7. 三大欲求
「やるべきことを決めよう」
優斗は彼方の手を取り、ダイニングテーブルまで連れてきた。
昨日と同じく対面に座り話し合う。
話し合うと言っても、彼方は何も話さないだろうから一人で考え込むようなものだが。
ゴールは決めたばかり。
『生きてて良かった』と言わせること。
そこに辿り着くにはいくつかのステップを経る必要がある。
「普通に生きる、楽しくなる、幸せになる。完璧だ、完璧すぎるプランニングだ」
完璧どころかあまりにも大雑把ではあるが、方針は正しいかもしれない。
普通の生活を取り戻し、楽しみを見つけ、幸せを享受する。
最終的に幸せであるがゆえに『あの時に死ななくて良かった』すなわち『生きてて良かった』と思わせることが出来るという流れを目指す。
問題は具体的に何をするかだ。
「やっぱり最初は三大欲求かな」
普通に生きるために必要なものであり、生を強く感じられる人間の最大の欲求。
それらを満たして手軽に快楽を得ることで、まずは心と体を生に近づける。
「睡眠欲、食欲、もう一つは別に良いか」
「……して……良いよ?」
「なんでそこだけ反応するの!?」
他の話では決して口を開こうとしないのに、敢えて伏せたところを察してまでして誘ってくる。
思わず昨日の全裸をまた思い出してしまった。
「脱ごうとしないで!?」
「…………」
ジャージを脱ごうとしたので慌てて止めに入った。
元からこういう性格なのか、それとも壊れているせいなのか分からないが心臓と下半身に悪いから止めて欲しいと思う。
「話を元に戻すぞ。睡眠欲は……昨日良く眠れてたっぽいのは偶然だよな」
塞ぎ込んでいる時は毎日のように悪夢を見てしまうことを優斗は知っている。
彼方は間違いなくその状況に陥っているはずだ。
昨日寝る時に優斗の手を離さなかったのは悪夢を見るのが怖かったから。
「でも俺がいつもそばにいるわけにはいかないしなぁ」
「…………」
そう悩んでいたら、彼方は右手を優斗の前に差し出した。
「え?」
「…………」
無表情な顔が何かを訴えかけているようだ。
思い当たることは一つしかない。
「まさか今日も俺が握れって?」
「…………」
正解だったのだろう。
彼方は手を引っ込めた。
「マジかよ」
あんな不安定な体勢で寝たら優斗の方が疲れが取れず、まいってしまう。
かといって悪夢の恐怖を知っている身としては拒否する心情にはなれない。
一番楽なのは一緒にベッドの上で寝ることだが、健全な男子高校生の優斗が我慢しきれるとは思えない。
昨日だって眠かったから耐えられたが、そうでなければ襲ってしまいそうだったのだから。
そして襲いかかった後に細い体を見て後悔するのだ。
「……して……良いよ?」
「だからなんでそこだけ察しが良いんだよ!」
流れが悪いのでひとまず睡眠欲については後回し。
「はぁ、とりあえず食欲をどうにかすっか」
丁度今は夕飯時。
お腹も程良く空いている。
「昨日は大失敗したからな。今日は成功させるぞ!」
優斗は鞄からうどんとめんつゆを取り出した。
「出来れば卵も欲しいけど、そっちは明日にすっかな」
卵はお粥にも使えるし栄養価も高いから是非欲しい食材だ。
「ぱぱっと作るからちょっと待ってな」
そう言って立ち上がったが、彼方も一緒に立ち上がった。
「彼方は座ってて良いんだぞ?」
だが優斗の言葉は無視され、彼方もキッチンへと入る。
「もしかして昨日みたいにならないか心配してるのか。大丈夫だって、昨日は久しぶりの料理だったから加減が分からなかったんだよ」
優斗はいつも出来合いの物を買って食べている。
調理実習以外で料理をしたことが殆ど無い。
しかしうどんは風邪の時に母親が良く作ってくれたから味を知っている。
味を知っている。
作り方ではなく、味を知っている。
「うちの母さんのうどんは絶品だったんだぜ。それに俺が
一体何が完璧なのだろうか。
彼方は着々と準備しようとしている優斗の腕をきつく握った。
「いだ、痛い痛い、痛いって!」
そしてそのまま強引にキッチンから追い出した。
「え、待って待って。俺が作るから。作らせてよ。美味しい
優斗の何らかの単語に反応してか、彼方は勢い良く振り向いた。
「ひいっ!?」
無表情で生気が無い目に変わりは無いのだが、とてつもない威圧感を発している。
「その……もしかして……怒ってらっしゃる?」
「…………」
思わず敬語になってしまった優斗に向けて、ダイニングテーブルを指差す彼方。
座って待ってろということだろう。
「いえ、だから私が作るのでむしろ彼方さんが」
「…………」
「ひいっ!?」
ゴゴゴゴと怒りの音が聞こえてきそうな雰囲気を察し、優斗は泣く泣く席に戻らざるを得なかった。
「しょぼーん」
悲しみに打ちひしがれる優斗だが、誇って良いかもしれないぞ。
全く反応を見せない彼方をここまで動かしたのだから。
そもそも死にたがる彼方が、死にそうなほどにマズイ料理を拒否したのだ。
死を超越した料理なのか、あるいは命の危機を呼び覚まし生きる力をつけさせたのか。
本人は至って真面目なのかもしれないが、ふざけているとしか思えないゲーミング料理が彼方の命を救ったのだ。きっと。
「…………」
「お、出来ましたか。そしてまた俺の分もあるのね。サンキュ」
冷蔵庫に具が無いのでシンプルなウドゥン、いや、うどんだ。
「うまい……」
母親の想い出の味とは比べ物にならないが、それでも特別美味しく感じられた。
女の子の手作り料理だから特別感があるのかなと勘違いしたが、実はめんつゆを使わずに家に残っていた調味料で優しい味わいのスープを作っていた。
彼方が料理が得意と気付くのはもう少し先の事である。
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