彼方. 私はもう大丈夫

 最近良く夢を見る。


 お父さんとお母さんが亡くなってからは寝るのは気絶と同じようなものだった。

 優斗君と出会って心が癒されても夢を見ることは全然なかった。


 でも優斗君と恋人関係になったあの日から、これまでは何だったのかと思えるくらいにほぼ毎日夢を見る。


 夢の内容は決まってお父さんとお母さんとの想い出のシーン。

 優斗君とえっちなことをする夢だったらどうしようなんて寝る前にはいつも不安に思っているのに、夢に優斗君が出てきたことは一度もない。


 夢の中のお父さんとお母さんはいつも笑っていた。

 私達の家で平凡に生活するだけのなんでもない夢。

 良い事も悪い事も起きず、ただ生きるだけの幸せで残酷な夢。


 お父さん。

 お母さん。


 いずれ声も顔も思い出せなくなる日が来るのだろうか。

 夢の中に出て来なくなる日も来るのだろうか。


 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


 だってそうなったら本当の別れになってしまうから。

 私の中から大切なものが消えてしまうから。


 いつも目が覚めると私は泣いていた。

 私の方が起きるのが早いから優斗君は気付いていないみたい。


 荒れ狂う切なさや悲しみは右手の温もりを思い出すと徐々に和らいでくれる。

 寂しい心を優斗君が埋めてくれている。


 だからだと思う。

 私が優斗君に溺れてしまっているのは。


 お父さんとお母さんを失った悲しみを優斗君への想いで誤魔化そうとしている。


 そうとでも思わなきゃ耐えられないよ!

 あんな恥ずっ、恥ずかっ、恥ずかしいことばかりするなんて!

 私は、その、むっつりかもしれないけれど、それだけが原因じゃないの!


 そうだよね、お父さん、お母さん、なんてこんなこと聞けるわけないじゃない!


 うわああああああああん、でも優斗君好き!




 冗談はさておき、私がお父さんやお母さんを忘れてしまうことに怯えているのは本当のこと。

 それを優斗君に恋する気持ちで誤魔化しているのも本当のこと。


 でも多分それは普通のことなんだと思う。

 私は特殊なケースかも知れないけれど、大切な人を失った悲しみを人はどうにか埋めながら前に向かって進むものなのだと思うから。


 その埋め方が私は恋だったというだけのことだ。


 そして時間が経つにつれて私はお父さんとお母さんを記憶の奥底に眠らせながら生きられるようになるのだろう。


 でも今の私にはその時間が無かった。

 私が怯えていることにつけこんで、あの人達が何かをして来ることは分かっていたから。

 それに屈してしまえば私だけじゃなくて優斗君も苦しませてしまうから。


 強引にでも前に進まなければならなかった。


 でもそれがどうしても出来ない。

 優斗君が傍に居るのに、愛してくれるのに、それでも事実を語る勇気すら出てこない。

 あの人達のことを考えるとあの日の事を思い浮かべてしまい様々な・・・感情に心が荒れ狂いそうになる。

 どうすれば良いのか分からない。


 そんな私を救ってくれたのは、やっぱり優斗君だった。


 優斗君は自分の親族について教えてくれた。

 私が尋常ではない程に苦しんでいるのを見て話すのを止めると思っていたのに、この苦しみを乗り越えたいという私の気持ちを尊重して最後まで話してくれた。


 嬉しかったし勇気が出た。


 でもそれ以上に話の内容に衝撃を受けた。

 程度やタイプが違うけれど、優斗君が自分と似た境遇だったのだから。


 しかも優斗君は怒りを滲ませ、悲しみを隠さなかった。

 自分の弱いところを包み隠さず見せてくれた。


 ああ、優斗君を幸せにしたい。

 優斗君と幸せになりたい。


 その想いが私に力をくれた。


 お父さんとお母さんの記憶を守ることは大事だけれど、それ以上に優斗君との幸せを積み重ねたい。

 そっちの方が遥かに大切なことだと心から思った。


 お父さん。

 お母さん。


 ごめんね。


 でも私やっぱり幸せになりたい。


 お父さんとお母さんのことをずっと覚えていたいけれど、大切な想いを余すことなく残したいけれど、それに拘り過ぎて幸せを逃したくないの。


 お父さんとお母さんと同じくらいに大切な人に出会えたから。

 優斗君との幸せな記憶を沢山残したいから。


 だからごめんなさい。


 お父さんとお母さんとの様々なことを失う覚悟をするね。




 そしてその覚悟が試される日がやってきた。


 私の家にやってきたあの男。

 誰なのかは知らないけれど、葬式の時に来てこの家にも来て失礼なことを仕出かした親族の一人。


 ついに彼らが動き出した。


 間に合って良かった。

 案の定その男の姿を見るだけで私の体は自分のものでないかのように暴走しようとしていた。

 その男の命令に従おうとしていた。


 私の体に雁字搦めに巻きつけられた見えない鎖が勝手に体を動かそうとしている。


 お父さん。

 お母さん。

 優斗くん。


 でも大丈夫。


 私の手には大切な想い出しゃしんがある。

 私の傍には優斗くんがいる。


 こんな鎖なんか、力づくで解いて見せる。

 優斗君も見つめるだけで私の想いに気付き信じてくれた。


 私は貴方達なんかに負けない!

 私の心も体も優斗君のものなんだから!


 生まれて初めて人を叩いた。

 これまで散々酷い事をさせられたからか、それとも当たり所が良かったのか、あんなに気持ち良い感触だとは思わなかった。


 ちょっと癖になりそう。


 じゃなくて、彼らに反抗出来たことが直ぐには信じられなかった。

 心も体も軽い。

 これまであんなにも苦しんでいたのが嘘のようで、それがあまりにも嬉しくて優斗君の胸に飛び込んだ。


 でもまだ完璧じゃない。

 男にアレについて言われると、私の中のお父さんとお母さんを想う気持ちが鎖となってまた体に巻き付こうとして来る。

 覚悟しても簡単に捨てられるものじゃないから。


 優斗君に触れているのに、心は軽くなっているのに、最後の決心がつかない。


 思わず優斗君に助けを求めてしまった。


 そうしたら優斗君は愛することで背中を押してくれた。


 激しく情熱的で私の全てを求めてくれるような愛。


 ありがとう優斗君。

 私はもう大丈夫。


 だから全てを終わらせて幸せになろう。

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