生きてて良かった

 伯母が逮捕されて以降、優斗と彼方は激動の日々を過ごしていた。

 夏休みの残りを謳歌する暇など全く無く、警察やマスコミの対応などであっという間に時間が過ぎ去った。


 それは二学期に入ってからも同じで、しかも文化祭や修学旅行といった行事も目白押しだ。

 二人はこれまで高校生活の多くを無駄にしてしまったがゆえ、学校行事には全力投球すると決めていた。

 伯母の事件は思いの外長く報道され、ほとぼりが冷めて落ち着いたのは年が明けて年度も変わり高校三年生になってすぐの時期だった。


 そんなある日の晩、彼方が突然優斗にある要望を告げた。


「優斗君、今から行きたい場所があるんだけど」

「今から?」


 もう日が変わりそうな時間で、普段ならこれからベッドに入る。

 お互いに寝巻姿であり、今日はとある理由により激しく愛を求めあう流れになるのだろうなと優斗は想像していたが違う展開になりそうだ。


「ダメかな?」

「ダメじゃないが……これから着替えるのか?」

「うん」

「分かった」


 今日この時間に外に出る。

 その意味を優斗はなんとなく察しており、彼方の要望を断ることは無かった。


 彼方は制服に着替え、優斗はジャージに着替えて一緒に家を出る。


 彼方からは何も説明されていないけれど行くべき場所は分かっている。


「…………」

「…………」


 その場所の近くまで辿り着くと、二人は足を止めた。


「今日は雨が降って無いんだな」

「そうだね」


 空を見上げると星空が見え、豪雨・・の気配すらない。


 口数少なくその場所を眺める二人だが、突然大きな音が発生し静寂が切り裂かれた。




 カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン




 踏切の警報音。


 今日は彼方と優斗が出会った日。

 そしてここはその出会った場所だった。


 カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン


 優斗の脳内に不快な警報音が響き渡る。

 しかし一年前と違って心が痛むことも視界が揺らぐことも決してない。


「(平気になったのいつからだろうな)」


 優斗は踏切の警報音や救急車のサイレン、そして緊急地震速報などの不安を煽るような音が苦手だった。

 それらを聞くと母親の死の直前の様子が脳内に蘇り、あまりの苦痛で倒れそうになってしまうのだ。


 だがいつの間にかそんな症状は消え去っていた。

 彼方が母の死を乗り越えさせてくれたからか、あるいは彼方と一緒の幸せな日々がいつの間にか心の傷を癒してくれたのか。


「…………」


 だが優斗は敢えて目を瞑り、記憶を呼び起こす。

 辛く苦しく悲しいあの時の記憶を。


『お母さん!お母さん!』

『泣かないで、優斗』

『優斗が幸せにしてあげたいと思える人にいつかきっと会えるわ』

『その人と一緒に幸せになってね』


 たった一年で悲しみが消えることなどありえない。

 どれだけ幸せでも母のことを思い出した瞬間は悲しみで狂ってしまいそうになる。


「(母さん、俺、会えたよ。幸せになったよ。こんなにも早いだなんて母さんも予想外だったでしょ)」


 記憶の中の母はいつもこれ以上何かを言う事はない。

 現実でもそのまま母は亡くなったのだ。


 それなのに今回は母が口を開こうとしていた。

 優斗は驚き耳を済まそうとして。


 ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン。


 貨物列車が通る音に遮られて意識が強制的に現実に引き戻された。


「(ありがとう母さん)」


 母の言葉は聞こえなかったけれど何を言おうとしていたのかは分かるような気がした。


「(もしかしたら母さんは、俺が悩むことが分かってたのかもな)」


 遺言を残すことで優斗がその言葉に囚われてしまう可能性を母は気付いていたのかもしれない。

 だがそれでも自分の想いを残すべきだと判断したのだろう。

 それでいて乗り越えてくれると信じていた。


 何も残せなかった彼方の両親のことを知ったからこそ、どんな形であれ残したかったと思った母の気持ちが少しだけでも分かった気がした。


「ねぇ優斗君」


 優斗が感傷に浸り終わったタイミングを見計らって彼方が優しく話しかけてきた。


 彼方は二歩三歩と優斗の元からゆっくり離れ踏切に近づいて行く。

 そのまま踏切の中には入らず、その手前で止まりくるりと優斗の方を振り返った。







「私、生きてて良かった」







 暗闇の中でも彼方の笑顔がはっきりと見えていた。

 だがどうしてかすぐにその姿が霞んでしまう。


「優斗君にここで出会えて良かった。あの時人生が終わらなくて本当に良かった」


 おかしい。

 彼方の姿が段々と見えなくなって行く。

 それどころか視界が全部ぼやけて何も見えない。


「だってこんなにも幸せなんだから」


 何も見えない世界でぐらりとよろめき、立っていられなくなり膝立ちになる。

 そのまま顔から地面に倒れそうになるが上半身が柔らかなものに包まれた。


「あ……ああ……」


 彼方を助けると決めたあの日に誓った目標。

 いつの日か言わせたかった言葉を聞くことが出来た。


 その事実に優斗は自分でも何を思っているのか分からないくらいに心が震え、ただひたすらに涙が流れた。


「俺もっ……俺も幸せ……っ!」


 母の遺言を守れたこと。

 目標が達成できたこと。

 大切な人を幸せにできたこと。


「うっ……う゛う゛っ……」


 様々な感情が優斗の中を荒れ狂い、彼方の体を必死で掴んで歯を食いしばって泣き続ける。


 優斗とて決して楽な道だったわけではない。

 心を壊して生きる希望を失くした女の子を幸せにするなどどうすれば良いのか分からなかった。

 最初の頃はわざとふざけるような態度をとって明るさを演出しようとしていたけれど、あれはそうでもしなければ不安で優斗自身が耐えられないかもしれなかったから。


 ちょっとしたミスで彼方がすぐに死んでしまうかもしれない。

 ちょっとしたミスで彼方の心がまた壊れてしまうかもしれない。

 ちょっとしたミスで彼方の幸せが終わってしまうかもしれない。


 それは想像を絶するほどの恐怖であり、不安であり、試練であったのだ。

 そしてそれほどまでに自分が激しいプレッシャーの中で戦っていたことに今になってようやく気が付いた。


「優斗君、ありがとう」


 優斗は決して万能な王子様では無い。

 母の遺言という鎖から彼方が解放してくれたように、こうして彼方に支えられて生きている。


 これから先もきっと同じであろう。


 優斗が彼方を支えるだけではなく、彼方が優斗を支えるだけでもなく、お互いに支え合って幸せを与え続けて生きて行く。


「ふぅ」


 彼方の胸の中でしばらく泣き続けた優斗は落ち着いてからゆっくりと立ち上がった。

 そうして彼方の顔を見ると優斗に匹敵するくらい涙で濡れていた。


「酷い顔だな」

「優斗君こそ」

「はは」

「ふふ」


 ひとしきり笑い合った後、触れるような優しい口づけをする。


 愛しい人を前に優斗は思う。


 生きる気力を無くした同級生を幸せにして『生きてて良かった』と言わせることには成功した。


 となると新しい目標が欲しいところだ。


「(死ぬ間際にまた『生きてて良かった』と言ってもらうことにしよう)」


 老衰でどちらかが死ぬ前に、彼方にこの言葉を言ってもらう。

 それすなわち、優斗はそれまでずっと生きて彼方を幸せにし続けるという誓いでもあった。


 そしてきっとその誓いは果たされるのだろう。


 月明かりに照らされた二人の仲睦まじい姿を見ればきっと誰だってそう感じるはずである。

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