第5話 寄り合う二体
『まもなくイルカのピエちゃんとパオちゃんによるパフォーマンス”ピエちゃん超えてパオちゃん⁉” を開演します』
三階のスタジアムには、そのイルカショーを見ようと客が三十人ほど集まった。
天井が抜けているこの空間は中央の円形プールを取り囲むように客席が設置されている。まるでミニオーケストラのようだ。
席と向かい合うように作られている演壇には司会進行役の人間がマイクを持ってア
ナウンスをしていた。
僕は例のサプライズを仕立てるため、一旦なつみを最前列の席に置いて、裏にいる飼育員に密かに話をしに行ったのだ。
「ゴメンゴメン遅くなった! はいこれ飲み物」
僕は自販機で買ったカルピスを渡してなつみの隣に座る。
「おかえり。お使いご苦労様。お酒じゃないのが残念だなー」
「ややっ酒豪殿。今はまだお昼でございます。それよりなつみ、圏外は直った?」
「私は繋がったよ。なんか館内展示のところだけ通信障害があるみたいってアナウンスの人が言ってたよ」
では事態を把握はしているが対処できない類のものなのか。一瞬僕の脳裏によぎるものがあったが、そんなはずはないと思い、すぐに忘却する。
「そういえばキミ、スマホ置いて行ったでしょ。留守電入ってるよ」
指摘されてポケットを探る。今更気づいたが、たしかに中には何もない。車椅子の荷物に入れていたようで、なつみが少し呆れながら渡してくれた。
「あ、ほんとだ。ありがとう。誰かな?」
「キミのおとう――」
突然、スタジアム内のスピーカーから音楽が流れ始める。あまりの爆音に周囲の音が打ち消されてしまったが、ようやくショーが始まるという緊張感に当てられる。
『それでは時間になりましたので始まります。ようこそ神奈川〇×水族館へ! ここはイルカのピエちゃんとパオちゃんがダイナミックでアメーイジングな泳ぎを披露する、秘密の泉……。あれ? ピエちゃんとパオちゃんがまだいないね。ではみなさんで呼んでみましょう!』
「「「ピエちゃーん‼ パオちゃーん‼」」
すると僕の目の前のプールを囲っている、透明なバリケードにから見える水面がグッと上った。さらに水面は波打ち、バリケードから水が溢れてしまうほど上振れる。
するとどこからともなく現れた二つの黒い影が、水中を横切るように移動し始めた。
なつみを含めた客たちは、その存在に待ってましたとばかりの歓声を上げる。
グルグルと時計回りに快泳する影は、一斉に水面から飛び上がり、その姿を現す。
『おおー‼ 飛びました!』
およそ二メートルほどのジャンプに一同どよめく。一体が僕たちの目の前に着水したため、バリケードを越えてしぶきが降りかかる。
その後、二体のイルカは演壇の飼育員のもとまで近寄る。
飼育員は手に持っていたバケツから小魚を掴み、水面から顔を出しているイルカの頭上に餌を垂らす。それを見たイルカは、背伸びをするようにしてパクリと餌に食い付く。
『はい、来てくれましたー。二人とも元気~?』
「「きゅうんきゅうん♪」」
『元気だそうです! さっきのジャンプもすごかったですよね。よければ拍手を!』
一同拍手。特になつみは猛り狂ったように手を打ち合わせる。
『ありがとうございます! では挨拶はここまでにして、本番に参りたいと思います。二人とも準備はできてますか~?』
「「きゅうーん♪」」
すると二体のイルカはまた水中に潜り、その後も見事なシンクロ技を披露した。
しかし僕はそのショーに興味がなかった。
車椅子の女性が見せる表情の色とりどりに、僕の目は奪われていたからだ。今にも立ち上がってしまいそうなほど純粋に楽しむ様子が、僕が今まで欲しかったものだったのかもしれない。
隣り合って歩くことは高望みでも、きっと彼女と同じ目線になることで得られるのだと、今更ながら気づくことができた。この時間が長く続けばどれほどよかったか
しかし隣で彼女の表情を眺めるには、ほんのわずかな時間だった。
気づけばショーは終わっていて、代わりにエンドトークと例のサプライズ企画の抽選が始まっていた。
『抽選に選ばれたこのお二方には、この会場限定、ピエちゃんパオちゃんアクリルキーホルダーを贈呈します。それではプールの前まで来てください』
選ばれたのはなつみと五歳くらいの少女の二人であった。開演前の直談判により、他の客には申し訳ないが二枠のうち一つをなつみに割り当てたのだ。当然と言えば当然だ。
なつみと幼女は、プールのバリケードから顔を出すイルカから箱を受け取る。
幼女は途端に飛び上がり、歓声をあげながら両親のもとへ走り出す。
なつみは受け取ったはいいものの、その箱を見たまま僕の方を振り返らない。僕はなつみの肩を叩いて様子を確認しようとしたが、ちらりとなつみの頬に滴るものが見えた。
「なつみ、どうかしたの?」
横から話しかけると、咄嗟に彼女は顔を手で覆い隠す。
「な、なんでもないよ。ちょっと嬉しかっただけで……すごく嬉しくて……」
なつみの涙は拍車をかけたように止めどなく流れた。両手では隠しきれないものに
僕は驚いたが、すぐに背中をさすってやる。
「よかったね」
それだけしか言えなかった。恣意的操作があったと知る僕にとって彼女の素直な反応は、心の中に潜む悪を炙りでもするような、そんな感じがした。
結果だけ見れば彼女が幸せそうなのだからいいではないか。そう思い、僕はそれ以上の後悔を強引に忘れた。
『これにて午前の部、一回目のショーはおしまいとなります。後ろの出口から退出してください。ありがとうございました』
二体のイルカが描かれた箱。その表面にはなつみの涙の跡がしばらく染み付いたままだった。
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