バッドエンド#1

第1話 『千里眼』起動

 熱い。

 重い。

 吐き気がする。


 びりびりと感じるのは電流だろうか。

 左目だけでなく全身に伝わる痛みのシグナルに、僕はベッドに額をうずめ、頭蓋を抱えることしかできなかった。唯一視覚の機能する右目でさえ、捉える外の風景が渦巻いて見える。


 ――ここはどこだ? 僕は誰だ? 何のために何をする?


 意味のない問いばかりが交錯し、何かが僕を試しているかのような気がした。


 ふと左手に、仄かな温もりを感じた。掌全体を覆うようだったものが、やがて指の間を埋めるように変形する。

 これは――手だ。誰かが僕の手を握ってくれているのか。

 現実の痛みに耐えていると、徐々に体を束縛していた苦痛がほどけていく。同時に混迷から少しずつ抜け出していくような感覚がした。


 ――僕は僕だ。天堂なつみを本当の意味で、人生で一番幸せにするのだ。




「……み……キミ……おーい!」

「はう⁉ あ、なつみか」

「大丈夫? すごいうなされて苦しそうだったけど」


 なつみの白く華奢な手が僕の額に当てられる。その感触で、先刻僕の左手を握った熱の正体を確信した。


「ごめんね。ありがとう」

「無理しないでよ。熱はないみたいだけど、ちょっと休む?」

「いいや。コード刺した直後はちょっと眩むけど、操作する分には平気なんだ。というわけで善に逃げられる前に未来を観測しようか。いざ――『千里眼』起動‼」


 すると僕の左目から、テレビに吸い込まれるように信号が送られる。ただの黒画面に無数の色彩が点々と咲きはじめる。やがてそれらはいくつもの群体を成すように密集する。

 ある程度の大きさになったあたりから、色の集合体は長方形へと変形していく。そして、


「写真、かな? どこかの風景画像が何枚も映ってるけど」

「フ、フ、フ……『千里眼』の本領はここからだよ!」


 僕は画面に映る写真に、時間という概念を付与するよう意識する。

 ――現在2022年10月2日。現時刻は11時22分。


 次に観測時のアングルを固定する。未来を映像として映すには、やはりアングルが必要だ。僕となつみの二人にセッティング。すると、


「あ、動いた!」


 テレビに映っていた風景画が、すべてカメラで撮影しているような視点に変わる。さらに画像ではなく、同時刻の映像として流れているのだ。


「画面の操作は僕の目でできるんだ。時間の設定から誰を視点にした未来か、とか設定を変えられるんだよ。この画面に映りきれてないやつもいくつかあるけど、スクロールすれば変えられるから、なんでも言ってね」

「へえ。じゃあ一枚ずつ見てみたいな」

「あれ、案外あっさり信じてくれるんだね。てっきり最初は疑うのかと思ったんだけど。一応未来の真偽を実験で示そうと思ってたけど、話が早くて助かるよ。あ、その前にバッドエンドだけは先に抜いておこうかな。刺されたくないしね!」


 これは最重要タスクだ。幸せを望む彼女にはそのようなおぞましい未来など見せたくもない。


「……キミは、最悪の未来を回避するために左目を捨てたの?」


 不意に投げかけられたなつみの疑問。「左目を捨てた」というのは、未来を見るために左目を義眼に取り換えたのか、ということだろう。

 質問に対して僕は「もちろん」と快く首肯しようと思ったが、なつみの暗澹あんたんとした表情に気付いて言葉が詰まった。


「私としてはあまり無茶してほしくない。『千里眼』には視界がないんでしょ。さっきからキミの距離感がおかしいのはそのせいなんじゃない?」


 ……気づかれてしまった。もとい隠し通すつもりもなかったが。

 なつみの言う通り、左目の『千里眼』には視界は存在せず、未来を映像として見る、もしくはそれを出力することしかできないのだ。そしてこれは後生一生の代償となる。


 僕が一方的に何かを背負うことを頑なに許さない、それが彼女なつみなのだ。


 自らが障害者であることに負い目を感じているのか、その信念に近いものを日々の会話と態度から感じている。いや、出会った時からそうだったのかもしれない。


 でも僕は、これだけは譲れない。


「よくドラマでもアニメでも漫画でも、ヒロインに対して主人公がカッコつけたように『君を幸せにしてみせる!』なんて言うけど、それはおかしい。僕たちの人生、一度きりしかないこの時間を、そんな無責任な言葉だけで片づけないでほしいと思う。幸せは自ら掴みに行くものだ。だから男として、なつみには最高の時間を過ごさせる。そのためなら僕は、命だって惜しくない」

「…………」


 しばらくの沈黙。

 発言主である僕でさえ、何を言ったのかすぐに思い出せなかった。しかしなつみの表情からして、善からぬことを言ってしまったのだと察した。


「ゴメンゴメン! ちょっと今日は饒舌でさー。変な発言をしないように気を付けるよ」


 余生短い彼女の前では、決して本音と弱音は晒さない。そう決めたのだ。

 この決意もまた、彼女を幸せにするための一歩だと信じて、僕は頬を叩いて気を取り直した。

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