1.四日前(1)‐ vi

 声をかけながら、こちらも「暑っ」とこぼしながら、柴塚へと近づいてくる。


「柴塚主任、赤井課長が呼んでますけれど……」


「何だ? さかき


 語尾を濁しながら横へ並んできた叶警察署刑事第一課強行犯係のさかき京吾けいご巡査へ小さく、しかし鋭く問う柴塚。

 榊の声も小さくなる。


「県警本部から団体さんが来まして」


「それが?」


「いや、赤井課長が聞いてないって軽くモメてるんですよ。どうもの方は話が通ってたみたいなんですけれど」


「通ってたのか?」


「それは、まあ……ただ、今朝の話なんですよ、本部からウチの上に連絡があったのは」


「今朝て!」


 横で聞いていた小野寺が驚いて声を上げた。

 柴塚も怪訝そうに眉をひそめる。

 時間はまだ午前10時半過ぎ。すでに人員が到着したということは、事前の打診ではなく、準備が全て整ってからの一報、要するにだったということだ。


 県警本部がそこまで急ぐ案件があっただろうか?

 榊の話からして、県警本部の人員の目的は刑事第一課だ。課長の赤井が噛みついているのだから間違いはない。

 そして、刑事第一課内で本部が乗り込んで来かねない案件はあったか。政治的要素が含まれるか、社会的に注目を集めているか、案件と言えば……。


 天を仰ぐ柴塚。


 柴塚が担当している、が弟を殺害され、さらに何故か絞殺事件がまさに当てはまるではないか。

 というか、それ以外には心当たりがない。

 やや下方から手が伸びて、柴塚の肩へ乗る。


「ちょっと目立つ事件ヤマの担当は災難やな」


 先の会話での自身の言葉を再使用リユースする小野寺に、柴塚は無言でため息だけ返した。「しゃーないて、薫ちゃん。行こか」と言って今度は背中を叩いてくる小野寺に促されながら一歩を踏み出したところで、ふと思い出したかのように柴塚が小野寺へ顔を向ける。

 実際、ふと思い出したのだ。があったことを。


「小野寺、さっきの話だが、『』とは何だ?」


「ん? ああ、さっきの犯行声明の話のヤツか? 家紋や家紋、戦国武将の旗とかにバーンと描かれとったりする、アレや」


「家紋?」


「色々あるねんけどな、今回のはなんやと」


 空中に片手で描く素振りをしてみせて、「三本ぐらいまでなら種類も多いけど、七本はちょい珍しいんちゃうか? 図案の画像は見当たらんかったが、そもそももんやから当たり前やな」と、小野寺は軽く苦笑いした。


 引両紋、七本、珍しい……。


 キーワードを脳の倉庫へ収納する柴塚。

 捜査に少しでも関わった情報については、関連度が高かろうが低かろうが関係なく、とりあえず片端から倉庫に残すことにしている。

 その上で、追加した言葉を振り返ってみた。


 ……違うな。

 表情には出さずに、柴塚は心の内だけでため息を漏らす。


 この事件の捜査を始めて以来、どうにも気になることがあった。

 何かをような気がする。

 重要な何かを見落としていると。あるいは思い込み、勘違いをしていると。

 しかし、そんな気がするだけで、では何を見落としているのかとなると皆目見当がつかない。に問うてみても、質問の意味が不明、もしくは情報不足と言われるだけなので、目下は片っ端から情報をかき集めているわけだ。

 今回は何かしら意味ありげな言葉だったので、気付くきっかけになるかと少し期待したのだが、残念ながら空振りだったらしい。


 どうにも分が悪い。

 それが柴塚の感触だった。

 初動は黒星。相手ホシどころか被害者ガイシャの足取りすらまともに辿れない有様だ。

 まるで姿形が見えてこない。向こうは犯行を隠す気もない――どころか、れ見よがしに展示しているというのに。


 昔のSF映画で、姿の見えない宇宙人エイリアンに一人、また一人と殺されていく話があったが、心境としてはそれに近い。

 そう、この街に巣くう上位種に捕食されているみたいだ。


 夜のかげに溶け込む、夜と区別のつかない、何かナニカが、居る。

 この街のどこかに。


 だる重い空気を掻き分けるように足を進めながら、柴塚はちらりと空へと目を向ける。

 染み一つない濃い水色を誇る嫌味ったらしい空に、落ちてこないのが気持ち悪くなるほどに分厚く肉々しい積雲が点在している。

 今この時、が主役で、自分たちは脇役。

 圧し潰されそうな存在感。


 そしてその奥、彼方には大将と言わんばかりに積乱雲がそびえる。その直下は悪天候のようで、薄墨を悪戯いたずらに重ねまぶしているみたいに見える。


 そう、その下だけが夏を穿つように暗い。


 いずれこちらへ来るのかもしれない。


 柴塚のこめかみから頬へ、汗が伝って落ちた。

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