バッドエンド#2
第7話 未来への確信
熱い。
重い。
吐き気がする。
びりびりと感じるのは電流だろうか。
左目だけでなく全身に伝わる痛みのシグナルに、僕はベッドに額をうずめ、頭蓋を抱えることしかできなかった。唯一視覚の機能する右目でさえ、捉える外の風景が渦巻いて見える。
――ここはどこだ? 僕は誰だ? 何のために何をする?
意味のない問いばかりが交錯し、何かが僕を試しているかのような気がした。
ふと、右手に仄かな温もりを感じた。掌全体を覆うようだったものが、やがて指の間を埋めるように変形していく。
これは――誰かの手だ。
誰かが僕の手を握ってくれているのか。
そのまま熱を頼りに現実の痛みに耐えていると、じわじわと体を束縛する苦痛がほどけていく。同時に混迷から少しずつ抜け出していくようだった。
――僕は僕だ。天堂なつみを本当の意味で、人生で一番幸せにする。
「……み……キミ……おーい!」
「はう⁉ あ、なつみか」
「大丈夫? すごいうなされて苦しそうだったけど」
なつみの白い手が僕の額に当てられる。その感触は先刻の右手を握った熱の正体を確信した。
「ありがとう」
「無理しないでよ。熱はないみたいだけど、ちょっと休む?」
「大丈夫だよ。刺した時が痛いけど操作する分には平気なんだ……ってあれ? なつみの右目だけちょっと赤くない?」
「ほら、やっぱり休んだ方がいいよ。変なのを幻視してるみたいだし」
よしよし、と頭を擦る行為に若干の羞恥を感じたため、僕は咳払いして誤魔化す。
「さ、さてー。善に逃げられる前に未来を観測しようか。いざ――『千里眼』起動‼」
すると僕の左目から、テレビに吸い込まれるように信号が送られる。電源だけ付けてあった黒画面に、無数の色彩が点々と咲きはじめる。やがてそれらはいくつもの群体を成すように寄せ集まる。
「ふ、ふ、ふ……。さらにここからが『千里眼』の本領発揮だよ!」
僕は画面に映る写真に、時間という概念を付与するように意識する。
――現在2022年10月2日。現時刻は11時22分。
次に観測時のアングルを固定する。未来を映像として映すにはやはりアングルが必要だ。僕となつみの二人にセッティング。するとテレビに映っていた風景画が、すべてカメラで撮影しているような視点に変わる。さらに画像ではなく、同時刻の映像として流れているのだ。
「画面の操作は僕の目でできるんだ。時間の設定から誰を視点にした未来か、とか設定を変えられるんだよ。この画面に映りきれてないやつもいくつかあるけど、スクロールすれば画面変えられるからなんでも言……どうしたの、なつみ?」
振り向くと、映された画面を見つめたまま放心状態になっているなつみが目に入った。半減した僕の視界でも、黒い長髪の女性姿ははっきり映っている。
「……これ、本当に確定した未来なの? 私不安になってきたんだけど」
どうやら千里眼による未来予測の性能に半信半疑な様子だ。なつみにしてみれば、見せられている映像は結局ただの映像に過ぎないのだろう。闇市でかつ高値で売られていたゆえ、その性能がブラックボックスに包みこまれているようなものだ。信じられないと言われても仕方がない。
とはいえ、僕でも興味深い、という感想よりも胡散臭い感じが先行したのが正直なところだ。だから手術が終わった昨日、すこしばかり試運転をしたのだ。
「今映ってるのは僕たちが何かしらのアクションをとった時の未来。いわゆるIFの世界なんだ。たとえば……このサイコロ振ってみて。床に落としちゃっていいよ」
なつみにそれぞれ違う色のサイコロを五つ手渡す。赤、青、緑、黄、白の5色だ。
僕の説明に難しい顔をするも、とりあえず指示に従ってくれる。
「振る前にちょっと画面見てもらっていい? これはなつみがこれからサイコロを振った時の結果」
画面に映っているのは、病室の絨毯に五色のサイコロが静止している写真だ。サイコロの目はそれぞれ、赤3青2緑2黄4白6となっている。
なつみがなんともリアクションしづらい微妙な表情をしているのがわかる。
「サイコロの目で未来が正しいか予測するの? なんか曖昧じゃない?」
「もっと正確な実験は十二分にしてきたから大丈夫。なつみに『千里眼』が本物の未来予知をするってわかってもらうための簡単な実験だから。さ、振った振った」
話が進まないので、半ば強引にサイコロを振らせる。
なつみの手から落とされたサイコロは赤い絨毯の上で小さく反発して、回転を数回してとどまる。
その結果とテレビに映る画像をなつみは執拗に比較する。
「……あってる。出た目だけだと思ったらサイコロの位置もまったく同じ」
「ほら。だから大丈夫だよ。『千里眼』の未来は正確だから」
「まあいっか。何があっても、今度は私がキミを守るから――」
僕の手を強く握って決して離さない。真っ直ぐ僕を捉えて離さないその瞳は、大きな何かに立ち向かうような気概を感じる、
「なつみさんかっけーすね。でもそれは僕の台詞なんだけど!」
いつの時代でも男が女を守るものだと相場は決まっている。僕以外の誰がなつみを守るというのだろうか。そんなことはすでに自明だ。
「この『千里眼』があれば、事故や事件に遭うことなく無傷でいられる未来を選択することができるんだよ。だからそんな身構えなくても……」
途端に言葉が詰まる。さりげなく僕の瞳に映ったなつみの表情は、どこか陰りのあるように移り変わった気がした。
「あんまりこんなこと言うのもよくないんだけどさ、もしもその目が本物じゃないとしたらどうする? その未来に裏切られても、キミは納得できる?」
「期待とか信用とかじゃなくて確信だから、裏切られるって考えはないね。でもなつみには僕のこと、信じてほしいと思ってる」
そうして僕たちは関係を続けてきたのだから。
僕は自分のことをあまり話さない。家族のこととか、仕事のこととか、個人的なことは隠しているが、それはすべてなつみのためであり、決して裏切りなどではない。
「なつみとの約束が果たせたら、ちょっとずつ話してあげるからさ」
そっとなつみの強張った手に僕の左手を重ねる。小さくピクリと反応し、それから綻ぶようになつみの雰囲気ももとに戻りつつあった。
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