10. 彼方を見れば分かる

「来たか」

「ゆう…………と君?」


 彼方は大混乱をどうにか抑え、優斗と一緒に帰宅の途についた。

 そしてマンションの入り口まで戻ってきた時に優斗が声をあげ、彼方が何の事かと不思議そうにする。


 前を見るとスーツ姿の男がこちらを見ていた。


 以前遭遇した見た目からして不愉快な中年男性ではなく、綺麗なスーツを着こなした初老の男性だった。

 人当たりの良さそうな柔らかな笑顔を浮かべているが、二人はどうにもうさん臭さを感じた。


「こんばんは。こんなところで待ち伏せしてしまい申し訳ございません」


 優斗の想像通り、やはりその男性は二人に用があるらしい。


「何の用ですか」


 あの時と同じく、優斗は彼方の前に出て男と向かい合う。


「先日、私の部下がお二方に失礼を致しましたので、そのお詫びに来ました」

「何の事前連絡も無しに、待ち伏せのような形でか」

「申し開きもございません。ですがこうでもしないとお会いして頂けないかと思いまして」


 確かにお詫びしたいと言われても結構ですと断っただろう。


 だがネットで炎上しているわけでも事件として報道されているわけでもないのに、こうして直接会ってまでお詫びしたいと言われても信じられない。

 他に用件があるのではないだろうか。


「俺達はまだ子供だからあんたらの回りくどい言い方は良く分からないんだ。だからはっきりと本当の用件を言ってくれ」

「いえいえ、本当に謝罪のためにお伺いしました。この度は本当に申し訳ございませんでした」


 男は謝罪の言葉を口にして深く深く腰を曲げた。


「…………」

「彼方?」


 中年男の時には何も反応が無かった彼方が、今回は優斗の服の裾をきゅっと握った。


 一見して真摯に謝罪しているように見える男に、何か嫌なものを感じたのか。

 優斗も同じく、この男に良い印象を抱いていなかった。


「(あいつら・・・・と同じ感じがしやがる)」


 心の中で相手を見下している人間特有の気配。

 優斗が良く知る・・・・それが目の前の男から感じられた。


 男は顔をあげると申し訳なさそうな顔をしていたが、どうにも作ったような感じがして気味が悪い。


「正直に白状いたします。あなた様の仰る通り、他に用件があることは確かです」


 でなければわざわざ来るはずが無いだろう。


「恥を重ねるようで大変申し訳ないのですが、一つだけお願いがございます」


 男はあくまでも下手の態度を崩さない。

 舐めている相手に向かってそうまでしてやらなければならないこととは一体何だろうか。


「私の部下が三日月様に送付した書類を引き取らせて頂きたいのです」


 偽の督促状。

 男はそれを回収しに来たのだった。


「(まさか本当に来るとはな)」


 優斗は閃からこうなる可能性を伝えられていた。

 そしてその場合にどう行動すれば良いかアドバイスを貰っていたのだ。


「分かった」


 余計なトラブルにならないように素直に返す。

 それが閃から勧められたことだった。


 優斗は鞄から督促状を取り出した。


「お持ちになっているのですか?」


 てっきり家に戻って取って来るのかと思っていたのだろう。

 そんなものを持って学校に行っていることに男は素直に驚いた様子だった。


「あんたらが来るかもしれないと思ってたからな」


 いつどのような形で相手が接触して来るかは分からなかった。

 だから常に持ち歩き、取り返しに来た時にすぐに渡すことで関係を速攻で終わらせるつもりだった。


「ほら、さっさと持って行けよ」

「ありがとうございます。こちらお詫びの品ですが」

「いらねーよ。さっさと帰れ」

「そうですか……」


 残念そうな顔を見せながら、男は督促状を確認する。


「確認致しました。三日月様、この度は本当に申し訳ございませんでした」

「…………」


 彼方は何も返さず、ただ小さく震えて優斗に寄り添っている。


 用事はこれで終わったはずだ。

 そう少し安心しかけた。


 だが。


「三日月さんのお父様は立派な人物でした」


 男は唐突に彼方の父親の話を始めたのだ。


「真面目に仕事に取組み、家族のためにと必死で働く姿は誰もが見習うべきものがありました」

「…………」

「ですが真面目すぎたのでしょう。体を壊すからと私達が止めるのも聞かずに彼は連日泊まり込みで働き続けました」


 それが嘘であることを優斗達は知らない。

 尋常ではない仕事量が上司達から押し付けられたものであると知らない。


 しかも家族のために必死で働いていたという耳障りの良い話をされれば、その言葉を疑えなかった。


「私達は彼が家族を蔑ろにしているのではと不安だったのです。だからせめて娘さんの誕生日くらいは帰宅して祝ってあげたらどうかと言ってしまいました。それがまさかこんなことになるなんて。申し訳ございません、三日月さんの死の責任は私達にもございます」


 本当に問題なのは家に帰れない程に仕事をさせていたことなのだが、それを『あの日帰らせたから死なせてしまった』という全く別の観点にすり替えた。


 しかも彼方の父親のために助言したと言われれば、これまた非難することも難しい。


 男の目的は一体何なのだろうか。


 彼方の父親のことを会社としては本当は残念に思っていて先日の男だけが例外とでも釈明したいのだろうか。

 あるいは父親の死について申し訳ない気持ちがあるからこの先大事にしないで欲しいという要望だろうか。


 男は真摯な態度を崩さないが、やはりどこかうさん臭さを感じられる。

 彼方の震えも止まっていない。


 会社での彼方の父親の様子が男から聞けるかもしれないと思い優斗は素直に聞いていたが、嫌な予感の方が上回ったため話を遮り帰らせようと考えた。


 だがそれは間に合わなかった。


「私個人としても三日月さんのお母様に相談され、おっと失礼何でもございません」


 男が突然思わせぶりなことを言い出したのだ。

 失言を装っているが、明らかにわざと言っている。


「ここまで言って隠し立てするのは逆に失礼ですね。三日月さんのお母様からお父様のことで個人的に相談をされていたのです。もっと家に帰」

「止めて!」


 ここでついに彼方が我慢出来なくなり叫んだ。


 だが男は一旦口を閉じたが、話を止めることは無かった。


「会社にまで来るなんてお父様の事を心底愛していらっしゃったのでしょう。ですがお父様があまりにも家庭を顧みないことにお母様は心を痛めておりました」

「止めて! 帰って!」


 彼方が強い口調で叫んでも男は全く動じる様子が無い。


「その姿に私も心を打たれ、親身に相談に乗っているうちに自然と」

「帰れええええええええ!」

「彼方!」


 怒りの形相で今にも飛び掛かろうとする彼方を優斗は抱き締めて抑えた。


「本当にお美しい方でした。お父様には勿体な」

「いい加減にしろ」


 優斗が低い声でそう言うと、ようやく男は口を閉じた。


「帰れ!帰れ!帰れ!」


 彼方はまだ怒りが治まらず暴走状態だ。

 優斗もはらわたが煮えくり返るような気持ちであるが、冷静を保てているのは彼方を守りたい気持ちの方が上回っているから。


「失礼しました。少々おしゃべりがすぎたようですね。それでは私はこれで」


 男は最後にわずかに厭らしい笑みを浮かべて背を向けた。


「あなたが私の娘になる日を楽しみにしてたんですがねぇ」

「帰れええええええええ!」


 そしてトドメとばかりに余計なことを言って去っていった。


 男が何故こんなことをしたのか。

 こんなことをして何になるのか。

 それは分からない。


 だが男が彼方の母親の不貞行為を匂わせたことで、彼方の心に少なからずダメージを負わせたのであった。







 が、その程度のダメージなど優斗がいれば即座に全快する。

 そのことを彼方も察していた。


「(これヤバいやつよね)」


 母親が不倫しているなどとふざけたことを言われて激怒した彼方だったが、もうこの程度であれば長く取り乱さないようになっていた。


 辛い出来事に慣れてしまったというのもあるし、彼方がこれまで経験した闇に比べたら大したことの無い攻撃だったということもある。


 だが一番の理由は、優斗がまた慰めてくれるだろうと確信していたからだ。

 むしろそっちに耐えるように身構えなければならなかった。


 そして実際に、家に入ると優斗は彼方に優しく声をかけた。


「あいつが言ったことは全部嘘だ。彼方を見れば分かるよ」

「(ほらぁ!)」 

「こんなかわ……優しくて思いやりのある立派な娘がいるのにそんなことするもんか」

「(今可愛いって言おうとしてた!)」


 流石に今回は身構えていたから照れすぎて硬直することは無く、むしろ脳内でプリプリと可愛らしく怒っていた。

 やりすぎないでよ、といった感じで。


「それにしても彼方のお父さんが勤めてた会社、碌な人がいないな」

「ホントだね。結局お父さんったら最後まで変な人達に振り回されてたんだ。なんか腹立って来た」

「俺もだ。ちょっと連絡しとく」

「連絡って?」

「あいつらに痛い目を合わせられる人にさ」

「?」


 もう二度と関わって来ないようにとの思いも込めて、優斗はとある人物へとメッセージを送った。


 その甲斐あってか、彼らから二人に接触してくることは無くなった。

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