7. 拉致

 お風呂は彼方が一人になる数少ない機会。


 本当は烏の行水で終わらせて優斗の元へと戻りたいのだけれど、湯船に浸かると気持ち良くなり焦る心や不安な心を忘れてしまう。

 疲れ切った心にとって最高の癒しである入浴は簡単には終わらせられなかった。


 その日もまた、体の芯まで温もりを沁み込ませて彼方は風呂から上がった。

 バスタオルで体を拭き、ドライヤーで髪の毛を丁寧に乾かす。

 このドライヤーの温風もまた心地良くてたまらない。


 そんな幸せな体験をして部屋に戻ると優斗が温かく迎えてくれる。

 そして思わず抱き着いてしまい、優斗を慌てさせるのがいつものことだった。


「…………?」


 しかしこの日はその出迎えが無かった。


 リビングにもダイニングにも彼方の部屋にもいない。

 部屋中を探してみたけれど、何処にもいない。


「……あ……ああ」


 優斗がいない。

 この家には自分一人しかいない。


 そのことが分かると猛烈に悲しみが襲ってくる。


「…………っ!」


 しかし彼方は崩れ落ちなかった。

 泣かなかった。


 優斗は気付いていなかったけれど、彼方は少しの間であれば一人を耐える心の強さを取り戻していたのだった。


 彼方はどうにか心を落ち着かせて考える。

 そして気付く。

 部屋の中にいないのならば外に出たのではないかと。


 玄関に向かった彼方はそこに優斗の靴が無いことを確認した。


 彼方は玄関に座って待つ。

 一分、二分、三分、、、


 時間が経つにつれて不安が大きくなり、こらえていた悲しみが漏れてしまいそうになる。

 そしてついにそれが限界に達する寸前。


 ピンポーン! 

 

 唐突に玄関のチャイムが鳴った。


「…………」


 優斗が戻って来たのかと思い慌てて扉を開けようとするが踏みとどまる。

 優斗は鍵を持っているので勝手に開けて入って来るはずだ。

 わざわざチャイムを鳴らしたりはしない。


 ピンポーン!


『誰が来ても絶対に扉を開けるなよ』


 優斗からはそうキツく言われていた。

 だから絶対に扉を開けはしない。


 ピンポーン!

 ピンポーン!

 ピンポーン!


 何度もチャイムが鳴らされるが、じっと耐える。

 優斗の言いつけを破るなど、彼方には考えられなかったから。


 すると扉の外にいる人物が声をかけてきた。


「三日月せんぱ~い。いませんか?」


 それは聞き覚えのある声だった。

 ここ最近何度も一緒に登下校した優斗の知り合いの女の子。


 優斗程では無いが、彼女もまた彼方に安心を与えてくれる人物だった。


 しかし彼方は彼女の声に応えず扉も開けない。

 誰が来ても・・・・・開けてはならないというのが優斗の指示なのだ。

 例えそれが秋梨であっても。


「篠ヶ瀬センパイに言われて来たんですよ~」


 しかし秋梨の口から優斗の名前が出てしまったら聞かない訳には行かなかった。


「少しの間戻れないから私に代わりに傍にいて欲しいってお願いされたんです。だから開けてくれませんか?」


 それが本当ならば今すぐにでも開けてしまいたい。

 このまま一人で夜を過ごすなど耐えられそうにない。

 秋梨でも良いから傍にいて欲しい。


 でも開けられない。

 優斗から開けるなと言われているから。


 彼方にとって優斗の言葉は絶対だった。

 だから秋梨を中に入れられない。


「う~ん、どうしよっかなぁ」


 扉の外では秋梨が困っている様子だった。

 このまま諦めて帰るのだろうか。

 彼方は一人で夜を過ごさなければならないのだろうか。


 恐怖で体が震える。


 だが、蘇る悲しみを必死に抑えつけながらも、彼方はまだ考える余裕が残されていた。

 これまでの優斗達の決死のケアにより、それだけの心の強さをすでに取り戻していた。


 ゆえに考え、気付いてしまった。


 何故、優斗は鍵を秋梨に渡さなかったのか。

 何故、優斗は彼方に何も言わずに急に居なくなったのか。

 何故、秋梨の声が少し焦ってるかのように聞こえるのか。


 気付く。

 気付いてしまった。




『そりゃあ玲緒奈があんたら・・・・に復讐しに来るはずだからさ』




 狙われているのは彼方だけではなかった。

 優斗もまた玲緒奈の邪魔をした人物ということで復讐の対象となっていてもおかしくはない。

 もしかしたら優斗は彼らに襲われてしまったのではないか。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 彼方は靴も履かずに飛び出した。


「いだっ! え、あ、三日月センパイダメです!」


 急に開いた扉に殴打された秋梨が尻もちをついている間に、彼方はマンションのエレベーターに向かって走る。


 それを止めようと秋梨も後を追ったが、無情にもエレベーターは目の前で閉まってしまう。

 そしてその中には彼方だけではなく、醜悪な笑みを浮かべた不審な男が立っていた。



 

 エレベーターを降りた彼方はそのままマンションの外に向かって走り出そうとするが、待っていた男達に腕を掴まれた。


「あ゛あ゛! あ゛あ゛! あ゛あ゛!」


 振りほどいて前に進もうと必死にもがくが、大の男の力には敵わない。

 しかも男はエレベーターの中に一人、外に二人の合計三人もいるのだ。


「ああもう、うるせーな。黙れよ!」

「おい馬鹿、手を出すなって」


 暴れ続ける彼方を男が強引に抑え込もうとするが、別の男に制止された。


「強引にすると壊れるかもしれないって言われてるだろ」

「あ、ああ、そうだったな」


 彼らは彼方の心が病んでいることを知っていた。

 そして何故か強引に抑えつけてより病状を悪化させるのは望んでいないようだった。


「壊れたのを連れて帰って見ろ、殺されるぞ」

「くそ、こんな極上の女を前にお預けってか。ひでぇ話だぜ」

「我慢しろ。働いた分、優先してパーティーに参加出来るんだからよ」

「チッ、しゃーねーな」


 男達は彼方を大人しくさせる魔法の言葉を誰かに教えてもらっていた。


「暴れるな。あの男・・・がどうなっても良いのか」

「…………っ」


 男達の狙い通りに彼方は大人しくなった。

 もう二度と大切な人を失うわけにはいかないから。


 優斗が彼方に大切に想ってもらえるようになったからこそ、優斗の存在が弱点にもなってしまっていた。


「よし、それで良い。ついてこい」


 男に手を引かれ、彼方はマンションの前に停められていたバンまで歩いて行く。

 その途中。


「三日月センパイ!」


 慌てて階段を降りて来た秋梨が追いついた。


「三日月センパイから離れて!」

「あぁ?」


 三人の男が睨んでいるにも関わらず、秋梨は一切退こうとしない。


「こいつあのガキっすよ。いつも一緒に居る奴らの片割れ」

「ああ、あの邪魔な奴らか。せっかくだからこいつも連れてくか」

「えぇ……こんなガキ剥いても楽しくないですよ」

「んなこと言っててめぇこの前のあのガキ相手に獣のように興奮してたじゃねーか」

「あれはクスリのせいですって!」


 男達が最低な会話をしている間に、秋梨は一気に近づこうとした。


「おっと動くなよクソガキ。この女がどうなっても良いのか?」


 しかし彼方を人質にされては手を出せなかった。

 秋梨は少しの間何かを考え、両手を挙げて無抵抗の意を示した。


「ふっ、かしこい女は嫌いじゃねーぜ。さぁ、お前も来るんだ」


 こうして彼方と秋梨の二人はバンに乗せられて拉致されてしまった。

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