第2話 常連さんな声
「えっあっ、なっ、つ……えっ」
「ご、ごめんなさい。驚かせちゃいました?……ふぷっ……」
先程までリラックスビルでラジオDJをしていた夏実さんが、僕の目の前で口を隠すように両手を口元にあてて、笑いをこらえるように小刻みに肩を震わせている。
目の前の夏実さんはシンプルな白いTシャツに夏らしい爽やかな薄い緑色のキャミソールを重ねて着ていて、下は少し幅の広いだぼっとしたジーパンに白いスニーカーを合わせている。
ここまで急いで来たのか背中に背負ってるリュックが少し肩からずり落ちている。
「あ、あ、あの、ぼ、僕に何か、よっ、ヨウデスカ?」
ああああぁぁぁ!緊張して口が思うように動かない!ただでさえ夏実さんが目の前にいてびっくりしているのに、こんなの恥ずかしくて穴があったら入りたい!
夏実さんの肩がさっきよりも大きく震えている。
声がもれないように両手で口をしっかりと抑えて、少しうつむいている。
リュックが肩の振動によってさらにずり落ちている。
「あの、急に話しかけてごめんなさい。その……よかったら少しお話出来ませんか?」
「あ?え、ぼ、僕と、ですか?」
「はい。えっと……あなたが良かったら、ですけど」
「え、え、えぇはい。全然だ、大丈夫です」
「はぁ〜良かったぁ。それじゃ、ちょっと歩くんですけど美味しいごはん屋さんがあるのでそこに行きましょう!」
夏実さんはほっとしたように口に当てていた両手を胸元までおろし、ふぅと小さく息をついた。
僕たちはここから6,7分位歩いた所にあるという、夏実さんがお勧めしてくれた洋食屋さんへ向かった。
普段ならあっという間にすぎる数分がとても長く感じた。
夏実さんが一生懸命話しかけてくれたのに、僕は緊張してしまいまともな返答が出来なかった。
あああ、せっかく夏実さんとお近づきになれるチャンスなのに!どうして、僕はこんなに意気地なしなんだ……。
そんな永遠に続くんじゃないかと思うくらい長くどぎまぎした地獄の数分間が経ち、目的の洋食屋へ到着した。
店の外観は女子大生がチョイスするようなおしゃれな外観というよりは、昔から変わらずある街の洋食屋といった感じで、こじんまりとした佇まいに年季の入った看板はLEDよりワントーン暗めの電灯が遠慮がちに存在を主張している。
さっきまでのラジオDJで映えるかき氷の話をしていた人がチョイスする店とは思えないな。
「ここのオムライスと黒カレーが大好きなんですけど、なかなか一緒に食べに来れる人がいなくて……。おすすめなので、ぜひ試してみてください!」
「え、あ、ああ、はい」
僕がぎこちない返事を返すと、夏実さんはお店のドアを元気よく開いた。
「こんばんはー!オムライスとミニカレーお願いしまーす!」
「はーい、いらっしゃい!なっちゃんは変わらず元気だね〜。……おや……まぁ、今日は彼氏と一緒?」
「彼氏、ではないんですけど、そこでナンパしてきちゃいましたぁ〜!」
「はぁーそうかい。ま、空いてる席に座ってちょうだい。で、彼は何食べる?」
「あ、えっと……じゃあカツカレーをお願いします」
「はいよ、カツカレーね。出来上がるまで少し待っててね」
夏実さんが「こっちに座りましょう!」と奥のテーブル席へ僕を案内してくれる。
夏実さんはこの店の常連なのだろうか。店の入口を一歩入っただけでこれだけのやりとりがあるなんて、普段一人で黙々とご飯を食べている僕にこの「常連な空気」はとても眩しい。
店内は外観の印象と違って奥が広くなっていて、カウンターと4人がけのテーブル席が4つある。
壁はシンプルに白くしているが、椅子がオレンジ色でテーブルが淡い黄色となっており、店員さんの明るさとビタミンカラーの座席が店内を活気づけている。
慣れている人にはいいのかもしれないけど、僕のような人間は少し居心地の悪さを感じる。
そんな店内に落ち着かずにそわそわしている僕と、注文したご飯がくるのが待ち遠しいのか夏実さんも店のおばちゃんからもらったおしぼりで何度も手を拭いたりと落ち着きがない。
しばらく待っていると、さきほど注文を聞いてくれたおばちゃんが「お待ちどおさま〜!」と言いながら、右手にオムライス、左手にカツカレーを持ってきてくれた。
そのあと一度厨房に戻り、それぞれスープとミニサラダもつくようで、ミニカレーと一緒にお盆に乗せて再度持ってきてくれた。
目の前のテーブルに並べられた料理の数々をみて、夏実さんの目がキラキラと輝きを増している。手には既にスプーンを持っていて、口が「い」の形で止まっている。
「す、すごい、美味しそうだね……」
「いただきましょう!美味しいですから!冷める前にいただきましょう!」
「「いただきます」」
夏実さんと僕は顔の前で手を合わせ、いただきますの挨拶をした。
夏実さんが早速オムライスをスプーンで
ハムスターのようにほっぺたをもぐもぐとさせながらオムライスを食べている夏実さんは「んー!」と小さく声をあげて幸せそうな顔をしている。
よく『好きなものには目がない』といった表現をするけど、夏実さんは読んで字の如く糸のように目を細め、美味しそうにオムライスを頬張っている。
ここは薄焼き卵でご飯を包んだ昔ながらのオムライスだが、中身はチキンライスではなくドライカレーなのだそう。
スプーンで薄焼き卵を破った時に中からふわっと湯気と共にカレーの香りが立ち昇ってきて、それがたまらなく食欲をそそるんです!、と夏実さんが力説してくれた。
僕の注文したカツカレーは、お店の特徴でもある黒カレーをカツとライスにたっぷりとかけている。
しかし、驚いたことにトンカツだと思っていたらこの店はカツといえばチキンカツを指すそうだ。
カツのサクサクの衣にカレーがかかることで、さくさくとした部分とじゅわっとカレーが染みてふにゃふにゃになった衣が口の中で互いを高みへ登らせ、更に肉で幸福感をあげるカツカレーは一回でさまざまな魅力と美味しさを味わえる素晴らしい料理だ。
黒カレーはスパイスをたっぷり使っているのか、テーブルに運んでもらったときから食欲を刺激するような香りが鼻孔から脳の
さらさらしているカレーをスプーンで掬いあげて口に含むと、スパイスの香る辛そうな印象とは裏腹に玉ねぎや人参の甘みが感じられるくらい野菜のうま味が濃厚でスパイスと合わさって箸が止まらなくなる。
最初に辛味がきて、噛めば噛むほどじわじわと野菜の甘味が広がっていく。
ごくんと飲み込んだ後にはほんのりとスパイスが香り、またカレーを欲して口が大きく開く。
「すごく美味しい……!」
「そうでしょう!そうでしょう!このお店は何食べても美味しいんですよー!」
僕が小さく呟いた言葉に夏実さんが反応してくれる。会話の間も手は止められないのか、話しながらもスプーンには次に口へ運ぶ分のオムライスを掬っている。
僕が今までリラックスビルで見てきた夏実さんからはとても想像がつかないくらいに、よく食べ、おしゃれスポットにアンテナを張り巡らせている女子大生DJらしさが全くない。
むしろ、この食べっぷりは部活帰りの高校生のようだ。
そんな事を考えながら食べていたら、あっという間にカツカレーも夏実さんが頼んだオムライス、ミニカレーもキレイにお腹に納まってしまった。
夏実さんも満足したのかお腹を軽くさすりながら「はぁ〜美味しかったぁ〜!」と満面の笑みを浮かべている。
「ふぅ……あの、とっても美味しかったです。……あの、でも、なんで……」
「美味しかったですか?良かったです!」
「あ、はい。……あ、あの、ですね……」
どうして僕に声をかけてきてここに来ることになったのか、夏実さんに聞きたくてゴニョゴニョしていると、夏実さんが少し姿勢を正して僕にペコリと頭を下げてくる。
「突然、お声がけしてすみませんでした。ここに食べに来るのに、一緒に行く相手がいなかったというのも、もちろん理由のひとつです。あと、他にも理由がありまして……」
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