第17話 コンセプト・ビクトリー


「ハート・アングルス! ……ハート・アングルス!」


 対峙、即攻撃。スコラリス・クレスキトの動きは左に駆け出し速かった。サウスポーのスタンダードなボクシングスタイルに構えるウインドミルアッパー男に対し、右側に回り込む。そして遠距離攻撃を一撃。そしてタイミングをずらして、二撃目を放つ。

 

「おっと!」


 ウインドミルアッパー男は危なげなく、右のバックハンドブローで叩き落とした。

 二撃目もピボットターンして、背中側に回り込むクレスキトを正面に見据えて叩き落とす。

 ピボットターンとは前に出した足を軸にしてその場から動かず、相手を正面に見据えるため回転して向き変える歩法だ。


「こら! ボクシングで裏拳、反則だよ!」


「がははっ! ここはリングの上ではない。審判に助けてほしいなら、マッチメイクしてファイトマネーを用意させてプロモーターにお願いするんだな」


 ウインドミルアッパー男は急接近し、殴る!殴る!殴る! クレキストは避ける受ける受け流す。男は殴る殴虚殴る、少女は受ける! 的中、一歩さがる!

 再び軽快なステップで接近するウインドミルアッパー男。クレキストは顔に一発貰ったが、怯まずステッキで側頭部を狙う。


 ウインドミルアッパー男は首を竦め、丸くなって体当たりするかのようにして肩で受けた。肩といっても日本でいう首の乗る肩ではなく、欧米でいう上腕部の上部側面、つまりショルダーを差す。


「覚えておけ! 古来、ボクシングでガードといえばここだ」

 

 肩で受けるだけでなく、全身で攻撃を押し返す。クレスキトのステッキは弾かれた。これを手放さないとするため、クレスキトの軽い身体が仰け反った。

 そこに目掛け、ウインドミルアッパー男の左ストレートが迫った。


 弾かれた勢いを利用し、クレスキトは仰け反った。眼前をグローブと風圧が突き抜けていく。

 まだ攻撃が終わっていないと察したクレスキトは、倒れる勢いをバク転に利用して飛びさがった。

 今までクレスキトがいた場所を、ウインドミルアッパー男の右アッパーが通過していった。


 風圧で跳ね飛ばされるように、クレスキトの後退が大きくなる。

 思った以上に勢いがついてしまっため、クレスキトは着地でバランスを崩し、たたらを踏んだ。そこへウインドミルアッパー男のステップがぬるりと迫る。

 グルグル回された左腕から、大振りのストレート!

 これをまたもバク転で大きく避けるが、まだウインドミルアッパー男の攻勢は止まらない。


「ええい、もう!」

 

 クレキストは顔を真っ赤にさせて、スカートを抑えていた手を離した。

 もうスカートを気にしている場合ではない。

 

 無理にかわした態勢のまま、大きく足を上げる蹴りでウインドミルアッパー男の首を薙ぐ。続けて胴を捻って回り、逆足で男の横っ腹を薙ぐ!

 観衆が当たったと思って歓声を上げるが、ウインドミルアッパー男は股下まで頭を下げ、膝裏に頭が通るのではないかという異常なダッキングで躱していた。

 しかも、その状態でピボットターンをして態勢を変えた。そのせいで頭が膝裏を、抜けて行ったように見えた観衆もいたほどだ。


「うわ、キモチ悪ッ!」


 クレキストは回転しながら、ウインドミルアッパー男の動きを評した。

 無理な態勢で蹴りを放ったため、クレスキトは路面を転がりながら離れる。奇しくもその動きはブレイクダンスに似ていた。


 不気味なステップの後は、華麗なステップで追いかけるウインドミルアッパー男だったが、内心ではやりにくいと感じていた。

 転がって逃げるクレスキトの動きが、思った以上に洗練されているのだ。魔法で強化された足が下や横から薙いでくる。バランスを取るため振り回す腕とステッキも、軌道は読めるが、かといってまったく無駄でもない。


(──こいつ、我流だが大地を利用して見せるとは……即興でできるなら、異常な才能だ)


 世界最強の志太は、素人を相手するためボクシングスタイルという制限をかけている。ボクシングという格闘技は、こと殴り合いでは洗練され過ぎているため、そのままでも強い。なので、これまた腕をぐるぐる回すという手加減行動も含めていた。


 そんな手加減を重ねると、クレスキト相手に後れを取ってしまう。

 なにしろ洗練されすぎたボクシングは、転がる相手と戦うようにはできていない。志太ならできるが、洗練された上で人間を相手に想定されたボクシング……過去に戦った男の動きでは、対応できないのだ。


 もともといい感じに負ける計画なのでいいが、格闘家の血としてもっと戦って勝ちたいという気持ちが湧きあがってしまう。


 だが、それではいけない。


 ──これで、オレ様はいつも若い芽を摘んでしまったからな。


 ウインドミルアッパー男は咄嗟に拳を緩めた。

 地面を転がりながら、迫るウインドミルアッパー男へ肘や膝、蹴りを繰り出すクレスキトを潰してしまわぬように。


「転がりまわりやがって! この青いゴキブリが!」


 車道脇のグレーチングに向け、掬うようなアッパーを放つ。グレーチングとは雨水が流れ込む側溝をふさぐ鉄格子状のフタだ。


 一列に並んだグレーチングが、圧倒的なパワーで暴れる水道ホースのようにバラバラと跳ね上がった。

 その上を転がっていたクレスキトは、側溝の段差にハマらないように立ち上がることとなった。

 

 ウインドミルアッパー男はそこを逃さない。

 そしてクレキストもそれを逃さない。


 お互いが跳ね上がったグレーチングに向け──


 拳を

 ステッキを

 

 打ち付けた!


 発射されたグレーチングが、互いに迫る! 


 ──こいつ、同じことを考えた!


 クレスキトは驚き、ウインドミルアッパー男は喜んだ。


 吹き飛んできたグレーチングを叩き落としたが、合間を抜けて、クレキストの攻撃魔法ハート・アングルスが迫ってきた。


 驚いたことに、グレーチングをステッキで殴って飛ばすだけでなく、一緒にハート・アングルスを撃ちだしたのだ。


 偶然なのか狙ったのか、平たいハート・アングルスの弾は、回転しながら巻きあがったグレーチング合間を抜けてくる。


 想定していたやられかたとは違うが、これなら負けてもやってもいいか。

 スイングフックで隠れている口元を歪めてウインドミルアッパー男は笑った。 

 その顔にハート・アングルスが命中した。


(やるじゃないか)

 

「馬鹿なぁッ!」


 心中でクレスキトを褒めながら、ウインドミルアッパー男は爆散した。


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