく分かったね。でも電波が悪くてあそこじゃ通じなかったんだよ」

「そういえばそうだったね。今館内全体で通信障害が起きてるって従業員の人が言ってたよ」


 なるほど。そちらも把握はしているが、実態まではさすがにわかっていないようだ。しかしテロが動いているとなると、やはり人為的な行いであるのは間違いなさそうだ。


「ちなみにこのステージの客席は圏外じゃないよ」

「それ本当か⁉」


 僕は咄嗟に手にしていたスマホを見る。するといつの間にか、圏外の文字は消えていた。どうやら天井が抜けているがゆえに、受信はできるようだ。

 画面を手で少し隠しながら、父から送られた詳細に目を通す。




【極秘任務】*迅速にかつ機密に対処するように

 目標:破壊工作を目論むテロ組織による情報の取引。これの阻止、妨害。

 内容:組織の間諜は水族館のどこかにブツを仕込み、取り引きに応じる人間はこれを回収する。

 重要度:国亡級





 ……それほど重たい仕事をなぜ僕一人に任せるのだ。情報の取引だけ阻止するならこの施設ごと包囲するか、もっと人をよこせと言いたい。

 それにこの情報も、詳細というには不十分すぎる。取り引きが「どこで」「いつ」


「どのように」「何人で」行われるくらい掴んどけ。これで僕が失敗して、この文句を言っても責任を押し付けてくるのだ。アイツの人任せと無責任面の処遇はどうやっても治せない。いっぺん死んどけ。

 と、心の中で毒づく。まあ機密性を保持するのであれば包囲網など当然できないことくらいは理解している。


『この度は足を運んでくださり、ありがとうございました~!』 


 するとステージに立っていたショーの司会が深々と頭を下げた。どうやらイルカショーは閉幕したようだ。隣のなつみは少し切なそうな顔をしている。


『以上で午前の部は終了となりますが、ここで皆さんに、あるサプライズ企画をしております! 抽選で二名の方にはプレゼントをお渡しします』

「お、きたきた。当たってほしいな~」

「なつみ、もしかして狙ってる?」

「もっちろんさ!」


 そういえばそのような催し物があったな、と思い出した。せっかくならなつみが当たるように話を持ち掛けておけばよかったと、今は若干後悔している。

 その後、司会の熱いコールにより、客席にいた高校生ほどの青年と五歳ほどの少女が当選したと伝えられた。


 なつみはまるで自分が当たることを念頭に置いていたのか、不意を突かれたような表情をして首を傾げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る