2.四日前(2)‐ i

 署内は設定高めとはいえ空調エアコンが入っているので、外から戻った瞬間は大きく息をつけたが、今一つ明るくない廊下を進むうちに間もなくあっさりと慣れてしまった。


 装備係へと戻る小野寺と別れて、柴塚は榊を連れて3階へと向かう。


 節電という名目で間引かれた照明の下は、元から灯りのない所とは違ったおもむきで、人工的な陰鬱さが住み着いている。何とか人一人すれ違える程度の幅の、くすんだ愛想のない階段を昇りつつ、柴塚は予想を修正していた。

 榊が伝えてきたのは、刑事第一課自分たちのデスクがある2階でなく、3階の会議室。それも課内のメンツを集める程度の大きさの会議室ではなく、教室型に机を並べて最大90名収容できる叶署内で一番大きい部屋だ。


 てっきり、絞殺事件の捜査を県警本部に渡す話かと想像していたが、その割にはそれだけにしては規模が大きすぎる。所轄こちらの顔を立てる形で、捜査本部を設立する話にでもなったのだろうか。


 委細は不明だが、いずれにしても初動で結果を挙げられなかったのは痛い。

 県警本部が出張る以上、普通に主導権仕切り役は本部だが、成果無しでは所轄の肩身が狭いことは間違いがない。刑事課長上司の赤井もさぞ苦心したことだろう。


 そう思うと柴塚の気もやや沈んでくるが、結果は結果、事実は事実。逃げて状況が改善するわけもない。

 そもそも、為すべきことは叱責からの回避ではなく、犯人ホシを挙げることだ。


 意識をさっさと切り替え、3階の大会議室に着いて扉を開ける。

 湿気た空気に微妙な熱気。発生源が人間だと、湿気も熱気も外とはが違うらしい。他意のない外気とは異なり、こちらを認識したと言わんばかりに取り囲んでくる。


 奥が上座でこちらを向いており、既に叶警察署刑事第一課課長の赤井あかい伸之介しんのすけ警部が着席していた。その隣――というには部屋の壁際に寄っているが――に署内のパソコンで記録を取る書記担当が一名。

 そして、逆隣に細身のスーツ姿が一名、薄い眼鏡の向こうに同じく薄い、そして鋭い目を光らせている男がいる。


 見ない顔。これが本部からのか。


 同様に、部屋の右側、奥から手前までの机に見覚えのない後ろ姿がずらりと座っている。こちらも県警本部からの人員なのだろう。

 一方、その他の机には叶署こちらの同僚が並んでいる――いや、。刑事第一課の全員が動員されているだけでなく、同第二課の顔まであった。


 ほんの一瞬、怪訝そうに立ち止まった柴塚へ、それを見逃さず赤井が怒鳴りつける。


「柴塚ァっ! ぼさっとしてんじゃねえ、さっさと座れ!」


 いつも通りの口調の中ににじむ不機嫌さを察して、柴塚はさっと頭を下げて速やかに足を運ぶ。そして、前の方の空いている席へ着き、その後ろの席に榊が着いた。


 隣席へと軽く頭を下げたが相手、刑事第一課強行犯係長の長谷川はせがわ雄一郎ゆういちろう警部補は一瞥しただけで前を向く。

 彼は県警本部からのと印象が近いが、似た装いと眼鏡のせいだけではなく、も近しいからだろう。もっとも、着やせする長谷川はほど細身ではないが。


 長谷川は柴塚と元々良好な関係とは言い難いが、自身が捜査中の案件もある最中に別件で引っ張り出されれば、おもしろくないのも仕方あるまい。それも柴塚のとばっちりでだと思われていれば尚更だ。逆の立場であれば、柴塚とて快くはないだろう。


 柴塚の後にも署員たちが会議室へ到着し、一様に目を丸くして、時折は赤井課長から叱責を受けながら、空席を順次埋めていく。一課だけでなく二課のメンツまでそろったところで、赤井が咳払いを一つした。


「あー、刑事第一課の赤井だ。各自案件ヤマを抱えているとこ申し訳ないが、県警本部からの要請で、ウチに捜査本部が立てられることになった」


 微かにざわつく室内で、納得半分疑心半分の柴塚は無言かつ微動だにしない。その対となるみたいに、赤井の口調は「なった――んだが、な、それが」と実に歯切れが悪かった。

 ざわつきの中には様々な感情が入り交じっていたが、赤井の反応から、徐々に怪訝そうにする雰囲気の割合が増えてくる。それを見て取ったかのように、赤井の横から手と声が差し込まれた。


「赤井警部、ここからは私から説明しましょう。叶署の皆さん、H県警察本部刑事課管理官のさかいつよし警視です」


 叶署からの出席者側の動揺が大きくなった。柴塚の目も少し見開かれる。

 予想の範囲内ではあった――範囲内のパターンでは最も大げさな部類ではあったが。


「現在叶署で捜査されている鉄道高架下絞殺事件ですが、周知の通り、被害者が現職の副市長の親族であることが報道機関マスコミに大きく取り上げられ、進展しない捜査から警察への不満も散見されています。そこでH県警察本部としては――」


 そう、そこまでも柴塚にとっては想像の範囲内だったのだ。

 それはおそらく、大なり小なりの差異はあれども、叶署員の全てがそうだっただろう。事件発生からまだ一週間少々だというのに『進展しない』とは随分な物言いだ、という思いとともに。


 が、だった。

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