3. 待って、止めて、ホント止めて、死ぬより辛いんだけど!

「ば、お前何やってんだよ!」


 慌てて目を逸らすが、少女はそこから動こうとしない。


「早く拭いて服を着ろって!」


 逸らす前に見てしまった肌はまだ濡れていて、背中まで伸びる長い髪からも水滴が滴り落ちていた。

 これだと雨に濡れていた時と全く変わらないではないか。


「何で立ったままなんだよ! 年頃の女の子が男の前で裸になっちゃダメだろ! 早く!ハリー! ポッ〇ーさーん!」


 焦り慌てる優斗とは反対に、無反応の少女。


 性的な問題もあるにはあるが、というか9割9分9厘そうだが、それだけではなくてこのままだと結局体が冷えて風邪をひいてしまう。

 こうなったらもう一度だけ緊急手段で強引に服を着て貰おうかと優斗が思ったその時。


「いい……よ?」

「は?」


 少女がとんでもないことをつぶやいた。

 警察や病院関係以外でこれまで決して会話をしようとしなかった少女が、優斗に向けて意味のある言葉を放った。


「好きに……して……」


 それが何を意味しているのか分からない優斗では無い。

 思わず想像してしまい、彼女の体をまた見てしまった。


 生気は無いものの非常に整った顔立ち。

 ハリのある肌にふくよかなふくらみは、謎の光で隠されるべきところまではっきりと見える。

 さらに視線を下にやるとラブコメの範囲では描かれることのない聖域までも。


 全裸の少女に好きにして良いと言われ、優斗の男の子の部分が強く反応する。

 大型バイクのエンジン音のように、心臓が痛いくらい鳴っているのを自覚する。


 優斗はゆっくりと彼女の元に近寄り手を伸ばす。


「馬鹿言ってないで、早く着替えてこい」


 彼女の部屋らしき場所はすでに見つけてあった。

 そこに押し込んだのだ。


「バスタオルは、これか。ほら、これでちゃんと拭いて着替えるんだ。分かったな」


 優斗はそのまま扉を閉めてダイニングへと戻った。


「はぁ~ヤバかった。猛獣が解き放たれるところだったぜ」


 未だに心臓はバクバク言っているし、少女の体が脳裏に焼き付いたように離れず体は興奮している。


 優斗が手を出さなかったのは紳士だからではない。

 先程の優斗は『空気』に呑まれてしまっており、冷静になることが出来ずに勢いよく押し倒してしまっていた可能性があった。


 踏みとどまれた大きな理由。


「ったく、なんつー体してんだよ」


 色気のある体、という意味では無い。

 むしろその真逆だった。


 少女の体は全体的にほっそりとしている、と言えば聞こえが良いだろうか。

 実際は骨が見えかけているほどにガリガリにやせ細っていた。


 一週間、いや、一か月近くは碌なものを食べていないのかもしれない。

 顔色が悪いとは思っていたが、あそこまで酷いとは思わなかった。


 あまりにも死の気配が強く漂い過ぎているがゆえに、抱く気になどなれなかったのだ。


「よし、やっぱり飯だ飯」


 長い間碌なものを食べていない人に、がっつりとした食べ物がNGなのは優斗も知っていた。

 それゆえお粥を作ることにした。


 家からもってきたレトルトのご飯をレンジで温めていると、少女が部屋から出て来た。

 もしかしたらまた全裸のまま動かないのかと思っていたが、大丈夫だったようだ。

 先程少女を拒絶した際にわずかだけれど驚きの意思が表情に見て取れたので、あの時に何かしらの変化が起きたのかもしれない。


「おお、部屋着可愛いじゃん」


 しかし髪の毛がまだ濡れている。


「ほら、髪も乾かしてきな」


 今度は再度脱衣所へと押し込もうとするが、少女はその前にあるものを優斗に手渡した。


「バスタオル?」


 それは彼女が体を拭いたものであろう。

 つまり優斗が手にしているバスタオルには彼女の色々なものが……


「ば、ばば、馬鹿、これも男に渡しちゃダメなやつだろう!」


 そう反論して再度慌てる優斗に、少女は指差した。


「え? 頭?」


 優斗は慌てて家を出て来たため、髪の毛を雑に拭っただけでまだ目に見えて湿っていた。


「これで拭けって?」


 少女は何も言わず、指を降ろした。


「いやいや、これはダメだって。せめて他の使ってないので頼むよ」


 そう言うと少女は脱衣所から別のタオルを取り、優斗に手渡した。

 そして自分はドライヤーで髪を乾かし始めた。


「(ふぅ、会話が出来るようになって良かった)」


 安心している優斗は気付いていなかった。

 少女は長い間、無気力な生活を送っていてまともに洗濯をしていなかったことを。

 手渡された綺麗に見えるタオルは昨日彼女が使ったものであるということを。




 髪を乾かし終わった少女は、ダイニングの椅子に座ってぼうっとしている。

 相変わらず表情に生気が無く目が虚ろだが、出会った当初よりも血が通っているように見えるのはシャワーを浴びた直後だからか、それとも優斗の勘違いだろうか。


 そんなことを考えながら、優斗はキッチンでお粥を作っていた。


 なお、一つ残念なお知らせがある。


 優斗は料理が出来ない。

 致命的に出来ない。

 ギャグ漫画レベルで出来ない。 


「白だけだと見た目がつまらないよな」


 その感覚自体は悪くは無い。

 三つ葉や梅干を入れるなどして栄養と彩を工夫するのは普通の事だからだ。


「はい、出来たよ」


 優斗の作ったお粥は何故か青や紫に光っていた。


「俺特性、ゲーミング……あれ、お粥って英語でなんて言うんだっけ? ええと……まぁいっか、ゲーミング粥」


 白は何処に行ったのかと突っ込みたくなる程に青紫。

 見事に食欲をそそらない謎のお粥を前に、少女は僅かに顔を顰めた。


「どうしたの? 食べないの?」


 これまで少女の些細な反応も逃さず注意していた優斗なのに、何故かこの反応だけは見逃してしまう。

 そしてこれまでのように単に反応していないだけなのだと思い込んでしまった。


「それじゃあ俺が食べさせてあげるよ」


 優斗はスプーンを取りお粥らしき物体を掬いふぅふぅと息をかけて冷ましてから少女の口に突っ込んだ。


「!?!?!?!?」


 表情を大きく崩さなかったのは驚嘆に値する。

 だがポーカーフェイスは崩れずとも体は勝手に反応してしまう。

 体は小刻みにプルプルと震え、折角さっぱりした肌に滝のような汗が滲み出る。

 顔色が一層悪くなり、今にも吐き出しそうな雰囲気だ。


 コクリ。


 どうにか飲み込んだ少女だが、後味が最悪なのか、それとも胃の中でも奴が暴れているのか、必死で何かをこらえようとしている。

 そしてついには涙が零れ落ちた。


「え?」


 ここまで露骨な反応をすれば流石に優斗もこの物体の危険性に気が付くだろう。

 しかし何故か優斗は料理の反応に関して鈍感だった。


「泣く程美味しかったんだ!」


 元々死んだ目をしていた少女の目が、止めをさされたかのように更に深く沈みこんだ。

 これ以上辛いことなど無いと思っていそうな人物をさらに絶望させる奇跡の料理。

 それがゲーミング粥であった。


「それじゃあもう一口どうぞ」


 またしても優斗はふぅふぅと冷ました危険物質を少女の口に突っ込もうとする。


 ガシッ!


「え?」


 だがその手は少女によって掴まれた。


「な、何かな。あれ、動かない。なんだこの力は!」


 ガリガリで筋肉なんてほとんどなくなってそうな彼女の何処にこんな力があるのだろうか。

 命の危機か、あるいはそれ以上の危機に瀕して体が限界以上の力を発揮したのか。


「ふんぬ、ふんぬ!」


 優斗は高校生男子の平均程度の体格はあり、決して力が弱い訳では無い。

 だがどれだけ力を入れようともピクリとも動かない。


「もしかしてあ~んを恥ずかしがってるのかな。そんなの今更じゃないか、気にしないで食べてよ、ね」


 全くの的外れの言葉は当然少女に響かない。

 スプーンを動かすのに必死だからか涙目で抵抗する彼女の気持ちに気付かない。


「はあっはあっはあっはあっ」


 あまりの抵抗に根負けして、優斗が一旦力を抜いた瞬間。

 少女は優斗の手からスプーンを強引に奪い取り、優斗の口に放り込んだ。


 わぁい間接キ


「オロオロオロオロオロオロオロオロ!」


 優斗は『はじめて訪れた女の子の家でリバースする』というレア実績を解放した。




「あの、その、ごめんなさい」


 少女は相変わらず死んだ目をしているが、不思議と優斗には怒っていることが分かった。

 自責の念で勘違いしている可能性もあるが、謎の威圧感が漂っているのだ。


「これどうしよう」


 テーブルの上に残された産業廃棄物。


 少女はそれを掴み、なんと全部口に放り込んだ!

 優斗がせっかく作ってくれたものを無駄になんてできなかったのだ。


 なんてことはなく、キッチンの三角コーナーに捨ててしまった。


「ああ!」


 いや、そこで勿体無さそうな声をあげるのは間違っているだろ。


「でもご飯どうしよう」


 持って来たレトルトご飯は無くなってしまった。

 今の少女が食べられそうな食材は持ってない。


 すると少女は台所下からレトルトご飯を取り出した。

 それをレンジで温め、手際よくお粥を作る。


「料理が得意でいらっしゃるのですね」

「…………」


 自然と不自然な敬語になり恐る恐る話しかけても答えは来ない。

 それは今まで通りなのに、怒らせてしまったからのように思えて怖くてたまらない。


 仕方なく、優斗はもう余計なことはせずに椅子に座って待つことにした。


「(なんか、いいな)」


 少女がお粥を作る後ろ姿。

 それは優斗の幼い頃の記憶を想起させるものだった。


「…………」


 エプロンもしていないし、ただご飯を鍋で温めているだけ。

 それでも、どことなく手慣れた雰囲気があり、優斗の胸を締め付ける。


『優斗、宿題は終わったの?』

『そうなんだ、それは良かったね』

『もう少しで出来るからね』


 穏やかで優しくて、そして心から安心出来る声が聞こえてくる。

 もう二度と聞くことの出来ない声が。


 それは少女が椅子に座る音で掻き消えた。

 いつの間にかお粥作りは終わっていたのだ。


「あれ?」


 慌てて正面を向くと、テーブルの上にはお粥が入った二つ・・のお皿が置いてあった。


「え、あの。俺も?」


 ご丁寧にスプーンまで置いてある。


 まさか自分の分まで用意してもらえるとは思わなかったので驚きだ。

 元々夕飯を食べ逃してコンビニに何かを買いに行こうと思っていたのだ。

 予想外の事で忘れていたが、お腹はかなり減っていた。

 そのことを思い出すとくぅと鳴るのだから不思議なものだ。


 腹が減っているとバレてしまったからには遠慮しなくても良いだろうか。

 それにお粥とはいえ同世代に見える女の子の手作り料理だ。

 ありがたく頂くことにした。


「うま! 超おいしい!」


 産廃料理を食べた後だから猶更そう思うのかもしれない。

 それでも何処となく懐かしい優しさを感じたのは気のせいでは無いはずだ。


 少女は優斗の反応を全く気にせずに、ゆっくりとスプーンを口に運ぶ。


「こんなに美味しいお粥食べたの初めてだよ!」


 優斗は何故か流れそうになる涙を誤魔化すかのように、騒がしく話しかける。


 対照的な二人の夜食タイムは穏やかな空気に包まれていた。

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