第3話 CAMERA 3
回線の接続で耳に装着した装置から現場の音が聞こえてくる。
深夜帯なこともあるが、この静けさに私は異様な感覚に襲われる。
画面に映し出された不気味な正方形の建物。指令室で働く人間には、絶対に現物を直に見ることの出来ないモノ。
緊張感に鼓動が速まる。
時間をかけた研修を経たとは言え、本番は緊張せざるを得ない。
加えて前任の男の状態を見ている私は一層、心の中に広がる不安と恐怖に震える。
「大丈夫か? 何か言ってくれよ」
私の耳に無機質な人の声が聞こえた。建物を背にしてこちらを見る調査員の声だ。
調査員を不安にさせないためにも、私は呼吸整えて自分が交代の職員であることを端的に告げる。
私の第一声は分かりやすい程に震えていた。
ただ、問題は無い。
指令室と現場を繋ぐ通信会話。これには『企業』によって、特殊な音声処理がされている。調査員の声が無機質であるのはこの処理のせいで、当然私が発する声も現場にいる者には同じ処理がされている。
感情も抑揚もない声で会話を行うのは少々不気味とも思えるが、これにも理由がある。
無機質な声にすることで指令室と現場調査員の間で、無駄な感情が芽生えることを排除するためだ。
キューブ内を探索し、異常現象の発生原因を取り除く。
この業務の流れを円滑に行うためにも、時には感情を捨てて人命を犠牲にしなければならない。
元来、会話という物は視覚という第一情報で得られぬ相手のことを知る道具である。
それを通じて人は相手がどのような人間であるかを知る。世界が半壊したとはいえ、ある程度の社会秩序がある以上、人類はこれを排するわけにはいかない。
当然『企業』でも、このような業務形態で仕事を行う以上、如何にして現場調査員に指令室からの指示を実行させてもらうかが重要である。
過去に『企業』が音声処理をしない時、多発していたのは指令室の人間が現場調査員に情を抱えてしま事。または現場調査員が指令室に情を訴えること。
これが多発してしまったことで一時期『企業』の『キューブ』解決の成否は目に見える程に落ち込んでしまい、街の指導者から早急に業務改善を迫られた。
そうした過去の出来事から『企業』は前述の方法に舵を切った。実際に成果は見違えるほどに向上しているらしいが、逆に指令室の無茶苦茶な指示が横行する新たな問題を生んでいる。
「そうか前任の奴と交代になったのか。よろしくな、新入り」
調査員の言葉に私はドキリとした。
何故なら私は前任者と交代したことしか述べていないからだ。そして、この先も調査員に対して自分自身のことを語ることはない。相手の個人情報を得ることも、また情を抱えてしまうからだ。
そうだと分かっても私は咄嗟に調査員に対して、何故自分が新人であると分かったのか訊ねた。
「そりゃあ声の雰囲気? 感じ? 会社は音声に処理をしてるがよ、俺みたいな古参は、何となく分かるんだよ」
調査員は腰に手を当てて自信ありげに答える。
そのあやふやな回答に加えて、調査員の一人称が『俺』であること、そして『古参』である情報を得たことに私は後悔した。
少なくともこれで、調査員が男性でそれなりの年齢であることを知ってしまった。何よりその口調から、彼は年齢に見合わない気さくな性格であると考えられる。
つまり――研修の時の教官が言っていた、現場調査員は何かと話したがる者が多いこと。取り分け、高齢且つ口調が砕けた者はその傾向が高いこと。
彼は見事にそれに当てはまる人間だ。
今回の業務に支障がないよう私は警戒心を高めつつ、何か言おうとする彼の声を遮るようにして現場の状況を訊ねる。
「前任の指示でアルファが単独潜入。『キューブ』内にカメラを設置中に奴と遭遇。俺は詳細は分からんが、手違い或いは不測の事態によってアルファが死亡、ついでに持ち込んでいたカメラの半数があの建物の中だ」
ベータから得られた情報と上司からの報告に照らし合わせつつ、私は手元の紙に走り書きする。
ちなみに業務中、現場調査員にはアルファから始まるコードが与えられる。年齢、性別、業務年数を考慮せずに無作為に与えられる。『企業』の方針として、可能な限り指令室と現場調査員は顔を知るどころか、名前すら知られないよう徹底されている。
「で、どうするんだ新入りさんよ」
こちらを挑発するようにベータが腕を組む。
私は彼の行動や言葉遣いにいちいち口を挟むことはしない。彼のペースに乗れば、身の上話をされかねない。
まず行うべきはカメラの回収からだ。
現場に持ち込めるカメラの数は十台と決まっており、半数が失われていては満足に仕事も出来ない。
私はベータにカメラの回収を提案する。
彼は拒否することはせず、一度近くで待機している移動用車両に姿を消す。
訝しむ私に、車両から出てきたベータは片手に収まるほどの球体を二つ持ってきた。
「新製品だ。今回の業務はこれの実証実験も兼ねているからな」
ベータの話を聞いて私は思い出した。
彼が持っているのはニーコン社が制作した新しいカメラ。
球体のそれを転がすことで、キューブ内の探索をより便利にする道具だ。
「それじゃあ、仕事をやりますかね新入りさん」
ベータの軽口に私は注意をする。彼は悪びれもせず、乾いた笑い声を上げた。
全く、『キューブ』の探査は命に関わるだというのにベータは全く恐れている様子がない。
古参という彼の弁も間違いないのだろう。
彼の態度はやはりよろしいものではないが、こうして業務に対しそこまで不快感を覚えていないのは私としてもやり易い。
業務態度の悪さに釘を刺しつつ私はベータに建物へ入るよう指示する。
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