第10話

「エーリヒの情報を集めていると思わせることができたようね」


 嫌われものの王の息子であるエーリヒだが、彼は自分の立場を理解しているので、大人しく学生生活を送っていた。


 そのためエーリヒに対して、不満を口にする者はほとんどいなかった――もちろん、エーリヒ王子の両親のせいで、親族の誰かが餓死したということはあったが、現在テシュロン学園に通っている生徒たちは、花害後に生まれた者ばかり。

 またバースクレイズ王国はあれ以降、大規模花害に遭っていないこともあり、ほとんどの生徒はエーリヒに対して無関心だった。


**********


 カサンドラは制服に着替えて、持ち込んだドレッサーの前に座る。


「エーリヒ王子に関して、とくには」


 月曜日、部屋にやってきてカサンドラの髪を結うのはジゼル。ブラシを手にカサンドラの髪を解く。


「そう。なら、他のことでいいわ」


 申し訳なさそうなジゼルに、カサンドラは鏡越しに微笑む――エーリヒ王子のことなど、本当はどうでもいいので、むしろこの流れのほうが良かった。


「他のことと言いますと?」


 ジゼルも顔を上げ、鏡越しに目が合う。


「話題がないのならば、わたくしに聞きたいことなどはない? 答えられる範囲で、貴族のゴシップでも、マクスウェル百貨店についてでも、教えてあげるわ」

「ええ! それは。うわー。なにを聞かせていただこうかな。お尋ねしたいことは、たくさんあるけれど。えーえー……そうだ! 月窓の季節限定メニューの復活はありますか?」


 先ほどまでの緊張がほぐれたらしく、ジゼルは元気な声で尋ねながら、軽快に手を動かす。


「月窓の期間限定メニュー? いつの?」


(そういえば、ハンス・シュミットと名乗っているアレも、期間限定メニューを喜んでいたわね)


「一昨年の夏のメニューです。わたし地方出身で、夏期休暇は帰省していて、戻ってきたら売り切れで、涙を飲むはめに。首都の子たちが、美味しかったって聞かされて」


 ジゼルの故郷には、期間限定メニューを扱うカフェはなく、数量限定ということに気付かず――その失敗を糧に、ジゼルは今年はしっかりと食べてから故郷に帰ったのだと、自慢げに語った。


「あら、それは残念だったわね。復活するかどうかは分からないけれど、聞いてあげるわ」

「わざわざ、ありがとうございます!」


 ジゼルのハーフアップは、まあまあ上手だった――貴族の小間使いになれるほどではないが、しっかりと実家で練習してきたと分かるできあがり。


「ふふふふ。期間限定メニューが復活したら、わたくしのお供をなさい、ジゼル」

「うわあ! こ、光栄であります!」


(長期休暇ごとに実家に帰って、毎週休ごとに町に出てカフェ巡りが趣味。月窓の期間限定メニューも全て制覇……ジゼルは富裕層の出身とみて間違いないわね。ということは、同学年だったノーラ・アルノワと知り合いだった可能性が高いわ。そういえば、ノーラ・アルノワの趣味は、なんだったのかしら?)


**********


「初めまして、三年のルチアです」

「よろしく」


 火曜日に部屋にやってきたのはルチア。


「カサンドラさまの瞳って、本当に暗紫なんですね」


 鏡越しにカサンドラの瞳をのぞき込む。


「そうね。神代の闇の王家の血を引いている証……とも言われているわ」


 ゼータ家は神代の頃から続く歴史の長い一族なので、神代の王家の血は、ほとんど引いている――最近では、百貨店を経営していた外祖父が名門貴族に入り込もうと、帝国を真似て神代の闇の王家の血を引いてな女性を娶り、その娘をゼータ家に嫁入りさせた。その娘こそが、カサンドラの母親である。

 ”引いていそう”というのは、カサンドラの外祖父は神代の王家の血を引いておらず、神代の王家の血をある一定量引く者だけに分かる、血の共鳴を感じることができないので、外見がもっとも「それっぽい」のを選んだ。


「実はわたし、一年のモニカ・フロージアさまと知り合いでして」

「へえ。ああ、あなたそちらの出身だったわね」


 簡単な名前や出身地、学年のリストを作り、目は通している。


「はい。モニカさまは、神話が大好き……自己紹介でも、そう名乗っていましたが、とにかく大好きで、神代の血を引く御方と是非お話してみたいと」

「そうなの」


(薄らと引いている程度なのは、珍しくはないのだけれど)


 この学園内にも、神代の王家の血を引いている者は、濃淡はあれど数名いる。ただカサンドラほど血が濃くないせいか、共鳴を感じて居ない者がほとんどだった。


「こんなことを、お願いしてはいけないのかもしれませんが、モニカさまに声を掛けてやってくださいませんか?」

「分かったわ」

「ありがとうございます! それでエーリヒ王子のことでしたね。一年先輩で男子なので接点がなかったので、特には」

「まあ、そんなものよね」

「済みません」

「気にしなくていいのよ。そういうことが、知りたいのだから。ところで、モニカのことを詳しく聞かせて。貴族たるもの、話をする前に相手の情報を知っておくのは、大事なことなのよ」


 新興で弱小子爵の娘モニカとカサンドラでは、住む世界が全く違う――とくに警戒する必要もなければ、取り立てて親交を深める必要がなかったので、情報が少しばかりしかなかった。


「情報ですか?」

「あなたが知っていることでいいのよ。飲み物や食べもの、先ほど上げたこと以外の趣味でも」

「あ……ああ。モニカさまは、読書が好きです。エモニエのシリーズが特に」

「わたくしも、エモニエは読んでいるわ。あの王をこき下ろすところ、面白いわ。後編、楽しみよね」

「面白いって言っていい……んですかね」

「構わないわ。あれは元老院が庶民の不満解消の為に、風刺することを公認した小説ですもの」

「そうですね……後編、本当に楽しみです」


 ルチアのハーフアップは手際よく、きれいにまとめられていた――聞けば、あまり得意ではない同級生の髪を結うこともあると。


「わたくしの髪、結いやすかったかしら?」

「はい」

「結いづらい髪質とかあるのかしら? わたくし、自分の髪以外は触らないので、分からなくて」

「あー。ノーラ……あ、癖とコシが強くて多い髪は、やっぱり難しいですね」

「そう」


(あら、もしてして、ノーラ・アルノワのことかしら? だとしたら語って欲しかったわ。でも行方不明者のことを、無責任に喋らない思慮深さは良いわね。そしてノーラは髪が多くてコシが強かった……のかしら?)


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