第2話 CAMERA 2

 廊下を進む途中で私は二名の職員――制服を着用している現場調査員――に介助されながらおぼつかない足取りをする背広姿の若い男とすれ違う。

 男の顔に私は見覚えがあった。

 私よりも数ヵ月前に『企業』に入った新人で、一回ぐらい挨拶をした程度の関係だ。

 顔面を蒼白させた彼は胡乱な目をしており、傍から見ても正常でないことは明らかだ。口をわなわなと震わせる様子から何か呟いているようだが、殆ど聞き取れない。

 男のことを足を止めて見ていた私に職員は意に介さず、そのまま強引に彼を何処かへ連れて行ってしまう。

 恐らく彼は一先ずは『企業』内の医務室に送られる。精神的に非常に負荷のかかる職務を行うこの『企業』では、当然ながらしっかりとした医療設備が充実している。それこそ貧民層を受け入れても有り余るほどに。

 回復をすれば職場に戻ってこられるだろう。

 回復しなければ――『企業』から追い出されるだけだ。

 入社の際に提示された誓約書にその旨は明記されていた。かつての世界ならあり得ない、そのあまりにも無茶苦茶な内容。それでも今の世界で生きる以上、これに同意しない訳がない。

 それでも、あのような彼の姿を実際に見てしまうと、固く誓った私の決意も揺らいでしまう。

 何より私はこの瞬間、何故自分が呼ばれたのかが分かってしまった。

 恐らく、彼の仕事を引継ぐためだ。

 

 指令室に到着する。

 広い室内は一面無機質な素材で作られており、天井に設置された照明が数えるのも馬鹿らしくなるほどの個室が所狭しと並んでいる様子を照らしている。

 部屋に入るなり、扉の傍で待機していた指令室の副管理者が私を案内してくれる。

 先程の男が業務をしていた個室に到着する。

 これまでの経緯と現場状況を副管理者から聞き、彼と業務の手順方法等を確認する。


「何かあればすぐに連絡するように」


 疲れ切った顔をしながらも、新入社員の私を安心させるために副管理者は笑顔を浮かべる。

 私は強く頷くと、個室の扉を閉めて席に座る。

 机の上に綺麗に整頓された筆記具。

 何より目を惹くのは机を覆う程の大きな紙、そして綺麗に描かれた様々な部屋の図面。

 

 異常空間現象『キューブ』。この世界に突如発生し、秩序と社会を半壊させた憎むべき現象。

 ある日突然、地上に出現する構造物質不明の正方形の建造物。

 大きさは戸建ての家ぐらいであるが、唯一の入り口である扉を開くと内部には無数の部屋が存在する。

 正に異常な空間現象。

 この『キューブ』を発見・調査・解決することが私の所属する『企業』の職務。

 

 早速私は前任者が書いた図面を手早く確認する。

 書かれている部屋の数は五個。部屋の形は正方形や長方形と様々で、その内装も現代的な物から一昔前、果てには数百年前から未知の物までと多様だ。

 図面の部屋に記された特徴と、それぞれの部屋から入口までの最短経路を私は頭に入れる。次いで、を指示する際に有効活用できそうな部屋を組み込んだ逃走順路を構築する。

 無論、この『キューブ』内での探索が進めば適宜経路の修正と変更をしなければならない。

 これを怠れば、現場で業務に従事する調査員の命にかかわる。

 人の生死を自分の指示が左右する。

 その重圧に耐えながら、私は壁へ視線を移す。

 設置されている大きな液晶画面はそれぞれ長方形に区分されている。その内、五つの画面には薄暗い室内の様子が移されている。

 当然これは『キューブ』内に生成された部屋に、調査員がカメラを設置することで映されたもの。画面の隅には番号が振られており、図面に書かれた様々な部屋にも番号が振られている。

 両方の番号が間違っていないか部屋の状況と照らし合わせて確認を行う。

 持ち込めるカメラの数は限られている以上、頻繁にカメラを別の部屋に設置するため番号の書き忘れは多発し易い。

 研修時、その失敗で死者が発生した事例を見せられた私は入念に確認する。

 初めての仕事故に時間はかけたいが、ゆっくりしている暇はない。

 精確な時間制限はないものの『キューブ』現象を放置していると、正方形の建物に罅が入る。そこから更に時間をおくと、建物が崩壊すると共にそこから黒い霧が発生して周囲を吞み込んでしまう。

 この霧を除去する方法は現状ない。

 そして霧の中には我々の知らない未知の生物が存在し、人を襲う。『キューブ』の解決方法が確立していない時にこの状態が各地で発生したことがこの世界を半壊させた要因でもある。

 焦る気持ちを抑え、私は満足のいく確認を終える。

 机の上に置かれた通信設備を耳に装着し、電源を入れる。

 液晶画面、一の番号が振られた画面へ視線を移す。

 正方形の建物の外観の映像。

 そして先程からこちらがうんざりするぐらいに手を振っている――その振り方はこちらを揶揄っている――調査員へ回線を繋げる。


 さあ、仕事の時間だ。

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