こうなったら姫を監禁するしかない


「離縁しましょう、旦那様」


 その言葉を聞いた瞬間、エオライトは天に召されそうになった。

 邪竜討伐作戦の時、邪竜の尾に体を打たれて死の瀬戸際を彷徨ったことがある。しかし今考えれば、ミュリエルに離縁を言い渡されるのに比べれば、あんなのは無傷だ。


 愛しい愛しい愛しい愛しい、愛しい。

 ミュリエル姫。

 やっと手に入れたのに。

 

 裏路地のゴロツキから竜騎士ドラグーンになり、竜殺しにまで上り詰めた。

 全てはミュリエル姫のため。

 彼女と結婚するためだったのに。


     *


「離縁を切り出されたって……当たり前じゃね?」


 公爵邸の執務室。

 竜騎士見習い時代からの旧友であるゼオ・リンゼイに離縁を切り出されたと相談したところ、すげなく言い返されて、エオライトはさらにショックを受けた。


「な、ぜ……? 姫には、何不自由ない生活を与えた、はず……」


「いやいや、いくら物をもらったって、コミュニケーションのない夫婦はまずいだろ。人形のままごとじゃないんだからよ」


 もっともな言い分に、う、とエオライトは息を詰まらせた。


「邪竜討伐の後始末で忙しかったのは確かだけどさ、それでも屋敷に帰ったら、ちゃんと姫に向き合う時間くらいあっただろ?」


「……」


 エオライトだって分かっている。

 ミュリエルとまともにコミュニケーションを取れていなかったことは。


 しかし!

 

「姫が尊すぎて、まともに顔を見て話せない……!」


 そう叫ぶエオライトに、ゼオは心底呆れてしまった。


「胸を張って言うなよ……」


 エオライトは、俗に言うコミュ障だった。

 キョロキョロしたりオドオドしたりしないから、奇跡的に冷静沈着やクールだなどと言われているだけだ。実の所、業務連絡以外のコミュニケーションが全く得意ではないただのコミュ障だった。

 言葉も途切れ途切れにしか話さないし、楽しい話や気の利いた冗談なんて言えない。


「姫の前では、特にダメなんだ……」


 最悪だったのは、大好きなミュリエル姫と話す時は、緊張して言葉が出なくなることだろう。騎士として、遠くから見ているだけで幸せだったのに、毎日顔を合わせるなると──しかも夫婦として──エオライトの脳は幸せの許容量を超えてしまっていた。


「遠くから眺めるだけで幸せなのに、夫婦ってなんだ……?」


「いやだから、それだろ原因は」


「しかも姫と近づきすぎると、鼻血が出る……」


「ギャグ小説かお前は! いちいち興奮すんなよ!」


 ったく、とゼオは頭をガシガシと掻いた。


「とにかく、ちゃんと姫と話し合え。離縁の話は蹴ったんだろ?」


 エオライトは涙目で頷いた。


「普通、王族との離婚なんてそう簡単にできねぇから。下手したら首飛ぶぞお前」


「分かってる。陛下との、約束だ……」


(何より、俺が嫌だ……)


 エオライトは机に突っ伏す。


「ほんっと、昔から姫命な癖に、ダメダメなんだよなぁ」


「……姫……」


 離縁を言い渡された時のことを思い出す。

 いつもニコニコ笑顔を絶やさないミュリエルだが、あの時の顔には、覚悟が浮かんでいた。ミュリエルは本気だ。


(ん? そう言えば……)


 残酷な現実に嘆きつつも、エオライトはふと思い出した。

 何か後半、セクシーだとかなんとかの実だとか、とても大事なことを言っていたような気がするのだが……。

 離縁を切り出されたあまり、何を言っていたのか、よく思い出せない。

 ただ彼女がすぐにでも屋敷を出ていきそうな勢いだったので、すぐに屋敷の警備を強化することにした。困ったことに姫は、城を抜け出す天才だった。その才能が如何なくこの屋敷でも発揮されることを、防がねばなるまい。


「とにかくだ。日が登ったら、また姫とちゃんと話し合えよ?」


 エオライトは力なく頷いた。

 まさに今、ミュリエルが屋敷を抜け出したとも露知らずに。


     *


 ──フォーサイス邸の中庭にて。


 姫が屋敷を抜け出さないようにと見張っていた衛兵たちは、ふと、美しいアメジスト色の蝶々が庭をふんわりと舞っていることに気づいた。


「お、蝶だ。綺麗だなぁ」


「明日はいい日になるんじゃないか?」


 この大陸では、蝶は神の使いとして崇め奉られている。

 蝶々が舞っていたのなら、たとえ戦時でも敬意を払い、争いをやめるほどだ。


 遥か昔、まだ最悪の竜『ドラゴンロード』によってこの大陸が支配されていた頃。たった一人の戦士が、人々のために立ち上がった。不思議なことに、戦士の行くところには、いつも美しい蝶が舞っていたという。


 ──今は小さな蝶の羽ばたきでも、いつか嵐を巻き起こして、大きな変化をもたらすかもしれない。だから諦めるな。立ち上がれ。


 戦士は人々にそう呼びかけ、また人々も戦士の勇気に励まされて、団結して悪しき竜に立ち向かった。

 ドラゴンロードとの戦いは苛烈さを極め、討伐作戦の最終局面で、ついには戦士も瀕死になるほどの傷を負った。


 しかしそこで奇跡は起こる。

 人間軍が撤退を余儀なくされる中、強烈な嵐が巻き起こり、ドラゴンロードに不利な状況・・・・・をもたらした。

 戦士は最後の力を振り絞ってドラゴンロードと一騎討ちになり、その首を討ち取って、終戦へ導いた。


 その後すぐに戦士も命を落としたが、まるでその魂を天につれ帰るように、無数の美しい蝶が空に舞っていたのだという。


 この国では戦士の栄光を後世に残すべく、蝶を国旗のデザインに組み込み、その伝説を語り継いでいるのだ。


「ミュリエル姫ってさ、まるでその蝶の生まれ変わりなんじゃないかと思うほど綺麗だよな」


「戦士は美しい亡国の王女だったっていう説もあるから、戦士もありなんじゃないかと思うぜ」


「それじゃあエオライト様は、ドラゴンロードかな。訓練の時のあの恐ろしい顔ときたら!」


 衛兵たちにクスクスと笑いが広がる。

 馬鹿にしているというよりも、親しみのこもった軽口だ。


「おい、いい加減にしろ。しっかり見張れ!」


 上司に軽口を注意され、全員ピシッと敬礼する。

 あんなに華奢で可愛らしい姫が、これだけの警備からまさか抜けられるわけがないだろうと、衛兵たちもどこか気が緩んでいたのだ。


 そんな衛兵たちをよそに、アメジスト色の蝶々は、ふんわりと朝日に向かって飛んで行ったのだった。


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