第11話
水曜日の朝、やって来たのはメイベル。
「一年の頃のエーリヒ殿下は、在学していないのでもちろん存じませんが、二、三年の頃のエーリヒ殿下は、過ごし辛そうでしたね」
「あら? どうして」
「ハルトヴィン殿下が入学してきましたから」
ハルトヴィンはトーマス王の妃アグネスの子で、立太子された第二王子――いわゆる王太子。
「王妃がエーリヒを嫌うのは分かるけれど、ハルトヴィンがねえ」
食糧支援と引き替えに嫁いできた、オルフロンデッタ王国のアグネスは、王女にあるまじきひどい辱めを受け――ホルスト卿の取りなしがなければ、両国は戦争になっていた。
もちろん負けるのは、飢餓状態のバースクレイズ王国。
「あっ! ハルトヴィン殿下の悪口になって……」
「気にする必要ないわ。二人の仲も知りたいのよ。とくに次期国王ハルトヴィンと臣籍に下るエーリヒの関係は、知っておいて損はないわ。トーマス王の目が行き届かない学園内でのことというのは、トーマス王亡き後に起こる出来事の先取りだもの」
ハルトヴィン即位後にエーリヒを処刑するので、身柄を引き渡せと言われたら、ゼータ家としては黙って引き渡すのが一族の総意。
(黙ってエーリヒだけを処刑するなら見逃してあげるけれど、欲を出してトラブゾン領を望むのなら、それ相応の対処をしなければ。お父さまやお兄さまが、手配しているのでしょうけれど……)
「そうですね……ハルトヴィン殿下が嫌っているようでした……いろいろと、おありなのでしょう」
「エモニエシリーズとは違って、こちらは喋ってはいけないわ。でも、ハルトヴィンがそんな感じだとは、思ってもみなかったわ。良かったら、ハルトヴィンのこと教えてくれる?」
「ハルトヴィン殿下のことですか?」
「わたくし、ハルトヴィンのこと、ほとんど知らないのよ。婚約者のフレデリカから聞きたくても、フレデリカは茶会にほとんど参加しないし、本人も茶会を開きもしないから、情報が集まらないのよ」
カサンドラも最低限のことは知っているが、表面上、いわゆる当たり障りない公表されている部分だけで、私的な部分は全く知らない。
これはカサンドラだけというわけではなく、カサンドラと同年代の女子の大半は、同じようなものだった。
それというのも、情報源となるはずのフレデリカ――ハルトヴィンの婚約者で、未来の王妃なのだが、彼女の社交性と発信力が極めて低いのだ。
一応男性側は側近たちから、いろいろと聞いているが、女性は女性の目線で知りたいことがある。この世代でもっともハルトヴィンの情報を持っている女性フレデリカが、国内女性の頂点に立つものとして、情報を取捨選択して与える。
それは、婚約者としての役目。
カサンドラがエーリヒの将来に関して、注意を促すのも婚約者としての役目――もちろんカサンドラには、そんな気持ちはないが。
「フレデリカさまは、すごく静かな方ですものね」
平民のメイベルは、出来る限り言葉を選んだ。
「静かなのはいいのだけれど、必要最低限の会話は必要なのよ。フレデリカは未来の王妃でしょ? もっと自分で人を集めて、いろいろなところに知己を作ったほうが、いいと思うのだけれど」
”静かなのはいい”と言ったカサンドラだが、それは庶民に対する建前。
内向的な性格で、カサンドラたちのようなバースクレイズ朝以前から、その土地を治めていた古い貴族女性たちはもちろん、同じ王国貴族であるバースクレイズ朝が興ってから貴族になった、カサンドラたちから見ると新しい貴族たちにも、相手にされていなかった。
だが二代続けて外国の王女が王妃の座に就いたこともあり、次代国王の配偶者は国内貴族から選ぼうという声が高く、家柄と血筋と年齢を考慮した結果、ティミショアラ公爵家のフレデリカが最適ということで、王太子の婚約者として据え置かれていた。
「そういえば……フレデリカさまは、ほとんど学内サロンを開かれませんね。他の貴族の方は積極的に開かれていらっしゃいますけど」
「寮内クラブは?」
学園内で開かれる男女が語り合うのがサロンで、寮内で行われる女性だけ、男性だけの語り合いはクラブと呼ばれる。
「開かれたことは、なかった筈です」
「ふーん。王妃教育が忙しいのかしらね。あら、なかなか上手じゃないの、メイベル」
「お褒めに与り、光栄です」
髪の毛を少し捻り、校則の範囲内のアレンジを入れたハーフアップは、カサンドラの柔らかな髪質が最大限に生かされていた。
(王妃教育という名目で、王宮で逢瀬に勤しんでるのよねえ。秘めた恋とか思ってるんでしょうけれど、分からないはずないじゃないの。馬鹿な女よねえ)
フレデリカが王宮で逢瀬――婚約者ハルトヴィンではない男性と、密かに会っていることは、カサンドラも知っている。
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