夕日に影は映らない。
長宗我部芳親
夕日に影は映らない
俺が帰ってきた年には、アメリカとの戦争は終わっていた。
ここらは田舎なもので都会が受けた被害に比べば、大したことはないらしい。俺が予め耳にしていたのはその程度で、それ以上のことは知らなかった。
キュウリの馬は痩せこけた牝馬のような乗り心地で溜まったもんじゃない。
だからのんびりとしていて体勢が安定した、本来帰りの用途で用いるナスの牛を使わせてくれないかと事前に伝えたが死神たちに言葉巧みに断られてしまった。
迎え火で狼煙が立っていたため、家までは簡単に辿り着いた。
玄関に降り立つや、馬は空へ旅立っていく。
『ただいま、帰りました』
三年ぶりの我が家。
家の外周には盆提灯や灯篭が飾られている。まだ昼だからか、明かりは灯ってない。家に足を踏み入れると、母ちゃの後ろ姿が畳部屋に映った。
物憂げに黙り込んで視線を注ぐのは、一枚の絵。
絵には正装を纏った俺と花嫁が描かれていた。
むさかり婚。里に古くから伝わる伝統だ。若くして未婚で亡くなった故人を思い、あの世で結婚が叶うようにと、故人の横に架空の花嫁を添えて結婚式が行われている様子を描いたものだ。
きっと、この三年の間にけじめがついたに違いない。
それまでは俺がどこかで生きていると信じ続けていたのだろう。
実際、俺は去年まで盆で現世に帰ることは許されていなかったのだ。
死神によると『家族に死んだと認識されていないから』とのことだった。
みんなには話したいことが沢山あった。
だが、死者が生者に向かって語りかけることは禁止されている。
言葉が魂を宿して言霊と化し、生者に何らかの影響を与えかねないからだ。
「婆ちゃ。ソウスケが盆帰りで来てるといいな」
母ちゃは居間にいるばあちゃに語りかける。
俺の遺骨はまだこっちに届いていない。戦地で散って以来、放置されたまんまだ。だから、二人が知ったこっちゃない。
「そうだな。今日はたんまりご馳走にしてやろうや。ソウちゃんも喜ぶだろうしな」
婆ちゃは仏壇に飾られた俺の写真を眺める。
仏壇には、料理が置かれている。ちょうど、お腹が空いていたんだ。
少しだけ頂こうかな。夕食まではまだ時間がある。
俺が料理に手を差し伸べると、
『これっ!!』
突然、背後から怒号が飛び、頭を引っ叩かれた。
振り向くと爺ちゃんがすごい剣幕で俺を見ていた。短髪のごま塩頭。目尻に深く入ったシワが迫力を引き出している。
『ソウスケ! それは死者が食べるために用意されたものではない! 二人が日頃の食のありがたみを感謝して並べたものじゃ!』
『ご、ごめんよ。爺ちゃ……』
『それにお前はなぜ儂たちに何の言わず先に現世にやって来た!」
『だってよ、みんな爺ちゃみたいな年寄りしかいないんだ』
俺の家系で俺ほど早く死した者はいない。
盆帰りで現世に戻ってくる家の者の多くは俺と何十歳もの差があって、どうも話や感覚が噛み合わない。
その集団の中で最も年齢が近いのが52歳差で、まさしく俺と爺ちゃなのだ。
『ごめんよ、爺ちゃ……』
『勝手にせい!!』
爺ちゃは一度頭に血がのぼると、なかなか冷めない。
しばらく外で時間を潰そうと外に出た矢先、何人ものご老人が縁側に並んで座布団を敷き、お茶を堪能していた。紛れもなく、俺のご先祖様たちだ。
これだから取付き所がなくて困っているのである。
家を出てすぐの田舎道に出た。セミがみんみんと鳴いている。
道の脇の、畑の向日葵が風で靡く。小さい頃はここで、向日葵の中心にある花柱の部分をちぎって沢山の模様を作って遊んだ記憶がある。
久しぶりにやってみたが、爺ちゃのごま塩頭みたいになった。
そこでいっそのこと諦めて、懐かしの坂を上っていると、稚児をおぶった乳母とすれ違った。おぶられた稚児は小さな手にかざぐるまを持っている。
風ぐるまはこの里の、商店で売られているものだ。
俺が横を通り過ぎると風が吹き、そのかざぐるまがからころと鳴った。
稚児の目には俺の姿が映っているのか、乳母とは反対の方角を行く俺を見届けていた。あどけなさの残る瞳は澄んでいて、どこか懐かしさを感じた。
小さい頃、俺も母ちゃの温かな背中に身体を預け、夕日の中をこの坂を下ったような気がする。
かざぐるまを買ってくれ、とねだって泣いて困らせてしまった覚えがある。
遠い昔のこと、今から十数年前の出来事だ。
母ちゃはこのことを覚えてくれているのだろうか。
それとも、もう忘れ去ってしまったのだろうか。分からない。
晴れどころのない思いを胸に、俺は夕陽に染まった一本道を進む。
当然、夕日に影は映らない。
夕日に影は映らない。 長宗我部芳親 @tyousogabeyoshichika
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