第6話 憲一は冷静である
家
「けんちゃん!醤油はどうしたの?」
「あ、そういえば、買うの忘れちゃった」
「ん」
「ごめん。まだスーパー閉まってないから行ってくる」
「いいよ。明日私が買ってくるから」
お母さんに頼まれた醤油の存在を忘れてしまうほど、俺は内田さんと話し込んだ。
「あら、けんちゃん」
「何?」
「何かいいことでもあったの?」
「いいこと?」
「めっちゃニヤニヤしてるから」
「っ!い、いや!なんでもないよ!」
と、言って、俺は体を洗うべくシャワー室へと向かう。
いつもより綺麗に体を隅から隅まで洗い、部屋に入る。
そして布団に入り、内田さんとのやり取りを思い出してみる。
『憲一くんは大学生?』
『い、いいえ。俺、消防士なろうと勉強してるんで!』
『あら、消防士ね。命をかけて私を救ってくれたわけだから、きっと素敵な消防士になれる思うわ』
『は、はい……ありがとうございます!』
『ふふ』
年はだましているけど、父さんの流れを汲んで消防士目指しているのは事実だから、それを綺麗な年上のお姉さんから褒められるのは実に嬉しかった。
「おお……」
彼女がかけてくれた笑顔。
俺の体は微かに震える。
『内田さんは、えっと……社会人ですよね?いや、モデルとか、女優もありえるな……あはは』
美人に対して口下手な俺を一瞬殴ってやりたいと思ったのだが、
でも俺の落ち着きのない話し方に対しても、内田さんは今時の女子高生みたいに「何きょどってんの?キモッw」みたいな視線を送ることなく、にっこりと優しく微笑んで答えてくれた。
『私は作家をやっているの』
『おお……作家さんですね。すごいです』
作家。
内田さんはおっとりとした女性だ。
雰囲気的に幼い頃は文学少女だったのだろう。
俺の人生経験は長いわけではないが、目の前の美女は、世に言う一般女性というカテゴリーから少し離れた、今時珍しい女性のように映る。
何を書くのかまでは聞かなった。詮索されると思われたら、彼女の俺に対する印象も共に悪くなると踏んだからだ。
男女間の駆け引きとか、そういう類のことは正直に言って苦手だが、俺はなんとか彼女にお近づきになりたくて、頑張った。
その結果、
『憲一くん、連絡先教えてくれる?』
『え?』
『今日は夜遅いから、また日を改めて色々話がしたいの』
『は、はい!もちろんです!』
内田さんの電話番号とアインアカウントをゲットしたのだ!
「うおおおおおお!!!!!」
俺は布団を蹴りまくった。
内田さんの方ではなく、同じクラスの内田に告白を断られた時は、悲しみに打ちひしがれ、涙で布団を濡らしたのだが、
今の俺は
感動の涙が流れた。
明日は学校だ。
そろそろ寝ないとだが、
このドキドキと高揚感をもうしばらく堪能しよう。
X X X
明日
クラスの中
授業前
「憲一」
「ん?」
「お前、ニヤニヤしすぎ。何かいいことでもあったのか?」
「い、いや!別にそんなことは……ないよ」
「ふん〜」
母に続い俺の前の席に座っている裕翔も俺の顔を見て、突っ込んできた。でも、裕翔はそれ以上問い詰めることなく、にっこり笑う。
そこへ璃乃と友達が喋る光景が目に入った。
「璃乃ちゃん!最近新しいデザート屋できちゃったけど、行こうよ!」
「あ、なんか色々売ってるとこだよね?」
「そうそう!」
「放課後は暇だから一緒に行こうね!」
席に座ったいる俺は、微かに口の端を上げて、彼女らのやり取りを聞いている。
「?」
俺は途中、小首を傾げた。
不思議と、彼女を見る際に感じる心の痛みや焦りなどの感覚がなくなっているように感じたからだ。
授業が終わり、放課後となった。
「憲一!ごめんよ!急用ができちゃって、今日は一緒に帰れないんだ!」
「お、おう。よっぽど大事な用事なんだな」
「お父さんの仕事関係でね!」
「じゃ、また明日な」
「あ、そうだ!お父さん、憲一に美味しいもの奢るって言ってたから、それも後で話そうな!」
「OK!」
そう言って裕翔は申し訳なさそうに手を合わせてからすぐさま教室を出る。
裕翔のお父さんってなかなか面白い人だから楽しみである。
そう思いながら俺も足を動かした。
まだ内田は友達と談話中で、俺は彼女らの隣を通り抜けるべく、歩く速度を上げた。
「それじゃ、行こうね!」
内田はそう言って、やや短いスカートから伸びた真っ白な美脚を動かす。俺は内田たちにバレないように、足音立てずに歩いたので、全く俺に気づいてない内田と俺の足が絡んで、
「いや!!」
彼女が倒れかかる。
「危ない!」
俺はそう言って、素早く彼女の背中を押さえて、抱き抱えるように押さえた。
幸いなことに彼女の体はどこかにぶつかることなく、俺の腕によって守られている。
「っ!」
一瞬、彼女が全身をひくつかせた。
なので、俺はすぐ彼女を離し、謝罪する。
「ごめん。怪我はないか?」
「うん。大丈夫よ」
彼女のマジェンタ色の目と俺の瞳から放たれた視線が交差した。
昔の俺なら、俺を振った彼女相手に緊張しまくってろくに話もできなかったと思いうが、今の俺は至って冷静だ。
俺は彼女の顔から視線を外すことなく、口を開く。
「それじゃ、また明日な」
「っ!!う、うん……また明日」
と言って、俺は足を動かす。
教室を出た俺。
軽い足取りで昇降口へと向かう俺は落ち着きすぎている。こんな自分を見ていると、なんだか別人を見ているみたい。
昨日の今日でこんなに変わるなんて……
自分の変化に戸惑いつつ、その原因を探ろうとすると、
携帯が鳴った。
なので、俺は素早くそれを取り出し、液晶を確認する。
『内田彩音さん』
俺は少し興奮気味にアインアプリを開く。
『工藤くん、次、いつ会える?』
「おお……」
年上の美人お姉さんから送られたメッセージ内容は、俺の胸を高揚させて余りあるものだった。
胸……
そういえば、内田さんの胸は……
「何考えてんだ……俺は……」
と、ため息混じりに言ってから、いつの間にか止まっていた足を再び動かした。
俺は内田さんに自分は21歳だと嘘を言ってしまった。
前にも言ったように高校生だと知ったら、おとなしくてとても美しい彼女に相手されないのではと心配したからだ。
なんだか、とてもいけないことをしている気がする。
が、
同じクラスの内田を抱きかかえた時に、冷静を失わなかったのは、俺が内田さんにいけないことをしたこととなんらかの関わりがあるのはないだろうか。
ふとそんな、なんの根拠も脈略もない疑問が俺の頭をよぎった。
嘘と真実……
俺は一瞬、身体がびくっとなったが、
やがで落ち着きを取り戻し、
廊下に設置されている鏡に映る自分をみた。
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