第29話
簡単に近づくことができなくなった遺体が埋められている場所は、イーサンからの報告で判明しているが、ノーラが最後に足を運んだ場所に関して、カサンドラはまったく見当が付かない。
(休憩場所があると学園長は言っていたけれど……)
ハルトヴィンとナディアの密会を知った週も終わり帰宅し――休みの最終日、学園へと向かう馬車の中、積み込まれたクッションに体を預け、磨かれたガラスがはめ込まれた窓から外を眺めていると、大きな袋を肩から提げている、ジゼルの後姿が見えた。
(こう……なにかが足りていないのよね。わたくしも、ホルスト一族も……あら?)
「……馬車を止めなさい。ファラン、あの者を乗せて」
「かしこまりました、カサンドラさま」
普段であれば気にせず通り過ぎるところだが、できるだけノーラに近い人間から情報を集めるという目的で、ジゼルを馬車に連れてくるよう護衛のファランに命じた。
「ありがとうございます」
「気にする必要はないわ。わたくしの気まぐれだもの」
いきなり知らない人物に呼び止められ驚いていたジゼルだが、カサンドラからの使いだと知り、恐縮しながらも馬車に乗り込んだ。
「家から歩いて来ているの?」
「いいえ。乗合馬車を使っています。学園にもっとも近い停車場で降りて、そこから歩くんです」
「乗合馬車?」
「馬車を持たない民の交通手段です。走る道や乗降場所が決まっていて、料金さえ支払えば誰でも乗ることができ、目的地の近くまでは行けるというものです」
聞き馴染みのない単語にカサンドラ首を傾げると、フォルランが答えた。
「あら、面白そうね。今度乗ってみようかしら」
そんな話をしていると、馬車は学園の正面玄関を抜け、馬車止めに入る。玄関正面には先客がおり、その馬車が移動するのを待っている間に、
「ありがとうございました」
「ありがたく、もらっておくわ」
ジゼルは礼を言って馬車から降りた。ジゼルが少し遠ざかったところで、フォルランが口を開く。
「テシュロン学園の外周は、乗合馬車のルートから外れています」
「どうして?」
「貴族の馬車が頻繁に通るからです。乗合馬車は貴族の邸が建ち並ぶ区画を走行しません」
カサンドラに馴染みがなくて、当然のことだった。生活の範囲内に、乗合馬車がないので目に入らなかったのだ――王都であろうが、領地であろうが。
「テシュロンの外周は貴族街と同じということ?」
「はい」
そんな話をしている間にも、カサンドラが乗る馬車の後に新たな馬車が並んだ。これほど次々と貴族の馬車が通る道を、庶民が乗る乗合馬車が走るのは難しい。
「学園からもっとも近い、乗合馬車の乗降場所……いえ、ノーラ・アルノワの実家から学園までの乗合馬車の乗降場所を、すべて記載した街の地図を用意して」
「畏まりました。すぐに用意できますので、学園にお持ちいたしましょうか?」
「すぐに?」
「はい。クルト殿の元には、それらの情報もありますので」
フォルランによるとマクスウェル百貨店のお得意様用の馬車を走らせるのに、乗合馬車の時間やルートを調べておいたほうが、トラブルが少なくなるのだと。
「アルノワの娘が住んでいる区画は、マクスウェル百貨店の顧客がいるところですので、まちがいなくクルト殿が情報を所有しております」
馬車同士のトラブルなど経験したことのないカサンドラだが、そういうものなのだろうと、
「そうね。用意が出来しだい届けて」
「はい」
カサンドラが降車する順番になり――領民たちの出迎えを受けながら、寮の部屋へと戻った。
フォルランは言った通り、翌日の朝にはテシュロン学園とノーラの自宅までの乗合馬車のルートと、時間を網羅した資料をカサンドラの手元に届けた。
カサンドラはその日の授業が終わるとすぐに部屋へと戻り、乗合馬車の走行ルートや、時間の間隔などが書かれた書類に目を通す。
(おそらく、この情報は、ホルスト側も知っている。でもここから、なにも情報は得られなかった……要するにノーラは乗合馬車に乗車していない)
無駄なことを調べた……と地図を畳もうとしたカサンドラだが、ふと昨日、馬車内のジゼルとの会話を思い出す。
「学園の西にも出入り口があれば楽なんですが」
「住んでいるのは、そっちなの?」
「はい」
貴族街と富裕層が住んでいる区画はテシュロン学園の正面玄関から見て西側。カサンドラは馬車で移動するので、とくに気にしたことはなかったが――乗合馬車の停留所まで徒歩で移動する者にとって、出入り口が西側にあったほうが”楽”ということ。
(ノーラが埋められている場所は、学園の西側。敷地内を横切ったほうが、外周を通るよりずっと近い…………あの日は雨だった。あの日、ノーラは早く帰宅したかったから、学内を抜けて帰宅しようとして、事件に巻き込まれた、と考えるのが、もっともしっくりくるわね。まあ、しっくりが正しいとも限らないのだけれど)
行方不明になった当日、雨が降っていたので近道をした――
(ありそう。きっと……でもそうなると、守衛の証言が。あとバレッタの問題も)
カサンドラは今度こそ、フォルランが持ってきた地図を畳み、机の引き出しにしまい、紫水晶のインタリオ細工のバレッタを外して、ベッドに倒れ込む。
「あと少し……という実感はあるのだけれど、そのあと少しがなんなのかが分からないのが、もどかしいわ」
カサンドラは白い壁紙が貼られた天井を眺め――暗紫の瞳を一度閉じ、次は意識して目を開く。
「なんで、お前がいるのかしら」
寮の屋根の上に、おかしな恰好をしたトリスタンが立っているのを見つけた――もちろん、普通の人間には屋根の上など見えないが、神代の血を濃く引いているものならば、見ることができる。
無視したところで、部屋に押し入ってくるのは分かっているので、カサンドラは窓を開き、手だけ出して招く。
「久しぶり、姫さま」
「そうね」
学園内の敷地どころか、寮にまで易々と忍び込んでくるとは――呆れていいものか、称賛したらいいものか? 少し悩みながら、焼き菓子が入った棚を指差す。
「好きなものを食べなさい」
トリスタンは言われた通りに棚を開け、遠慮などという言葉は知らないとばかりに、大きな手で鷲掴みにする。
「ところでその変な恰好はなに?」
普段はバースクレイズの富裕層とあまり変わらないデザインの服を着ているのだが、今日はカサンドラは見たこともない、フード付きの膝まである上着らしきものを、すっぽりと被っていた。
とくにその上着の縁には、フリンジのように鈴が多数ぶら下がり、腹立たしいほどに涼しげな音を響かせている。
「民族衣装、試作品段階」
「その鈴がポイントなの?」
「さすが姫さま、お目が高い」
トリスタンが焼き菓子を口へと運ぶたびに、鈴が鳴り――
「それで、なにをしにきたの? まさか、その試作段階の民族衣装を見せにきたとでもいうのかしら?」
「それもある。でも一番の目的は、これ」
トリスタンは試作段階の民族衣装をまくり、しつけ糸がついている内側のポケットから、分厚い封筒を取り出した。
「ジローからの報告書。門の守衛に関しての報告書」
ノーラが学園から出たと証言した守衛に関し、ジローは注意を払って調査をし、その結果が出た。
「お前はもう読んだの?」
調査書をカサンドラに届けてくれと、彼らが頼んでも聞かないどころか、殺されかねないので、ジローは調査書をトリスタンに渡した。そして「あとは好きにするといい」と――目を通したトリスタンたちは、カサンドラに必要だろうということで、届けにやってきたのだ。
「読んだ」
「そう。わたくしは、後で読ませてもらうわ。実はね――」
調査書が自分の手に渡った経緯などどうでもよいカサンドラは、書類を焼き菓子の隣に置き、ノーラが埋められた場所に近づけないことや、先日の茶会で仕入れた情報を全て伝えた。
「死体を気にしていると思っていたが、そこまでするとは、小心者だな」
「死体なんてどうでもいいお前からみたらね。それで小心者を刺激すると、なにをするか分からないから、そこはそのままにしておくのだけれど……そろそろ夕食の時間ね。いろいろと話をしたいから、今週末自宅へ来なさい。お前以外の者を伴ってもいいけれど、イーサンは必ず連れてくるように。死体を運び込んだ者たちの意見を聞きたい」
カサンドラは立ち上がり、バレッタを付け直す。
「了解しました、姫さま。ところでこの民族衣装、どう?」
「刺繍したら? 無地に鈴だけは、なんというのかしら……民族衣装らしくはないわね」
「意見ありがとう。それでは姫さま、今週末に」
トリスタンは窓枠に足を掛けることなく、窓の向こう側に足をおく場所があるかのように踏みだし――そして消えた。
「鈴の音がしなかったわ……音を出さないで移動できるのなら、そうしなさいよ」
カサンドラは焼き菓子の隣に置いていた、報告書が入った封筒を枕の下に差し込んで、夕食を取るために部屋を出た。
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