12. 報いの入り口
「先に帰ってて貰えるかしら」
伯母の家を出た優斗一行だが、智里だけが早々にそう言って引き返した。
彼方が居ないところで伯母に言うべきことがあると察した優斗達は何も聞かずに送り出す。
彼方に聞かせたくないということは、恐らくは裏の話に関することなのだろう。
「お待たせしました」
智里が部屋に戻ると伯母はまだ床に組み敷かれたままだった。
お待たせしましたと言う事は警察に戻って来ると事前に話をしてあったのだろう。
彼らは智里が戻ってきたことに何も言わず、智里が伯母と話を再開しようとするのを止めようとしなかった。
その伯母はこれ以上何があるのかと智里を忌々し気に見上げた。
「逮捕される前に言っておくことがあったのよ」
「早くしてくれないかしら。悠々自適な刑務所暮らしが遅れてしまうわ」
世の中には刑務所暮らしの方がマシだと考える人が一定数存在する。
刑期を終えても刑務所に戻るために敢えて軽微な犯罪を犯そうとする人がいるくらいだ。
そのため刑務所への収容が罰とならないのではないかと主張する人もいる。
もちろん伯母は刑務所の中のことなど詳しくは知らないため、実際は伯母にとって辛い生活なのかもしれない。
しかし伯母がやらかしたことを考えると、本人が苦にならない可能性の高い刑務所暮らしが罰にはならないと考え不満を抱く声があがってもおかしくはない。
伯母はその世間の不満について気付いているから、智里に対して暗にざまぁと煽っている。
「そうね、罪を全て告白してせいぜい少しでも長生きすることね」
「?」
だが智里はそんな煽りなど全く意に介していない。
弁護士の娘だから法に則って対処するだけだ、なんて崇高な考えを持っているわけではない。
「あなたに伝言があるの」
それこそが伯母を地獄に叩き落す智里の最後の武器だった。
智里はまた例のタブレットを取り出し、今度はとある音声を流した。
『舐めた真似した奴には報いを』
それは渋い男の声で、これだけが録音されていた。
「な、なによそれ」
敢えて伯母に聞かせるということは『舐めた真似した奴』が伯母を指し、報いを与えられる可能性があるということだ。
だがこの言葉を告げた人物が誰なのか分からず、これから逮捕されるはずの人間に何かが出来るとも思えない。
それなのに伯母はこのボイスメッセージにとてつもなく嫌な予感がした。
「これはあなたが仲良くしていた男の人が元々所属していた組織のトップの方からのメッセージよ」
その言葉に伯母の顔から血の気が失せた。
伯母に協力していた男は元暴力団員の男だ。
つまりこの声の正体はその暴力団のトップの人物。
その人物に伯母は狙われてしまったのだ。
「な、なん、なん」
なんでそんな人物に自分が狙われているのか。
そう質問したいけれどあまりの恐怖で言葉が出ない。
「あなたの協力者は組織の名前を勝手に使って好き放題していたようね」
「へ?」
それが些細な事だったら目くじらを立てることは無かっただろう。
しかし伯母が引き起こした事件は間違いなく世間を大きく騒がせることになる。
マスコミ達は大いに騒ぎ立て、伯母がその暴力団と関係があったと報道されることになるに違いない。
勝手に名前を使われ好き放題され、しかもそのことが世間に大々的に公開されてしまう。
それは裏の社会で生きる者にとってあまりにも屈辱的な事であった。
主犯である伯母と、実行者である男の両名を粛正したくなるほどに。
最低でも死。
むしろまともに死ねるならマシな方だろう。
「安心して頂戴。ここには警察がいるのだからきっと動いてくれるわ。彼らが私の仲間だと思って信じられないのなら他の警察官にも助けを求めると良い。それも嫌なら弁護士にお願いする。助けを求める手段はいくらでもあるのよ」
だからこれは伯母を脅迫しているのではない。
刑期を終えた後に地獄が待ち受けていることを伝えたのはあくまでも伯母のためなのだ。
それで怯えながら刑に服すことになったとしても知ったことでは無い。
伯母は報いを恐れて少しでも刑期を長くするために全てを告白するだろう。
先程の音声は伯母を怯えさせるためだけではなく、素直に口を割らせるためのものでもあったのだ。
「キエエエエエエエエ! いや、いや、嫌ああああああああ!」
今度こそ話すべきことは終わったと、錯乱する伯母を背に智里は外に出た。
「さて、と」
智里が持って来た武器はこれで全てであったが、まだ策は残っている。
伯母の罪はあまりにも重く、刑期がかなり長いことになるだろう。
出所後に地獄が待っているとはいえ恐怖感が薄れてしまうかもしれない。
それに怯えながらとはいえ長い間刑務所でぬくぬくと生き永らえさせるのも癪である。
「母さん、全て予定通り進んだから後はお願いね」
『分かったわ。任せなさい』
智里の母は弁護士である。
弁護士の仕事の一つは、裁判で犯罪者を弁護すること。
『無罪を勝ち取ってあげるわ』
普通に考えれば伯母が無罪などあり得ない。
だが弁護士には心神喪失という世間に嫌われている強力な弁護手段がある。
仮に智里の母が担当弁護士になれなかったとしても、担当弁護士には伯母から命を狙われていることを事前に知らされるはずだ。
これまで弁護したくもない凶悪犯罪者を心神喪失だのなんだので強引に弁護せざるを得なかった弁護士達だが、今回に限っては意気揚々と全力で弁護してくれるだろう。
智里にとって逮捕はあくまでも今回の事件に関する全ての事実を明らかにするためのもの。
決して伯母を刑務所で悠々自適な生活を送らせるためでは無かった。
もちろん司法は馬鹿では無い。
無罪にならない可能性の方が高いだろう。
だがその場合にも問題無いと智里は母から言われていた。
その理由は教えてくれなかったが、大人の世界の醜い何かが関係しているのだろうと智里は分かっていたため聞き返さなかった。
母への電話を終えた智里は小さく溜息を吐いた。
「これでもまだ溜飲は下がらないのだけれどね」
だがそもそも伯母に何をすれば自分の心が納得出来るのか分からない。
死のうが拷問されようが気持ちは一切晴れない気がする。
そう考えると当事者でも無いのに気分が重い。
そして愛の力で乗り越えた彼方の事を素直に凄いと思った。
「私も愛の力を借りようかしら。なんてね」
協力関係に近い形で閃と恋人関係になったが、案外悪くないと楽しんでいることを自覚していた。
――――――――
かくして彼方に降りかかった胸糞悪い事件は終幕を迎えようとしていた。
もちろんこれからやるべきことはまだまだたくさんある。
伯母は警察に逮捕され、徹底的に調査して事実関係を明らかにしなければならない。
少しでも刑期を長くしたい伯母は全てを自分からペラペラとしゃべってくれるだろう。
そしてこの事件は間違いなく世間で大騒ぎになり彼方の周りは騒がしくなる。
好奇の視線になるべく晒されないように優斗や閃達が守る必要があるだろう。
そもそも世間云々は関係なく彼方は事件から距離を取ることはまだ出来ない。
警察の調査への協力、そして裁判での証言が待っているからだ。
伯母以外の親族の動きも気にしなければならない。
彼らの多くはすでに海外に逃亡しているが、智里は誰一人として逃がすつもりは無かった。
だがそれでも主犯である伯母が捕まったことで彼らの心が一区切りついたことは間違いない。
閃は父親にお願いして彼方の父親が勤めていた会社の膿を洗い出し、事件の関係者の正確な行動とその理由、そして伯母との関係を明らかにした。
春臣は警察官である父親にお願いして彼方の事件を調査してもらい、自身もボディーガードとしてこっそり陰から優斗と彼方を守っていた。
秋梨は祖父にお願いして彼方の親族の行動を徹底的に調べてもらい、多くの関係者に然るべき報いを与えた。もちろん、彼方が裏の組織に命令して復讐してもらったなんていう憶測が生まれないように細心の注意を払った。
智里は閃達に調査の指針を示し情報をまとめ伯母との対決の矢面に立った。そして母に伯母の弁護をお願いして地獄に叩き落そうと画策した。
そして優斗は彼方に寄り添いその心を救った。
それどころか閃達という頼りになる存在がいるのも、これまで優斗が彼らに手を差し伸べて来た結果だ。
優斗だからこそ、彼方を救えたのだ。
優斗でなければ、彼方を救えなかったのだ。
傷つき、嘆き、苦しみ、壊れかけていた二人の男女は、悪意の塊から解放されて幸せを謳歌するのだろう。
そのことを彼らの両親は心から祝福してくれているに違いない。
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