8. 彼方の答え
「旅行は楽しかったかしら」
「最高だったよ。これお土産ね」
「あらわざわざありが……とう」
「使ってね」
「……ええ」
「使ってね」
「念を押さなくても使うわよ!」
旅行から帰ってからしばらくの間智里達と会う機会が中々取れなかったが、ようやくお土産を渡すことが出来た。
可愛らしい眼鏡ケースを受け取った智里は頬がピクピク痙攣しているようにも見えるけれど喜んでいるに違いない。
「あとこれ、優斗君が選んだ都成君へのお土産なんだけれど渡しておいてもらえるかな」
「どうして私に言うの? 直接渡せば良いじゃない」
「だって頻繁に会ってるでしょ?」
「……彼方さんって案外攻めるのね」
「あはは、何の事かな」
別に彼方が攻めたがりな訳ではない。
恋愛好きな女の子なら誰だってぐいぐい攻めてしまうという女性の性なだけだ。
「それはそれとして、今日は色々と報告に来たわ」
今日は智里だけが彼方の家にやってきた。
他の三人はまだ色々と忙しいらしい。
「顔色が見違えるほどに良くなったわね。旅行の効果かしら。それともセックスばかりしているからかしら」
「智里さん!? オブラートに!」
「していることは否定しないのね」
「……智里さんと同じくらいだよ」
「ふふ、面白いこと言うのね」
「実際はどうなの?」
「話を逸らさないの!」
「は~い」
仲が良いのだか悪いのだか分からない会話であるが、お互いに壁を全く感じさせないくらいに友として距離が近くなっていることは間違いない。
「話すことは色々とあるのだけれど、まずはこれを渡しておくわ」
智里は鞄から包みにくるまれた細長い何かを取り出した。
「!?」
その形状でこのタイミングで渡そうとしている物といえば一つしか考えられなかった。
「あ……ああ……」
彼方は震える手でそれを受け取り、恐る恐る包みを解く。
中から出てきたのは見覚えのあるフルートだった。
「お母さん……」
彼方はそれを優しく胸に抱き、小さく震えてほろりと涙を流した。
優斗はそれを見た後、視線で智里に質問する。
「(本物か?)」
「(本物よ)」
金持ちの閃がいるのだ。
壊されたフルートを手に入れた閃が彼方を安心させるために同じものを購入して形見だと思わせる可能性があると優斗は考えていた。
フルートそのものに名前が書いてあるはずが無く、彼方はきっと見分けがつかないはずだ。
「(委員長のことだから信用出来ないんだよなぁ)」
何もやましいことは無いと表情を崩さないところがまた怪しい。
だがここで事実を追及したところで喜ぶ人は誰も居ないだろう。
もしかしたら彼方もこれが本物ではない可能性に気付くかもしれないが、それはそれで自分のことを思って代わりを用意してくれた智里達に感謝こそすれ、怒るなんてことは絶対にありえない。
優斗はこの件に関して考えるのを止めた。
すると丁度そのタイミングで彼方が悲しみから復活した。
復活が早かったのはフルートが返って来る可能性を想定していて心の準備が出来ていたからだろう。
「そのフルートを持っていたのは、彼方さんの親族の人では無かったわ」
「え?」
「え?」
二人はてっきり伯母が持っていると思っていたのでまさかの調査結果に驚いた。
「彼方さんの伯母は若い頃から水商売の世界で生きていて、そこで多くのコネクションを入手したようね。そこには裏社会の組織との繋がりもあって、元反社所属のある男性が伯母と仲が良くて色々と協力してもらっていたらしいわ。そのフルートもその男性に預けていた」
水商売と裏社会が繋がっているなど良くある話であり、伯母がその世界に身を投じていたのならば何らかの関係があってもおかしくはない。
「じゃあ委員長達はその男を見つけてこれを取り返してくれたのか」
「……ええ、そうね」
「?」
何故そこで歯切れが悪くなるのか。
不思議に思ったが智里が言おうとしないので無理に聞き出すことは止めた。
委員長は隠すと決めたら最初からこんな匂わせをするような人物では無い。
動揺を隠さなかったということは恐らくだがいずれ説明してくれるのだろう。
「今回の事件の関係者は彼方さんの親族と伯母の協力者。その全ての関係図がこの中に書かれているわ」
そう言って智里は今度はタブレットを取り出した。
だが書かれていると言うだけでそれを見せようとはしなかった。
「これを見せて調査結果を伝える前に確認することがあるの」
ここから先はもう最後まで一直線だ。
確認するなら今のタイミングしかない。
「彼方さん。宿題の答えを教えてくれるかしら」
彼方と彼方の両親を辱めた彼らに対する処遇。
彼方が彼らにどうなって欲しいのか。
その答え。
「分かった」
彼方の答えは旅行に行く前に決まっていた。
そして旅行に行って優斗と愛を交わし合うことでその答えはより確かなものとなった。
優斗は膝の上に置かれた彼方の手にそっと自分の手を重ねる。
彼方は柔らかな笑顔を優斗に向けて、答えを告げた。
「答えは三つあるの」
確かにこの宿題の答えは一つとは限らないが、三つも出てくるのは予想外だったらしく智里は素で驚いた様子だった。
彼方はその三つについて一つずつ説明する。
その最初の一つ。
「まずは伯母さんに何でこんなことをしたのかを聞きたいかな」
彼らの処遇、という質問の答えとしては少しずれたものだった。
「それは聞いた上で考えたいってことかしら」
「ううん、そうじゃないの。前回も言ったけれど、お父さんとお母さんのことを少しでも知りたいの。それに何でこんなことになってしまったのかも純粋に気になるかな。話を聞いたところで何かを変える気は全く無いけれど、知りたいの」
聞いたところで憎しみを増長させるだけかもしれない。
辛さや苦しみや悲しみで心がまたしても張り裂けそうになるかもしれない。
それでもこのまま耳を塞いで全てを不明なまま終わらせる気には到底なれなかったのだ。
父と母のことを知りたいのはもちろん本心だが、それと同じくらいに何で自分がこんな目にあってしまったのかの本当の理由を知りたかった。
「伯母に直接会って話を聞くつもりなの?」
「出来ればそうしたいんだけれど……無理かな?」
「伯母が素直に話すとは思えないわよ」
「それならそれで良いから」
「そう……分かったわ」
智里ならこのくらいのセッティングは軽くやってくれるだろう。
彼方はそう信じていたし、実際それは智里にとって簡単な部類の要望であった。
だから一つ目の答えはこれで終わりだ。
彼方は少し強めの息を吐いてから、二つ目の答えを口にした。
「二つ目はあの人達が私達に二度と関わらないこと」
「…………」
「私や優斗君、智里さん達、友達、これから出会う多くの人達、それに優斗君との、こっ、ここっ、こどっ、子供とか……」
「高校生で出産は大変よ?」
「未来のことだから! ちゃんと避妊してるから!」
「避妊してても出来る時は出来るからやりすぎは」
「はいストーップ! それは今は良いの! と・に・か・く! 私の家族や大切な人達にあの人達がま~ったく関わらないようにすること! 街でばったり会うとかも無しで!」
ふざけあっているような問答になってしまったが、これは実は甘いようで全く甘くない要望だ。
街で偶然会う事すら禁止されるということは、完全に彼方と彼らの関係を物理的に絶たなければならない。
しかも彼らが会ってはならないのは彼方だけではなく彼方の関係者全てである。
例え彼らを日本の僻地に追いやったとしても、誰かが旅行や仕事などでそこに行ってしまうかもしれないし、そもそも彼らが大人しくひっそりと生きるとは到底思えない。
彼方の要望を叶えるには、表社会から完全に消すか、あるいはこの世界から完全に消すか。
どちらにしろまともな手段では叶えられない望みであり、彼方もそのことをある程度分かっていて要望しているのだ。
「彼方さん、ごめんなさい」
「わっわっ、智里さん?」
智里は突然彼方を正面から優しく抱き締めた。
「あなたにこんなことを言わせてしまって、本当にごめんなさい」
「智里さん……」
智里は今回の事件を調べているため、彼らの起こした胸糞な行いの詳細を否が応でも知らざるを得なかった。
その結果、彼方に対する同情心があまりにも膨れ上がってしまっていたのだ。
「私の方こそ、全て任せてしまってごめんね」
「そんなこと無いわ! あなたは被害者なのよ。私達に任せて頂戴。だって私はそのために……」
母と同じ道を歩むと決めたのだ。
あの冤罪をかけられて無条件で優斗に信じて貰った時に、大切な人を守って助けられる人間になりたいと強く思ったのだ。
そして今では彼方もその大切な人に含まれている。
短い付き合いではあるが、すでにそう思える程に智里は彼方のことを気に入っていたのだ。
「ありがとう、智里さん」
「彼方さん」
「私のために怒ってくれてありがとう。本当に嬉しい」
「…………」
「そしてそれが三つ目の答えなの」
「え?」
彼方の言葉が予想外だったのか、智里は彼方から体を離して話をしっかりと聞くモードへと移った。
「最後の答えはね、『みんな』が出来るだけ納得出来るようにして欲しいの。私じゃなくてみんなが」
優斗が、智里が、閃が、秋梨が、春臣が、彼方のことに怒ってくれている。
彼方を思って行動してくれている。
彼方の代わりに彼らと直接戦おうとしてくれている。
そんな『みんな』が納得出来る処罰を求めたのだ。
例え彼方が『みんな』にとって甘い裁定を下したとしても、被害者の彼方がそう言うのなら仕方ない、と我慢するのではなく、彼方の答えに囚われすぎることなく『みんな』が極力満足出来るような結末を望んだ。
「あなたって言う人は……本当に……」
それが自分が辛くても他人を心配する彼方の本質。
優斗が惚れた彼方の優しさ。
関わってくれた人達の想いを大切にしたいと願う彼方の在り方。
まさに彼方らしい答えであった。
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