(8)

「『話相手に飢えていて、人の姿が見えればとにかく話しかける』?」


 高城が引用する藤木裕司の言い分に、鍛治谷口が苦笑した。


「その通りでしたね。こちらの様子を見る気配があまりなく、ほとんど一人語りです。下手すると、相手は相槌を打つだけの存在になりますね」


「藤木裕司の談、か?」


 赤井が確認しに来て、長谷川が応える。


「はい。容姿も含めて特徴が一切ない、『何から何まで普通』の女性だと。外出を好まず基本的に在宅、人付き合いも無く訪れる友人も無し。2日も5日も藤木裕司は不倫相手と外泊しており、曰く『家に一人でいたんだろう』と言っています」


 報告を聞いて、赤井は腕を組んで軽く唸る。


「うーん、藤木香菜子のアリバイが成立しなかったのはこっちの推論読みどおりにしても、じゃあ任意で引っ張るのさえ無理だな」


「榊くんのメールと合わせたら?」


「それにしたって弱いだろうよ。結局のところ物証も無けりゃあ証言も無え。アリバイが無いだけで被疑者扱いできるかって撥ねられるわ」


 鍛治谷口の提案を即答で却下する赤井。実際、至極もっともな意見である。

 さらに高城が付け加える。


「それに、捜査本部の認識は未だに被疑者は男でしょう。そこを論破できるだけの手札ロジックがありません」


 赤井がガシガシと乱暴に頭を掻いた。


「だぁぁぁ、亀どころか田螺たにしみてえな歩みだなちくしょう、とにかく物証――は期待薄だがせめて証言だ証言! それと女の力でも殺せるっつう理屈が要る、も一遍視点を変えて現場を洗ってこい!」


「はい!」


 部屋を出て、叶署を出て、二手に分かれる。長谷川と高城は廃工場へ。そして柴塚と鍛治谷口は高架下へ。


 夏の夕暮れは遅い。そのうち定時上がりの勤め人たちがビルから吐き出され始める頃合いになるが、爛々らんらんたぎっている陽はまだ雲の隙間からばっちり視認出来た。藤木裕司の勤め先を訪れた際にはシェルターのようだった厚い雲が、風の気まぐれにでもやられたか、所々に切れ目が入った状態になっている。

 ただ、雲の層が薄くなったわけではないので、汚れた漆喰の壁のひび割れから太陽が覗いているような、正直よく分からない天候になっていた。なお、いわゆる天使の梯子と呼ばれる気象現象になっていると思われるが、差し込む陽光が力強すぎるため、残念ながら美しさは感じ辛い。


 柴塚の運転する車が、熱射線を切り破るように疾駆する。例によって、公園地下の公営駐車場に駐車して地上に出た。

 陰の中。

 夏とはいえ太陽も西へとずいぶん傾き、高台の公園自体が遮蔽物となって、出口辺りを黒く染めていた。仰ぎ見れば陸亀の甲羅のごとき石垣も暗く、黒く姿を変え、松も陰影のコントラストで生き物のような威圧感を放って高台の根元を囲っている。

 否、高台が松を従えている。


 廃材を積んだ鉄製コンテナバッカンやら一輪車ネコ車やら土嚢袋やらが散見され、工事中で変わらないのに、奇妙な自己主張が公園から感じられる。日が陰るとこうも違うものか。


 ささやかな感慨を抱きつつも全く歩調を緩めること無く、柴塚は高架下の現場へと直行する。

 が、目的地を前にして唐突に立ち止まった。


【おかしくはないか?】


 頭の片隅から疑問が呈される。

 反射するように思考を返す柴塚。


 ――違和感がある。いや、ここから見える現場に変化は無い。現状はちゃんと保存されている。そうではなく……


【今まで何も見つからないのは、おかしくないか?】

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