6. 膝枕と抱き枕
「篠ヶ瀬せんぱ~い、三日月せんぱ~い。おはようございま~す」
「お、おう。おはよう、なんでここにいるんだ?」
「もちろんセンパイ方と一緒に登校したいからですよ」
「いや、だが、なんでここが……」
秋梨と春臣は優斗の家に遊びに来たことがあるので優斗の家を知っている。
しかし秋梨が待っていたのは道路を挟んだ反対側の彼方が住むマンションの入り口付近。
しかも二人が一緒にマンションから出て来たのを当然のように受け入れていた。
明らかに優斗が彼方の部屋で生活していることを知っている。
「細かい事を気にしてたらモテませんよ。そんなことより大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。つーか細かくねーよ」
「そうは見えませんよ。ほら」
「誤魔化すなって……ってあれホントだ。マズいな」
包帯が巻かれている優斗の左手人差し指が赤く滲んでいた。
「傷が開いたかな。ちょっと包帯変えて来るわ」
丁度マンションを出たばかりのタイミングだ。
道路を挟んで向かい側にある自宅に向かえば包帯を取り換えられる。
優斗は二人をその場に残して急いで家に戻った。
そう、二人をその場に残したのだ。
「あいつらと仲良くなってくれてマジで助かったわ」
四人で遊んで仲良くなったからか、彼方は短い時間であれば優斗が居なくても秋梨か春臣が傍にいれば取り乱さなくなったのだ。
「何故か彼方の家に入り浸っていることがバレてるっぽいし、あいつらにも協力してもらうかな」
これまでは彼方を一人に出来ず家に帰れるチャンスが少なかった。
だが二人の協力が得られれば、多少は帰る機会を増やせるかもしれない。
「おっと急がないと」
急いで包帯を取り換えて、掃除や片づけをする時間が無く荒れ放題になっていた家を飛び出した。
尤も、荒れているのは単に優斗がだらしないだけかもしれないが。
「お待たせ、んで何でお前はここにいるんだ?」
「しつこい男は嫌われますよ?」
「お前なぁ」
「まぁ良いじゃないですか。ちなみに、これからしばらくは私か春臣がご一緒しますからね」
ボクシングのポーズをとりながら秋梨はそんなことを言うが、優斗はそのことについて特に何も言わなかった。
彼方が狙われているという話を知ってボディーガードの役目をかって出てくれたのだろう。
ちびっことはいえ二人より三人の方が狙われにくいのは理解出来るので、ありがたく好意を受け取ることにしたのだ。
「いやいや、ちゃんと答えろって。まさかお前、俺達のことをつけてたのか?」
「黙秘しまーす」
「こんにゃろ」
「おっと、女の子に手を出すなんてあり得ないですよ!」
「だ~れが女の子だ。この暴力の権化が」
「ひっどーい! こんな可憐な後輩にそんなこと言う男にはこうです」
「いでっ! 脛は止めろって! やっぱり暴力の権化じゃないか」
秋梨は最後まで口を割らなかった。
――――――――
「それじゃあさよならッス」
「おう、またな」
「外に出たらダメッスよ。誰が来てもドアを開けたらダメッスよ」
「わ~ってる」
「手を出すときは優しくしなきゃダメッスよ」
「こうかな」
「痛いッス! 本気で叩いたッスね!」
秋梨や春臣と一緒に登下校をするようになって数日。
今日の下校時は春臣と一緒だった。
まるで幼子を見守る母親のように心配する春臣を追い返し、二人はいつものように部屋に入る。
「よ~し、飯にすっか」
ここ最近の優斗は私服を持ち込み彼方の家で制服から着替えていた。
一緒に同じ家に帰り、一緒にご飯を食べ、お風呂も借りて、一緒の部屋で寝る。
同棲している恋人の生活にしか見えないが、あくまでも彼方をサポートするためであって他意はないと言い聞かせ、そのことを考えないようにしていた。
「あれ、なんか……あれ?」
その幸せな新婚生活もどきを堪能し、一緒に夕飯後の洗い物を終えた後の事。
ダイニングに座って一息入れようかと思った優斗だが、突然眩暈がしてぐらりと体が傾いた。
「うわ……これやばい……かも……」
テーブルに手をついて咄嗟に踏みとどまろうとしたけれど、体が全く言う事を聞かない。
酩酊状態になってしまったかのように視界が定まらず、千鳥足で数歩ふらついた後、ついには倒れてしまった。
薄れゆく景色の中、最後に感じたのは床に体が叩きつけられる痛みでは無く、柔らかな温もりだった。
「……ん……んん」
額に何か温かなものが触れる感触で優斗は目が覚めた。
「(寝かされている……のか?)」
感触的に床に寝かされていることが分かった。
頭の下には柔らかな何かが敷かれているが、枕にしては少し高い。
「(なんか良い香りがする)」
その香りは最近何度も何度も嗅いだことがある身近な物だった。
「(これって確か……そう、彼方の……!?)」
香りの正体に気付いた優斗は慌てて体を起こそうとしたが、それは叶わなかった。
額に添えられているものに抑えつけられてしまったのだ。
「あの……彼方……さん?」
目を開けると二つの山の向こうに彼方の顔があった。
優斗は彼方に膝枕をされていて、額に手のひらが乗せられている格好だった。
「ええと……その……起きたいんだけど」
美少女の膝枕という極上の体験に優斗はドキドキが止まらないが、嬉しさよりも照れ臭さの方が上回りすぐに体を離したくなってしまう。
単なるヘタレなのかもしれない。
しかし彼方は首をフルフルと横に振り、優斗の起床を拒否した。
そのまま優斗の額や頭を優しく撫で始める。
「えぇ……」
動けなくなってしまった優斗は視線だけでも逸らそうと無害な方向を見た。
するとその先に時計があったので時間を確認した。
「二時間も経ってる!?」
まさか彼方は優斗が倒れた後から二時間もずっとこうして膝枕をしていたのではないだろうか。
もしそうだとしたら彼方の足はかなり疲れているはずだ。
「彼方、足痛いでしょ。やっぱり俺起きるよ。寝るならソファーで寝るからさ」
しかしやはり彼方は首を横に振り、優斗を膝上に繋ぎ止める。
その理由は分からないけれど、彼方に足を痛めて欲しくない優斗はどうにか説得しようとする。
「彼方が辛いのは嫌だよ」
優斗は知ることになる。
自分がどれほど愚かだったのかを。
「かな……た?」
彼方の表情が大きく変化した。
その顔は今すぐにでも泣き出しそうな程に悲しみに満ちていた。
「(なんでなんでなんでなんで!?)」
彼方を幸せにすると誓ったのに泣かせようとしている。
悲しませることだけは絶対にやってはならなかったのに、細心の注意を払って接していたのに、やらかしてしまった。
でもその失敗の理由に見当がつかない。
「心配……した……」
なんてことはない。
突然倒れた優斗の事を彼方が心配しただけのお話。
とても単純な話だ。
だけれども、彼方にとっては大きな意味を持つ問題だった。
大切な家族を失ったことにより心に傷を負ってしまった彼方だ。
依存するほどに特別に感じている優斗が失われてしまうのではと不安に思ってしまったのだ。
錯乱しなかったことが奇跡であるし、もしかしたら優斗が見ていない間にそうなっていたのかもしれない。
「(俺って本当に馬鹿だな)」
彼方に全てを捧げすぎて自分を蔑ろにし、その結果彼方を悲しませてしまった。
大切な人を失う恐怖を思い出させてしまった。
彼方が辛いのは嫌だなんて言いながら、倒れて心配かけて辛い気持ちにさせてしまった。
あまりの情けなさに自分を全力でぶん殴りたい気分だ。
でも今やるべきことはそれじゃない。
「分かった。もう少しだけ休ませてもらうよ。でも足が限界だったら本当に止めてくれよ」
彼方を安心させるためにも、素直に言う事を聞いてしっかりと休むことが先決だ。
自分の事を責める暇があるなら、元気を取り戻すことに全力を尽くす。
「(やりすぎだったかな)」
彼方に出会ってから、優斗は全力で彼方のために行動していた。
彼方の生活を一日中サポートして、どうしたら彼方が元気になるかを常に考え続け、心と体のケアをした。
常に元気に振舞い、話題を必死にひねり出して話しかけ続け、自分が傍にいるから安心して良いよと温もりを与え続けた。
彼方の強烈なスキンシップに思わず手を出しそうになってしまうのを鋼の心で耐え続けた。
寝辛い体勢で彼方の睡眠を補助し続け、一人にして泣かせないようにと気を使い続けた。
常に全力疾走で、優斗の心も体も限界寸前だったのだ。
だがそれでも最近はマシだった。
学校でのいじめ問題が終わり安心して彼方を彼女のクラスメイト達に預けられるようになったし、後輩達と遊んだことで優斗自身もリフレッシュ出来ていた。
問題はいじめ問題が再発したことだ。
彼方のクラスメイトが信用ならないと分かった優斗は、再び学校でも気を張るようになり、登下校中も玲緒奈からの襲撃に備えて神経をすり減らす。
そんな毎日が続いた結果、ついに心身ともに限界が来て倒れてしまったのだ。
「(これ結構ヤバいな)」
そのことを意識してしまうと急激に疲れが襲って来た。
少し寝たはずなのに、彼方に膝枕されていてドキドキしていたはずなのに、猛烈な眠気により意識が途切れようとする。
「おや……すみ……」
彼方の温もりに包まれ、優斗は泥のように眠った。
次に目を覚ました時に彼方を心配させた罰を受けることになるとは思ってもみなかっただろう。
「(ここって彼方のベッッッッッッ!)」
朝になり目が覚めた優斗はとんでもないことに気付いた。
自分が眠っている場所が、彼方の膝上からベッドの中へとクラスチェンジしていたのだ。
しかも自分の左半身には柔らかな温もりが押し付けられているではないか。
「(ふぁああああああああ!)」
彼方が優斗の体を抱き枕のようにして眠っていた。
足を絡めて優斗の左半身を全身に押し付けるかのような形。
顔が真横にあり、胸の間に左腕がすっぽりと収まり、太ももが男の子の大事なところ近くまで侵食している。
そして一番ヤバいのが、左手が女の子の禁断の部分に触れそうになっていることだ。
見えていないので触れている場所がソコなのかどうかは分からないが、その辺りに位置している事だけはなんとなく分かった。
「(ヤバイヤバイヤバイヤバイ!)」
朝だから優斗の男の子の部分が激しく主張している。
しかも今の体勢を意識するとさらにそこが元気になる。
「うう……ん……」
「(ひいっ!?)」
彼方が少し身じろぎすることで、彼女の足がそこに触れそうになる。
同時に左半身がより強く彼方の体に押し付けられて男の子が暴走しそうになる。
「(誰か助けて!)」
目覚ましが鳴るまでにはまだ一時間以上は残されている。
これまで彼方のために必死で尽くして来た優斗は、幸せな罰を受け続けるのであった。
――――――
「うし、今のうちだ」
優斗がぶっ倒れてから数日。
あの日ぐっすりと眠ったからか、優斗の体調はすこぶる良かった。
玲緒奈の襲撃に気をつけなければならないことに変わりは無いが、気を張りつめすぎないようにと意識するだけで心が大分楽になった。
それだけで格段に疲れなくなったのだ。
その復活した優斗だが、彼方が風呂に入っている間に自宅に戻ろうとしていた。
「流石に洗濯は自分の家でやらないとなぁ」
彼方の家に色々と持ち込んで寝泊まりしている現在、自宅に帰る必要はあまり無い。
ただし、自分の衣服を彼方に洗濯してもらうのはどうにも恥ずかしかったのでこうして時々抜け出して家で洗濯をしていたのだ。
優斗の家にはドラム式の良い乾燥機付き洗濯機があるので放り込んでおけば後は乾燥までしてくれる。
そのまま放置するので多少しわが気になるけれども、大雑把な優斗は気にしない。
てなわけでこの日もいつものように大通りを渡って家に帰ろうとしていた。
「え?」
だがそこで優斗の意識は唐突に途切れてしまった。
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