10. 告白
「…………ん」
「おはよう」
優斗が眠っていたのは小一時間程度だった。
その間彼方はずっと優斗を優しく抱き締めて背中や後頭部をさすってあげていた。
母親が子供をあやしているような雰囲気ではあるが狙ってやっていたのだろう。
「わ、悪い! って彼方!?」
彼方に抱き着いていることに気付いた優斗は慌てて離れようとするが、彼方が突然抱き締める力を強くして離してくれない。
「ダメ。ぎゅー」
「うひゃっ!」
彼方の柔らかいところが押し当てられ、優斗は思わず奇妙な声をあげてしまう。
寝起きで頭がまだスッキリしてないということもあり大混乱だ。
「どう? 気持ち良い?」
「!?!?」
しかも彼方は思わせぶりなことを言って優斗の動揺を更に誘ってくる。
「待って彼方、それ以上はマズイって」
「何がまずいのかな?」
「いや、だからさ、かなたぁ」
「はっきり言ってくれないと分からないよ。くすくす」
完全に優斗を手玉に取っている。
だがこれは彼方の作戦だった。
「うりうりうりうり」
「彼方ダメだって!!!!」
今度は抱き着いたまま左右に小刻みに動く。
そうすると密着している一番柔らかい部分が優斗の胸をこするような感じになり嫌でもその場所を意識してしまう。
もうこれ以上はダメだと優斗が強引に体を離そうとしたその時、彼方がある言葉を口にした。
「気持ち良くて幸せでしょ?」
「っ!?」
優斗を目一杯動揺させてからキーワードを伝えることで、暗い気持ちを呼び起こす余裕を無くしたのだ。
「幸せだよね、優斗君」
「いや、その、彼方」
彼方の狙い通り、優斗はこれまでのように辛そうな表情を見せていない。
少しだけ反応はしているけれど、動揺しているからかダメージをほとんど負っていないように見える。
そのことが分かると彼方はようやく体を離した。
そしてもう一度告げる。
「優斗君は幸せ?」
「…………ううっ」
動揺が多少治まったからか、今度は状態が悪化しそうになる。
「えい」
「!?!?!?!?」
すると彼方は優斗の右手を手に取ると自分の胸に押し付けた。
「まって、え、なんで、いや、ダメだって、うわ、え」
大パニックである。
湧き上がって来た辛い感情。
彼方の大事なところに触れている羞恥心と罪悪感。
右手に伝わる柔らかな感触による性的興奮。
様々な感情がグルグルと頭の中を周ってまたしてもぶっ倒れてしまいそうだ。
それとは真逆に彼方は顔を少し赤らめる程度。
しかもそのまま優斗との会話を続けようとする。
「優斗君は幸せ?」
「……かな……た?」
ここに来てようやく優斗は彼方が何をしようとしているか理解した。
えっちなことで優斗を動揺させることで闇堕ちを防ぎ、本心を聞き出そうとしているのだ。
「手を、離して、くれ」
「ううん、離さない。優斗君が答えてくれるまで絶対に離さないよ。もし優斗君がこれでも答えるのが難しいなら、全裸にだってなってあげる」
「……彼方」
どんなことをしてでもここで優斗の心と向き合いたい。
その彼方の決意が痛い程伝わって来る。
「……はぁっ……ぐっ……でも……ああもう、俺の馬鹿!」
優斗はしばらくの間苦悩した後、大声をあげた。
「彼方がここまでしてくれてるんだぞ! 何やってんだよ!」
手が彼方に抑えられていて自由が利かないからか、言葉の暴力で自分を殴りつける。
湧き上がる負の感情を必死で抑えようとする。
彼方の決意に優斗が答えようとしている。
「彼方、手を離してくれ。大丈夫だから」
優斗はそう言って疲れたような笑みを浮かべ、彼方はようやく優斗の手を解放した。
「分からないんだ」
それが彼方の質問に対する答えだった。
「自分が幸せなのかどうかが分からない」
そう答える優斗の体はまだ少し震えている。
嫌な感覚と必死に戦っているのか。
それとも自分の心と向き合うのが怖いのだろうか。
「優斗君は分からないことが怖いの?」
「……怖い、のかな、それもよく分からない」
それが真実であるならば、優斗は自分がおかしくなっている理由すらも分かっていないのかもしれない。
「それはお母さんに言われたことが関係してるのかな」
「…………わから……ない」
彼方はあくまでも穏やかに、優しく、決して責めるように聞こえないように、優斗の心を紐解こうとする。
優斗もまたその想いに応えようとするが、上手く行っていないようだ。
彼方は優斗の手を再度手に取り、胸の前まで持ち上げて両手で優しく包み込む。
「ねぇ優斗君」
そして一際柔らかな笑みを浮かべて告げる。
「私は幸せだよ」
その言葉に優斗は僅かに目を見開いた。
「だって優斗君に出会えたから。優斗君に救ってもらったから。優斗君と一緒に居ると楽しいから」
そしてそれが意味することは一つしかない。
「優斗君が好きだから」
だから幸せなのだ。
「好きな人がいつも一緒に居て優しくしてくれる。最高に幸せなんだ。えへへ」
彼方は照れくさそうにはにかんだ。
その笑顔があまりにも可愛らしくて優斗は彼方の顔から目が離せなかった。
「優斗君は私のこと好き?」
彼方の攻めはこれで終わらない。
むしろ優斗の心を紐解くために自らの心を先に曝け出したのだ。
「俺は……!」
だが優斗はそこで言い淀んでしまった。
一学期の終わりに優斗は彼方に告白しようとしていたから好きであるはずなのに即答出来なかった。
そんな優斗の様子を見た彼方は悲し気な表情になる。
「そっか、そうだよね。地雷を沢山抱えてる面倒臭い女だもんね。こんな女の子なんて本当は嫌だよね」
「違う! そんなことはない!」
「じゃあはしたないところが嫌なのかな。恥ずかしいところ沢山見せちゃったし」
「違うんだって! そうじゃないんだ!」
『好きではない理由』を彼方が挙げる度に、優斗はそれを力強く否定する。
そして。
「俺は彼方の優しいところが……!」
その瞬間、優斗の目が大きく見開かれた。
何かとてつもなく大事なことに気付いたようなそんな雰囲気だ。
「あ……ああ……そうか……そうだったんだ……」
優斗の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
「俺は彼方が
ずっと悩んでいた彼方への想い。
それが今ようやくはっきりした。
優斗は言った。
『本当に』好きだったのだと。
つまり自分の心の中の好きな気持ちに自信が持てなかったという事だ。
「母さんに言われたからじゃ、無かったんだ」
その自信を持てない理由こそが母の遺言によるものだった。
『優斗が幸せにしてあげたいと思える人にいつかきっと会えるわ』
『その人と一緒に幸せになってね』
この言葉があるから優斗は彼方の事を幸せにしてあげようと思ったのではないか。
この言葉があるから優斗は彼方の事を好きだと思って幸せになろうと思ったのではないか。
自分の彼方への想いは母の言葉に従おうとして作られたものなのではないか。
本当は彼方のことは好きで無くて義務的に対応していただけでは無いのか。
その疑念がどうしても頭から離れなかった。
だが彼方が質問してくれたことで優斗は『好きの理由』を自覚した。
彼方が私の事なんか好きじゃないよね、と煽ってくれたから反射的に素の気持ちが溢れ出た。
優斗は彼方に会って間もなく恋に落ちていたのだ。
心が壊れていても優斗の事を気にかけてくれる優しい彼方を幸せにしたいと誓ったあの時に、すでに彼方の虜になっていたのだ。
「俺はもう幸せだったんだ」
母の遺言を守ろうとしたからではなく、それとは関係なく幸せになっていた。
心から幸せにしたいと思える女の子に出会い、幸せな毎日を送っていた。
そのことに気が付いた。
そして自分があまりにも遺言に囚われすぎていて壊れていたことにも今更ながら気が付いた。
「はは……はははは……こんなんじゃ母さんに叱られちゃうな」
半分は彼方の想像通りだった。
優斗は母の遺言通りに幸せにならなければならないと自らを追い込んでいた。
だが母の遺言は『幸せに思える人と一緒に幸せになる』ことだ。
一人だけではダメなのだ。
それゆえ彼方に出会う前の優斗は『どうにかして相手を見つけて幸せにならなきゃダメだ』と強く追い込まれていた。
その悩みの内容が彼方に出会ってから変化した。
優斗は自分の彼方への想いが本物なのか遺言を守っているだけなのかが分からず『俺は幸せなはずだ』と無理矢理思い込もうとしていた。
だがその疑念と思い込もうとしている罪悪感が高いストレスとなり精神を圧迫していた。
傍から見ていると同じような雰囲気だったから優斗の親友達は違いに気付かなかっただろう。
「母さん……俺は……俺はっ……」
母の遺言を守ろうとするばかりに心を壊し、母を悲しませるようなことをしてしまったことを優斗は悔やみ涙する。
「優斗君」
そんな優斗を彼方は今一度優しく抱き締めた。
彼方としては何が起きているのか良く分かっていない。
ただ優斗が大事なことに気付き、乗り越えたのだということだけは分かった。
優斗の泣き顔がこれまでよりも遥かに柔らかなものに変わっていたから。
「彼方!」
優斗は泣きながら彼方を抱き締め返した。
それは彼方の想いを受け止めたという告白に対する答えでもある。
「俺は彼方が好きだ」
優斗の呪いは解消され、ここに一組の恋人が誕生した。
バカップル劇場開幕である。
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