11. 無価値な人間

「たかが……」


 その程度の事で。


 思わずそう言いかけてしまったのは警察官の若い男性だった。

 しまったと思った時にはもう遅く、春臣の父親に尻をつねられて悶絶している。


 一方で優斗達は伯母の凶行に大した理由が無い可能性もあると事前に智里に指摘されていたため動揺はしなかったが、伯母のことをより不快に感じたことは言うまでもない。


「(ヘラヘラしているのが腹立ちますね。これまで酷い生活を続けていたようですし、服役することにそれほど抵抗が無いタイプなのかもしれません)」


 伯母は自分のこれまでを僅かに嗤いながら説明し、聞いている者達を小馬鹿にしているかのような余裕の表情を浮かべていた。

 それがまた聞いた者からのヘイトを高める結果になっているのだが、苛立つ空気が濃くなる中で閃は伯母の様子を冷静に分析していた。


「(思い通りにはなると本気で思っているのでしょうか)」


 智里が持って来た武器は先程の二本の動画だけでは無い。

 伯母はそのことに気付いていないから余裕なのだろう。


 しかもイライラが隠せない優斗達を眺めて嬉しそうにしている。

 敢えて不愉快な話を聞かせたのはこうして苛立つ姿を見て楽しむためだったのだろう。


 だがそんな中で一番不愉快に感じるはずの人物が一番落ち着いていた。


「(お父さんもお母さんも悪い事はしてなかったんだ)」


 伯母の証言は理不尽である一方で、彼方の両親が親族に対して不要なヘイトを買うような自業自得の異常な行為をしなかった証拠でもある。

 両親に何の落ち度もない事が分かり彼方は逆に安堵していたのだ。


「何で憎まないのよ!」


 その彼方の様子に気が付いた伯母が突如鬼のような形相に変化して叫んだ。

 あまりにも急激な変化に優斗達は驚き警察官達は身構えた。


「私が身勝手に嫉妬して理不尽にあんたをぶっ壊そうとしたのよ。なんでそんな平然としてられるのよ!」


 伯母が豹変した理由は分からないが、台詞の内容はその場の誰もが納得出来るものだった。

 彼方が最も怒り狂って詰ったり殴りかかったりしてもおかしくない。


 もちろんそうならないのは事前に気持ちを整理して怒りを優斗達に預けたからであるのだが、伯母がそんなことを知る筈が無い。


 激昂して彼方への言葉を強める伯母だが、それでも彼方は無反応だ。

 そのことが伯母を更に苛立たせ、どうしても彼方に憎んでもらいたいのかとんでもないことを白状した。




「それならあんたの両親を殺したのが私だって知ってもそんな冷静でいられるのかしら!」




 伯母が彼方の両親を殺した。


 まさかの殺人の告白。

 罪の重さが格段にあがるが、そうなってでも彼方に憎んでもらいたい気持ちの方が強かったという事なのか。


 彼方の両親は事故死という事になっている。

 その状況を彼方は警察から聞かされていたが、あまりのショックで実はどういう事故だったのかを良く覚えておらず、思い出せる心境では無かった。


 伯母は彼方を精神的に追い詰めただけではなく、両親の死にも絡んでいる。

 それを聞いた彼方ならば間違いなく負の感情を爆発させるはずだ。


「…………」


 だが彼方は伯母の言葉をまるで興味が無さそうに聞き流していた。

 まるでそんなことはすでに知っているとでも言うかのように。


「なんで……なんで……!」


 狼狽える伯母の様子を他人事のような感覚で眺めながら彼方はここに来る前のことを思い出した。


――――――――


『彼方さんにはとても言い辛いのだけれど……』

『大丈夫、言って』


 優斗達に向けて伯母の悪事やその証拠となる動画の説明を一通り終えた智里は、少し悩んでから言いにくい事があると切り出した。

 彼方を傷つけるから言いにくいという意味であるのは間違いないのだが、すでに覚悟が決まっていた彼方は即答した。


『……強いわね』

『優斗君がいるからだよ』


 優しく微笑む彼方だが内心は伯母に対するマイナスの感情で荒れ狂っていた。

 それを表に出さずに済むのは優斗への愛を優先すると腹を括っていたからだ。


 だが智里がこれからもたらす情報はその覚悟を揺らがす程のものであった。


『彼方さんのご両親は伯母に殺された可能性があるわ』

『!?』


 流石に彼方もこれには大きく表情を変えるところだったが、そうなる前に優斗の胸に顔を押し付けてそれを隠した。


『優斗君、少しだけ』

『少しどころか沢山甘えてくれて構わないぞ』

『…………うん』


 怒りでどうにかなりそうな気持ちを必死に抑える。

 全ては憎しみに駆られた醜い姿を優斗に見せたくないから。


 智里が伯母との対決の前に旅行に行くように勧めたのは大正解だった。

 あの旅行での爛れた愛の確かめ合いがなければ、ここで彼方は耐えきれなかっただろう。


 優斗と共にあることの幸せを身も心も骨身に染みるまで実感したからこそ、愛を優先したいと思う気持ちが辛うじて上回ったのだ。


 優斗の鼓動を感じながら心を落ち着かせ、彼方は詳しい話をするよう促した。


『彼方さんのご両親の事故は追突事故に巻き込まれたことによるものだった。信号待ちしていたら後ろから居眠り運転した乗用車がブレーキを掛けずに突っ込んで来て衝突。押されるように交差点内に侵入して横から来たトラックに衝突された。追突した方の車の運転手の男性も死亡したわ』


 タイミング次第だが追突の瞬間に咄嗟の判断でハンドルをきればトラックとの衝突は避けられたかもしれないが、ハードワークでフラフラだった彼方の父親ではそれは無理だった。


『問題はこの追突した乗用車よ。ドライブレコーダーを確認した結果、居眠り運転であることは間違いなかったのだけれど、この車を運転していた男について念のためで調べてもらったら、どうやら人には言えない借金があったそうなの』


 人には言えないということは借りた相手が通常の金貸しでは無いという意味だ。

 秋梨経由で調べて貰った結果、その借金に関してとんでもないことが分かった。


『その借金の関係者を洗い出したところ、元暴力団員の男性と最近会っていたことが分かったわ。そしてその男は伯母ともよく会っていた』

『おい、それって』

『篠ヶ瀬君が考えていることが正しいのかどうかを確認するため、その元暴力団の男の行方を調べて貰ったのだけれど……』

『見つからなかったのか?』

『いえ、見つかったわ。でも証言は無理だった』


 つまり証言が出来ないような状態で見つかった・・・・・ということ。


『でもその男が隠れ住んでいた場所に彼方さんのお母さんのフルートが置いてあったから伯母と繋がっているのは間違いないわ』


 フルートを見つけた話を最初にした時に言い淀んでいたのは、この情報に触れる可能性があったからだった。


『伯母と関係がある男と、その男と会っていた借金を背負った事故を起こした男。借金男にどうやって命を懸けさせたのかは分からないけれど、黒だと思うわ。証拠が無いのが辛いところね』


――――――――


 だがその証拠が見つからずとも伯母が自白してしまった。

 この自白が正しいのかどうかを調べる必要はあるが、ほぼ間違いなく黒だろう。


 ただ彼方の中では自白が無くても黒だと確信していた。

 そして優斗の胸の中でその事実を必死に受け入れたからこそ、今この場で感情を爆発させるようなことは無かった。


 それどころか質問することなく伯母が自分から聞きたいことを全て話してくれたため、もうここにいる意味が無いとすら思っていた。


「そんな目で私を見るなああああああああ!」


 彼方が伯母を見つめる目は、憎むのでもなく、怒るのでもなく、憐れむのでも無かった。

 無価値な路傍の石を見つめるかのように全く興味が無さそうな目であった。


「どうしてお前らは……!」


 そしてその目は彼方の母が伯母を見ていたものと全く同じだったのだ。

 伯母は妹からもその娘からもお前は無価値な存在であると言われていた。


「キエエエエエエエエ!」


 それこそが伯母が最も苦しむことであった。


 自分は正真正銘のクズだと心から思っていた。

 誰にどう詰られようと、憎まれようと、嫌悪されようと当然のことだと思っていた。

 むしろ健全な人間が自分のようなクズに振り舞わされて嫌がる姿を見るのは快感ですらあった。


 だが興味を抱かれない事だけは我慢が出来なかったのだ。


 両親から捨てられ、妹から捨てられ、要らない人間だと烙印を押されたことが伯母のトラウマとなっていた。

 無価値な人間であり、誰にも必要とされていない人間であると思われるのがたまらなく嫌であった。

 そうなってしまったのも妹が差し伸べてくれた救いの手を完膚なきまでに破壊した自業自得によるものなのだが。


「その年で嫉妬狂いのかまってちゃんとか惨めよね」

「おまええええええ!」

「抑えろ!」


 智里の煽りに反応し掴みかかろうとするが警察官に床に組み伏せられる。

 必死に暴れるが体を全く動かせない。


 伯母が誰かを傷つける可能性が出て来たので、春臣の父親がこの場を終わらせようとする。


「そろそろ良いかな」


 聞きたいことは聞けたのだ。

 優斗達の出番はもう終わりであり、伯母はここで逮捕されて警察の捜査でこれまで曖昧だった部分を明らかにする作業に入るのだろう。


「何か言いたいことがある人はいる?」


 智里は最後に優斗達に確認した。


 彼方はもう何も聞くことは無いと言わんばかりに目を閉じて大人しくしている。

 閃達も協力者として見届けるために来ているので何かを言うつもりは無い。


 残るは優斗。


「一つだけ聞きたいことがある」


 優斗には伯母の話を聞いて苛立ちながらも一つだけ疑問に思っていたことがあった。


「なんで彼方の両親の遺灰を捨てるフリなんかしたんだ。そんなことする必要があったのか?」


 あの行為は彼方に大きなダメージを与えた。

 だがそこまでする必要は無かったのではないか。


 両親を密かに殺し、その死を徹底的に侮辱し、家にまで押しかけて暴虐の限りを尽くし、大人しくしていろと脅す。


 それだけで彼方は十分に壊れていたはずだ。


 むしろあの遺灰の一撃があったからこそ彼方の心は止めを刺されたのだ。

 生きる気力を完全に失くし、無意識に死を選ぼうとしてしまったのだ。


 あそこで彼方が死んでいたら警察の捜査で伯母の企みが明らかになって早々に破滅していただろう。


 明らかにやりすぎだった。

 その理由が気になったのだ。


「ふ……ふふ……ふふふふ」


 伯母は優斗の質問を聞くと暴れるのを止め、抑えつけられたまま不敵に笑い始めた。


「そんなの決まってるじゃない。そのガキが苦しんでいるのを見ていたら我慢出来なくなったのよ。ああ、あのクソむかつく女の娘が私の手によって無様に泣き叫んでいる。ざまぁみろってね。それで我慢出来なくなってもっと酷い目に合わせたくなってつい保険で用意してたアレをやってしまったのよ。あっはっはっはっ、あの時のそのガキの反応ったら最高だったわ!」


 当時のことを彼方に思い出させて反応を引き出そうとしているのだろう。

 必死で煽ろうとするが、彼方はピクリとも反応しない。


 遺灰を捨てるフリは彼方の心が壊れそうにない場合に発動する予定の保険だった。

 それを感情の高ぶりを抑えることが出来ずに無駄にやってしまった。


「(落ち着け、怒ったら相手の思うツボだ)」


 今すぐにでもぶん殴ってやりたい気持ちだった。

 彼方の怒りを引き受けると決めたのだから、それをはっきりと表に出してやろうとここに来る前は思っていた。


 だがその行為が伯母を喜ばせるだけだと分かった今ではやることは出来ない。

 優斗は必死に怒りを抑え込む。


 そんな優斗の苦しみを察した伯母は気持ち悪い笑みを浮かべるが、優斗はこのまま伯母の思い通りになるような人物では無い。


「あんた本当に馬鹿なんだな」

「は?」


 優斗は軽く息を吐いて、気持ちを落ち着かせてから告げた。


「あんたが余計なことしたおかげで俺は彼方に出会えたよ」

「…………」


 そう、伯母が感情に任せて彼方を必要以上に追い詰めてしまったがゆえに、あの雨の日に優斗は彼方と出会ったのだ。

 あれが無ければ彼方は死のうとはせずに人形のように冷たい毎日を過ごし、伯母の手によって嬲られゆっくりと壊されていっただろう。


 伯母の企みを覆したのは優斗ではあるが、そのきっかけを作ったのは伯母本人だった。


「彼方も俺も幸せだよ。今も、この先も、老いて死ぬまでずっとな。あまりにも幸せ過ぎてあんたのことを思い出す余裕すら無いだろうな」

「キエエエエエエエエ!」


 伯母の自滅により優斗と彼方は幸せになる。

 憎い存在を壊したにも関わらず、その復活と幸せを自らの手で後押ししてしまったことを理解させれた伯母はまたしても発狂した。


「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなああああああああ!」


 優斗は伯母から目を逸らし、彼方と正面から向かい合った。


「…………」

「…………」


 彼方は優斗が何をやりたいのかを即座に察した。


 もう二人に目にはお互いしか入って来ない。

 もう二人の耳には何も入って来ない。


 優斗は彼方を想い、彼方は優斗を想う。

 その幸せな気持ち以外の感情を追い払った。


 そうして二人は心からの幸せな笑顔を浮かべて。


「…………ん」

「…………ん」


 優しい触れるようなキスをした。


「キエエエエエエエエ!」


 妹と再会したあの時、愛しいパートナーと子供に恵まれて幸せそうに歩いていた姿と優斗達の姿が伯母の目に重なった。


「キエエエエエエエエ!」


 まるで猛獣のようにジタバタする伯母に優斗達は背を向けてそのまま部屋から出て行った。


 もうお前には何ら興味が無く、俺達は幸せな未来を歩くのだという宣言だった。

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