第7話 ナカリア退却戦
物語は1188年4月より少し時間を遡る。
ゼダより遙か西にあるベリア半島西部の中規模国家ナカリア。
女皇暦1187年12月30日
ナカリア大深度地下聖堂 臨時指揮所
大深度地下大聖堂はナカリアの王都タッスルから北に140㎞にある中都市アベラポルトの直下100メルテに位置していた。
ベリア
そして、夜通し賛美歌を歌い、空と大地と星々に新たな年を迎えられる感謝の祈りを
教会のオルガンの音色が新年の到来を告げ、聖歌隊に唱和する人々の歌声がアベラポルトの街を満たす。
だが、今年はそうした
新年どころか明日をも知れない避難民たちは東を目指して逃げていた。
すでに逃げられる者は逃げ去り、“龍毒”で
ミシェル・ファンフリートはこの数日は絶望的な報告の数々に
朗報と言えるような事態は何もない。
セリアン国王夫妻を乗せた飛空戦艦マダガスカルの消息も途絶え、ミロア本国との通信もギリギリ
遂に訪れた「ナコト預言の日」の到来だ。
予想はしていたことでもある。
だが、あまりにも犠牲が大きすぎた。
アベラポルトでも市民の半数以上が龍毒で
大地をつんざいたあの大地震から10日。
そして、蟲たちの侵攻が始まって10日。
その10日でタッスルもナカリアの多くの都市も都市機能を停止した。
既にわかっているだけでナカリア全土で160万人以上の犠牲者が出ている。
地震の発生した12月20日。
ミシェル・ファンフリートはタッスルのランデスホルン宮に居た。
ミシェルはここ数ヶ月というもの、法皇ナファド・エルレインの指示により、ベリア半島における不測の事態に備えランデスホルン王宮内で起居していた。
王宮内にも礼拝施設があり、
もともとファーバの司祭たちは清貧を旨とし、粗食と最低限の環境に耐えるよう修練している。
それにミシェルは神殿騎士でもあり、日頃から鍛錬のため野営することも多い。
屋根があるところで寝られるだけで十分だった。
ゼダではそれほどの揺れではなかったが、震源に近いナカリアでは相当揺れた。
王宮内でも調度品が
だが問題は地震ではない。
その意味するところだ。
地形隆起に伴う龍虫の組織的大規模侵攻。
被災状況確認と偵察のため南に飛んだ旗艦マッキャオが、海峡が地続きとなり暗黒大陸から
正確な確認は出来ないが中型種以上でも3万匹以上との観測だ。
王宮の一区画にあるナカリア金騎士団本部の通信室でフィーゴ提督からの無線通信を聴いたミシェルは大急ぎで国王執務室に駆け込んだ。
「セリアン陛下、タッスル駅から臨時列車が出ます。急ぎ奥方様と共にお乗りくださいっ!」
幸いにしてあれだけの地震後も鉄道の運行に支障はなかった。
着の身着のままの群衆でごった返した駅は混乱していたが、線路に大きなダメージがなかったらしい。
多少あったところで先行している
乗務員と汽車の数が許す限り、北進列車を随時走らせることになる。
そうした準備は前もってしていた。
エウロペア大陸横断鉄道の最大のメリットは陸路を高速移動出来ることだ。
タッスルから2万キロメルテ離れた東の最果てフェリオ連邦のウェルリまで鉄道網が
地上移動の龍虫たちもさすがに列車の速度にはかなわない。
追撃を振り切って隣国メルヒン、その向こうのゼダに逃げられる。
空は決して安全とはいえない。
飛行型龍虫の脅威も、それ以外の脅威もある。
セリアン国王とてそんなことは百も承知していた。
知りながら備えるのが国家元首たちの心構えだった。
「王妃が国民に逃げる姿を見られたくないと申しておる」
おそらくは国王も同じ気持ちなのだろう。
列車移動ともなれば常時民間人の目に
国を見捨てて逃げる国王夫妻らに恨みがましい国民たちの視線が注がれるのはわかりきっている。
王太子ら子供たちはミロアへの留学名目、退位した前国王夫妻らも療養名目で避難済みだ。
事実上、国王夫妻のみタッスルに留まっていた。
法皇国ミロアへの空路亡命。
だが、
その主力は最新鋭の光学迷彩稼働艦だ。
しかも艦砲も大量に備えている。
試作輸送艦たるブラムド・リンクと違い、空戦も可能なまでに武装強化されている。
武装強化の名目としては対巨大飛行型龍虫ヒュージノーズ。
だが、実態としては、財政的なゆとりなく対空武装が貧弱な各国保有の飛空戦艦に対する
飛空戦艦などと呼称していても実際は真戦兵の空挺運用目的で、何処の国も申し訳程度にしか艦砲を備えていない。
空対地艦砲は備えていても、空対空戦闘は想定外。
速度差があるのでもともと龍虫と戦うようには出来ていなかった。
聖戦主義者たるファーバ教団の分派たる《ルーマー教団》の息のかかった
大陸規模の危機的事態に
ファーバ司祭としてはわりと純粋なミシェルからしたら、正に「得体の知れない連中」だ。
「ですが、陛下っ!陸路を行かれた方が捕捉される危険は少ない。それに飛空戦艦はこれから迎撃にあたる騎士たちが必要とするものです。王族が私物化すれば非難されますぞっ!」
いまだ露見していない予定通りの避難行動をとらなければ、簡単に敵に
敵も国家要人たちの行動予測はしている。
そして、人間たちの反抗意志を折りに来る。
《虫使い》たちは戦略を熟知している。
露骨でなくとも確保したら人質扱いもしてくる。
そうした
「貴公は銅騎士団を率い予定通りアベラポルトに退却してくれ」
「待ってくださいっ!金と銀の騎士団はっ!?」
ナカリアには金、銀、銅の三つの騎士団がある。
金騎士団は王都タッスル防衛の任にある最精鋭部隊。
銀騎士団は各都市に展開中の国土防衛部隊。
銅騎士団は新人騎士達の教導騎士団だ。
「用意は済ませている。若く才有る騎士たち、それを補佐する優れた騎士たちを《銅騎士団》に集めておいた。テンプルズ(神殿騎士団)に加え、願わくば・・・」
国土の奪還。
金と銀を捨て石にして未来ある若者たちを守る?
それとも未熟で半騎士でしかない彼等は民間人同然だから逃がせというのか?
ミシェル・ファンフリートの脳裏にはもっと醜悪な想像が働いていた。
すでに金と銀のどちらも指揮系統と主力部隊はルーマーの手先なのだというのか・・・。
「おやめくださいっ!オラトリエスのシャルル国王はリヤドを捨て、ファルマスで
「
(国民たちを陸路で確実に逃がすため、自らが
マダガスカルはナカリアの保有する飛空戦艦たちの中でも老朽艦だ。
船足も遅いし、険しい山脈越えが出来るかどうかは五分五分。
比較的新鋭艦で旗艦であり、事実上国王座乗艦のマッキャオだってあるというのに・・・。
「偵察任務を終えたマッキャオはどうされる?」
「鉄舟、フィーゴ大佐ともども貴公が生かしてくれ。艦隊司令のフェルナン・フィーゴ大佐以下、《銅騎士団》に転属させた。反抗作戦に必要な戦力だ」
ナカリアは全部で6隻の飛空戦艦を保有していた。
マダガスカル、マッキャオ、リスボー、モルッカ、アーブフェイラ、チムール。
チムールとリスボーは銀騎士団が使用している。
おそらくは迎撃作戦でナミブ砂漠を拠点に飛び回っているだろう。
モルッカは輸送艦だ。
マッキャオとアーブフェイラで護衛しつつ、可能な限り戦略物資を持ち出し、難民受け入れのためメルヒンとの交渉材料にするか?
なんにしてもまずやらなければならないことがある。
「陛下、これより私は本来の役目に戻り、神殿騎士団副団長ミシェル・ファンフリート大佐としてナカリア退却戦を指揮します。まだナファド(法皇)からの特記6号発動報告はありませんが現場判断です。可能な限り市民と騎士たちをメルヒンに逃がして、反抗作戦の時期を
「それでこそ我が朋友たる鉄舟だ。是非ともよろしく頼む」
セリアンは深々と頭を下げた。
「陛下、最後にもうしあげます。列車にお乗りください。貴方ほどの王を失いたくない」
「“セプテム”、ありがとう。その申し出だけで十分だ。子らを
ベリア
その後の10日間、ミシェル・ファンフリート大佐は忙しく立ち回った。
人口60万人のタッスルからアベラポルトへ。
さらに接続列車でメルヒンの王都フォートセバーンに避難民たちを脱出させる。
体力のある若い者たちには鉄道の真下に掘られたトンネル内を歩かせている。
足許が海水に浸食されているがそれも狙いのうちだ。
路線の各所に物資分配所があり、そこで配給を行い、次の地点へと急がせる。
幸いにして海沿いの鉄道網は無傷だった。
もともと龍虫の特性上、彼等は潮風を嫌う。
ベリア東部は龍虫本隊の
おそらく《虫使い》たちはメルヒンの王都フォートセバーンへの電撃攻略に打って出るつもりなのだ。
フォートセバーンが陥落すれば、ナカリアから逃げてきた連中も
確かにその通りだ。
タッスルの北東、内陸のオインブラに駐屯させていた神殿騎士団のノートスとミローダ計80機に、オレロス、ファルベーラ170機から成る《銅騎士団》が合流し、なるべく交戦を避けつつ、海沿いの鉄道網を利用して北東方面に退きつつ、住人たちの逃避行を援護していた。
中継基地かつ臨時指揮施設としてアベラポルトの地下大聖堂を利用している。
理由は今の所わからないが龍虫たちは地下には入ってこない。
途中、壊滅的損害を受けた銀騎士団の騎士たちも随時合流していたが、戦況は
飛空戦艦リスボーはオレロス隊の回収低空飛行時に轟沈したという。
タッスルはともかくアベラポルトには戦略的に狙われない理由があった。
(やはり、彼等も
避難民の一時居留先ともなったナカリア大深度地下聖堂は戦略目標外のようだった。
アベラポルトの街そのものは砲戦型龍虫ハウリングワームによる波状攻撃でズタズタにされた。
地上のアベリオ教会やアベラポルトの駅舎、市庁舎も倒壊した。
しかし、徹底破壊というほどではない。
やはり本音では攻めたくないのだ。
どの道、アベラポルトから人類は退去する。
地下聖堂はその後に制圧下に置けば良いだけだ。
「副団長、クシャナド・ファルケン子爵という方がご面会を求めていますが?」
「なにっ!?」
クシャナド・ファルケン子爵といえば「ヴェロームの獅子」との呼び声高き超一流の騎士だ。
ヴェローム公王エルビスの片腕であり、ほぼ唯一の部下だ。
「
(おそらくは事態を聞きつけて船便で新大陸から
流浪の子爵クシャナド・ファルケンは新大陸で龍虫の生態調査を続けていた筈だ。
見てくれの
単身で敵地に乗り込んで活動するという無茶な真似が出来るのは正に修練の
神殿騎士団の少年騎士セオドリック・ノルンの案内でクシャナド・ファルケンはのそっと現れた。
「酷いなりだな、子爵」
「そういうお前さんだって大差ないぜ、ファンフリート大佐」
おっとり刀で新大陸から駆けつけたのだ。
髪も髭も伸び放題で人相もよくわからない。
しかし、クシャナドの眼光の鋭さはミシェルを睨み据えるかのようだ。
かくゆうミシェルとて身なりなど気にしていられない。
自慢の鼻ヒゲも手入れを怠っているせいで酷い有様だ。
仕方ない。
水はベリアでは貴重品であり、飲料水は避難民達に持たせている。
井戸水も大深度地下聖堂内の井戸を除いて汚染が進んでいる。
その主以上に有名な真戦兵サーガーンは騎士なら誰でも知っている機体だ。
剣聖機サーガーン。
ファルケンの祖先たる黒太子レイゴール・ル・ロンデが用いた傑作真戦兵だ。
おそらく預言の日に備え、劣化パーツの調達と組み替えも新大陸に赴いていた目的だったのだろう。
新大陸には真戦兵関連の物資がゴロゴロ“いる”。
つまりは自然に生息している龍虫たちが溢れているのだ。
新大陸には国家こそないが「龍虫狩り」たちのキャンプがそこかしこにあり、腕の良いメンテナンサーたちも事欠かない。
狩った龍虫を持ち込めば、余剰パーツで修理も行ってくれる。
弱肉強食で貨幣など通用しない蛮地だったが、ある種の逞しさを備えた人間たちにとっては楽園だ。
そしてファルケン子爵は貴族の癖に大都会より僻地で重宝される希有な男だ。
つまり、クシャナド・ファルケン子爵は騎士たる以前に天性のハンターだった。
「子爵、サーガーンで手伝ってくれるか?」
「ひとつ頼まれ事を聞いてくれるならな」
クシャナドは上目遣いにミシェルを見て言い放つ。
「頼まれ事?」
「暗黒大陸まで飛ばせる度胸のある提督がいるといい。北海岸でいいんで俺を空からおっことして欲しい」
「正気なのか、クシャナ?」
ミシェル・ファンフリートは唖然としてその顔をまじまじと見つめ、クシャナドの真意を図りかねた。
出来れば、このまま合流して共に苦しい退却戦を戦って欲しい。
「その任、俺が受けるぜ、子爵」
クシャナド来訪を聞きつけたフェルナン・フィーゴ大佐が何処からともなく現れ、クシャナドの背後で不敵に笑っている。
廃墟化したアベラポルトには飛空戦艦用の臨時空港がしつらえられており、マッキャオ以下銅騎士団の三艦に加え、銀騎士団のチムールも合流した。
「いよう、フィーゴ。セリアン国王陛下をほっぽらかしたか?」
「冗談っ。俺の方がお払い箱にされたのさっ」
軽口を叩き合いながら二人の男は軽く抱擁をかわし、そしてミシェルに向き直った。
「暗黒大陸の強行索敵だな?」
「ご明察」
ベリア半島の海を隔てた南側にある通称「暗黒大陸」こそが今回の龍虫侵攻の大元だ。
地形隆起で海峡が地続きとなり、龍虫たちの大群に雪崩れ込まれた。
「つまり、単身で敵の本拠地に乗り込んで実数を把握する気か?」
ミシェルは今のタイミングならばそれも妙案だと即断する。
「そうだ」
「まったくもって正気の沙汰とは思えないが、『やれる』から言い出したんだよな?」
フィーゴは悪戯っぽくクシャナドをみる。
現れて以来、笑顔を全く見せないクシャナド・ファルケン子爵は鋭い眼光でミシェルとフェルナンをそれぞれ見回した。
「無論だ。それに今からフォートセバーンに乗り込む方が余程の自殺行為だろうさ。言うまでも無く大群と大騎士団との正面衝突になる。外様は誰だろうと邪魔者扱いされるさ」
大国メルヒンにはナカリア以上に意地とプライドがある。
随分前からわかっていたことなのだ。
その上で簡単には逃げなかった。
下手をすれば指揮系統上位の神殿騎士団まで外様扱いされかねない。
しかしまだ開戦から10日。
敵の主力が到達し、決戦となるのは三ヶ月先のことだろう。
「帰路はどうする?行きは構わんが、お前さんの戻りを待てるほどヒマでもなさそうだ」
「帰路はヤツラの通り道を利用するだけのことさ。進軍に使ったあとはしばらく用無しだろうさ」
ありったけの戦力を北進作戦に動員しているのだとしたら暗黒大陸はガラ空き同然かも知れない。
それが判るだけでも今後の戦いの目処が立つ。
「なにより知っておかにゃならんのがヒュージノーズ級など超大型龍虫たち強力個体の頭数だ。強力個体を操れる《虫使い》たちがどれほどいるか判らぬが、そうは多くいまいさ。じっさい、新大陸じゃ《虫使い》たちも手を焼いていた」
新大陸では《虫使い》と人類は共生していた。
混血種も多く住んでいたし、少なくとも露骨な敵対関係にはない。
一口に《虫使い》と言っても色々だ。
氏族毎に考え方が違い、人類と取引を求め、物々交換を成立させている者たちも多い。
基本的に《虫使い》はブリーダーであり、食用の龍虫の数を増やして日々の糧としているし、それを狙う大型種を脅威としていた。
人類側が《ネームレスコマンダー》と呼ぶ戦闘種の《虫使い》が信号で龍虫たちを操る。
ただし、氏族内でも1割程度しかいない。
人類側でも騎士は全人口の1割程度なのだからお互い様だ。
《龍虫大戦》の後、《龍皇子》マガールの率いていた氏族の半数ほどが、「名有り人類」と和睦した。
彼等は氏族毎にネームド人類に帰化したり、荒廃した故郷すて新天地を求めたりと好きにした。
新大陸のように脅威少なく遊牧生活の出来る広い土地があれば、名前に囚われることなく連綿と祖先達が続けてきた生活を続けられる。
出来るならそうしたいのが《虫使い》たち多くの抱く本音なのだ。
「アンタの索敵能力は大したものだものな?ひょっとして前世は《虫使い》だったか?」
「かもな、だがそういう連中は《銅騎士団》にもいるだろうし、頼みの綱だろうよ。混血種はヤツら《虫使い》の信号を解読・翻訳出来るし、中には《鷲の目》をもつ者もいる」
《鷲の目》ことイーグルアイ。
《虫使い》の中でもとりわけ優れたごく少数だけが持つ、「俯瞰索敵能力」。
光学迷彩を無効化し、別の視点から全体の配置図を掌握するというもの。
個々の龍虫、真戦兵の発する信号波を立体的に理解するとも分析されている。
ミシェルはセリアン国王の言っていた銅騎士団増強の意味をつぶさに理解していた。
貴重な《鷲の目》もちが銅騎士団所属の斥候として現に活躍していた。
彼等は真戦兵の扱いは今ひとつだが、斥候兵としては極めて優秀だ。
「それより、剣聖サマはサーガーンでなにをしてくれるんだい?」
「それな、モルタワの物資集積所から龍虫を釣り出す。フィーゴ提督は俺が陽動している隙に集積所から可能な限り物資を運び出せ。一仕事終えたら此処に戻る」
「それは・・・」
クシャナドが目下ミシェルの抱えた重要案件を何処で聞きつけたのかはさておき、まさに願ったり叶ったりの作戦だ。
ただでさえ、物資が不足している。
この先戦う上でも備蓄物資は多いに越したことはない。
モルタワ集積所は近郊とはいえ銀騎士団の管轄下にあったせいで、ミシェルの退却戦計画から漏れた。
その銀騎士団が合流したものの、龍虫たちに居座られてしまい備蓄物資の回収が困難になっていた。
幸いにして広い地下大聖堂は物資の置き場所に困らない。
どのみち《虫使い》や龍虫たちには無用の品ばかりだ。
「具体的にどうする?」
「サーガーン単機で南側から陽動をかける。事実上占領している龍虫の群れを南側におびき出し、釣れたら発煙弾で合図する。適当にあしらったら南回りに迂回してアベラポルトに戻る。フィーゴ、《鷲の目》持ちを忘れずに連れて行けよ」
モルタワ集積所はこちらにとっては重要だが、「敵」にとってはさほど重要ではない。
おそらくはベリアでは貴重な水源が近いせいで《虫使い》の支配下から逃れた龍虫たちが居座っている。
信号制御下を離れると生物の本能に従って行動するのが龍虫という生き物なのだ。
「案内役に一人つける。新人騎士だがそのあたりの地理に詳しい」
「おいおい、足手まといはご免被るぞ」
クシャナドは不要だと言わんばかりにかぶりを振った。
「まぁそういうな。タオ族のミィ・リッテ少尉という。昔はナミブ南部を遊牧していたので、あの辺りの地形には詳しい。騎士としては非凡だぞ」
ナカリアは大小様々な氏族から成る。
ナミブ砂漠の東に位置するラームラント自治領ほど極端ではないが、部族の首長達が各地域を縄張りにしていた。
ミィ・リッテの出自もそんなところだし、《ナミブのハゲタカ》の異名とるフェルナン・フィーゴ大佐も元は遊牧民の出自だ。
「ほぉ」
「お嬢ちゃんだが、子供だと思っていると痛い目に遭うぞ」
「・・・というと?」
「既に《銅騎士団》ではエース格だ。得体の知れない技を使う。まぁ、そんなこともあって隊では浮いているんだけどな」
得体の知れない技と聞き、クシャナドの双眸が光る。
覚醒騎士として安定しているなら、とんだ拾いものだ。
「面白い。是非会わせてくれ」
ミィ・リッテは探す手間もなかった。
アベラポルト基地の片隅に置かれたサーガーンの前には大勢の人だかりが出来ており其処に居た。
後に《深紅のサーガーン》と呼ばれるが、このときは主と同様に汚く汚れていて深紅どころか臙脂ですらない。
光学迷彩を稼働させるとかえって目立ってしまいそうだった。
もともとファルケンは光学迷彩を好まない。
無理に消えるより風景に溶け込んだ方が目立たないし、警戒もされないので自然迷彩を好むのだ。
サーガーンを汚しているのも半ばわざとだ。
フィーゴに促されるまでもなく、クシャナドはその異彩放つ少女に気づいた。
ターバンを巻いた浅黒い肌の少女だ。
背丈体つきは小柄だが猫のようなしなやかさと警戒心を漂わせている。
なにより野生を感じさせる鋭すぎる目つきが気に入った。
大都会では浮いてしまうが、実力主義の新大陸じゃモテまくるタイプだ。
クシャナド・ファルケンは背後から近寄って何故浮いているか瞬時に理解した。
2メルテも近付かないうちに気づかれて小刀を向けられる。
「何者っ!?」
これでは敵も味方もあったものではない。
男女問わず、定時に食事に誘おうとして刺されたらシャレにならない。
「スゲーな。気配だけで判ったか」と言い置き、クシャナドは愛機を見上げる。
「お嬢ちゃんはコイツをどう思った?」
「獅子・・・」
「ほぉ?」
《紅蓮獅子》というのがサーガーンの二つ名だ。
外観は別に獅子っぽくないのにいきなり本質を言い当ててしまう。
「乗ってみたいか?」
クシャナドの思いがけない申し出にミィのつぶらな瞳が大きく見開かれる。
なにか心惹かれるものを感じて野次馬たちに混じり立ち去れなかったのだ。
「いいの?」
「人によるがね。そうとも、人による。コイツには性格や好みがあってね。誰でもいいという訳ではない」と言ってからクシャナドは悪戯っぽく笑って続ける。
「それこそ、お嬢ちゃんと一緒さ。大きな猫みたいなヤツだから、気に入らないとふて腐れるし、誰にでも触らせない。その癖、寂しがり屋だときている」
ミィはまるで自分の事を言われているような気がして顔を真っ赤にしている。
そんなミィの少女らしい恥じらいにもクシャナドは好感を抱いた。
きっとサーガーンも気に入る。
「貴方は誰?」
「『放浪子爵』でいい。エウロペア広しといえどそう呼ばれている男は俺しかいない。素性がどうしても気になったら後でフィーゴ大佐に聞けよ」
「わたしは・・・」と自己紹介しようというのをクシャナドは制した。
「タオ族のミィとして覚えておく。次に会うときには剣聖ミィ・リッテと呼ばれているだろうさ」
「剣聖?」
「剣聖ってのは孤独なる騎士の称号みたいなものさ。団体戦では足並みを見出す厄介者で、組織では浮いた存在。そういうのを気にしなくなるまで自分や愛機と対話して自分に出来ることを探す。そのうち剣聖と呼ばれることが苦にならなくなる」
「孤独の称号・・・」
「一人でなんとかしてこいやって言われて戦場に放り込まれる。だから、才能はあっても死にやすい。お嬢ちゃんは早いとこ飼い主か、同じ剣聖を探すんだな」
「どうして?」
「本当に一人で戦い続けられるほど、人は強くはないからさ。なによりセカイにとっておっかないのが自分自身なんだとやがて知る。そのとき、誰かが側に居てくれるだけでも心のありようが違う」
「貴方は?誰かいるの?」
「とびっきり出来の良い弟子がいて、師匠たちがいる。婚約者もいるんだがね、もう何年会ってないことやら・・・」
ともすればミィの父親と年齢的には同じくらいの中年親父クシャナド・ファルケンは訳あって妻帯していない。
いずれ縁が結びつけると漠然と考えていたし、お互いに今はそれどころではない。
最後にパルムで会ったのは10年ほど前になる。
その彼女とミィとの面影が何処となく似ていた。
滅多に人前で笑う様を見せないクシャナドがミィの前では何故だか素直に笑みを浮かべている。
「さて、話はそんなところでいいか。おーい、フィーゴぉ!俺たちゃ出発するぜっ!」
「えっ?」
フィーゴ大佐も、ミィも驚いた。
「補給係よぉ。発煙筒いっこくれや」
作戦準備はたったそれだけだった。
ミィはクシャナドの言う「俺たち」に自分が入っていることに気づいて慌てた。
「わたしの機体は?」
「お嬢ちゃんの体格なら、サーガーンに二人乗りするぐらいどうってことないさ。そんなにケチなシロモノでもないんでね」
クシャナドが合図するとサーガーンはハッチを開放した。
不承不承だったミィも促されて操縦席に入ってからすぐに気づいた。
通常の真戦兵よりも操縦ルームが広く取られている。
「さてと、まずはどっちの操縦で行く?」
クシャナドはニヤニヤしている。
さっそく腕試しさせようとしているのだ。
「少しこの子に慣らしてください」
ミィが小声で囁くとクシャナドは操縦シート背後の把手を引いた。
すると簡易の副座シートが登場する。
「コイツを作ったジュリアン・モンデシーは天才でな。こういう細かい芸当まで出来るようにはなっから作った」
ミィは驚愕の表情を浮かべてクシャナド・ファルケン子爵を見た。
「ジュリアン・モンデシーってタイアロットの設計者?」
タイアロットは三大傑作真戦兵の一つだ。
耀圓明の設計したゼダ皇国のダーイン、ウォーレン・シュティットの設計したメルヒン王国のシュナイゼル、そしてジュリアンの設計したフェリオ連邦のタイアロットだ。
原型機の開発者たちはジュリアン・モンデシーも含めて数百年前の人物たちだが、基礎設計が優れているのでいまだその改修機たちが各国で運用されている。
ゼダ国家騎士団の主力機たるファング・ダーインやフェリオの各連邦国家が使うリンツ・タイアロットなど量産機として今も大量配備されている。
「よく勉強してるじゃねぇか。だが、これは知らないだろう?タイアロットの原型機は飛べるのさ」
タイアロット・オリジナル。
かつての剣皇ファーンの愛機で《ゼピュロス》という愛称を持つ。
クシャナドのたった一人しかいない愛弟子はその再現計画に長らく従事していた。
計画によりタイアロット・アルビオレとして既に先行一番機が完成し、メディーナ・ハイラルが使用していることになっている。
新大陸に長く逗留していたクシャナド・ファルケンはゼダの東征についてはなんの予備知識もなかったが、試作段階で「アルビオレ」と呼称された機体が怪物機なのは完成前からわかりきっていた。
「飛ぶって、空を?」
「そっ、文字通り空飛ぶ真戦兵さ。だが、コイツだって捨てたもんじゃない」
クシャナドは発進合図で野次馬たちを散らせると、サーガーンを発進させ、音もなく砂混じりの大地を蹴って進む。
だが、その移動速度が普通ではない。
あたりの風景がみるみる遠ざかっていく。
先程まで居たアベラポルトがあっという間にずっと背後にあった。
「すごいっ!速いっ!」
ミィの「真戦兵は機動力では鈍重だ」という固定観念は根底から壊された。
もともと真戦兵は軽いのだ。
歩き方を変えるだけでその移動速度は数倍になる。
「感心してるとこ恐縮だが、コイツは俺の弟子が編みだした歩方で《啄木鳥》」と言ってからクシャナドはサーガーンを360度ターンさせた。
「そして、バックステップが《浜千鳥》。使い方わかりそうか?」
「攻撃のための高速突進と防御のための全速後退。原理はナノ・マシンで踏み出した地点の足場を固めて強く蹴る」
「その通り。じっさいやれたら天技習得さ。やってみるか?」
「はいっ!」
先程は躊躇したミィも興奮気味になっていた。
今度は躊躇いもなくクシャナドと操縦を替わる。
副座に乗るうちにサーガーンの心が掴めてきたのだ。
通常の真戦兵とはなにかが決定的に違う。
そして、「とても強く、しなやかで、優しい子」なのだとわかってきた。
相性は悪くない筈だ。
「それじゃさっそく」とミィは《啄木鳥》を試す。
(おいおい。しょっぱなから8歩か)
まさに肉食獣のようなしなやかで伸びのある歩方で高速移動したかと思えば、
「じゃ、こっちが《浜千鳥》ですねっ」
機体を左右にふりながら高速のバックステップを6歩まで繰り出した。
それが実戦的な使い方であり、龍虫の直線的突進をいなしつつ、後方に十分な距離をとるための技だ。
「《浜千鳥》の方が難しいですね」
(本当はどっちも並の騎士にゃ難しいんだがね。だから《天技》なんだけどさ)
クシャナドはミィが技の本質を見破った時点で只者ではないと見込んでいた通りの実力を確認したが、その後についてはとんだ想定外だった。
「それじゃ、こんなのは如何でしょう?」
足場がほぼ砂地になったのを見計らいミィはサーガーンのつま先同士を固定し、足許に刃状のフィールドを作り出した。
その刃で砂の上を滑るように移動する。
それがミィの歩方天技たる《砂乗り》のお披露目だ。
まるで足許に板でも敷いたようにするすると砂の上を滑って移動し、砂丘では軽やかに跳躍してみせる。
体重移動で方向を操作し、蹴り足で推進力をつける。
早い話がスケートボードの要領だ。
砂地という特性を鑑みればサーフィンとも言える。
(ナノ・マシンの外部干渉能力が半端じゃねぇ。この娘はディーンに次ぐぞっ!あるいはルイスかっ)
実際、ミィ・リッテはディーンやルイス・ラファールと知り合って以来長い付き合いになる。
そして、《砂乗り》の機動力はベリア奪還作戦において多いに役立つ。
ライダーズハイですっかり調子に乗っている様子のミィにクシャナド・ファルケンは少しずつ不安を感じ始めていた。
まるで乾ききったスポンジが水を吸収するようにしてたちどころに高度な技を習得していく。
きっときちんと手順を踏んで教えるマトモな師匠がいなかったのだ。
順を追って道理を教えた先に大技を覚えないと、技に取り憑かれたり、技に飲まれたりする。
ただでさえ孤立がちなミィに誰も寄りつかなくなり、其処からなにもかも狂っていく。
(この娘は間違いなく《使徒使い》だ。そのうち並の真戦兵じゃ物足りなくなるぞ)
行き先も告げていなかったことに気づき、進行方向をまったく気にしていないのかと思ったら、しっかりとモルタワ集積所を眼下に見下ろす砂丘の上に来ていた。
「どうして此処だとわかった?」
「この子が“ミトラ・ファルケン子爵”の目的地は此処だって教えてくれました。あの敵たちを『排除』して物資をフィーゴ大佐たちに引き渡すのですね」
サーガーンを通じて情報を、心を読まれている。
しかも、名乗っていないのに本当の名前まで・・・。
「違うっ!陽動して引き付けるだけでいいっ!相手にするには多すぎる」
「ご心配なく。すぐに片付きます。いくよっ!サーガーン」
サーガーンが両手でバツの字を作ったかと思いきや、大きく横薙ぎにする。
巨大な空間断裂が生じ、其処に吸い込まれるように集積所近くの水場にひとかたまりになっていた龍虫たちの群れが断裂した空間にバラバラにされて飲み込まれていった。
後にミィ・リッテの代名詞となる《月光菩薩》。
いまはまだ名前無く、原理もわからない無名の大技。
大技のあとは一方的な殺戮となった。
サーガーンに剣を抜かせ、《啄木鳥》で接敵するや一太刀で切り伏せる。
まるで何かに取り憑かれたかのようなミィは警戒心が強く、寡黙で内気な少女でなく、獲物をいたぶる猫のようにマンティスやハウリングワームを一匹残らず瞬く間に狩ってしまった。
(俺はとんでもない見込み違いをしてしまった・・・)
副座でミィ・リッテの鮮やかな操縦を見ていたクシャナド・ファルケンは後悔の念におそわれていた。
マッキャオで駆けつけたフェルナン・フィーゴはサーガーンが発煙筒を振り回している様子になにかアクシデントが起きたのだとすぐに察した。
周辺警戒したが龍虫が一匹も残っていない。
そのことに違和感を感じた。
「子爵、ここまでやるとは聞いてないぞっ!」
「アイツがやったんだ。今は昏倒している。手足縛ってあるからそのまま営巣にブチこんでおけよ」
「どういうことだ?」
クシャナドは経緯をかいつまんだ。
本当の真戦兵の乗り方を教えるために歩方天技を教えたらあっという間に化けた。
挙げ句にとんでもない大技を繰り出し、龍虫たちをまさに嬲り殺しにした。
「そりゃあ・・・また・・・」
豪胆で鳴らすフィーゴも言葉に詰まる。
「まぁ、乗り手としては一級品だが、なぁんにもわかっちゃいねぇときている。龍虫の死骸が戦略物資だということも、俺たち騎士が倒すべきは『虫使いに操られた龍虫』だということ。そして、狩った龍虫は貴重な食糧でもある」
「そうだな」
空間断裂でミンチにされた龍虫の死骸は真戦兵の修繕パーツどころか食糧にもならない。
外殻骨格部をプラスニュウムとして加工し直し、神経伝達系たる素体はメンテナンサーたちが培養処理して繋ぎ直す。
だから、殺すなら殺すでなるべくなら綺麗に殺さないといけない。
装甲も筋肉も骨格もすべて龍虫から調達する。
その上で余った部位を喰う。
戦時だろうが非戦時だろうが、龍虫はそうした意味で貴重だ。
「まっ、反省を促すためにもあの砂まみれミンチを干して塩漬けにしてしばらく喰わせておけよ。砂噛むたんびに自分がなにしたか判るようにな。キチンと狩れば全部無駄なく頂けるんだ」
技に頼らず経験と勘とでキレイかつ必要なだけ狩ることで、新大陸でも、はぐれ者やら氏族やらメンテナンサーやらと様々な人脈を形成した超一流のハンターたるクシャナド・ファルケンからしたら、ミィ・リッテはまったくのひよっこだった。
「それがアンタの流儀だものな、放浪子爵」
「命を頂く」というのが愛弟子にも諭したクシャナド・ファルケン子爵の流儀。
タイプが違うとは言え同じ人間たる《虫使い》を食うのは論外だが、龍虫そのものに罪はないし、敵でもない。
大自然の一部、セカイの一部であるのだ。
余すところなく徹底的に活用してやるのが、本来なら無限に続く命を奪ったことへのなによりの供養になる。
「それに怖いことにサーガーンとシンクロしやがった。下手こくと殺されて盗まれる。俺はさっさとトンズラするぞ」
「おいおいおい、そんな物騒なのか?」
「いちど乗せただけでコレだ。しまいにゃ俺が邪魔になる」
おそらく意識を繋いでサーガーンがただの真戦兵ではないと気づいたのだ。
《使徒》または《ミュルンの使徒》。
つまりは個体情報を持たないまっさらな素体から作られた真戦兵の一つが《使徒真戦兵》(エンジェルトゥルーパー)サーガーンだ。
すでに前述したとおりフェリオの産んだ天才マイスターたるジュリアン・モンデシーが、自らの処女作を使徒搭載機に改修したのが剣聖機サーガーン。
同様にタイアロット・オリジナルの《ゼピュロス》、そして《フェンリル》と《ベーセ・ルガー》がジュリアンの建造した使徒搭載機だ。
そうでもなければ数百年も稼働し続けられない。
なにより《使徒》には連続使用による稼働限界はあっても、龍虫と同様に寿命がない。
そして、乗り手がシンクロ出来ればどんな怪物じみた真似も出来る。
始祖メロウの残した福音で災厄。
《使徒》を入手するチャンスはどちらの陣営にも等しくある。
ただし、使いこなせる者はわずかしか存在しない。
このセカイはなにもかも全てがナノ・マシンで再現された紛い物でしかない。
すべてが情報体なのだから、コツさえわかれば簡単に書き換えることが出来る。
硬度や強度を変えるなどまだ可愛いモノだ。
砂を岩に変え、岩を砂に変える。
元の物質情報から遠く離れているわけでない。
だが人体をそっくりコピーしたり、実体分身を作り出したり、真戦兵を外部から多数コントロールする《傀儡回し》、さきほどのように大気を構成するナノ・マシンを移動させ、空間断裂の道を作ったりすれば、必ず弊害が生じる。
自分には出来るからと無闇にやるべきではない。
《覚醒騎士》とはナノ・マシンの特性を変えて武器とする者たちを言う。
そして畏れられる。
《使徒》も乗り手たる《覚醒騎士》も龍虫同様の災厄として一括りにされる。
それが《人型龍虫》という覚醒騎士たちの「業」だ。
そして、そうした偏見に晒されることが《使徒》を駆る剣聖たちの深き孤独だった。
「そもそも並の真戦兵じゃ物足りないんだよ。俺の愛弟子も並の真戦兵だとぶっ壊しまくりだ。その癖、並の騎士じゃ扱いづらいピーキーなのだと壊さないだとかナメたことしている。アイツの場合は外部干渉能力の大きさに真戦兵自体が悲鳴をあげちまうんだ。労って使っているだけマシだが、マイスター泣かせだよ。限界稼働時間だとか可動制限とか、それこそリミッターなんか外したピーキーなので丁度いいんだがね。俺と一緒で軍隊にゃとことん向かない体質だな」
「おいっ、その愛弟子ってのはマサカ?」
フィーゴの脳裏には思い当たる名前が一つだけあった。
僅か数ヶ月後にはフィーゴが「剣皇」と呼ぶ男。
「《騎士喰らい》のフィンツ・スターム・・・と今はまだ名乗っている筈さ」
ディーン・エクセイルの6人いる師匠の一人がクシャナド・ファルケン子爵だ。
ディーンの師匠筋で人格的に一番出来ているのが女皇騎士団司令のハニバル・トラベイヨ中将だが、実際は多忙故に数えるほどしか指南の機会がなかった。
その一方で素行や思想面についてディーンが一番影響を受けたのがクシャナド・ファルケン子爵だ。
なによりディーンがクシャナドから学んだのは「心を揺らさない」という最も肝心なことだ。
ディーンほどの騎士が感情に身を委ねることは危険極まりない。
その背中に様々な人々を背負って戦っているのだ。
一個人の一時の感情が多くの人々の思いを踏みにじる。
そのことに畏れを感じてこそ、一流の証だ。
「常に相手を慮り、周囲に目配りして戦え」という教えが、ルイス・ラファールをも屈服させた。
最強である必要はない。
常勝する必然性もない。
負けてはならない場面で如何に自分を抑制し、相手を無力化するかということについて、師匠たちから散々教え諭されたのだ。
むしろ、ミィ・リッテのように未熟ゆえに自分自身のコントロールが出来ない騎士たちを、後になって後悔させないところで「止めてやる」というのがディーンに与えられてしまった役割だ。
厳密に言えば、ディーンの実力はクシャナドやハニバル以上だった。
しかし、与えられた役割が違うし、ディーンにはディーンの、クシャナドにはクシャナドのスタイルがある。
厳密な師弟関係というより兄貴分だし、先程子爵が指摘した戦略物資としての龍虫、大自然の一部としての龍虫という側面についても、新大陸で起居した経験持つディーンは骨の髄から理解している。
だからこそ、“フィンツの悲劇”と後悔から立ち直れたし、逆に都人になれたのだ。
戦士としての本質を上手く隠した上で、少しずつ味方を強化していく。
「まっ、ヘンなとこで命おとすくらいなら、今のままフィンツ・スターム少佐に引き渡せ。アイツは教育者として一流だもの」
今の段階では「学者先生」としてだ。
だが、自分の理解をかみ砕いて伝える本質としては大した違いはないとクシャナドは理解していた。
人にモノを教えるのも教えられるのも得意だというのが、ディーンの愛すべき取り柄だ。
クシャナド自身、現にそうだった。
得意とする《虎砲》や《餓狼乱》、《連獅子》を授けた。
それでいてディーンは足りない物を模索して自分の戦闘スタイルを完成に近づけていった。
だからこそ、ディーンの《啄木鳥》や《浜千鳥》をクシャナドは自分の戦闘スタイルとして組み込んだ。
学べるもの、盗めるものは「なんでももってけ」という懐の広さがあるから後に教育者として大成する。
(アイツにも後悔はあり、すでに大きな失敗もしている。だからこそ、才能という才能はアイツに預けるのが正しい。それと比べたらミィなんざ、ちょっとした事故だ)
この日、クシャナド・ファルケン子爵は愛機サーガーンと共にフェルナン・フィーゴ提督のマッキャオで暗黒大陸に乗り込んだ。
力を使い果たし昏倒したミィが目を覚ましたのはこの日の夜半過ぎであり、礼を言おうにも詫びようにも子爵の姿はアベラポルト基地になかった。
のちに女皇戦争と呼ばれる西エウロペアを巡る一大戦争において、クシャナド・ファルケンの帰参が大いなる転機となる。
だが、人類絶対防衛圏における《くれないの剣聖》の戦いはまだ先の話だった。
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