(7)
『……随分と手回しのいいことだね、香菜子くん』
スマホのスピーカーから響く、柔らかく穏やかでありながら地に根を張ったような声。あの公園での声。
紛れもなく藤木和弘H県警察本部長のものだった。
『後学のため、私がここに居るのをどうやって確認したのかもご教授願えるかな?』
『2年ほど前に、お義父様のスマホも機種変更されましたでしょう? あれ、
鈴が鳴るように涼やかな、かつさざ波のように淑やかな、しかし、独裁者の演説のような、若い女性の声。
やや芝居がかっているのは、地か、それとも高揚しているのか。
これが、藤木香菜子か。
『ますますもって用意周到なことだ。で、ここまで周到な君が、今、何故ここに居るのかね? おそらく2、3日中には逮捕状が請求され指名手配されるだろう。逃げるなら早いほうがいいんじゃないのかな?』
『令状なしで緊急逮捕されると思いますわ。今さっき撃ってきましたもの』
若干の間が空いた。その後に流れる音声は、沈んでいた。
『これで4人、か。手にかけてほしくはなかったがね……』
『襲われたのだから仕方ありませんでしょう? ガラの良い方ではありませんでしたが、殺しは不慣れだったようで助かりました。こちらは銃を持っていると知っていたはずなのに、随分と油断してくださいまして』
藤木に対して、香菜子の声は何の変化も感じられない。
『徳親会の吉岡さんから、かな。極端に久七島信仰が強くてこちらの話を聞いてもらえない。困った御老体だよ、要らない手回しばかりを勝手に強行してくれる』
嘆きつつも、藤木の声が珍しく苛つきを見せた。苛つく様は香菜子にとっても意外だったらしく、声の抑揚が若干大きくなる。
『あら? やっぱりお義父様の指示ではなかったのですか。そうすると、一昨日に学者さんが集団暴行にあった件も?』
『竜河
やはり
『それにしても、随分と捜査情報が筒抜けでしたわね? 責任者としてはいかがなものでしょうか? 思ったよりも捜査が進展しないものだから、
『捜査情報については吉岡さんが境くんのお嬢さんを盾に取るとは思わなかったからだが……まあ、どちらも釈明の余地は無いね』
『盾に取る?』
『捜査本部の責任者の娘さんが徳親会病院にかかっていてね、人工透析が必要なんだよ』
香菜子の声に、初めて変化が現れる。
音階が下がり、温度も下がった。
『そのクズから消していくべきだったかしら』
血の通わぬ声に、柔和な声が応える。
『じきに逝くだろうさ。長生きにも限度はある』
柴塚の神経が痺れる。皮膚がざわつき、後頭部から背中へと何かが走る。
二人とも、言葉を選んでいない。
似たような感覚を持ったのだろう、長谷川が苛立たしげに吐き捨てる。
「どこだ? どこで話してる!?」
あるのはネットの動画投稿サイトのライブ配信のみ。二人が今どこで話をしているのかは、ここからは分からない。場所を特定できるような単語を混ぜ込んで話してくれれば可能性はあるのだが、普段ならその程度はしそうな藤木がする気配がない。
嫌な感覚だけが刻一刻と膨れ上がっていく。
一体どこに……
【藤木香菜子に選択肢は無い】
……その通り。彼女には親交がある者もなく、頻繁に通うところもない。
【藤木香菜子は藤木本部長と相対している】
その通り――本部長の元へ行っている、なら本部長は?
【県警本部はさすがに考えられない。それに今日は盆の入り、休暇が取られている可能性も高い】
プライベートの行動範囲など見当もつかん!
【『ここにも色々仕込んでいる』】
は?
【香菜子の発言。位置追跡アプリをスマホに仕込んだと暴露した後。ここはスマホではなく場所を示していると思われる】
それはそうだが?
【香菜子は藤木本部長を誘い出したのではなく、位置を確認して訪れている。つまり、藤木本部長の
盗聴器か何かは知らんが、藤木本部長の生活圏内で彼女が度々入り込んでも全く不自然ではない場所、か?
【単純に、義娘が度々訪問するのは?】
弾けるように柴塚が駆け出す。「おい!?」「柴塚君!?」と叫ぶ長谷川と高城を背に車に飛び乗り、警告灯を回しながらエンジンをぶん回した。
スマホはライブ配信につないだままホルダーに押し込んで固定、記憶の中から住所を引っ張り出す。
赤井が入手してきた久七島関係者リスト。H県政財界の主要人物が並ぶ中にあった住所。
跳ね上がるエンジン音。それに負けない罵声を無線が吐き出した。
『柴塚ァっ!! 勝手すんなと何回言わせれば気が済むんだお前はァっ!!』
「自宅です、課長!」
怒髪天なのが明白な赤井の声に、柴塚が怯まずに返す。
『あ!?』
「藤木本部長の自宅です! そこに二人がいます! 至急手配願います!」
『ちょ、待、お前何――』
「藤木香菜子には交流がありません! 現在親交があるのは義父である本部長のみ! 先程の音声にあった『色々仕込んでいる』、それが可能かつ彼女に有益な場所の第一候補は義父の自宅です!」
『はあァ!?』
一方的に言うだけ言って柴塚は無線を切り、スマホの音声へと耳を集中する。
スマホからは藤木の溜息が聞こえてきた。
『結局、君が全て手を下したんだね』
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