(3)

 隔離隠蔽しようとしているところに、所轄の一巡査部長が爪をかけている。その事実は、境がもうすでに捜査の制御を失っていることの証明に他ならない。

 その事実を叩きつけられて、それでもなお、境は首を縦に振らなかった。


「……許可できない」


「何故ですか?」


「君こそ何故かね? 柴塚君。何故藤木香菜子に固執する?」


「最も可能性が高いからです」


「その根拠は?」


 柴塚が止まった。

 榊のメールについて暴露すれば良い――のだが、それは藤木本部長県警のトップが捜査を恣意的に動かしていることの暴露でもある。

 それは即ち、H県警察そのもの醜聞でもある。その点に理解が及び、かつそれなりの分別を、不本意ながら柴塚も持ち合わせていたらしい。


「根拠もなく――」


「無くはありません」


 境の反撃を遮ったのは、柴塚ではなく長谷川だった。


「長谷川警部補……」


「廃工場の被害者の佐々木は、藤木香菜子の夫で医療機器メーカー営業の藤木裕司と癒着していました。藤木裕司は隠蔽が非常に甘く、妻の香菜子が察するのは当然、むしろ自分から語ったとすら考えられます。これは、佐々木をしておびき寄せるのにもってこいの情報ネタでしょう」


「長谷川警部補、それは君の想像に――」


「事実!」


 境の介入を長谷川が一喝で弾く。


「佐々木は病院の備品からスキサメトニウムとジゴキシン、筋弛緩剤に強心剤を持ち出しています。重篤な不整脈を引き起こす併用禁忌の組み合わせです。だったのでしょうが、結局殺害されて犯人ホシに奪われた。なお、榊巡査殺害に使われた薬品がこの2種だったことは鑑識で確認済みです」


 境が押し黙った。

 元々は、県警本部長の身内の不祥事のため、捜査の妨げになることを恐れて伏せてあった情報手札だ。しかし、いうなれば所詮は身内の不祥事、と比べられるものではない。

 故に、長谷川がここで手札を切った。


 応えない境の様子に、会議室内のざわつきが大きく、騒然の一歩手前まで膨らんでくる。

 柴塚と長谷川が立て続けに手札を切り、会議の流れが柴塚達側へと引き込まれていく。重ねて注ぎ込まれた濁流が、流域自体を作り変える。

 それでもなお、自身が築き上げてきた砂上の楼閣が流砂に埋もれても、ただ独り残されても、なお境は退かなかった。


「許可できません」


「管理官!」


「許可出来ない! 君たちの言ってるのは推論だ! 仮に容疑者が女だとしても、藤木香菜子であるという証拠は無いじゃないか! 事情聴取したいんだったら確固たる証拠を持ってきたまえ!」


 机に拳を叩きつけて、境が吠えた。

 これまで、どちらかというと冷静な皮肉屋といった風情だったのが、この瞬間、豹変した。今、柴塚たちの目前にあるのは、さながら自爆覚悟の特攻隊のごとき形相の男だった。


 室内が静まり返る。柴塚も、長谷川も、たたらを踏んだように勢いを殺された。柴塚が胸の内で困惑する。

 何がそこまで?


「……境管理官」


 水を打ったような室内に、野太いが穏やかな声が広がった。

 名を呼ばれた境が振り返り、赤井と目を合わせる。


「赤井警部?」


「貴方には貴方の事情があり、譲れないだろうと承知もしています。捜査本部を預かる責任者として、事件解決へ進める責務があることとの板挟みは、さぞかし苦しいものだろうとは思いますが……」


「何の話を?」


 意図の見えない赤井の口上に、境の眉間が不審げに歪んだ。

 いや、意識していないところで先を予見しているようだ。

 その目が、怯えている。

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