(2)

「まあ、とにかくネットの方はちと難しいっちゅうことで。もうちょいヒントが出てきたら、もう一度いっぺん声かけてや。で、図らずも本日非番となった薫ちゃんはこれからどないするん?」


 吸い終わった加熱式煙草のスティックを捨てながら、小野寺は顎で柴塚を指してきた。

 合わせるように灰皿で煙草をもみ消しつつ、柴塚はしれっと答える。


「出て来なくていいと言われたからな。一度帰ってからでもするさ」


「散歩ねぇ。つもりなんやら」


「自由だろう? どこだろうと」


 違いないと笑って、小野寺は「ほな、計画的に有給を消化する俺は、今日発売の特典付きBlu-ray銀盤を買いに行くわ」と目を輝かせて去っていった。

 このご時世、有給を使わなくてもそこまでしなくても、それこそクリック一つで済む話なのだが、小野寺は買いに行くという行為自体を楽しむタイプなのだ。本人曰く「八大(八熱)地獄に新規追加される」程の炎天下の中でも、それはくつがえらないらしい。


 自身も喫煙場所から抜け出し、公園をざっと見渡して誰もいないことを確認し、自宅へときびすを返す。ほんの2、3分で、4階建てのアパートへ到着し、階段で2階へ上って、自宅のドアを開けた。

 玄関から廊下の先、台所で振り返る後ろ姿。まとめた長い髪が翻る。


「あ、お兄ちゃんお帰り」


 柴塚の妹、柴塚かなでの声がとおる。


「小野寺さんは帰ったの?」


「用事があるそうだ」


「あら。ブランチでも作ろうかと思ってたんだけどなぁ」


 残念がるというよりも、手順が狂って困惑したという風に腕を組む奏。


 仕草や口調は中性的でフランクなので親しみやすさが主張するが、容姿がそれを上回る勢いで女性らしいため、女慣れしていない男は気後れすることがままある。「軍人おまえの妹が何で貴族令嬢奏ちゃんやねん」とは小野寺の談だ。

 まあ、そのコミュニケーション能力の高さから、大抵の相手は実際話してみると一気に打ち解けることになるのだが。


「ま、いっか。お兄ちゃんは食べる?」


「これから出かける」


 柴塚服装スーツ姿に視線を一瞬置いて、は想定通りと言わんばかりに軽くうなずいた。


「だよね。後で作ったのを冷蔵庫に入れておくからね」


 そう言いつつも、「はい」と奏は小皿を差し出してくる。

 載っているのはトマトとゆで卵とハムを挟んだサンドイッチだった。逆の手には鮮やかなトマト一玉、何故かわずかに自慢げにかざしている。


「お隣の中村さんからのお裾分け。ご実家からたくさん送られてきたんだって」


 隣室の中村氏の夫人のことだが、ここに住んでいる柴塚よりも、の方が隣人とはるかに打ち解けているというのはいかがなものか。


 柴塚で人付き合い力に天地の差があることを差し引いても、どれだけ頻繁に顔を出しているかが窺われるというものだ。奏は進学した大学院の近くに部屋を借りており、そことこのアパートとでは地下鉄で数駅は離れているのだが。

 もっとも、柴塚の部屋を管理するにあたっては必要なことでもある。柴塚は『片付けられない人』というわけではないのだが、致命的に無頓着で、かつ自宅を空け気味にすることが多い。結果として、人が住んでいる気配の無いまるでのような雰囲気の部屋になってしまうのだ。


 ハムと適度な厚みにスライスしたトマトを重ね、さらに、潰したゆで卵にマヨネーズとマスタードを絡めてまとめたものを重ねて挟んだパンが一口大にカットされている。

 缶コーヒーだけの朝食で誤魔化していたので、柴塚はありがたく頂戴した。


 挟んだ具材フィリングのちょっとした重さで、胃が適度に膨らむ。

 トマトの瑞々みずみずしさで、茹だる熱気が洗い流される気がした。


「ごちそうさま」


 空いた皿を返すと、代わりにアイスコーヒーが差し出されてくる。それも一息に飲み切って返した。


「残りは全部トマトソースにしておくね」


 空グラスを引き取りつつ、奏は「そのままでも食べれる味にしとくから」と付け加える。

 柴塚がいちいちパスタを湯がくようなまねはしないと見通されているわけだ。実際その通りで、やってもせいぜいトーストの上に乗せる程度が限界の柴塚は、素直に「助かる」と応えた。


「遅くならないうちに帰れ」


「分かってるよ」


 後はまかせて出て、柴塚はアパート隣の駐車場で黒いスイフト自分の車に乗り走り出した。

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