第9話 嫌悪
それから二日後。
なつみの担当医師からなんとか外出許可を得られた。厳しい条件ではあったが数少ない外出の機会を認めてもらったので、この日のために僕はなつみに新しい洋服を用意して着させてあげた。
車椅子ごと僕の車に乗せ、病院から二十分ほどのドライブをしたばかり。その間なつみはあまり口を開くことなく、ずっと窓の外を眺めていた。
駐車場から例の水族館までの移動中、人の少ない並木道を歩きながら車椅子を押していた。道沿いに生えている木々は鮮やかな紅葉を着飾っており、足元には脱ぎ捨てられた装飾の片鱗がちらほらと落ちている。……ここで少し博識でも晒そうかな。
「もう十月だね。ちなみに十月を有名なのでいうと神無月だよね。出雲から神様たちが去ってしまう月。それ以外にも」
「それ以外にも雷が無い月と書いて
唐突に僕のターンを横取りしては、用意していたネタを先取りされてしまった。
「お~よく知ってるね!」
「知ってるよ。全部諸共。最初から最後まで全部」
云々かんぬん。
まるで自己暗示でもかけているかに独り言を連ねるなつみ。なんだか様子がいつもと変だ。久しぶりの外出に気持ちがついていけてないのだろうか。そう考えた僕は、なつみの緊張を和らげるために後ろから頬を指で軽くつついてみる。
「ひゃ! な、なに……?」
「あ、ようやく可愛い反応した。表情硬いよ。今日は楽しまなきゃ」
こちらを逆さに見上げるなつみに対して僕は微笑んでみせる。
「そう、だね。ありがとう。やっぱり優しいねキミは」
「……前から気になってたんだけど、どうして僕のことを名前で呼んでくれないのさ。遠くから呼ぶときだっていつもキミキミって」
「えー。そんなに名前呼びがいいの?」
「仮にも付き合って二年と一か月三日も経ってるんだよ⁉ いつまでもキミ呼びは勘弁してほしいんだけどなっ!」
僕の必死な弁明に対してうーんと唸るなつみ。
そこまで考えることだろうか。僕としては今のいままで一度も名前で呼ばれたことがないことに不満なのだ。ここらで一度検討してくれなければ、一生名前で呼ばれることがなく生涯を終えてしまう。
祈るようになつみに哀願の視線を送っていると、なつみはそれに見かねたのか、仕方ないと呟いて正面を向く。
「じゃあ私が今一番幸せだなって思えたら、キミのこと名前で呼ぶよ。それまではずっとキミのままだから」
「やった。その言葉、忘れないでよ」
「――もちろん」
なつみはようやく笑みを返してくれた。声もいつも透き通るようなソプラノだ。それにつられて僕の足取りも軽くなった。
不意になつみが思い出したように口を開く。
「そういえば、あとでキミのお父さんから電話かかってくるでしょ?」
「え、なんで⁉」
「だ、だって君が映してくれた未来にそうなるって予知されてたし」
「最後まで見てなかったからよく知らないけど、さすがにそれは見間違いだよ。誓って断言するね!」
「でも万一かかってくるかもしれないし、常にスマホはポケットに入れといたほうがいいよ」
「かかってくるはずない。あんなヤツから」
咄嗟に口を塞ぐ。心の底からの嫌悪をむき出しにした本音を出してしまったと瞬時に自覚できたからだ。
これを聞いたなつみは顔が引きつってしまい、申し訳なさそうに僕に問う。
「……お父さん、嫌いなの?」
「はは。まあ、そんなところかな」
「そっか。私と似てるんだ……。変なこと聞いてごめんね」
少し申し訳なさそうにこちらを見上げるなつみに対して、僕は首を振って笑みを取り戻す。
なつみは僕の両親について知らない。だから知らないのも当然だ。
父はもうこの世にいないのだから――――
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