2. はむちゅぱ
「それで最初にやろうと思ってることなんだけど」
「え? 今日から?」
「もちろん! って言いたいけれど今日はもう遅いから明日からかな」
思い立ったが吉日。
やるからには素早く、そして全力で。
それが彼方の信条だ。
彼方が自分から進んで何かをする姿を優斗が見るのはこれが初めて。
ここまで積極的なタイプだとは思っていなかったのか、少し驚いている様子だ。
「ああ、でもお話なら今日からでも出来るね」
「まぁそうだな。何を話そうか。俺の事だろ? 趣味は……」
「もちろんそういうのも知りたいんだけど、今一番知りたいのはソレかな」
「ソレって……え?」
彼方は優斗の左手を両手で包み込むようにして持ち上げた。
そして包帯の部分にそっと触れる。
「こ、れ」
「…………怪我が気になるってこと?」
当たり障りの無いところから始めて徐々に核心に近づくなんて回りくどい事はしない。
一気に核心に特攻する直球勝負だった。
これまではオロオロしていた姿が目立つ彼方であったが、本来の彼女には強引な面があるのだろう。
「気になる気になる。すごーく気になる。なんで治らないんだろうね」
「それはほら、運が悪く何度もここばかり怪我しちゃって」
「ふ~ん、そうなんだ」
それが嘘であることに彼方はもう気付いていた。
包帯の原因は優斗が血が出る程に激しく噛んでいるから。
あの状態になった優斗は必ずそうするのだと智里から教えてもらっていた。
力づくで止めると状態が悪化しまうのと噛ませた方が早く治るのもあって止められないのだと。
「
「もちろんだよ」
思っていたよりもすんなりと言葉が出た。
単語程度ならば大丈夫なのだと彼方は安心する。
となれば気にせずに攻められる。
「ふ~ん、毎日私と一緒なのにいつ病院に行ってるのかな」
「…………」
授業中以外のほぼ全ての時間、二人は一緒に居る。
その間に優斗が病院に行ったことは一度しかない。
その一度も拉致の事件でボコボコにされたことが理由であり指とは関係ない。
こんなあからさまな嘘がどうしてバレないと思ったのか。
これまで彼方が気にしてこなかったからか。
それとも落ち着いているように見えて内心相当動揺しているのか。
彼方は優斗の左手を頬にあてて優しく微笑んだ。
「ごめんね。こんな追及するような真似しちゃって。でも心配なの」
「…………」
「言えない事なら聞かないよ。でもお願い。ちゃんと病院に行って」
自分は病院に行けないくせに図々しいとは思う。
それでも優斗が病院NGで無いのならばちゃんと治療して欲しかった。
何故この傷が出来たのか。
その理由の方は今すぐに知ろうとは思わなかった。
おそらくそれは優斗の問題の根幹に関わるところ。
直球で攻めるとは言っても、いきなりそこに触れても優斗の心の傷を抉るだけの結果になってしまうかもしれない。
積極的にかつ慎重に。
彼方は間合いを図りながら優斗の心に切り込もうとしていた。
「…………」
彼方の様子から自分の噛み癖がバレてしまったと察したのだろう。
優斗は苦々しい表情を浮かべていた。
どう釈明すれば良いのか。
この状況で何を言うべきなのか。
全てを曝け出すべきなのだろうか。
色々と葛藤しているのかもしれない。
しかしそんな葛藤など次の彼方の行動でいとも簡単に吹き飛ばされてしまった。
「か、彼方!?」
彼方は優しい手つきで包帯を外し始めたのだ。
「ダメだって!」
その下には生々しい傷がある。
そんなものを見ても気分が悪くなるだけだろうと優斗は思わず手を引っ込めようとするが、彼方がしっかりと握って離してくれなかった。
そしてついにはボロボロになった指が晒されてしまう。
「わぁ、すっごい」
「平気なのか?」
「うん。大丈夫だよ」
やせ我慢では無い。
彼方は怪我や血と言ったものが特に苦手では無かったのだ。
噛み跡だらけで赤黒い痣だらけのような気持ち悪い見た目なのに平然と見ていた。
「まったく、こんなになるまで放置しちゃって」
「…………ごめん」
そもそも夏休みの間はどうするつもりだったのだろうか。
授業中というソロ活動の時間がほとんど無いのに、いつあの状態になるつもりだったのだろうか。
もしもアレが優斗にとって必須のストレス発散方法だったのなら、夏休み中はそれが出来なくなってマズいことになっていたかもしれない。
「(早くなんとかしないとね)」
だからと言ってアレになれなどと言えるはずもない。
一刻も早く問題を解決することが最善だ。
だが応急処置もしておきたい。
その想いが彼方をとんでもない行動に誘った。
「はむっ」
「彼方!?!?!?!?」
なんとその指を小さな口でパクリと加えたのだ。
「はむっ……はむっ……」
「ま、待って。待って待って待って待って!」
優斗が慌てて大声をあげなければ、ちゅぱ、ちゅぱとなんとも言えない音が部屋の中に静かに響いただろう。
「待ってホントに待って!」
指にくすぐったい感触が伝わって来て、それが何なのかと考えるとむず痒い気分になってしまう。
しかしどれだけ優斗が抗議しても彼方は口を離そうとしない。
時間をかけてゆっくりと優しく傷口を中心に温める。
そうして珍しく優斗の方が羞恥に悶えていると、ようやく彼方が口を離した。
その瞬間、たらりと透明な液体が指から糸を引き、思わず目を逸らす。
「か、かか、彼方。何を?」
口が離れたとはいえ、指にはまだ濡れている感触が残っている。
それをどうして良いものか分からず優斗はまだ慌てている。
「消毒だよ。どうせ包帯巻いてるだけなんでしょ」
「いや、でも、その、こんなのは」
「もっと消毒する?」
「もう十分です!」
優斗は慌ててティッシュで指を拭きとった。
しかしその後どうして良いか分からない。
洗面所に洗いに行ったら汚いと言っているようなものだから出来ず、かといってティッシュでは拭き取れきれないのでこのままだとまだ残ってしまっている。
しかもまだ指に感触が残っているような気がしてプチパニック状態だ。
「ふふふ、ちょっと待っててね」
彼方は席を外すと救急箱を持って来た。
そしてウェットティッシュでしっかりとふき取ると薬を塗って丁寧に包帯で包んだ。
「はい、おわり。ちゃんと病院に行くんだよ」
「あ、ああ……」
優斗は何故こうなったのか全く意味が分からず、半分放心状態だ。
「それともまた私にやって欲しい?」
「行きます!」
「あはは」
これで優斗は病院に行ってくれるだろうし、今日のことを思い出して噛もうとした時に正気に戻ってくれるかもしれない。
「そうだ優斗君、一つお願いがあるの」
「な、なに?」
「一分間だけで良いから耳を塞いで目を閉じてくれないかな」
「え?」
「お願い。出来ればなるはやで」
「ああ、いいけど」
突然何を言い出すのかと思ったけれども、まだ動揺していたからかこれ以上聞き返すことは無く言われた通りに行動する。
耳に手を当て、目を閉じ、時間を数え始める。
彼方はそれが始まったことを確認すると直ぐにある行動に移った。
「何やってんのおおおおおおおおお!?」
急激に照れがやってきてソファーに頭を打ち付けたのであった。
お約束である。
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