裏. どうして俺がこんな目に
「クビ!?」
小さな会議室にて男の悲鳴が響き渡る。
「懲戒解雇だ。会社の金に手を付けたお前が悪い」
「俺はそんなことしてませんよ!」
「同じことを言わせるな。お前は会社の金に手を付けたんだ」
それが事実かどうかなんて関係ない。
そういう建前で解雇されることが決まったのだと暗に言っている。
「何でですか!?」
男にはありもしない罪を押し付けられる理由が思い当たらなかった。
「上からの指示だ」
処分を伝えそう冷たく言い放ったのは男の直属上司。
厳しい顔で部下を睨んでいる。
「お前、ミスしたな?」
「そんなはずは……」
青褪めるのは小太りで髪の薄い中年男性。
偽の借金をでっちあげて彼方を連れ去ろうとした人物だ。
「やるからには失敗は許されないと言ったはずだ」
「でも部長だってあのやり方で問題無いって言ってたじゃないですか!」
「確かに言った。だがそれは計画通りに進んだ場合だ。何か想定外の事があったんじゃないのか?」
「うっ……」
彼らの計画には優斗の存在は考慮されていなかった。
それなのに独断で強引に計画を推し進めようとしたことが失敗の原因であると言われれば何も言い返せない。
「詳しい事は知らんが上は相当慌てている。もみ消すことが得意の奴らがこうして
「嘘だ……そんな馬鹿な……」
味方であるはずの上司から切り捨てるしかないと断言された。
どうしようもない状況なのだと理解せざるを得なかった。
「分かったらさっさと荷物をまとめて出て行け」
「どうして俺がこんな目に……」
男は子供の頃から出来の悪い人間だった。
勉強が嫌いで頭が悪く、運動が苦手で太っていて、人付き合いも不得意でいつもぼっちだった。
そのくせプライドだけは高く自分より優れた人間に嫉妬し、自分より少しでも劣っている人間を見かければ容赦なく見下した。
趣味はネットで叩いて炎上させること。
そんな人間が社会でまともにやっていけるわけが無かった。
三浪して低ランクの大学に入ったものの周囲に馴染めず直ぐに中退。
両親からも見捨てられて仕送りは途絶え、三十近くまでバイト生活。
何をやっても長続きせず、その日暮らしを続ける毎日。
だがそんな男に転機が訪れる。
何故かそこそこの規模の会社に中途採用が決まったのだ。
男が配属された部署は地獄だった。
暗い、覇気がない、社員の目が死んでいる、頻繁に誰かの怒鳴り声が聞こえてくる。
それでもここにしがみ付く以外の選択肢は無かった。
経験も実力もコネもない自分が他の会社で正社員として雇ってくれるはずが無いと分かっていたからだ。
いや、経験だけはあった。
バイトを繰り返しそのいずれも上手くいかなかったけれども多くの人間を見て来た。
その経験ゆえ、男は最も大事なことに気が付いた。
誰がこの部署のキーマンなのかを、だ。
それが男に引導を渡した部長、当時の課長だった。
その人物にひたすらへりくだり、何を言われてもどんな仕事を与えられても笑顔で『YES』と答えた。
サービス残業なんて当たり前、一か月連続で会社に寝泊まりしたこともある。
不当に責任を被せられたこともあるし、自腹でパシリのようなことも喜んでやった。
そうやって必死に尽くした結果、男は『お気に入り』としての立場を確立したのだ。
そしてついには役職を与えられた。
上司に媚びへつらい、部下を徹底的に見下す最低な中間管理職の爆誕である。
そんなある日、その部署に三日月行人という人間が配属された。
「チッ」
第一印象は最悪だった。
何しろ行人はそこそこのイケメンだったのだから。
嫉妬と見下しの両方が合わさり、男は行人をいびるようになる。
「クソが!」
だが男は更に行人に対して苛立ちを募らせる。
行人は男に押し付けられた無茶な仕事を全て余裕で捌き切ったのだ。
それどころか同僚の手助けを買って出て信頼も得られている。
効率化だのなんだのと積極的に職場改善に努め生産性も爆上げした。
会社のお荷物部署だったそこが、あっという間に成績優秀部署へと変化したのだ。
それが男には堪らなく不快だった。
会社としての、部署としての成績なんかよりも、自分より下の人間が活躍してチヤホヤされているのがたまらなく腹立たしかった。
「三日月君、これ今日中にやっておいて」
「え、これって期限来週までですよね」
「そうだよ。でも早めにやっておくに越したことは無いだろ」
「分かりました。でも明日じゃダメですか?」
「はっ、何言ってるんだ。まだ定時まで五分もあるだろ。常日頃君が言ってる効率化ってやつをすれば簡単な事だろう?」
「わかり……ました」
上司の指示に反論することもありえない。
自分は惨めな思いをして生きて来たのに、楽して結果を出しているこの男が妬ましい。
その憎悪に近い嫉妬心を、これまで以上にありえない量の仕事を強引に押し付けることで解消させていた。
断ったら評価を下げると半ば脅す形で徹底的に虐め倒した。
そんなある日、男は行人がスマホの画面を見ているところを後ろから偶然見て愕然とする。
待ち受け画面には家族の写真らしきものが表示されていたのだ。
「(なん……だと……)」
美人の奥さんと可愛い娘。
イケメンで、能力もあり、性格も良く、家族にも恵まれている。
まさに勝ち組だった。
惨めな人生を送っていた自分と対比してしまい、激しい憎悪が胸を焦がす。
それは行人の死後も消えることは無かった。
あのムカつく野郎の娘を汚しやる。
それが今回の事件の動機だった。
だが男にはそれを実行する計画を立てる知恵が無い。
その知恵を授けた者の
自分もまた楽しむために。
ありえない借金の存在をエサに彼方を蹂躙する。
心が壊れているからこそ、亡くなった父親のためとでも言えば全く疑わずに何でもしてくれるだろう。
しかも天涯孤独であり今の彼方には誰も助けてくれる味方がいない。
そう
「(なのになんだあのガキは)」
しかしいざ計画を実行しようと彼方の家まで向かって見れば、彼方は見知らぬ男子と一緒に帰って来た。
「(学校で孤立してるんじゃなかったのかよ!)」
聞いていた話と違う。
計画が狂った。
その場合は速やかに撤退しろと上司から言われている。
しかし男の執念が、行人への嫉妬心が、そして美しい少女を手籠めに出来るという醜い欲望が言い訳を作り上げてしまう。
「(所詮世の中を知らないガキだ。何も問題無い)」
結局は男が他人に酷く嫉妬して見下す性格だったことが失敗の一番の原因だったのだ。
子供を格下だと見下して、とるに足らない相手だと考えてしまったがゆえに計画を続けてしまった。
ここで慎重になれるほどの聡明さがあれば潔く撤退してクビを宣告されることも無かっただろう。
「そうだ、一つだけ言っておくことがある」
「…………」
「妙な事を考えるなよ」
「…………」
男の人生はもう終わったようなものだ。
懲戒解雇という業を背負っている能力の無い中年男性を雇ってくれる企業など無いからだ。
絶望して暴走する可能性も考えられる。
例えば捕まることを覚悟の上で警察にかけこんで全てを暴露し、上司達を道連れにするなどだ。
しかもそうすれば被害者である彼方も警察に呼ばれて苦しむことになるだろう。
男はこのような暴走をしないようにとクギを刺されたのだ。
「例え俺達が捕まったとしても数年で出て来られる。だがその後、裏切ったお前を俺達が許すと思うか?」
それこそ捕まるよりも酷い目に合わされるかもしれない。
この上司ならやりかねないと男には確信があった。
長い間尽くして来たからこそ、この上司がヤバい人物だと知っているからだ。
「うわああああああああ!」
男は絶望し、みっともなく喚き散らかしながら会議室を、そして会社を出て行った。
「クソが、本当に余計なことをしやがって」
最後の男への脅しは、半分本心であり半分が指示によるものだった。
この会社へ圧力をかけた何者かは『男を逮捕させずに適切に処分すること』という不可解な指示を出したのだ。
それが彼方と警察を関わらせないためであることに上司はまだ気付いていなかった。
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