6. 生きる気力を無くした同級生を幸せにして『生きてて良かった』と言わせたい
結局その日は放課後まで何事もなかった。
放課後になり親友と駄弁り、帰る前に彼女の様子でも見に行こうかと思ったらすでに帰宅していた。
「(別に俺が四六時中一緒にいる必要はないだろうし)」
昨日は死のうとしていたから手を差し伸べただけだ。
別に彼女の心を救いたいなどと思い上がっているわけでもない。
さっさと大人に任せて普段の生活に戻りたいと本気で思っている。
そもそも優斗は他人のことを考える余裕なんて元々無いのだから。
「(今朝の感じならもう大丈夫だろう)」
確かに今朝は血行が良く、それなりに生気が満ちていた感じがあった。
だけれども、それが何だと言うのだ。
心が疲弊している人物は、ふとしたことで全てを終わらせたくなってしまう。
そんなことは分かっているはずなのに、考えないふりをして優斗は帰宅の途についた。
彼女が住むマンションをチラリと見てから、何かを振り切るように自分の家に向かう。
家に着くと乱暴に鞄を放り投げ、制服も脱がずにベッドにダイブする。
これでは昨日の二の舞だ。
このまま寝てしまい、気付いたら夜中になっているのだろう。
そして小腹が空いてコンビニに……
カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン。
聞きたくもない音が脳内で勝手に再生される。
線路内に立ち尽くす虚ろな影が瞼の裏に見える。
何故か体が動かず、ただその影を見つめる事しか出来ない。
そうして今度こそ、貨物列車が踏切まで到達し、虚ろな影は音もなく跳ね飛ばされ……
「くはっ!?」
いつの間にか寝てしまっていたのだろうか。
酷く汗をかいていて、心臓が痛いくらいに脈動している。
「はぁっはぁっはぁっはぁっ」
これまで見たことのないタイプの悪夢。
彼女の事が心配で不安に苛まれていると自覚させられた。
「俺に何が出来るって言うんだよ」
自分はちょっと辛い事があっただけの男子高校生。
死にたがりの女子高生を救うなんて出来るはずが無い。
『優斗が幸せにしてあげたいと思える人にきっと会えるわ』
母親の言葉が蘇る。
『幸せにしてあげたいと思える人』
それは単にいつか好きな人が出来るという意味だと思っていた。
「あの子を救えって言うの? お母さん」
二人の出会いは普通では無い。
そこに運命を感じてしまっても、そして母親の言葉と結びつけてしまってもおかしくはない。
「俺には無理だよ。だって俺は……」
枕に強く顔を埋めて、心の中を空っぽにしようとする。
カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン。
『優斗が幸せにしてあげたいと思える人にきっと会えるわ』
カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン。
『優斗が幸せにしてあげたいと思える人にきっと会えるわ』
しかし一度抱いた不安はどうしても逃がしてはくれない。
「だからダメだって……!」
そう一際強く叫ぼうとした時、脳裏に彼女の別の姿が映し出された。
『好きに……して……』
生きることに絶望し、何一つ身に纏わず、その身を差し出す女の子。
警察や病院関係を除いて他のことは一切話さなかったのに、この時だけは言葉を口にした。
それはきっと自殺と変わりない行為だったのだろう。
心と体を完膚なきまでに壊して欲しかったのだろう。
そこまで壊れてしまった女の子を救うどころか幸せにするなど無謀な挑戦としか思えなかった。
「はは……そうだよ、あんなの誰だって」
逃げる口実を見つけた優斗はフラフラと立ち上がり洗面所に向かう。
顔を洗い、心の澱みも流してしまいたかった。
「ふぅ、さっぱり…………あ」
狙い通り、何度も何度も顔を洗っていたら澱んだ気分が少しだけマシになったような気がした。
しかし落ち着いたはずの心は、手に持った物に気付くと再び荒れだした。
タオル。
「あの子、俺にタオルを……」
彼女は体を拭いて着替えた後、優斗に髪が濡れているからとタオルを差し出してくれた。
「それだけじゃない。ご飯も」
優斗がゲーミング粥で大失敗した後、彼女は自分でお粥を作り、優斗にも振舞ってくれた。
「あんな状態なのに」
死にたくて、滅茶苦茶にしてほしくて、それほどまでに心が壊れているにもかかわらず、彼女は優斗の事を考えてくれた。
「マジかよ」
優斗の心に温かな何かが宿った。
不快な警告音も、母親の声も、聞こえない。
今はただ、彼女のことが気になって仕方ない。
「よし!」
外はまだ暗くなりかけ。
どうやら昨日とは違いほとんど寝ていなかったようだ。
優斗は鞄にまた色々とぶち込んで、家を飛び出した。
――――――――
「やっぱり鍵かけてねー」
全く抵抗無く開く扉。
不用心にもほどがあるが、強盗が入るなら入るで壊してくれるから良いとでも思っているのかもしれない。
「おおーい、生きてっかー?」
昨日来たばかりなのに、不思議と馴染みかけていることが少しおかしかった。
玄関から中に入り、リビングへと向かうが誰も居ない。
まさかと一瞬焦ったが、落ち着いて今度は少女の部屋の扉を開ける。
「相変わらずそうしてんのな」
ジャージ姿の少女は、床にペタンと力なく座り込んでいた。
今にも消えて無くなってしまいそうな儚さは変わらない。
それどころか出会った頃に戻っているようにも見える。
昨夜のお粥や睡眠効果など、すでに消え去っているのだろう。
もしも優斗が来なくなっていたのなら、数日以内に同じことが起こっていたかもしれない。
優斗は部屋の中に入り、少女の正面に回って座る。
そして俯いている顔を両手で挟み、強引に目が合うようにした。
「俺の顔が見えるか?」
「…………」
彼女の目には何も映っておらず、ただ不規則に揺れている。
だがそれでも優斗は真っすぐに少女の目を見つめ続ける。
「君の名前は?」
「…………」
思えば名も知らぬ少女の家に勝手に上がり込んで勝手に世話を焼いていた。
全裸を見てしまったし、なんなら傍で一緒に寝てしまった。
全く酷い話だ。
だからそれを少しでもマシな話にするように、まずは名前を知り関係を深めよう。
その機会はこれまでもあった。
少女から聞き出さなくても、表札や家の中を調べれば答えはすぐに見つかるだろう。
だが、それを知ってしまい、関係が深まると戻れなくなることが優斗は怖かったのだ。
彼女の命に責任を負わなければならないと感じてしまい、怖かったのだ。
「俺の名前は、
「…………」
「君の名前は?」
「…………」
優斗はもう心に決めていた。
前に進むと。
そしてこれがその第一歩なのだ。
「俺の名前は、篠ヶ瀬、優斗」
「…………」
「君の名前は?」
「…………」
ゆっくりと穏やかな音色で、何度も何度も繰り返す。
少女に反応が見られなくても構わない。
「俺の名前は、篠ヶ瀬、優斗」
「…………」
「君の名前は?」
「…………」
ただひたすらに声をかけ続ける。
少女に自分の事を認識してもらう。
少女の意識が生と死の狭間で揺蕩っているというのなら、まずは優斗という生と結びつける。
「俺の名前は、篠ヶ瀬、優斗」
「…………」
「君の名前は?」
ゆらりと瞳が揺れた。
何処を見ているか分からなかった黒い宝石の動きが止まる。
「
空気にすぐに溶けてしまいそうな程に弱く力ない音が聞こえた。
それを漏れなく救い上げた優斗は嬉しそうに微笑んだ。
「彼方か、良い名前だな」
親しくもない女の子を名前で呼ぶのはどうかとは思ったが、少しくらい強引にした方が良いだろうと思い名前で呼ぶことにした。
「これからよろしくな、彼方」
その瞬間、僅かに彼方の表情が変化したように優斗には見えた。
まるで『どうして?』と言っているかのように。
優斗はその直感を信じて応えた。
「美味しいお粥のお礼さ」
死ぬほど辛い状況でも他人を気遣える優しい女の子。
そんな女の子がこのまま朽ち果てて良い訳が無い。
『優斗が幸せにしてあげたいと思える人にきっと会えるわ』
彼方が『幸せにしてあげたいと思える人』なのかはまだ分からない。
しかし『幸せになって欲しい人』であるとは強く想う。
そして彼方の幸せな姿を見られれば、きっと自分も幸せに思えるだろうという予感があった。
「(全力で彼方を幸せにしてやる)」
それが優斗に芽生えた新たな
そしてその目標に具体的なゴールを定めた。
徹底的に幸せにして幸せにして幸せにしつくして、そして……
「(絶対に『生きてて良かった』って言わせてやるぜ!)」
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