9. 呪い

 スーパーで倒れかけた優斗は少し休むと復活した。


「心配かけてごめんな。買い物続けようか」

「ダメ! 帰るよ!」


 何事も無かったかのように買い物を続けようとする優斗を彼方は叱りつけ、腕をとって強引に帰らせる。


「わっ、わっ、分かったからそんな引っ張らないで!」

「ダメ!」


 心配で心配で仕方ないのだ。

 優斗が何を言おうとも彼方は聞く耳を持たない。


「…………」

「…………」


 ふんふんと怒るように優斗を引っ張る彼方だが、歩いていると徐々に冷静になってくる。

 一方で優斗は彼方の逆鱗に触れないようにと黙って歩いている。


 そうなると二人の間には気まずい雰囲気が漂ってしまう。

 その雰囲気を振り払うかのように、優斗は意を決して口を開き、先程の出来事について少しだけ教えてくれた。


「鍵谷さんは母さんが入院してた病院の看護師さんだったんだ」

「看護師さん?」

「ああ、とても良くしてくれた優しい人だよ」


 それならば何故その優しい人と話をしてあんな状態になってしまったのか。


「きっと母さんのことを思い出して変になっちゃったんだと思う。心配かけて本当にごめん」

「…………」


 しかしあの時の優斗の雰囲気は母を亡くして悲しんでいる様子とはまるで違っていた。

 嘘をついているのか、それとも自分でも分かっていないのか。


 結局彼方はそのモヤモヤを抱えたまま、優斗の家に帰宅することになった。




「お花はまた今度だね」


 彼方は優斗をリビングのソファーに座らせて、自分はその隣に座った。

 今日のお出かけの目的の一つである花を買うことは出来なかったため、優斗母の写真の周りは相変わらず簡素なままだ。


「あの、彼方?」

「なぁに?」

「ち、近くないか?」

「そう?」


 彼方は体を優斗にぴったりとくっつけ、優斗の方を向いている。

 顔が近く相手の吐息が届きそうな距離であり優斗は目に見えて顔を赤くして慌てていた。

 最近の彼方であれば照れてしまって絶対に出来ない行為であるが、ほんのりと顔を赤くする程度で動揺していない。


 これまで優斗から多くの温もりを与えられてきた彼方にとって、今こそ温もりを与え返す絶好の機会なのだ。

 照れよりも優斗のことを心配する気持ちの方が遥かに大きく、自然と優斗に近寄り見守りたくなってしまった。


「(勇気を出して聞いてみるべきなのかな)」


 彼方は優斗の異常な姿を間近で見てしまった。

 そして優斗も見られたことに気付いている。


 彼方がソレを疑問に思っていることを優斗は察しているはずだ。

 今ならば自然な流れで聞けるが、果たしてそれで優斗の状態は悪化しないのだろうか。

 彼方が特定の単語や状況でトラウマが蘇り酷く苦しんでしまうように、『そのことについて考えるだけでアウト』なのだとしたら優斗を苦しめることになってしまうのではないか。


 そう考えると中々踏ん切りがつかない。

 辛さを知っているがゆえに、同じような想いをさせたくないという気持ちが強い。


「(でもそれじゃあダメだよね)」


 誰かが傍に居るだけで時間が解決してくれることもあるが、解決してくれないこともある。

 優斗の問題は後者ではないかと彼方の勘が言っていた。


「(よし、聞こう。でもその前に)」


 少しだけ雑談して場の空気を和らげてからの方が優斗も話しやすいだろう。

 そう思った彼方はとりあえず思いついたことを口にした。


「お花は買えなかったけれど写真は一杯撮ったから印刷して飾ろうよ」

「あ、ああ、そうだな」


 優斗は逃げるように立ち上がろうとしたけれど、彼方は肩を掴んで抑えて首をゆっくりと横に振った。


「せっかちだね。今すぐじゃなくて良いよ」


 今はもう少しこうして話がしたいの、と暗に伝えている。


「でもどの写真にしようか。ほとんど私と一緒の写真だよね」

「彼方が全部自撮りにするから」

「あはは、だって一緒に写りたかったんだもん」

「間近でそういうことを言わないでくれよ」


 優斗の照れがより一層深くなる。

 あまりやりすぎて甘酸っぱい雰囲気になりすぎるとそれはそれで話を切り出しにくくなるから加減が難しい。


「出来れば私と一緒の写真を置いて欲しいな。あ、でもお母さんに怒られちゃうかな」

「え、何でだ?」

「高校生なのに女の子を連れ込むなんてまだ早い! とか」

「それはないな。母さんなら『優斗が女の子を連れて来た!』なんて大騒ぎになって彼方を超甘やかすだろうし」

「あはは、そういう人なんだ」


 だとすると今も優斗を見守りながら大騒ぎで応援しているかもしれない。

 優斗の背後にそんな姿が見えた気がした。


「そして俺が止めてって言うのに勝手に俺の良いところをアピールし出すんだ。しかも『優斗をどうかよろしくお願いします』なんて真面目に言って彼方を困らせちゃう」

「お母さんは優斗君の事が大切だったんだね」

「ああ、大切にされてたことは小さい頃から骨身に染みる程に分かってたよ」

「あはは、そういうのって照れくさくて中々言えないのにそれだけ堂々と言っちゃうってことは相当なんだね」

「その通りだ」


 段々と雰囲気が柔らかくなってきた。

 そろそろ頃合いかも知れない。


 彼方は最後に今の話を締めて肝心の話題を切り出すことを決意した。




「じゃあ一番幸せそうな写真を置いて喜ばせてあげないとね」




 しかし、ここで予想外の事が起きる。


「…………っ!」


 何気ない一言のはずだったのに、優斗の表情が激変したのだ。


「そ……そうだ……はぁっはぁっ……幸せ……置いて……」

「優斗君!?」


 目の前に彼方がいるのに優斗の視線は定まっていない。

 熱にうなされているかのように息が荒く、体が小刻みに震えだす。


「俺は……はぁっ……母さん……はぁっ……し……うっ……」

「優斗君! 落ち着いて! 優斗君!」


 耳元で叫ぼうが彼方の声は全く届いていない。

 うわごとのように微かに言葉をつぶやき、その合間に歯を強く食いしばる。


「(あんなに良い雰囲気だったのになんでこうなるの!? 私何も変な事言ってないよね!)」


 話の流れに沿った自然な会話だったはずだ。

 どれが優斗の地雷だったのかが全く分からない。


「(でもそういえば鍵谷さんの時もそうだった)」


 スーパーで看護師に会った時も最初は普通に会話をしていた。

 優斗がおかしくなったのは最後の言葉を聞いた後の事だった。


「(あの時と今とで同じ事って言ったら……)」


 その共通点こそが優斗の抱えている問題に直結する何かだ。


「かあ……さん……俺は……はぁっ……幸せ……」

「え?」


 彼方はついにそのキーワードに辿り着いた。


『優斗君が幸せそうで良かったわ。それじゃあこれ以上お邪魔するのも悪いから私はもう行くわね』

『じゃあ一番幸せそうな写真を置いて喜ばせてあげないとね』

『かあ……さん……俺は……はぁっ……幸せ……』


 これらに共通する言葉。

 鬼気迫る雰囲気とは真逆の印象を持つ言葉。




「(まさか『幸せ』なの!?)」




 それこそが優斗が激しく反応していた言葉だった。


 彼方がそのことに気が付いた瞬間、優斗はおもむろに左手を口の方に移動させた。


「ダメ!」


 何をするかなど指に巻かれた包帯を見れば明らかだ。

 あの指は素人目に見てもかなり酷い状況だった。

 これ以上悪化させて治らないなんてことにはさせたくない。


 その想いが彼方を突き動かした。


「っ!?」


 優斗の口に自分の右手の人差し指を差し込んだのだ。

 優斗が入れる前に自分が入れてガードする。

 だがそれは自分の指が強く噛まれるということでもある。


 予想以上の痛みに思わず声が出そうになるが、優斗を心配させないために歯を食いしばって必死で耐える。


「優斗……くん。落ち着いて、ね」

「……ぐぐっ……?」


 噛んでいるのにいつもの痛みがやってこない。

 その違和感が優斗を正気に戻らせた。


「かな……た……?」


 そして自分が噛んでいる物の正体に気付くと一気に顔が青褪める。


「彼方!」


 慌てて彼方の指を解放するが、その指には痛々しい歯型がしっかりと残されていた。

 とんでもないことを仕出かしてしまったことで優斗はパニックに陥っている。


「お、俺、こんな酷い事を、ごめん、本当に、ごめん、ごめんごめんごめんごめん」


 そんな優斗を彼方は優しく抱き締める。


「優斗君、落ち着いて」

「でも、でも俺」

「落ち着いて。大丈夫。優斗君も、私も、大丈夫。全部、大丈夫、だから」

「…………」

「目を閉じて、落ち着いて、呼吸を整えて」


 肩越しの後頭部に手を添えて優しく撫でてあげる。

 体をぎゅっと抱き締めて熱を与えてあげる。

 耳元で言葉を優しくゆっくりと伝えてあげる。


 今の彼方が出来る全力で、優斗に温もりをプレゼントする。


「優斗君、疲れたでしょ、少しだけ、おやすみなさい」


 彼方のその想いが伝わったのか、しばらくして優斗の体から力が抜けた。

 優斗はまるで気絶するかのように眠りに落ちていた。




 彼方は眠った優斗を抱き締めたまま、改めて優斗が抱えている問題について考える。


「(『幸せ』が優斗君にとっての悪いキーワードだった。でもどうしてなんだろう)」


 『幸せ』という単語の何が優斗をここまで追い詰めているのか。


「(他のヒントとつながるかな)」


 これまでに得られたヒントや違和感を思い出す。


 優斗は母の死後少し経ってからおかしくなった。

 母を亡くした悲しみから復調するのが一か月程度と早い。

 異常なまでに彼方に優しい。


 この中で『幸せ』につながるものはどれだろうか。

 優斗の立場を想像して必死に考える。


 そして一つの仮説を思いついた。


「(優斗君は『幸せ』にならなきゃって思い詰めてる?)」


 母を亡くして失意のどん底に陥った優斗が『母さんを心配させないためにも幸せにならなきゃダメだ』と思い悲しみを強引に抑え込んで幸せになろうとする。

 あるいは幸せだと思い込もうとしているのかもしれない。


「(でもそれって普通のことだよね)」


 いつまでも悲しんでいたら故人が喜ばない。

 これは別に優斗に限った話では無く一般的な考え方である。

 大切な人の死を受け入れるためにこう考えて前を向くなんて話はそれこそ山ほどあるのだ。


 これだけで狂ってしまうというのはおかしい。


 だが。


「(お母さんに『幸せになってね』とか言われたら?)」


 遺言として言われたらどうだろうか。


 特に優斗にとって母は尊敬する大好きな家族だ。

 そんな人物から『幸せになって欲しい』などと最後のお願いをされたら無理をしてでもそうなろうとしてしまうのではないか。


 何が何でも幸せにならなければならない。

 今が幸せだと思わなければならない。

 決して悲しくも辛くもない。


 母がそう望むからそうならなければならない。

 その使命感が優斗の心を縛っている。


 それは最早『呪い』とも呼べるものだ。


 母を亡くした直後は流石に悲しみが大きすぎてその『呪い』は発動しなかったが、時間が経つにつれて考える余裕が少しでも出来ると母の遺言を思い出して『呪い』が発動した。

 優斗の場合はその期間が一か月程度だったのだろう。


「(優斗君は今『幸せ』じゃないのかな)」


 彼方と一緒の生活が本当は苦しいものだったのだろうか。

 もし優斗が幸せであるならば母の遺言通りであり安心して心が満たされているはずだ。

 追い詰められた雰囲気になるということは、今が本当は幸せでは無いと思っているからではないか。


 彼方の胸がズキリと痛む。


「(ダメダメ。優斗君を信じなきゃ)」


 彼方がこれまで何度も見て来た優斗の笑顔が嘘だとは決して思えない。

 照れたり笑ったり泣いたりしたあの日々が偽物のはずがない。


 優斗は幸せだったはずだ。

 彼方はそう信じている。


「優斗君」


 スヤスヤと眠る優斗の背中を優しくさすりながら、彼方の目は決意に満ちていた。

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