第5話
(本当に、なにも手がかりがないのでしょうね)
ホルスト公邸から帰宅し、一人で夕食を取って入浴を終えたカサンドラは、部屋でノーラ・アルノワについて考える。
(エーリヒは知らなさそうよね)
カサンドラの婚約者エーリヒ第一王子は今年、テシュロン学園を卒業した。
そのエーリヒ王子とカサンドラは不仲――カサンドラはエーリヒ王子に対して無関心で、エーリヒ子はカサンドラのことを好いてはいない。
現国王トーマスが「真実の愛」などという戯言で、王国を滅亡させかけたこともあり、王子と婚約者の仲は冷たいほうが良いということで、この不仲はとくに問題視はされていなかった。
そうは言っても、財産を一つも持たず婿に入るエーリヒ王子は、カサンドラに対してある程度「ご機嫌」を取る必要があると周囲は考え、二、三ヶ月に一通ほどエーリヒ第一から手紙が届いていた。
カサンドラも一応は目を通したが――書くことが全くなく、苦労して一枚の便箋を埋めているのがあからさまだった。
もちろんカサンドラは、そんな手紙に返事を返すことなどしていない。
(わたしくしが庶民の失踪事件に興味を持つとは考えないから、書かなかった可能性も……校舎も違うからノーラ・アルノワのことを知らない可能性が高いわね)
テシュロン学園は男女が集う学園だが、校舎は男女別になっている。食堂やサロンは男女共用だが、エーリヒ王子は、食堂で食事を取ることはほとんどなかったと、カサンドラの知り合いからの手紙に書かれていた。
「さて……」
カサンドラはベッドに横になり――ゼータ家に多い緩やかなウェーブの朽葉色に、所々闇の王家の血を表す銀のメッシュが入った肩胛骨の下までの長さがある髪が、シーツに広がる。
(あの男、黒髪がベースで、所々に茜色のメッシュが入っていたから、光の王家の血をほぼ限界まで掛け合わせた……そうよね、あの共鳴はわたくしと正反対だからこそよね)
あの男ことハンス・シュミットのことを考えながら、目を閉じた。
**********
首都の王宮や貴族街を除外した一等地に建つマクスウェル百貨店。
白亜の四階建てで国内では高級百貨店の代名詞ともなっており、王室御用達でもある。この百貨店のオーナー、クルト・マクスウェルはカサンドラの母方の叔父。
カサンドラの母方は、曾祖父の時代に爵位を買った典型的な貴族だったが、祖父がやり手で娘をゼータ家に嫁がせることに成功し、商売はますます繁盛している。
その祖父は引退し――現在は社会的地位を得た成り上がりにありがちな、風光明媚な田舎で自分史の編纂をしながら余生を過ごしている。
「これが百貨店の馬車か」
「お前ねえ」
カサンドラと偽名の男――ハンス・シュミットは、マクスウェル百貨店がお得意様にだけ出す、純白地に金の蔓飾りという豪奢な無蓋馬車で百貨店の正面入り口のアプローチに乗り付けた。
ドアボーイが急いで馬車のドアを開け、二人と同乗していた付添人がまず降りる。
次にハンス・シュミットが降りてカサンドラに手を差し出す。
「お待ちしておりました、カサンドラさま」
到着を待っていた副支配人がやってきて、頭を下げ――カサンドラは手で下がるよう指示しする。
「なぜ、手を握ったままなのかしら?」
「迷子になったら困るだろう、俺が」
「お前が、ねぇ」
「そう、俺が」
馬車を降りた時に差し出された時、手を乗せたら気付けば握られていた。それも俗に言う恋人握りで。
「たしかに、お前が迷子になったら困るわね、周りの人が」
「周りは困らないだろう」
「帝国の文化ということで、受け入れてあげるわ」
「姫さまの慈悲に、感謝いたします」
カサンドラはハンス・シュミットと手を繋いだまま、希望の喫茶店「月窓」に入った。
月窓は中二階の広々とし開放的な作りで、モダンなテーブルや椅子が並べられている。そのフロアの中心からやや右にずれたところに、一段高い場所がありそこに設けられているのが特別席。
人目につく配置なので、異性の友人や知人などと会う際に使われる。
席についてから、ついて来た副支配人を下げメニューを選び、
「このが月窓の由来になっている、ステンドグラスよ」
店名の「月窓」を指差す。
精緻なグリザイユ窓が並ぶ中、一つだけアール・デコ窓があり、そのステンドグラスのメインが月だった。
「これが、狂う月か」
狂う月――禍々しい呼び名の理由は、このステンドグラスに月明かりが差し込むと、差し込んだ月の月齢よりも二つ進んだ月影が映し出される。
月齢11の月光が差し込むと、床に映し出されるのは月齢13が、月齢0の夜も月齢2が映し出される。
典型的な神代の遺物であり、他の神代の遺物同様、仕組みはまったく分からない。
百貨店は人が立てた建築物で――「月窓」は廃棄された遺跡から保護目的で持ち出され、専用に作らせた窓枠に嵌めたものである。
「ええ。お前たちが、壊そうとした品の一つよ」
「俺は止めたほうの子孫なんだ」
「そう」
月窓を持ち出したのはカサンドラの一族で、それを親族に貸している。
そんな話をしていると、注文した料理が届く。それらを堪能してから、カサンドラは口を開いた。
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