2. 彼方への宿題

「(彼方さんがなんでこうなったのか分かったわ)」


 自らの推測内容を説明しながら智里は彼方の境遇について改めて想いを巡らせた。


 大切な人を亡くして塞ぎ込んでしまうという話はよくあることだ。

 特に幼い子供を亡くした親のダメージは大きく、通夜や葬式があまりにも居た堪れない雰囲気になっているという話を聞いたことがある人もいるのではないだろうか。


 彼方の変貌ぶりはそのケースと比較しても最も酷い部類に入るのは間違いないだろう。

 だが智里はそのことに違和感を覚えていたのだ。

 特に疑問だったのが感情が抜け落ちる程に絶望しているのに登校していたこと。

 それ程までに辛いのならば家に引きこもってしまうのではないかと考えるのは自然なことだ。


「(不登校になったら伯母に連絡が行くから必死に登校したのね。こんな経験をしたのなら壊れても当然よ。むしろ篠ヶ瀬君は良く彼女を回復させたと思うわ。ううん、篠ヶ瀬君以外では無理だったのではないかしら)」


 両親の突然の死だけではなく、親族総出で死を激しく侮辱された上に脅されたのだ。

 壊れてしまうのは当然だろうし、そんな壊れた相手を癒すことなど出来ると思えなかった。

 だからこそ彼方を癒した優斗のことを内心では尊敬しており、崇拝度がこっそり上昇していた。


「(人生でこんなにも腹立たしく思ったのは初めてね)」


 あの濡れ衣を着せられた時以上に心を乱されることがあるとは思ってもみなかった。

 彼方に弄られたことで少し落ち着いたはずの怒りが話をするたびにまたこみ上げて来るけれども、自分がここで暴走したら間違いなくその怒りが皆に伝搬して衝動的に軽率な行為をしてしまいそうになる。


 彼らに相応しき罰を与えるために、智里はどうにか気持ちを必死に押し殺して話を続けた。




「もう一つ不思議なのが彼方さんの親族全員が敵であるということ。こんなことある?」


 仲の悪い親族などこれまたよくある話なのだが、全員と仲が悪いというのは珍しいのではないか。

 彼方の両親の性格が一際悪いのならば分からなくもないが、話を聞く限りではごく普通の人である。

 何がどうなればそんな状況になるのかなんて想像すら出来なかった。


「しかもご両親のどちらの親族も敵で、死を冒涜する程に嫌われていた。はっきり言って異常よ」


 そもそも何故憎まれていると言っても過言ではない扱いを彼方の両親が受けているのか。

 胸糞悪いこの事件が発生した原因が何なのか。


「もちろんそれが分かったところで彼らの犯した罪には何ら変わりは無いのだけれど……」

「ううん、私知りたい」

「彼方さんならそう言うと思ったわ」


 彼らの罪がどうこうではなく、何故両親が酷い目にあったのかを知っておきたい。

 大好きな両親の事を悪い面も含めて少しでも知っておきたい。

 もうこの先、知る機会が無いのだから……


 そのためならばどんな胸糞な話でもしっかりと聞くと彼方は覚悟を決めていた。


「このことに関しては調査しなければ分からないのだけれど、一つだけ言っておくことがあるわ。『納得』出来る理由が出てこない可能性があるの」

「?」

「例えば彼方さんのご両親が親族が集まる場で何かをやらかして激しく憎まれてしまった。これなら『だとしても多くの親族が敵になるか?』『だとしてもそこまでやるか?』という程度の問題はあれども『敵』を作ってしまった点については納得出来ると思うの」

「うん、そうだね」


 両親のどちらもがお互いの親族に攻撃されているという事は、この可能性が最も高いのではないかと智里は考えていた。

 だが物事には必ずしも自然な理由があるとは限らない。


「でも大して理由が無い可能性もあるのよ。なんとなく気に入らないから、くらいにしか思ってないとかね」

「あんなに酷いことしておいてそんな馬鹿なことあるッスか!?」

「あら、岩田君はご家族が警察関係者なのに似たようなケースを知らないのかしら」

「仕事の話は教えてくれないッスから……」

「まぁそうよね。私も母が弁護士だけれども仕事の内容は教えて貰えないわ。守秘義務もあるからね。それどころか仕事場に近づくこともダメで母が弁護士であることも他言しないようにと強く言われていた。その理由こそが『大して理由が無い』につながるのよ」


 智里の母は仕事のことは教えてくれなかったけれど、何故弁護士の親族であることを隠すべきなのかは教えてくれた。


「弁護士には敵が多いから彼らから私を守るために母は家族の事をなるべく秘密にしておこうとしていたの。母は刑事事件をほとんど扱ってないのに民事でそんな凶悪犯罪者みたいな人がいるのかと聞いたら、世の中には常識では考えられない程に普通でない人がいることを教えてくれたわ」


 智里の母は金銭トラブル、遺産相続、離婚調停などの民事事件を取り扱う機会が多く、その中で一般的な感性から逸脱した人間を多く見て来たのだ。


「程度の低い『おでんツンツン』のようなものもあれば、今回のように死者を冒涜することに全く抵抗が無い人もいる。いずれにしても彼らは自分の行いを『悪事』だとは本気で思っていないことが共通点ね」


 飲酒運転で相手を死なせてしまっても運が悪いだけだと思っていたり、野良猫を殺しても罪悪感を全く感じていなかったり、世の中には胸糞悪いことを悪事と思わず平気で行える人物が存在する。

 小学校や中学校の頃を思い出すと、飲酒運転で人を轢き殺しても平然としてる大人になっていそうな人が一人や二人くらいは思い当たるのではないだろうか。


「何故自分が悪いのか分からない。そのくらいで訴えるなんてありえない。彼方さんの話を聞く限りでは、彼らは今回の件についてこう思ってそうな気がするのよ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 そんな人間がいてたまるか、と思いたいけれども彼らには思い当たることがあり否定できない。


 後輩ズを殴ろうとした酔っ払いは本気で悪い事をしたと思っているのだろうか。

 閃をいじめた子供達がそのまま大人になってしまったら、大人になっても誰かをいじめ、死してなお嗤うような人間になっているのではないか。

 彼方をいじめようとした玲緒奈はすでに普通の感性を失っていたのではないか。

 彼方の父親の会社の人間も、父親の死を利用して娘を手に入れようとしていたのだから死を冒涜しているようなものだ。

 優斗の親族も内心では死してなお見下しているからこそ無関心を貫き通したのだろう。


 世の中には信じがたい人間がいることを彼らは知っていた。


「だから先程言ったように納得出来る理由が無いかもしれない。それでも彼方さんは理由を知りたいかしら」

「…………うん」

「分かったわ」


 彼らの行動理由は到底理解出来るものでは無いかもしれないが、それでも彼方が知りたいと願うのならば伝えるのが智里の役目だ。


「それじゃあこれからのことを説明するわね」


 大きな疑問点を共有したところで今後の話に移る。


「法に則り正しく動くのであれば、今すぐにでも警察に動いてもらわなければならないわ。でもそんなのくそくらえよ」

「おいおい、委員長口が悪いぜ。しかも弁護士の娘がそんなこと言って良いのかよ」

「別に私は弁護士じゃないし、母も立場上は言えないけれど内心では同じことを思ってくれるはずよ」

「マジかよ。悪徳弁護士じゃないだろうな」

「失礼ね。母は大人気の正義の味方よ。試しに相談してみる? 浮気相談とか得意みたいよ」

「そんな機会は絶対ない! それよりなんで今すぐに警察はダメなんだ? やっぱりもっとその……」


 地獄を見てもらうために警察に任せないのか。

 とは流石に彼方の前では言えなかった。


「簡単な事よ。警察が動いたと知ったらフルートを破壊されてしまうかもしれないからよ」

「え? フルートなら、その……」

「彼方さん、諦めてはダメよ」

「……ありがとう」


 彼方は前に進むために母の形見を諦めるつもりだったが、まだ取り返せないと決まったわけでは無いのだ。可能性があるならば少しでも良い形で事件を終わらせるのが智里にとって当然の事だった。


「最優先はフルートを取り返すこと。それは都成君と牧野原さんお願い」

「もちろんだよ」

「それは良いですけど、その間に逃げられるかもしれないから急いで居場所を突き止めないとダメですね」

「そうね、それに事件の全貌の調査と関係者の洗い出しも並行してやっておきたいわ。これも二人にお願いしても良いかしら」

「了解」

「当然です」

「私と岩田君はフルートを取り返せたら行動しましょう。警察と弁護士の動きは彼らもチェックしているだろうからすぐに動けないのが歯がゆいわね」

「分かったッス。でも親父に伝えたらこっそり動いてくれそうッスけどね」

「私もそうなんだけれど、念には念を入れてよ」


 何故そんなことが出来るのか。

 彼方は秋梨の家庭の事情を詳しく知らされていないから気になったが、聞いて良い雰囲気では無かったので今は何も言わず彼らを信じることにした。


「ということで篠ヶ瀬君と彼方さんはしばらく待ちなんだけれど、その間に彼方さんに考えて貰いたいことがあるの」

「考えて貰いたいこと?」

「ええ、とても大事な事よ」


 これから智里がする質問への答え次第で今後の方針が決まると言っても過言ではない大事なこと。


「彼方さんは彼らにどうなって欲しい?」

「…………」

「現実的にありえないことを含めて考えて頂戴」


 法に則って裁いて欲しいのか。

 全員の死を望むのか。

 死より苦しい拷問をして欲しいのか。


 被害者である彼方の望み。

 法律とか常識とか関係なく率直にどうなって欲しいと思っているのか。

 智里はその想いを最大限尊重、いや、確実に実現しようと考えていた。


「(もちろん見逃すって言われても彼方さんが見逃すだけで私達は見逃さないけどね)」


 優しい彼方のことだから、あれほど酷い目にあっても情けをかけるかもしれない。

 その場合は秋梨の力を使って彼方にバレないように処分するつもりであった。


 だから彼らが地獄に堕ちるのは確定なのだが、彼方がどうあって欲しいと望むかでやり方が変わって来る。


 そして彼方自身が気持ちを整理して事件に決着をつけるためにもこの確認が必要だった。


「……分かった。考えてみるね」

「ええ、焦らないで良いからじっくりと考えてね。そして困ったらもちろん」

「優斗君に助けて貰う」

「任せろ」


 それが優斗にしか出来ない大事な仕事だ。


「せっかくだからその間に例の旅行に行ってきたらどうかしら」

「え!?」

「子供が出来ないように気を付けるのよ」

「智里さん!」

「ふふふ」


 旅行の件はさておき、彼方は智里から重大な宿題を受け取った。

 果たして彼方はどのような選択をするのだろうか。

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