裏. 一生かけて苦しみな
「ねぇ、まだなの?」
ホテルの一室。
一糸まとわぬ姿でベッドに横たわる玲緒奈が、近くの椅子に座りタバコをふかしている大男に問いかけた。
「待ちきれないわよ」
「まぁ待て。ちゃんと準備してるさ」
「毎回そう言って進展ないじゃない」
大男の答えが不服だったのか、玲緒奈は苛立ちを隠そうともしない。
機嫌を損ねたら殺されてもおかしくなさそうな相手に見えるのだがそうはならないところ、玲緒奈は大男の仲間として認識されているのだろう。
「あのなぁ、お前が余計な条件をつけるからめんどくせぇことになってんだぞ」
「それはそうかもしれないけど……」
「安心しろ。こんな極上の女を手に入れるチャンスをみすみす逃しはしないさ」
テーブルには彼方の写真が置かれており、男をそれを見て舌なめずりをする。
「撮れば金になる。売れば金になる。そして俺達も存分に遊べる。最高のオモチャだ。しかも徹底的に壊して良いとなればやらねぇ理由がねぇさ」
「それなら早くしてよね」
「わーってるさ」
玲緒奈が学校で閃に引導を渡されてから、彼女は家にも帰らずに知り合いの男の所に入り浸っていた。
その男の正体は小さな麻薬犯罪組織のボス。
中学の頃に夜の街をフラフラしていた時に目をつけられ、自分から体を捧げて関係を築いた。
彼女の素で狂った生き様に男は興味を示し、麻薬漬けや麻薬犯罪の手伝いなどをさせることもなく傍に置いていた。
玲緒奈にとって『普通』でない裏の男達と一緒に居るのは『普通』の生活をするよりも遥かに心地良かった。
そしてそんな彼らに依頼したのだ。
にっくき彼方を壊して欲しいと。
それもただ壊すだけではなく、考えられる最大のダメージを与えて欲しいと。
ゆえに彼方が元に戻ろうとしていることを利用した。
狂った状況で男達に襲わせても彼方は大して苦しまないだろう。
だが回復した状態でならば泣き叫び心の底から苦しむのではないかと考えたのだ。
そしてもう一つ。
彼方が依存している、玲緒奈の計画を潰したにっくき男を目の前で痛めつけてやれば更なる苦しみを与えられるのではないか。
あるいはその男を人質に取り、自ら進んで腰を振らせるのも屈辱的で一興かもしれない。
狂ったら男を殺すとでもいえば、必死に狂わずに壊され続けるかもしれない。
ここしばらくの間、玲緒奈はそんな素敵な妄想に希望を抱いていた。
彼方が徹底的に壊される姿を想像するだけで欲情してしまい、男に慰めて貰っていた。
そしてついに待ち望んだ時がやってきた。
「あいつを捕まえたの!?」
その知らせを聞いた玲緒奈は嬉々として男の元へとやってきた。
男のいる部屋では着々と『パーティー』の準備が始められていて、玲緒奈は歓喜に打ち震え醜悪な笑みを浮かべた。
「お前はどうする?」
「ここで見てるわ」
「自分でやらなくて良いのか?」
「ええ、私が口を出したら何をするか分からないもの」
下手したら憎しみが暴走してせっかく捕らえた二人を殺してしまうかもしれないから。
だから逸る気持ちを抑え、玲緒奈は静かに待った。
「ボス、連れてきましたぜ」
「おう。その変に転がしておけ」
最初に連れてこられたのは優斗の方だった。
無様に寝かされている姿を見て少しイラっとはしたものの、それほど強い憎しみの情動は生まれてこなかった。
彼方への憎しみの方が遥かに大きいのだと自覚した。
そして更に時間が経つと、ついに待ちに待った人物が連れてこられた。
「ボス、連れてきましたぜ!」
「ひゅう。写真より良い女じゃねーか。こりゃあそそるぜ」
その姿を目にした時、反射的に殴りかからなかった自分を褒めてやりたい。
腕を組んで壁に寄りかかりながら、両手をきつく握りしめて玲緒奈はそう思った。
「篠ヶ瀬君!」
彼方は部屋の隅に転がる優斗を見つけると走り寄ろうとする。
「おっと、勝手な真似をするとこのガキの命はねーぞ」
だが眠る優斗の首筋にナイフが当てられると大人しくなる。
「(へぇ、かなりマシになってんじゃん)」
彼方が優斗を心配する様子は普通の女子高生にしか見えない。
視線もしっかりとしていて、心が病んでいるとは思えなかった。
「(病んでた方が幸せだったのに。ざまぁ)」
つまりこれからの地獄を正気のままに味わうことになるのだ。
理想の状況であることが分かり、玲緒奈は高笑いするのを止めるのが大変だった。
「お前が俺達の言う事を聞いていればこの男の命は助けてやる。いいな。分かったらベッドの上で座って待ってろ」
これで役者は揃った。
後は眠る優斗を起こせば『パーティー』の開幕だ。
「(ああ、ついに、ついにあの女をぶち壊せる!)」
恍惚の笑みを浮かべる玲緒奈に見られながら、優斗は水が張られたバケツに顔を突っ込まれ強引に起こされる。
そして無謀な特攻をして大男にボコボコにされ、その姿を見た彼方が悲痛な叫びをあげる。
「(これこれ、こういうのを待ってたのよ!)」
だが、玲緒奈が満喫出来たのはここまでだった。
「絶対に助けてやる! 俺を信じろ!」
「…………うん」
優斗と彼方のやりとりを見せつけられた玲緒奈の胸に、再度激情が宿った。
「(なによこれ!)」
こんな茶番劇など望んでは無い。
自分が欲しいのは、徹底的に苦しむ彼方の姿だけだ。
大切な人と心が繋がっているなんて清らかな関係を見せられても癪に障る。
辛くても相手を信頼するなどという美しい姿なんて吐き気がする。
彼方のその『普通』に光り輝く姿こそが玲緒奈にとって最も忌むべきものだったのだから。
彼方をぶち壊す場なのに、どうしてそんな醜いものを見せられなければならないのか。
例えこれが茶番であると分かっていても、玲緒奈にとっては見るに堪えない光景だった。
「(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!)」
彼方よりも先に狂ってしまいそうな程に。
男が本番開始に向けて動かなければ、暴走して全てを台無しにしてしまっていただろう。
尤も、その本番すら開始されることなく野望は潰えてしまったわけだが。
「なんでこうなるのよ!」
秋梨達が暴れている間、玲緒奈は部屋から抜け出して逃げていた。
「ひいっ!?」
部屋の外の通路には仲間の男達が横たわりうめき声をあげている。
腕や足が変な方向に曲がっている者や、全身を痙攣させて過呼吸になっている者など、五体満足な者は誰一人としていなかった。
ドアを蹴破り、男をボコボコにしている秋梨の姿を思い出す。
ここの連中は彼女によって倒されたのだろう。
彼方の味方である彼女によって。
「なんであいつばかり! なんでなのよ!」
こちらは大人の男達の犯罪者集団。
相手は無力な小娘と小僧だけ。
戦力差で考えれば圧倒的に有利だったはずだ。
味方に関しては玲緒奈の方が遥かに強かったはずだ。
警察に捕まる可能性はあったとしても、正面から計画をぶち壊されるなんて考えられるはずがない。
闇に堕ちて力を得たのに、それでも光には敵わなかった。
「ふざけるなああああああああ!」
憎み、嫌悪し、消してしまいたいと思える程の彼方の『普通』の人生の方が優れていた。
そう思わされてしまった。
玲緒奈ごときでは、触れる事すら許されないのだと分からされてしまった。
「くそおおおおおおおお!」
もう何処にも行く当てがない玲緒奈は、方向も分からず光から逃げるかのように走り続ける。
だがその先は行き止まりだった。
「!?」
そこで玲緒奈は光をあてられて、あまりの眩しさに足を止める。
「こんばんは」
黒服達に囲まれていた。
そいつらからは玲緒奈の仲間の男達と似たような雰囲気が漂っている。
話しかけて来たのは老人だったが、一番ヤバそうに見える。
だが自分なんかに裏の人物が接触する理由が分からなかった。
もしかすると自分が関わっていた麻薬犯罪組織が裏社会で敵だらけだったのだろうか。
「わ、わわ、私は何も知らないわよ! 麻薬のことは詳しく知らされてないの! 本当よ!」
彼らが本当に組織絡みで接触してきたのなら、こんな弁明など信じて貰えるわけが無い。
拷問という名の悲惨な末路しかあり得なかった。
だが幸運なことに彼らの目的はそうではなかった。
「ああ、あいつらのことはどうでも良い。ワシらが話をしたいのは君なんじゃ」
「へ?」
組織絡みで無いというのならば、一体何だと言うのだ。
「孫娘がお世話になったようじゃからのう。是非お礼を言いたかったのじゃ」
「ま、孫?」
お礼、がまともな意味では無いことくらいすぐに分かった。
しかし『孫娘』と言われても誰の事か分からない。
「(まさか彼方のこと?)」
だとすると彼方は『普通』では無い可能性が出て来た。
眩しい光だった彼方が実は闇に染まっていた可能性が急浮上する。
ああ、なんだ、結局あいつも自分と同類だったのだ。
そう思い、謎の安心感を得ようとしていた。
「孫娘と言っても、君が執着している娘では無いぞ」
「え?」
しかしそんな安心感を抱くことは許されない。
「あの場にもう一人おったじゃろう」
先程の場にいたもう一人の孫娘候補。
大男を武力で制圧した小さな暴力。
「ひいっ!?」
彼らは秋梨の関係者だった。
そして玲緒奈は秋梨が彼方と一緒に拉致されたことを聞かされて知っていた。
「ち、違う。私は頼んでない!」
秋梨を連れて来たのは男達が勝手にやったことだ。
玲緒奈はそんな依頼などしていない。
自分は悪くない。
「はっはっはっ、これはおかしなことを言う」
もちろんそういうわけにはいかない。
玲緒奈が彼方を狙ったからこそ、秋梨も拉致される羽目になってしまったのだから。
尤も、秋梨の実力を考えると優斗達を助けるためにわざと拉致された可能性が高いが今はそれは関係ない。
彼女の行為によって秋梨が拉致されたという事実が重要なのだ。
「安心せい。ワシらはカタギに裏の流儀を強いるつもりはない」
「え?」
「君のご家族は『普通』の人達なのじゃろう。心配していると聞いてるよ」
「…………」
何故ここで家族の話が出て来るのか。
玲緒奈にとって家族など取るに足らない不要なものだった。
『普通』でしかない彼らを見ても気持ち悪いとしか思えなかったからだ。
「家族を心配させてはいけないな」
「ひっ!」
老人に射抜かれてゾクリと一際大きな鳥肌が立つ。
見逃してくれるとでも言わんばかりの会話なのに、どうしてこれほどまでに嫌な予感がするのだろうか。
「だが君をこのままあの学校に戻すわけにはいかない。悪いが転校という形になるじゃろう。ご両親もきっと分かってくれるはずじゃ」
特に脅さなくても、玲緒奈が学校でやったことを知れば恐らくこの提案を呑むだろう。
「君には全寮制のとある学校へ通ってもらう。なぁに、別に変なところではないさ。極『普通』の学校じゃよ」
「…………」
そう言われて素直に信じられるわけが無い。
「嘘ではないぞ。本当に『普通』の学校じゃ。誰もが青春を謳歌して、世のため人のための活動に力を入れ、あらゆることに『普通』に打ち込む。そんな光に満ちた素敵な学校じゃよ」
「…………」
確かにそんな学校があるのなら、本当に素敵な場所だろう。
そこに通うのが玲緒奈で無ければの話だが。
「孫娘が世話になったサービスじゃ。存分に『普通』を堪能してくれたまえ」
「いやああああああああ!」
玲緒奈が最も忌み嫌う『普通』。
光の下で『普通』に生きることが最大の苦痛なのだ。
老人はそれを味わえと言う。
全寮制の学校。
そこは玲緒奈のように狂った人間をぶち込む更生施設。
玲緒奈には常に監視が付きまとい、強制的に『普通』を演じさせられることになる。
だがそれはその施設の本来の目的である更生のためではない。
「なぁに。そんなに恐れずともいずれ闇の中へ戻してやる。君が光に慣れてしまった時にな」
『普通』が苦痛であるならば、『普通』の世界を味わわせれば良い。
『普通』に慣れてしまったのならば、『普通』でない世界を味わわせれば良い。
老人は決して玲緒奈を許すつもりは無かった。
玲緒奈がその時その時で最も忌み嫌うものを永遠に味わわせるつもりだ。
「一生かけて苦しめ」
「…………っ!」
最後に老人は玲緒奈に殺意を篭めた鋭い眼光を浴びせる。
玲緒奈はその場にへたり込み、恐怖で液体をまき散らしながら失神した。
「秋梨が許してくれると良いな」
老人が引退した後を継ぐのは秋梨だ。
ゆえに玲緒奈が解放されるのは秋梨が不慮の事故で亡くなるか、あるいは秋梨に許してもらえるかのどちらかになる。
そのいずれもが叶わなかった場合、玲緒奈は終わりの無い苦しみを味わい続けることになるのだろう。
『普通』を受け入れられず、光を貶めようとしてしまったがゆえに。
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