【完結】離縁しましょう、旦那様。
美雨音ハル
離縁しましょう、旦那様
「離縁しましょう、旦那様」
ミュリエルがそう言うと、目の前にいた美しい人は、眉をひくりと動かした。『竜殺し』という二つ名を持つその人は、ミュリエルの夫、エオライト・フォーサイス公爵だ。
「……何、を」
いつも冷静沈着なエオライトが、珍しく動揺していた。
そんな彼を見て、ミュリエルはにっこりと微笑む。
「私たちの幸せのためです」
「……」
「ということで、早速この書類にサインを」
「………………」
ミュリエルは机に紙切れを出す。
「私が王族ですので、離婚の手順が少々ややこしくてですね──」
つらつらと内容を説明している途中で、エオライトがそれを遮った。
「姫」
「はい?」
「そんなことは、許せない。絶対、に」
冷たいアイスブルーの瞳が、ミュリエルを見据える。
ミュリエルはその視線を受け止めて、優しく微笑んだ。
「何も心配なさらなくて大丈夫ですよ、旦那様。ここにサインしてくだされば、私たちは絶対に幸せになれます! なぜなら……」
ミュリエルは説明しながら、少し切なくなった。
──ずっとお慕いしていた旦那様。
でも、お別れしましょう。
大丈夫。私、知っているのです。
あなたに愛している人がいるってことを。
*
エオライトは、この国の英雄だ。
そしてミュリエルは、国王の末娘だった。
平民の出でありながら、隣国との国境に発生した悪しきドラゴンを打ち倒したエオライトに、国王は深く感謝した。
そしてフォーサイス公爵位を創設し、広大な領地を与えた上で、自身が手中の珠のように可愛がっていたミュリエルを褒賞として降嫁させたのだ。それが、今から一年前の話。
ミュリエルは幼い頃から、
そうして与えられた領地にエオライトとともに移り住んだミュリエルだったのだが……。
結婚生活は、そううまくはいかなかった。
目立って何かトラブルがあったというわけではない。
エオライトは数え切れないほどの宝石やドレスをくれた。
何か欲しいものやしたいことがあれば言うようにと、頻繁に使用人を遣わせてくれた。
ミュリエルが結婚生活で苦労したことなんて、何一つない。
だけど。
一度として、エオライトはお洒落をしたミュリエルの姿を褒めたことはなかったし、一緒に歩いてもくれなかった。
ミュリエルの願いを聞きに来るのはいつも使用人で、エオライト自身は来てくれない。
夜はひとりぼっちで寝たし、ごはんもぽつりと一人で食べた。
エオライトは仕事で屋敷をしょっちゅう留守にしていて、あまりミュリエルのもとには帰ってこなかった。帰ってきても、一言二言、言葉をかわしてそれっきり。
そうして一年が経った頃。
ミュリエルはようやく気づいたのだ。
自分が愛されていないかもしれないということに。
*
「ごきげんよう、ミュリエル様。エオライト様との新婚生活はいかがです?」
確信したのは、王宮の夜会に参加した日のことだ。
フォーサイス邸のあるフォーサイス領ウィステリアは、王都からそう離れていないので、移動もそこまで苦ではない。両親に一度を顔を見せてくれと言われて王都に戻ったミュリエルは、参加した王宮の夜会で、とある女性に出会った。
艶のある黒髪を華やかに巻いて、真っ赤なドレスで着飾ったその人は、ベアトリーチェと名乗った。なんとかかんとか伯爵の娘だと言うベアトリーチェは、勝ち誇ったような目でミュリエルを見た。
「うまくいっているはずないですよね。だってエオライト様は、わたくしのところにいるんですもの」
「えっ?」
ミュリエルは、ベアトリーチェの衝撃的な発言に目を見開いた。
「わたくしと一緒にいると居心地がいいとおっしゃって、全然帰っていただけませんの。新婚なのに、エオライト様の時間を奪ってしまって、ごめんなさいね?」
「……」
(もしかして、旦那様が屋敷に全然帰ってこなかったのは、この人の家にいたから……?)
ミュリエルは夫の不在の長さがおかしいことに、ようやく気がついた。
ベアトリーチェは誇らしそうに言う。
「お二人の結婚は、国王陛下がお決めになったのだとか。でも、お二人の結婚が決まる前から、私とエオライト様は愛し合っていたのですよ?」
バーン! と勢いよく胸に手を当てたせいか、ベアトリーチェの豊かな胸が揺れた。それを見た瞬間、ミュリエルの脳裏に衝撃が走った。
(そ、そうだったのですね!)
自分がなぜ愛されなかったのか、ストンと腑に落ちたような気がした。
旦那様は……
旦那様は、妖艶な美女がタイプだったんだわ!!!
男性はパートナーを選ぶ際、容姿を最重要視すると聞いたことがある。
エオライトの好みは、このベアトリーチェのような女性だったに違いない。
対して、ミュリエルは子ども体型だ。もうすぐ十七歳になるが、それにしては身長もだいぶ低い。ベアトリーチェとは似ても似つかない。
(なるほどなるほど。旦那様に好いている人がいるなら、それは仕方がないですね)
こうしてミュリエルは、エオライトに離縁を切り出すに至ったのだった。
*
「よし! 準備は完了です」
エオライトに離縁を切り出した翌日の明朝。
ミュリエルは夜着を脱いで、できるだけ動きやすそうな服に着替えていた。これから屋敷を出るのだ。
離縁の書類については、結局エオライトにはサインしてもらえなかった。
それどころか、なぜか屋敷の警備は数倍厳しくなり、一時間に一度、侍女に眠っているかどうか確認されるという、謎の状態になっている。どうやら、エオライトは勝手にミュリエルが屋敷から出て行くことを危惧しているらしい。
(ま、その通りなんですけどね)
ミュリエルは窓を開けると、外をちらっと見た。
「わ、あんなに見張りがたくさん!」
まだ日が登る前だというのに、外にはまるで王宮並みの見張りがいる。
出ていくなんて許さない、とかなんとか、確かに言っていたような気がする。
「でも、それは無理な話なのですよ、旦那様」
だって、ミュリエルにはやることがあるのだ。
「……セクシーな女性が好きなら、私がセクシーになればいいんです」
クスッとミュリエルは笑う。
「待っててください、旦那様」
……ミュリエルは行動力の塊だった。
国王夫妻はミュリエルを手中の珠のように可愛がっていると噂されているが、この暴走しがちな姫を止めるために、必死になっているのが実だった。
思いついたことはすぐに実行してしまうミュリエルに、ついたあだ名は暴走姫。
「私、セクシーになって帰ってきますから! そうしたら、陛下の命令ではなく、私から求婚しますよ!」
そう呟くと、ミュリエルは小さな蝶の姿に変身して、ふわりと飛び出した。
この暴走姫、セクシーになって旦那を振り向かせて上で、自分から最度求婚しようというのである。
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