第6話 死

「も、もう大丈夫だよ。ハンカチありがとう」

「びっくりしたよー。急に泣き出すんだもん。でも楽しんでもらえてなによりだよ」


 なつみの涙は二分もすれば止まった。それまでずっとで客席であやしていたのだ。


「キミ、そういえば次の選択肢は?」

「ん? 選択肢って――」


 ――なんのことだっけ?

 そう言いおうとしたが、僕たちに話しかけてくる男の存在に口を止めた。


「突然すみません。先程プレゼントを受け取りになったお客様ですよね?」


 なつみは無言で頷く。例のプレゼントは大事そうに抱えたままだ。

 しかし本当に突然だ。話し方からして施設の関係者なのだろうが、


「そうでしたか。私、この水族館の広報事務兼カメラマンの者です。ここのサービスで、ショーの抽選に当選された方のお写真を毎日撮らせてもらっています。写真は後日送りますが、よければこの水族館一階に飾ることもできます」

「へー。そんなこともしてくれるんですね。なつみ、せっかくだし撮ってもらおうか」

「いいよ。すみません、写真は飾らずに送るだけにしてほしいです」

「わかりましたよお姉さん。それではお兄さんは横に並んでくださいね」


 男はショルダーバッグから一眼レフカメラを取り出す。割と高いやつなんだな、と若干期待しつつ、なつみの隣に立つ。


「はいパシャリ。はいもう一枚。いい笑顔ですね~。ではこの写真を三日後あたりに送りしたいのですが」

「僕がその日に取りに行きます。電話番号だけ教えましょうか?」

「恐れ入ります。何かあればそちらに電話させていただくかもしれません。よろしくお願いします」


 こちらこそと頭を下げると、男は何か思い出したように手をポンと叩く。


「そうでした! そちらの商品、一度中身を確認させてはいただけないでしょうか」

「え、まあいいですけど」


 なつみは一瞬渋るが、男に箱を差し出す。


「すみません。実はいくつか不良品が紛れていた可能性があったので、それだけ確認できれば大丈夫ですので…………はい、特に問題はありませんね。お時間をとってすみません」


 再びなつみの手元に箱が手渡される。すると男は足早に立ち去ってしまった。

 男が振り返る瞬間、僕は彼の右足首にがあったのに気が付いた。それと同時に僕は背筋に酷い悪寒を感じた。 


(そんな……ありえない)


 嫌な予感が警告音とともに浮かび上がる。今までに何度もその予感は的中した。だから余計にありえないという考えが遠のいていく。


「キミ。どうかしたの?」

「……昼ご飯、行こうか」

「うん。でさ、この後の選択肢って結局……」

「ごめん、やっぱりトイレ行ってくる‼」

「ええ⁉ ちょっとキミ!」


 肥大する不安を拭いきれず、僕はなつみを置いて男を追いかけた。






 気づけば最初からだったと思う。僕の憶測だが、あの男は水族館の従業員などではない。

 体格からして一般人にしては鍛えすぎた肉体。まるで米軍の人間が目の前にいるみたいな迫力だった。カメラを扱うにしても、あの一級品をケースに入れず雑にしまうのは、日頃から写真を撮っている人間のすることではない。


 そしてなにより、右足首のふくらみは拳銃だ。僕の職業病かもしれないが、日常的に武器を隠してそうな部位に目がいってしまうのだ。そしてその膨らみ具合からしても、今まで拳銃を押収してきた時と同じ感覚がした。


 僕は男には感づかれないように慎重に尾行する。


(気のせいであればそれでいい。だがそれにしても、従業員を装うのは何故だ?)


 そんな疑問が浮上するが、男の行動にその答えがあることに気付く。


(箱の中身か……‼)


 カメラは素人。そして従業員でないのなら、商品の事情など知りえない。ならば男が狙っているのは、二名限定に渡された例のキーホルダーだと考えられる。

 そもそも僕たちに声をかけたのもそれを持っていたから。特に何もされなかったが、僕たちの他にもう一人、ターゲットとなる人物はいる。

 ヤツの目的が明確にわからない今、少女に何もなければいいと願うばかりだ。


 すると男は、三階から二階へ下りる際、エスカレーターではなく非常階段を使った。エスカレーターでは一方通行のため、他の客に道を塞下がれてしまうと考えての選択だろう。


 鉄扉をわずかに開け、ここも慎重に後を追う。館内とは違って明るい照明が目を狂わせる。

 男は階段を速足に降り、一階まで一気に駆け下る。


「やばい、このままじゃ見失う……!」


 ゆっくり閉まる扉。既に男は非常階段から館内へと出たようだ。

 しかし運の悪いことに今日の服装は動き回ることを想定していなかったゆえに機動力が低い。おまけにオフの日であるから拳銃や拘束具も持っていない。追いついて戦闘になったとして、果たしてあの男に太刀打ちできるだろうか……。


 僕も再び薄暗い青の空間に出る。明から暗の切り替えに目が追い付かず、しばらく男の姿を探すも客との区別がつかない。遠くまで行っていないはずだが、それよりも今は箱を持った少女の無事を確認するのが先決だ。


 今のうちに警察を呼んでおくべきか、と一瞬考えるが、相手が拳銃を持っていることに関しては十分な確証を得ているわけではない。さらに言えば、


「まだ通信障害は直ってないのか……」


 外部との連絡はほぼ閉ざされている状態。館内に警備員がいればを呼んでいるところだが、やはり一般の警察ではない自分がそれを指摘しても話が進まなくなるだけだ。


「ねー。パパみてみてー。イルカさんだよー」


 ふと聞き覚えのある幼い声が耳に入った。あたりを見回すと、例の少女が父らしき人物に肩車されていた。その隣には母親らしき女性。こちらに背を向けて歩いていた。


「……っ‼」


 やはりあの親子だ。そして少女が手にしているのが、まさに男の目的であるキーホルダーである。


 僕と彼らはそれほど離れていない。駆けつければすぐに追いつく距離だ。すでに男と遭遇した事後であるならいいが、未遂ならそのうち現れるだろう。

 僕は少し考えて、彼らが既に男と会ったかどうか、尋ねようと決めた。


「すみませーん。ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」


 ひげを蓄えた父親は振り返ると、一旦少女を地面に下ろした。


「はい、なんでしょうか」

「つかぬことをお聞きしますが、広報事務を名乗るカメラを持った男に話しかけられましたか?」

「広報? いえ、ないですね」

「……そうですか。ちなみに先程の抽選で当たった方でしたよね。キーホルダーの方は今見せてもらったりできますか?」


 父親は特に怪訝そうな顔をすることなく、少女からキーホルダーとともに箱を渡すように言う。

 少女は自分のものを盗られると思ったのか、胸元に抱えて首を横に振る。

 父親は困った顔をしながらも「ちょっとだけだから、お兄さんに見せたいんだ」と言い、なんとか少女から確保することができたようだ。


「すみません。ありがとうございます」

「いえいえ。それで、これがどうかしたんですか?」

「それは――」

 ――これを狙っている男がいるんです。


 そう言おうとした。

 しかし次の瞬間、僕の口から出てきたのは空間を歪ませる叫びだった。



「ああああああぁぁぁぁぁ‼」



 自分でも何が起こったかわからなかった。ただ確かなのは、箱とキーホルダーを受け取った右手が出血を起こしている、ということだけだ。


 あまりの激痛に意識が明滅し、その場に膝をついてしまう。それと同時に受け取った物を床に落としてしまう。よく見ると、僕の右手の甲には弾丸で撃たれたような跡ができている。


(撃たれた⁉ でもどこから……)


 あの時は発砲音もしなかった。サイレンサーでもつけていたかのような掠る音がした気がするが……


「だ、大丈夫ですか⁉ 一体何があったんです?」

「それよりここから離れてください! ヤツの狙いはこのキーホルダーです!」


 唇を嚙みしめながらも痛みに耐える。僕の悶える様子に父親と母親は絶句してしまい、僕の指示は頭に入らない状態だ。

 一方少女は、床に落ちたキーホルダーに飛びつくように拾う。


「だめだ! 手放せ!」


 僕は痛みを忘れて立ち上がり、少女に覆いかぶさる。



 ――タシュッ、タシュッ



 刹那、僕の背中に弾丸が数発撃ち込まれる。


「かはっ……」


 口の中は血で溢れ、生臭い鉄の匂いにうっと吐き出しそうになる。

 背中の焼け焦げるような感覚に、次第に視界が薄れていく。


 揺蕩う意識の中、僕が最後に見たのは、拳銃を持ってこちらを見下ろす男の姿だった。

 






 僕は……死ぬのか? 


 これで死んでしまうのだろうか……


 でも、あの子を守れたのなら、それはそれでよかったのかもしれないな



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