第5話 熱い想いは嘘を産んだ

 下心が全くないと言ったら嘘になるんだろう。


 だから俺は逃げたのだ。


 このあまりにも美しい女性の命を救ったという事実を吟味し、蒸し返し、なんらかの見返りを要求するような態度を取ることが怖くて。


 いっそのこと、幼い子供や裕翔みたいな男の子ならば、後ろめたい気持ちなんか感じずに仲良くすることだってできたはずなのに。


 そんな複雑な気持ちを抱えたまま、俺は口を開く。


「ぐ、偶然ですね!」

「やっぱり!」


 そう言って、目の前の綺麗な女性は俺のところに駆け寄ってきて両手を使って俺の右手を掴みマジェンタ色の瞳を潤ませた。


「本当に……本当にありがとうございました」

「……」


 彼女の真っ直ぐな表情は見た瞬間、俺は言葉を失ったしまう。


 陶器のように吸い付いた白い肌と整った目鼻立ち。だけど、包容力があるように感じさせるオーラは、彼女が俺より年上であることを物語っていた。


 年齢的には25歳くらいだろうか。


 俺より長く生きて、なおかつ経験も豊富である。


 だけど、彼女からはどこか欠けているような印象を受けた。


 見た目自体は完璧すぎて非の打ちどころがない。


 俺が、同じクラスの内田を見たとき感じたあれに似ているように思えてくる。


 いまだに俺の手を強く握りしめる彼女は申し訳なさそうに急に俺と距離を取る。


「も、申し訳ございません!つい、力が入っちゃって……」

「い、いいえ……大丈夫です」


 無論、彼女の柔らかすぎる手が俺のゴツい手に傷を負わせることはあり得ない。


 俺の手に残っているのは、彼女の手の汗だ。


 俺が指を動かしながら前を見ていると、彼女は頭を下げたまま、体を少し震わせている。


 おかげでただでさえ大きい胸が垂れて、ニットを押し上げてきた。


 これは……目のやり場に困る。


「本当にいいですよ!頭を上げてください!」


 俺の言葉を聞いて、彼女は頭を上げて、俺を見つめる。


「あの、よろしければ、お名前を教えていただけますか?」


 そう問われた俺は、口を開く。


「工藤憲一です。えっと……」

「私は内田彩音と申します」

「え?」

「ん?」


 内田?


 いや、世の中には内田という苗字を持っている人が結構多い。


 うちの学校でも内田という苗字を使う人って4人ほどいる。


 内田に告白したからといって気にしすぎだ。


「いいえ、なんでもありません!」

「そうですか」

「はい!」

「えっと、工藤さん、よろしければお茶でもどうですか?」

「お茶ですか?」




 醤油を買わないといけないんだが、まあ、ちょっとだけなら別に問題にはならないだろう。


 なので、俺たちは近くのカフェに行って注文を済ませた後、席に座った。内田さんは自分が払うって言ってたけど、やっぱりちょっと違うと思って、別々で払った。


 ここまできてまた昨日のように逃げるわけにもいかないだろう。


 父ちゃん、ごめんよ。



「えっと、体は大丈夫ですか?」


 と、俺が無難な話題を切り出した。すると、内田さんは顔をほんのり赤く染めて答える。


で大丈夫です」

「そ、それはよかったですね!」


 何か色気の感じられる話し方だったな。

 

 と、俺が戸惑っていると、彼女が問うてくる。


「そっちこそ、腕は大丈夫ですか?」

「あ、腕ですね。別に大したことないですよ!」

「ううん。血出てきたから……ちょっと見せて」

「え?」


 と、言って彼女は立ち上がり、上半身を乗り出して俺の右腕を指差した。

 

 なので、俺はあははと笑って、裾を捲る。

 

 包帯に包まれた俺の腕を見て、彼女は悲しい表情を作り、話す。


「やっぱり……病院代は払うわ。あと謝礼金も」

「い、いいえ!ちゃんと自分で手当てしたから傷跡も残らないし、一週間くらい経てば治りますよ。謝礼金とかそんなの全然いいんで!」

「でも……助けられっぱなしなのは……」




「内田さんが無事なら、それでいいんですよ」




「っ!!!!!!!!」



 どういうわけかわからないが、俺が何気なく吐いた言葉を聞いた彼女は急に上半身を仰け反らせて席に座った。


 彼女はモジモジしており、俺がなんだかいけないことでも言ったのかと心配になってさっきのやりとりを頭に浮かべて考えたが、それらしきことは思い付かない。


 同年代の女の子と喋ったこともなければ、こんな美しいお姉さんとも話したことも皆無である俺にとって内田さんの反応は理解できない。


 骨を折ったり、重傷を負ったら話は違うが、まあ、ちょっと血が出るくらいで、病院代とか、謝礼金とか……


 内田さんが、そんなことを気にしているなら、今日この出会いには、ある程度意味合いはあったというわけだ。


 つまり、これで十分だ。

 

 そう思って俺がお別れを告げようとしたが、







「工藤くん、ダメよ。私はあなたに、




「っ!!!!」



 まるで俺の脳みそをしゃぶり尽くすような声音に俺は動揺してしまった。


 動けない俺の気持ちなんかお見通しとでも言わんばかりに。


 それと同時に、内田さんは素早く茶封筒を俺のジャージのポケットに差し込んだ。


 一瞬だったが、内田さんが見せた表情には鬼気迫るものがあった。


 だけど、その大人の魅力に


 

 俺は




 ついドキッとなった……


 20代半ばほどのお姉さんに完全に圧倒されてしまうという高校生にしては珍しい経験。


 不思議と嫌じゃなかった。


 むしろ、


 

 気分が高揚する。



 こんな感情は初めてだ。





 席に座った内田さんは、微笑みながらその艶のある唇を動かした。


「工藤くんはおいくつなの?」

「お、俺はですね……」



 

 年齢を聞かれた。


 俺は父に似て、普通の男性高校生よりちょっと年取ってるように見える。


 なんせ、ジョギングしたら、変な宗教を勧誘する人たちが、十中八九「大学生ですよね?」と聞いてくるレベルだから。


 普段なら正直に16歳か高校二年生ですと答えるところだが、


 今日の俺は、なんだか魔が差したようだ。




「21歳です」

「あら、若いわね……ふふ」


 

 俺は、初めて年齢詐称といういけないことをしてしまった。


 高校生だと言ったら、きっと相手にされない気がしたんだ。


 それと同時に蘇ってくる父さんの言葉。



『いいか!憲一!美人を捕まえるためには、熱い想いをぶつけることだ!俺もそうしてお母さんと結婚できたからな!』



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