CUBE ROOM

金井花子

第1話 CAMERA 1

 その日は朝から職員が総出になる程に忙しく。研修を終えたばかりの私は、大量の報告書の作成を手伝わされた。

 疲労と手の痙攣に顔を歪ませる私に、上司は仕事を切り上げて休むように言ってくれた。上司に礼を言い、私は隣にある大部屋――指令室のことである――でこの『企業』の二大職務の一つにあたっている大量の職員たちの邪魔をしないように一礼して退出する。

 無機質な廊下を進み、番号の振られた扉を開ける。

 最低限の物しか置かれていない部屋と言うよりは寝床。それでも安全に休むことの出来る場所があるのは幸福だ。

 背広を椅子にかけ、煙草をふかしながら頑丈な鉄格子が付けられた窓から外を見る。

 日は沈み、世界は夜。

 空を覆う灰色の雲間から月の光が僅かに漏れている。

 私が所属する『企業』は街の中心部にあり、周囲にはこの街の指導者と選良階級エリートの居住場所と幾つかの組織の建物が並んでいる。

 そして、そこを隔てた鉄製の壁の向こう側には無数の貧相な家屋――大半はテントのような住居――が並んでいる。あちこちに夜通し火が焚かれる場所があり、殆どの住人は身を寄せ合いながら夜明けを待つ。

 ふと、外で嫌な音がする。

 乾いた爆発音と一瞬の閃光が連続する。

 無法者と住民の抗争。なんてことはない当たり前の日常。

 あのから逃れるべく裕福な者や支配階級と巨大企業が壁を建設した瞬間、この世界で彼らを取り締まろうとする者はいない。

 数年前まで、あそこで生活をしていた私はそれをよく理解している。

 両親を失い、唯一の家族である妹を何者かに連れ去られた私はそれでもこの世界で生き抜くために『企業』へ入ることを決意した。

 あまりにも強烈な隔離政策と支配体制が布かれるこの街で、比較的安全に生きるにはこの選択肢しかない。

 年に一度、あるかないかの各組織の採用試験。幼少期、街から追い出された父の教育で文字の読み書きが出来た私はすんなりと『企業』への入社が決定した。

 正直に言って私はこの『企業』が行っている業務には首を傾げた。

 半壊したこの世界で。

 秩序も法も無く。

 再起の兆しすらないこの世界で。

 こんな危険な仕事に何の意味があるのかと。

『企業』の幹部はこの世界を守るためと言っていた。

 の放置は世界に害を齎す。

 それは理解した。だが、年々風の噂で遠方の居住地が消えたことを知る限り、我々人類の反抗は微々たるものだ。

 それでも、手にしたこの幸運を逃す程に私は愚かではない。『企業』で職務をしている限り、この安寧の地から追い出されることはないのだから。

 支給された煙草を二本吸い終えた私は、明日からの本格的な業務に備えて寝床に入る。

 固い寝台と薄めの毛布。それでも壁の向こうで暮らしていた時よりは遥かに快適だ。

 味気ない天井を見つめた後に私は目を瞑る。無音な暗闇の世界に包まれ、私は意識を眠りの世界へ落とす。

 

 私の部屋に呼び出し音が鳴ったのは丁度日をまたいだ頃。

 喧しい音で強制的に起こされた私は不機嫌に顔を歪めながら、壁に設置されたボタンで音を止める。

 すると、その上にある液晶画面に文字が現れる。

 指令室へ出動を指示する、内容の文。

 私は手早く背広を着る。

 襟に『企業』の所属者であることを示すキリンソウが描かれた徽章が輝く。

 身なりを整え、私は机の上に置いていた銀のペンダントを手に取る。

 精巧な細工がされたそれを開けると、中には微笑みを浮かべる私とその家族の写真がおさめられている。かつて街で仕事をしていた父が私と妹の為に、昔の伝手で職人に作らせた物だ。

 私は写真を静かに見つめて衣嚢に入れると、部屋を出た。

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