第7話

 闇の女王――帝国においてのカサンドラ・ゼータの呼び名――を自宅に送り届けたハンス・シュミットは、滞在先のホテルへと戻った。


「帰ったか、トリスタンシュミット


 チェスを打っていた皺が深く刻まれている老人が、顔をあげた。年に似合わぬ眩いばかりの金髪を持つこの老人こそ、二代皇帝――退位した先の皇帝。


「はい」


 先代皇帝のチェスの相手をしているのは、ハンス・シュミットことトリスタンと同じく護衛を担当しているメリザンドで、チェス盤を前に頭をかかえている。

 先代皇帝はチェスが強かった。そしてメリザンドはチェスが弱かった。


「闇の女王との語らいは楽しかったか」

「それはもう。噂の喫茶店にも。噂以上に良い店でしたよ。帝国でも作りましょう、中二階の喫茶店。特別フロアありで」

「いいな。行きたかった」


 メリザンドはチェス盤を下げ――椅子に腰を下ろしたトリスタンは、闇の王女から依頼を受けたことを土産話のように語る。


「行方不明者の調査か」


 名目上は彼らは、先代皇帝の旅行の護衛だが、本当の目的はイーサンという部下を殺害しようとしたジョスラン・ギヌメールについて調べ、弱みを握って交渉を優位に進めようというものだった。


「イーサンを埋めようとした穴に、すでに放り込まれていた若い女の死体。あの穴もテシュロン学園の敷地内だったな」

「闇の女王から俺も話を聞いているとき、それが頭を過ぎった」


 殺されかけたイーサンだが、相手が殺人未経験者だったこともあり、致命傷にすらならなかった。

 勝手に死んだと勘違いした殺人未遂犯ジョスラン・ギヌメールは、イーサンを運び掘っていた穴に埋めた。

 その穴には既に先客がいたことと、ジョスラン・ギヌメールが非力だったこともあり、穴は浅くてかけられた土も僅かで窒息するほどではなく――死んだふりをして戦場を生き延びた経験のあるイーサンは、人気がなくなるまで待機して穴から這い出し、急ぎ仲間の元へと戻って対策を練る。


 渉外担当としてこの国にやってきた彼らは、いきなりの凶行に自分たちだけでは、この先交渉を続けてよいかどうかの判断を下せないと結論づけ――その日のうちに平民墓地から新しい男性の死体を一つ拝借し、イーサン代わりに埋めて帝国へと引き返した。


 帰ってきたイーサンたちの報告を聞いた三代目の皇帝は、とりあえず少し調べてみるかと言い出し――トリスタンとメリザンドがその任に立候補した。

 本当は一人だけだったのだが、どちらも譲らなかったので退位した二代皇帝が「連れて行く」とし、二人は先代皇帝の護衛という名目でバースクレイズ王国へやってきた。

 もちろん二人だけではなく、イーサンを含む当時の渉外担当者たちも伴っている。


「時期的にも辻褄はあうな。忍び込んで掘り返すか?」


 イーサンが埋められた穴の先客に関して、彼らは興味を持っていなかったが、その死体が交渉の相手となりうる公爵家の妾の娘となれば、話は別である。


「死体を埋めた場所に、まったく足を運んでいないのならいいが、殺人初心者はやたらと死体を埋めた場所に足を運びたがる」


 トリスタンが笑い、


「もう一年も経ったが」


 メリザンドも笑う。


「一年をどう取るかは、個人差が大きい」


 二人の笑いには侮蔑もなにも含まれていない、純粋な笑いで――知らぬ者が見れば狂気に近いものがある。


「ジョスラン・ギヌメールに気付かれないようにするためには、触らぬほうがいいであろう。なにせ|だ」


 二人の笑いなど慣れている先代皇帝は、否定するよう手を振る。


「そうですよね」

「その娘がジョスラン・ギヌメールに殺害されたという、明確な証拠を得ることができれば、更なる脅しに使える」

「協力してもよろしいですか?」

「闇の女王の誘いを断るわけにもいくまい。なにより、トリスタン。お前は言うことを聞くつもりなのであろう?」

「はい。カエターンが仰っていた通り、神代の血を引く者たちには、抗えません」

「我々も、神代の血を引いてはいるがな」


 先代皇帝カエターンは声を上げて笑い――


 カエターンの部屋から退出したトリスタンは、少しばかり後悔していた。


「死体についてイーサンに、詳しく聞いておくべきだった」


 殺されかけたイーサンは、ジョスランの過去を探し出すべく、数日前から別行動を取っていた。


「まさか、放置された女の死体と関わることになるとは、考えてもみなかったな」

「さて、では闇の女王に言われたことを、するとしますか」

「わたしも闇の女王に会いたい。何でも言うこと聞くからさあ」

「一回命令を完遂したら、聞いてくれると思う……でも、ゼータのお姫さまだからなあ」


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