断章 特記第六号条項

 いよいよ物語の舞台はパルムから西に移動する。

 しかし、ここで「正史」とティルトの語る「真実のものがたり」は最初の分岐点ぶんきてんを迎える。

 「正史」には決して記されない事実。

 そして、4人が遭遇そうぐうした本当の運命。

 物語の続きを語る前にこの時点の状況を少しだけ整理しておきたい。

 彼らの口を借りてこの時代を整理したい。


統一暦1512年11月6日

ファードランド邸


 既に冬のきざしはあったがその日は晴天で暖かい日差しが降り注いでいた。

 ファードランド邸の主セオドリック、アンナマリー夫人、ティルト・リムストン、エリザベート・エクセイルの4人は客間のソファーでひざをつき合わせていた。

 話題はすぐにエリザベートの要望により、皇暦1188年の話となっていた。

「皇歴1188年ねー」エリザベート・エクセイルは待っていましたとばかりに口火を切る。「この年は色々ありすぎて困る年だわね。彼ら4人を中心とした物語の中では半年間はパルムは雲行きが怪しくても平和そのものだったようだけれど・・・」

 ところが実際はそうでもない。

 不穏ふおんな空気とありえない事件が多発していた。

「ところが夏を境にしてたちまちにして、ゼダ国内は内戦と革命前夜という大嵐に見舞われる。その発端となったのが『トレドの虐殺ぎゃくさつ』ね」とアンナマリーは続けた。

 「トレドの虐殺ぎゃくさつ」という歴史的事実は4人が遭遇そうぐうする当時の体制がもたらしたとされる惨劇さんげきだ。

 人口40万人のトレド市民の一部が武装蜂起するという誤情報に国家騎士団西部方面軍と国軍とが西の最果てトレド市街で女子供を構わず大虐殺だいぎゃくさつし、遺体を穴に放り込むという蛮行ばんこうを実施した。

 どうしてそんな荒唐無稽こうとうむけいな話が信じられたのかというと、もともとトレドはメイヨール公国の公都だったからだ。

 メイヨール公国はこの時代より200年前まではこの後登場するヴェローム公国と並ぶゼダ四大公爵家の半独立国だった。

 そんな中、エスターク・メイヨール公爵がゼダ女皇に戦いを挑んだ。

 メイヨール公はバスラン要塞を拠点にしてゼダ本国を奇襲攻撃し、一時はパルム包囲占領の一歩手前まで軍を進めた。

 そもそも禁門きんもん騎士団の動きがにぶかったのが原因だ。

 ところが其処に突如とつじょとして英雄が現れた。

 後の3代目剣皇エセル・フェイルズ・スタームだ。

 禁門騎士団の下級騎士だったエセルの働きで息を吹き返した禁門騎士団は補給線を寸断してメイヨール鉄馬騎士団を押し返した。

 その後の激闘により、エスタークはエセルに討たれ、バスラン要塞は陥落し、メイヨールはゼダに併呑へいどんされた。

 戦後処理の過程で、禁門騎士団は国家騎士団と女皇騎士団とに役割を分けて消滅した。

 旧メイヨール領は反体制的だとゼダ中央では信じられてきたのでちょっとした噂に尾ヒレ歯ヒレが付け加えられた結果、トレドで虐殺ぎゃくさつ事件が起きた。

 そして、リーナ家に仕えていたエリーシャが虐殺犠牲者となり、4人が反乱軍に加わる決定的動機となった。

 調査の旅の途上で状況を整理する為、一時的にパルムに戻ったティルトは列車を乗り継ぐ長旅にくたびれ果てていた。

 アンナ夫人の注いだアイスティーを口に運びながら、ティルトはしきりに目をしぱたかせている。

 昨夜もロクに寝ていない。

 パルムはもうすぐ本格的な冬を迎えようとしていた。

「それでティルト。あなたが確信した事実だけを教えて」

 アンナマリーはじれったそうに話をいた。

 彼女の隣には夫のセオドリック・ファードランド教授がこちらもやはり眠そうな顔をして座っている。

 彼は昨夜遅くに戻ったティルトのたずさえた膨大ぼうだいな資料に未明まで目を通していた。

「結論から先に言うと『トレドの虐殺ぎゃくさつ』はなかったということになります」

「えっ?」

 二人の女性はそれぞれ驚きの表情を浮かべた。

 ファードランドは黙ってうなづく。

「『正史』では『トレドの虐殺』を目の当たりにした4人がそれぞれ別の動機と思惑で反乱軍に身を投じることになります。でも、『トレドの虐殺』なんてものは起きていません。それどころか彼ら4人は最初から最後まで反乱軍に加わったことがありません。そんなひまはなかった」

「どういうこと?」

 エリザベートの表情が曇る。

 “純白のフレアール”の名と共に、ディーン・フェイルズ・スタームの名は“あおきエリシオン”の騎士ルイス・ラファールと並んで「正史」に刻まれる。

 二人は反乱軍のトップエース騎士であり、正に反乱軍の中心にいた筈だった。

「そもそも当時の人口で40万人を誇るトレド市が国軍や国家騎士団に狙われるいかなる理由も動機も見当たりません。なにしろ、《アラウネの改革》により鉄道網と電話線が整備された結果、パルムとは大陸横断鉄道で地続き。仮に反乱軍の協力者や潜伏先があったとしても、女子供を含む40万人の市民全員の大多数が荷担かたんしたなんてことはありえません」とあっさり言いのけ、ティルトは自分の指先を見ながら先を続けた。

「『トレドの虐殺ぎゃくさつ』はその後の『6月革命』を正当化する方便ほうべんとしてはもってこいの事実です。ですが、単純に考えて40万人の市民を40万発の銃弾で殺傷したとして、その銃弾は一体どこからきたというのですか?東では外征が行われていて、そちらに大量の銃弾や真戦兵と飛空戦艦が送られている情勢です。東方外征の方は戦時報道もさかんでしたし、現実にオラトリエス側の損害記録が存在していて、ゼダ側の戦果記録と付き合わせて確認することが出来ます。外征で膨大ぼうだいな予算と大軍が送り込まれたオラトリエス全土でさえ、最終的な死者は約4000人、負傷者は約2万人ほどだったと記録されています。数字の誤差は予測値以内です」

 「ゼダの東征」は一般市民の死者数を抑える目的で行われ、オラトリエス国内の要所でしか戦闘が発生しておらず、それでも4000人が戦争で死亡したのは東征を指揮したトゥドゥール・カロリファルにとっては痛恨事だ。

 数字のカラクリはあり、「ゼダ東征」が「東方戦争」となってから死者が激増していた。

「その通りだ」ファードランドがうなづく。「我々は一つの史料のみを信頼して歴史的事実を語ることはしない。異なる情報源からもたらされた数字を付け合わせて大まかな事実を導き出す。その意味では『トレドの虐殺』に関しては革命後に共和国政府から発表のあった公式報告と、革命前のパルムで反政府勢力によって流布されていた不確かな情報より他に信頼に足る史料が存在しない」

「それだと不十分なの?写真もあるのに」

 エリザベートは中等学校時代に目にした歴史の教科書の写真に鮮烈な記憶を植え付けられていた。

 ガスマスク姿の兵士たちが市民の亡骸なきがらを物でも扱うかのように次々と穴に放り込んでいるように“見えた”写真。

「あー、アレが決定的な嘘の証拠。当時まだ毒ガス兵器は発明もされていなければ、防毒マスクが国軍に配備されてもいません。防護装備品だけあったという方がおかしい。大体、反乱軍が国軍よりも装備や兵器面で勝ると思うの?そもそもガスマスク自体、何処の誰がなんのために用意してたのさ」

 つまりその写真は毒ガスが兵器化し、防毒マスクが発明された後になってから誰かが用意した偽物の裏付け証拠だった。

「確かにそうね」とアンナ夫人は納得した。

「ただ、現実にトレドで40万人の市民が跡形あとかたもなく消え失せ、国家騎士団西部方面軍も国軍西部方面軍も多大な損耗そんもうこうむったという事実だけが確かです。国軍の兵士がガスマスク姿で市民の遺体を大きな穴に投げ込んでいるという写真だけがトレドで虐殺が起きたという動かぬ証拠となっています。ただ、虐殺を行ったとされる西部方面軍も被害者である筈のトレド市民も革命後は女皇戦争の戦死者として一括ひとくくりに扱われるだけでした」

 むっつりと黙り込んだ二人の女性を前にファードランドはじっと腕組みをした。

「歴史を語ることの難しさか・・・」

「やはり物的証拠が必要になる。それで、ボクは来年夏に義兄あにのツテでトレドでの発掘調査許可を貰う手筈てはずになっています。そのときに実地調査を行うとしても、ボクはトレドでの虐殺ぎゃくさつはなく、むしろ市民の多くが遭遇そうぐうし、その多くが逃げるいとまもなく亡くなっていったという事実を信じますね。『トレドの虐殺ぎゃくさつ』の実行当事者として、西部方面軍の国家騎士、将校たちと兵士達に課せられてしまったぬぐいがたい汚名だけは返上してあげたいというのが、仮にも一度は軍人をこころざした者としての使命と考えています」

「“あるもの”ってなに?」

「龍虫さ」

 ティルトにかわりファードランドが答える。

 ティルトは黙ってうなづいたが、耳慣れないその言葉に二人の女性はしばし彼らが何を言おうとしているか理解できなかった。

「りゅうちゅう?」

「ドラゴニックワーム、あるいはドラゴニックビーストと呼ばれる前人類史に登場する生物兵器のことだよ」

 ファードランドの簡潔な説明にティルトはさすがは教授と感心する。

 もっともその認知ですら嘘にまみれていた。

 前人類史という認知、生物兵器という認知、人類の負の遺産だという認知。

 すべてが誤りであり、龍虫はメロウがネームレスの戦う手段として用意した。

「はい。そしてそれこそがトレド市民の大半をあっという間に殺傷したのだと思うのです。この生物兵器はただ其処に居るだけでガス状の毒物を散布する。それこそ、寝ている間にほとんどの市民は犠牲になった。そして、市民の遺骸いがいに付着した毒物と残留した堆積物たいせきぶつが大気と飲料水を汚染し二次的被害を生む為、神殿騎士団の指揮の下、隔離措置かくりそちと焼却処分が行われたのだと思います。遺体をモノ扱いしなければならないなんて駆り出された軍人さんたちの労苦がしのばれます」

「・・・・・・」

「どうして龍虫が『正史』には全く登場しないのか、どうしてそれらの生き物の居た痕跡こんせきが残っていないのか、そして伝説の剣皇、剣聖というのが一体なにとどう戦ったのかがちっとも見えてこないのか?それこそが正にファーバ教団の秘匿ひとくする『ナコト写本』と神殿騎士団の秘密につながるとボクは考えました」

 ティルトは伏し目がちになりながら、明るく目映い日差しには不釣り合いなこの奇妙な話の終わりを見出そうとしていた。

「なるほどね」

 ファードランドは普段の彼が見せないほどに険しい表情を浮かべる。

「もし仮にですよ、ファーバ教団と各国家がグルになってすべての歴史書からその事実を抹殺まっさつしたとしたなら、少なくとも中世以前の記録からは龍虫の痕跡こんせきを消し去ることは十分に可能です。疫病の流行として記録したりすれば良いだけの話ですし、現実に龍虫が大量出現する際には前触れとして疫病が大流行し、後の惨禍さんかとして汚染によって多くの人々が犠牲になる。それらを一括りにすれば説明として十分だったわけです」

 ティルトの目はわっていた。

 睡眠不足もあったが、史家を志したのにディーン・エクセイルの「中原史」が嘘だらけだったと信じたくないのは誰よりも自分だからだ。

「つまり、我々歴史家でさえそうした『常識』にしばられ、伝説級で存在の証明が困難な化け物の仕業とは考えず、“誰か”が用意した安易な答えに飛びついて、それ以上の詮索せんさくと探求を行わなかった。ゆえに『正史』の所々に空白と闇とが生まれてしまった。ティルト、君はそう言いたいのだろう?」

「はい、そうです。それにそもそも十字軍がなんの為に集められ、どのようにして4カ国が歴史上から消え去ってしまったか。そして、その後数百年にわたり故郷を追われた人々が難民として世界各地に発生した。そのことへの説明は、龍虫の定期襲撃があったからだと一言説明するだけで事足りるように思います」

 ファードランドは苦笑した。

 SFだかオカルトのように聞こえる話がティルトが語ることによってにわかに真実味を増していく。

 彼が自分の受け持った学生でもずば抜けた知性と論理性を持った優秀な学生だと前もって認めていなければ、一笑に伏したかもしれない。

 それ以上にとても嫌な予感がしていた。

「龍虫の遺骸いがいや標本が一切存在しないという事実は、それがあるものの材料として古代から近世に至るまで用いられてきたとすれば、簡単に説明がつくのです。あるいは生きた標本や素材として軍事に有効活用されてきたのだと考えれば、あの異常な兵器についての論理的な説明が可能になります」

 ティルトの言う龍虫の軍事利用という

「軍事利用?たしかにもともと龍虫は兵器として生み出されたものだが、それが兵器として扱えるようなものではなくなったが故に前人類は苦境に立たされたのではないかね」

「勿論そのままでは使えません。ですが、職工集団たる人形師たちが加工を加えて、真戦兵ませんへいとしたならば?」

 セオドリック・ファードランドは双眸そうぼうを大きく広げ、アンナとベスははっと目を見開いた。

「まさか、龍虫の遺骸や骨格、筋肉それらすべてが真戦兵の構成パーツとして利用されていたというのか?確かに軍事利用だし軍事機密だ。保存状態の良いものほど、良質な資源として有効活用されたとしたならば、そのままの状態でなど残っている筈がない・・・くそっ、やられたな」

 ファードランドは思わず天を仰いだ。

 神話級の存在が人々の前に異なる形でその目の前にあった。

真戦兵ませんへいという巨大な人型兵器が人類間戦争のため、人々を恐怖のどん底に突き落とすために産み出されただけのものとは到底考えにくいです。なにしろ効率という点ではこれほど効率が悪く、動かすための真戦騎士、そして整備を行う人形師という専門家。整備と熟練にかかる手間と時間。そして稼働と保管に場所と費用を要する兵器は他にありません。それと比べたらまだ火薬由来の銃器や大砲の方が誰でも簡単に扱えます。事実はむしろ逆で、真戦兵ませんへいこそが巨大な龍虫に対抗する為に産み出された我々人類の希望ということになります。ですが、その希望の象徴こそは実は人類が歴史からほうむり去らなくてはならないほど、大きな絶望の象徴である龍虫から生み出されたものだろうと思われるのです」

 一瞬の静寂があった。

 騎士の意味、虐殺の真犯人、歴史の闇の証拠は対抗手段として活用された。

 十字軍がその実、何とどう闘ったのか?

「ボクはそうした事実を裏付けるためにベリア共和国首都に向かいました。そして、旧メルヒン王国の歴史書、税収、人口変動、ありとあらゆる記録から皇歴1188年に相当する年代前後の確かな記録が一切合切欠落しているという事実を確かめました。誰が消したのか、ボクはそれらは後にベリア共和国の伝説的指導者となる国父ライザー・タッスルフォートと、当時のミロア法皇ナファド・エルレイン、そしてそうするべきだと進言したアリアス・レンセンの仕業しわざだと考えています。ここに来る道すがら、エクセイル家は法皇ほうおうあるいはゼダ女皇の依頼により、歴史から龍虫の存在そのものを消し去り、あたかもその時代になにか別の事象が起きたと記録をもっともらしく改竄かいざんする役割を担ってきたのではないかと考え続けてきました。エクセイル家こそは改竄かいざんされた歴史という物語の作者であろうと」

 ここで“正史”という呼称を一度止める。

 各国の正史とは“儀典史ぎてんし”だった。

 つまり、ティルト・リムストンやセオドリック・ファードランド教授たちの知る歴史とは歴史家たちの作り出したまがい物だった。

「なんてこった・・・」とファードランドはつぶやいた。

「だけど、どうしてそんなことが必要だったの?」とアンナ夫人が即座に尋ねる。

「簡単な話です。我々人類に明るい未来を指し示す為には過去の人類が遺した重すぎる負の遺産は消し去る必要があった。そうでなくては恐怖と絶望とを取り払って未来を生きることが出来ない。そして龍虫のもたらす悲劇と惨劇はボクらが想像する以上の脅威と絶望とで、それこそトレドのような中規模の都市がそこに暮らす住民もろとも呆気あっけなくついえるほどの・・・いえ、皇歴1188年当時、ゼダの隣国メルヒンとラームラント自治領、ナカリア王国では『国家そのものが消滅する』ほどの重大事態だった。それだけのことです」

 “それだけのこと”が持つ重みにファードランドは絶句していた。

 想像力が人並み以上に発達したエリザベートの顔面は蒼白そうはくになっていた。

 そしてアンナマリーは最大の疑問を口にした。

「だけどなぜ、あなたはそうした話を確信したの?それに今までの話とファーバ教団は決して結びついたりしないわよ」

 アンナマリーの問いかけにティルトは小さくうなづいて話を続けた。

「『特記第6号条項』。一般の方には耳慣れない単語ですよね?軍事専門用語で現在はほぼ死文化しています。内容は『第1項、国家並びに国内外の勢力に属さない勢力。“あるいは人類以外の勢力による不測の事態”が発生した場合、各軍事勢力の最高指揮権は神殿騎士団の代表者に自動的に移譲いじょうされる。第2項、各国家ならびにその支配下にある軍事勢力はただちに情報統制と避難民救済を行い、あらかじめ定められた地点での封鎖措置を完了せしめた後、全力をもって迎撃に当たるべし。第3項、如何なる場合をもっても神殿騎士団並びにその代表者、当該とうがい責任者であるミロア法皇ほうおうを除く何者にも被害や事実関係の報告を行ってはならない。またこれらの情報を如何いかなる経済的、政治的活動に利用することを禁ずる。第4項、この命令発動権はミロア法皇に在る。とまぁ、こんな具合なのですが、現在のものは神殿騎士団とか代表者というのは削除されるかミロア法皇に置きえられています。ボクが説明したのは1188年当時のソレです」

「えっ、今もまだあるの?」とエリザベートは驚愕した。

「あるよ。だから知ってたのさ。士官学校に入ったら当然座学で学ぶ」

「・・・・・・」

 ティルトを除く3人は息をんだ。

「こんな一文が一体なんの為に用意されているのだと士官学校時代にはいぶかしんだものです。それこそ宇宙人の襲来にでも備えているのかと笑い飛ばす連中もいましたから。けれども、歴史的事実と符合させるとこの命令は少なくとも過去2回は発動されている筈です」

「十字軍、大戦と女皇戦争か・・・」

「そんなところです。教授ならあと更に2回は発動したと思いませんか?」

「女皇戦争以降で・・・あっ、フェリオ連邦アストリア王太子の暗殺事件の後に起きた欧州危機の際と、東邦帝國に対する包囲網によるステイツ主導の悪質な経済封鎖で、東邦帝國とステイツとが一触触発の危機の際か?」

「多分このときは“方便ほうべん”として利用されたのだと。その後、流血騒ぎや戦争が起きてないですから」

 ティルトの指摘にセオドリック・ファードランド教授は「むぅん」とうなる。

「よく考えてみたらすごいシステムだよね。人類同士の大きな戦いも未然に防げてしまう」

「取り敢えず、十字軍と大戦のあった皇歴700年代と女皇戦争と6月革命があった皇歴1180年代は間違いないです。あるいは十字軍での龍虫との死闘、その後長く続いた混乱を教訓として法律が明文化され、各国軍と各国騎士団に非常時対応のシステムとして制度に組み込まれたのではないかとボクは考えます」

 ティルト・リムストンはこの段階ではそう推理した。

 だが、実際には違っていた。

 特記6号条項の歴史は更に古かったし、なによりティルトですらこの段階ではまだディーンの嘘にまどわされていた。

「つまりこういうことか」とファードランドは厳かに言葉を選んだ。「始めから反乱軍との戦いなどなかった。しかし、膨大な死者が生じ戦いはあった。それは人間同士の戦争ではなく龍虫との死闘・・・」

「龍虫。ヤツらは確かに其処そこにいた。そして、その事実は彼ら4人が遭遇そうぐうした衝撃の真実だろうとボクは考えます。トレドに足を踏み入れた女皇騎士ディーン・エクセイルが遭遇そうぐうしたのは正しく龍虫の襲撃で崩壊した廃墟だったとボクは確信します。それでこそ、後の剣皇ディーン・スタームが駆る真戦兵だという《純白のフレアール》、スカートの剣聖ルイス・ラファールの《蒼きエリシオン》紅の剣聖クシャナド・ファルケン子爵の駆る《深紅のサーガーン》が人々の希望の星であった。そう考えた方が余程に辻褄つじつまが合うからです」

「なるほど・・・」

「そして、後に『正史』となる旧メイヨール領内での反乱の勃発ぼっぱつ。国軍および国家騎士団西部方面軍との武力衝突。ヴェローム公国の叛乱はんらん軍参戦。こうして東西に引き裂かれた国家騎士団は西に比重を傾けざるを得なくなり、東方外征は尻すぼみになります。こんな壮大な青写真を誰が描いて音頭をとったか?それこそが天才的軍略家スレイ・シェリフィスことアリアス・レンセンの頭脳によるものでしょう。パルムのような大都市に悟られることなく、大規模な戦力を西に集中させて防衛線をき、集めた物資と部隊をもって人口密集地であるゼダ東部への侵攻を阻止しようとした。当時の各国騎士の8割、作戦参加者60万人、戦没者800万人。それほど大規模な最終決戦は史上初の女皇親征という形で締めくくられました」

「女皇アリョーネ率いる叛乱軍はんらんぐんと女皇アナスターシャの正規軍の衝突?」

「いいえ、アリョーネ女皇による親征は最終盤で、はなっからメリエル皇女、ナファド法皇、剣皇ディーン、紋章騎士ルイス、ミシェル・ファンフリート枢機卿すうきけいの神殿騎士団は龍虫とドンパチしてた筈です。最終決戦は大陸中から全ての駒がそろったことでスレイ・シェリフィスが万を辞して踏み切った最終決戦だったのだと思います」

目眩めまいがするわね」

「それこそ『正史』の『女皇戦争』なんか小競り合いという規模の大きな戦いだったのでしょうね。そうでないと軍人と民間人を合わせて800万人が戦没するなんてあり得ませんから」

 まだこのときのティルトは知らない。

 実際の戦いがどんなだったか、龍虫がどれほど厄介な敵か。

 そして、フレアール駆るディーンがどれほどの強さであり、そんな彼の奮戦ふんせん膨大ぼうだいすぎるに対しては焼け石に水だったことも。


 オマケ ベルカ対ルイス


皇暦1183年 8月10日

エドナ杯準決勝


「努力を嘲笑あざわらう者めっ!」

 ベルカ・トラインのフェイント攻撃を受けても、ルイス・ラファールは尚も構えを崩さなかった。

 偽名であるベルカ・トラインことディーンの駆るジェッタ。

 ルイス・ラファールの駆るカナリィ。

 カナリィは年代物の真戦兵だが前回大会でシモンが使って優勝した実績ある機体だ。

 ラファール家は名門騎士家だから相当質の高い機体を一族で所有している。

 一方のジェッタに関しては観客席で見物しているトリエルとミラーにしたら、ハラハラさせられる珍品ちんぴんもいいところだ。

 脆弱ぜいじゃくにして世界最軽量とかいう。

 マイスター(建造者)こそ、女皇正騎士で人形番の耀犀辰ようさいしんだが、そもそもハニバル・トラベイヨ司令がディーンに課すハンデキャップとして用意させたシロモノで、ようやく組み上がったのが予選開始前日だというお粗末すぎる事情は副司令のトリエルが呆れるほどだった。

 だが、“ベルカ・トライン”はそんな裏事情をまったく感じさせなかった。

 影も踏ませない圧倒的な戦いぶりに、勝ち上がるごとに評価を上げている。

「ベルカ、お前を野放しには出来ない。騎士の誇りと私の存在にかけてっ!」

「やってくれるね、ルイス・ラファール。だけどいつまで続けられる?」

 交戦中の真戦兵同士で会話など出来る筈がない。

 無線通信機を搭載とうさいしているのはこの時代はまだ騎士団所属の指揮機だけだ。

 だが、二人の心が共鳴していた。

 ベルカは薄く笑みを浮かべ、舌なめずりをする。

 だが、意気込んでみたものの、さすがのベルカも容易に攻め手を見いだせなかった。

 じりじりと緊迫きんぱくした時間だけが無常に流れる。


「スゴイねぇ、あの娘」

 観覧席のトリエル・シェンバッハ女皇騎士団副司令は心底感心していた。

「完璧なタイミングだった『坊や』の斬撃を二度も完全にかわしましたよ」

 「坊や」とはフィンツ・スタームの通称だ。

 女皇アリョーネは常々、「アタシの可愛いフィンツ坊や」と准騎士じゅんきしフィンツを猫かわいがりしていたので愛称が「坊や」なのだ。

「ええ、“格上”の騎士と戦う見事なお手本です」

 銀髪長身のイケメン騎士たるビルビット・ミラー少佐はこと真戦兵がからむと冷静かつ言葉に遠慮がなくなり、ひどく冷めた口調で解析する。

 ビルビット・ミラーこそ、知る人ぞ知る騎士戦闘解析の第一人者だ。

「あの娘は三回戦までレイピアをまったく使わなかった。なのに今回は最初からレイピアばかり5本も用意している。なぜだか分かりますか、先輩?」

「まったくわかりませーん」

 トリエルは目線を切らずに応じた。

 目を離すと折角の良い場面を見逃しそうだからだ。

「相手の攻撃が速い場合には、反応が一瞬遅れてもどうにか対応できるように軽い武器で受け流すしかない。それでも重い攻撃にはそう何度も耐えられない。だから、武器を複数用意して、自分からは決して仕掛けない。相手が達人になればなるほどカウンターには滅法めっぽう強い」

「そういうことですか」

 カナリィの背後には5本のレイピアが突き立てられている。

 対するジェッタの背後には予備の武器は置かれていない。

「しかも、受けるかかわすかの判断をギリギリかつ正確に行わなければ、ふところにもぐりこまれて徐々に追い込まれる。それを避けるために一瞬だけ速く退いて間合いをずらしている。“フィンツ”の仕掛けが完璧なタイミングなのに、ルイスがきれいにかわせるのはそのせいです」

「ふむ、しかし、それだけでは勝てませんね。ばかりか積極性に欠けるということで減点の対象になってしまいます」

「だから、彼女は勝負を判定に持ち込むことなど、最初から考えていやしません。受けきって、避けきって、焦りを呼び込んで、来るか来ないか分からない一瞬の好機を待って、そこで仕留めるつもりなんです」

「あらら、それではまるで」

「ご推察のとおりです。彼女は初めて対戦するフィンツの能力をかなり把握しています。そして、格上だと見切った。考えに考え抜いて現状でわずかな好機を見出すたった一つの戦法に賭けた。これは超一流の騎士で天才にしか出来ない芸当です」

「ほぉ?」

「『天才は天才を知る』ということです。フィンツ・スタームが稀代きたいの天才騎士なら、それを知るルイス・ラファールもまた天才。並の騎士ならそこまで考えが及ばない。仮に考えたとしても技量が追いつかない」ミラーはそこで言葉を切った。「一言で言ってしまえば、相手が悪い。フィンツが相手でなければとっくに勝ち上がっています。彼女はまぎれもなく強い。他の少年少女たちだけではありません。そこいらの現役騎士などは目でない」

「ふーん、そいつは面白いですね。君のライバルはとんだ妹君をお持ちということですか」

 そこいらの現役騎士を自認するトリエルは乾いた笑い声をあげた。

 それこそこの男お得意の大嘘だ。

「あるいは才能だけならば兄のシモン・ラファール中佐(1187年次は大佐)さえ凌駕りょうがしているかも知れません」

「それはさすがに言い過ぎじゃありませんか?」

 シモン・ラファール中佐といえば国家騎士団でも最強をうたわれるほどの使い手であり、現役の国家騎士としては最高の部類に入る。

 そして、1178年に行われた前回大会の最年少優勝者だ。

 アリョーネの御前試合でも女皇騎士団最強のハニバル・トラベイヨ司令と引き分けたほどの腕前でもある。

「たしかにシモンは実力者ではあるし、天才と称する人も多い。ですが、本質的にシモンは努力型の秀才ですし、大きなハンデがある。天賦てんぷの才を努力と修練で完璧なまでに発揮している。ただ、形にとらわれた戦いに縛られていては、残念ながらそれ以上の伸びしろはありません。もともと“型にはまった戦いが苦手”なのですから」

 ミラーは隣に座るトリエルの顔をまじまじと見据えた。

「むしろ先輩に似てますよ。本来のシモンも、あそこにいる妹のルイスもね。兄妹共に模擬戦より実戦で優れた力を発揮するタイプです。あの見切りの技術は並大抵のものではありません。現に受けに専念していると分かっていて、フィンツが攻め手を失っているではないですか。隙なく守りを固めるその奥で、彼女は鋭い牙を隠していますね。そうか・・・」

「鋭い牙ねぇ」

 ミラーはトリエルのそでを引き、小声でささやいた。

「彼女は“天技”を使えるんですよ」

「えっ・・・」と言ったきり、トリエルは絶句した。

「ここ一番で使える大技があるから、あんな一見消極的ととれる戦法がとれるんだ」

「おいおい冗談だろう。あの年で天技使いなんて、フィンツやお前たち以外にもそんな奴が」

「いるところにはいるようですね。正直なところ驚きです」

 ビルビット・ミラー少佐はそう断じていた、


 二人の戦いはじりじりとした膠着状態こうちゃくじょうたいおちいっていた。

 ジェッタの踏み込みの間合いを外すため、カナリィは距離をおいて積極的に前に出ない。

 フィンツは時折、フェイントを交えて踏み込みのタイミングをはかるが、ここぞの踏みだしでは完全にタイミングと間合いを見切られている。

 すり足でにじり寄っても、やはりじりじりと距離を置かれる。

 ただ、下がるだけなら押し込めそうだが円を描くように回り込まれ、間合いを維持されてはまるで意味を成さない。

 なにより武器の重量差が災いしていた。

 巨大な刀身を持つ幅広剣は鍔迫つばぜり合いでこそ威力を発揮するが仕掛けはどうしても遅れる。

 対して軽量のレイピアは通常なら先手をとって手数を稼ぐのにもってこい。

 待ちの戦法にはまるで向いていない。

「なにかあるんだよな、なにかがさ」

 ベルカは敢えて軽量の武器を選んだルイスの選択に意味があると察していた。

 単に得意だからというのではあるまい、なにしろルイスは予選からここまであらゆる武器を使いこなしてきた。

 そして、一番得意なのは片手槍だと判断した。

 準々決勝で“パーン・クライス”を一瞬で追い詰めた鮮やかな槍さばき。

 だから今回もそれで来ると思っていた。

 あの“メディーナ”が速度勝負でまったく歯が立たなかったのだ。

 幼少期からパーンことメディーナをよく知るベルカにしてみたら驚きを通り越して呆れていた。

 強い女騎士たちをよく知るベルカは騎士に性差などないことをよく知っている。

 筋力も精神力も真戦兵は簡単に埋め合わせる。

「来ないのか、ベルカ?」

 ルイスのカナリィは挑発するようにレイピアの切っ先をくるくると回す。

「なんか狙ってるとこ、簡単に踏み込めるかっ」

 ジェッタは右に構えた幅広剣はばひろけんをだらりと地面すれすれにただよわせる。

「来ないのなら、こっちから行くぞ」

 ルイスの駆るカナリィは一瞬だけ構えを崩した。

「ここだっ!」

 フィンツの駆るジェッタはルイスが攻撃に切り替えたのを見計らいすかさず前に出た。

「行くぞっ!踊れ《十六夜》」

 カナリィがおどり上がるように前のめりに突進する。

 上体は中段に構えて崩さず、低い姿勢を保ちながら恐るべき早さで間合いを詰める。

 ジェッタもまた前に出ていたが、一瞬で突撃を察知し、体を開いて応戦の構えをみせる。

「くらえっ!」

 ルイスは気合いを込めた突きを繰り出した。

「なっ!?」

 フィンツは咄嗟とっさ幅広剣はばひろけんで受けた。

 衝撃しょうげきとともにジェッタの機体がらぐ。

 かすめただけでバランスが崩れるほどの深く鋭い突き。

 それが目にも止まらぬ早さで次々と襲いかかる。

 しかし、それで動揺したり機体のバランスを完全に失うベルカではない。

 弾くと同時に、幅広剣はばひろけん横薙よこなぎに一閃させる。

 一閃した幅広剣を再び突きが襲っていた。

 切っ先がぶつかり合い激しい火花を散らす。

 想定外の強烈な一撃にジェッタの体勢が完全に崩れる。

 その肩先を三発目の突きがかすめる。

 驚異的な反射神経で突きをかわしたジェッタは踊るように一回転する。

 回転の反動を利用して再び一閃した幅広剣に四度目の突きが入る。

 広い刀身に阻まれたレイピアは鈍い音をたてた。

「せいっ!」

 ルイスの気合いとともに、カナリィはなおも次の突きを繰り出す体勢に入っている。

 ジェッタは幅広剣の重量に身を任せ、ゆらりと流れるように構えを建て直す。

 ぎしっという鈍い音と共に、カナリィの五発目の突きはジェッタの機体の左腕をわずかにかすめた。

「なにっ?今のどうなったんだ?」

 完全に見切った筈の突きがかすめた感触にベルカは動揺した。

 その一瞬の動揺を見透かされたようにカナリィが迫る。

「とどめだっ!」

「ちっ、させるかっ」

 二機がぶつかり合おうとした刹那せつな、突如として周囲から現れた別の機体がさえぎる。

「なにっ!」

 それぞれの操縦席で二人が同時につぶやいた。

 脇にいた筈の主審が間に割って入っている。

「とまれっ!」

 6発目の突きを繰り出そうとしたカナリィを、間隙をついて割って入った3体のブロウラが押し留める。

 ジェッタもまた同様に取り押さえられていた。

「主審判断により、この勝負。しばし、水入りっ!」

 「水入り」とは対戦が危険と判断した際に主審および副審の判断で試合を止めることを意味する。

 プラスニュウムを焼く強烈な悪臭があたりにただよう。

 詰めかけた観衆たちはしばし呆然と取り押さえられる二機の真戦兵を見据みすえた。

「おいおい『水入り』かよ」

「仕方ありません。あのまま《十六夜》で攻めきったとしてもルイスさんは反則負けになります。僕と同じ理由で」

 《十六夜》は計八発の連続突きで構成される天技である。

 最大の特徴は早い踏み込みから上体を崩すことなく伸びのある突きを全身で繰り出すというもの。

 単なる連続突きなら同じ場所を狙うだけで速度に慣れさえすれば避けるのは困難でも受けることは出来る。

 わかりやすくボクシングでたとえるならジャブだ。

 早い分だけ一発一発は軽い。

 だが、離れた間合いから腕全体をしなやかな鞭のように使い広範囲かつ正確に一点を射抜く突きを繰り出すところが「天技」と言われる所以ゆえんだ。

 一発一発が重く鋭い。

 真戦兵の肘関節は人体と違い僅か5度程度だが外方向に曲げることが出来る。

 ここで小さくタメを作るのだ。

 全力で繰り出す突きに人間なら筋肉と関節が悲鳴を上げるところだが真戦兵はそれほどヤワではない。

 さすがに短時間に何度も繰り出すことは素体疲労の問題上不可能で連続八発が限度と言われている。

 それ以上続けて繰り出せば素体に深刻なダメージを負い、腕自体が使い物にならなくなる。

 むしろ、乗り手に求められるのは姿勢と狙いを維持し続ける強靱きょうじんな集中力だった。

 息もつかせず上下左右から内に外にと振り回すのでなくては連続技の意味がない。

 並の腕ならば一、二発目で、それなりの使い手でも四発目あたりで勝負がついている。

 そもそも八発も耐えしのぐこと自体が人間業ではない。

「なるほど、ソードカバーか?」

「ええ、最初の突きでフィンツのが、四発目の突きでルイスさんのが弾け飛んだ」

 刃を削らない「なまくら」な武器同士でもまともにぶつかり合えば致命傷を与える心配がある。

 そこで更にプラスニュウム製のカバーをつけているのだが、それすら簡単に弾け飛び、その一部が観客席に飛び込んでいた。

「おいおい、あれじゃ怪我人が出るぞ」

 幸い大きな破片は闘技場端の砂地に刺さり、砕けた小さな破片が安全のため空席とされている最前列に散らばる程度ですんでいた。

「それより、普通はなまくらなレイピアがかすめただけで装甲が焼けるなんてありえません。それに、あれ見てください」

 カナリィの持つレイピアが真ん中からぐにゃりと曲がっていた。

「うわっ、なんだよあれ」

「四度目の突きでフィンツの剣とぶつかったでしょう?あのとき、僅かに折れ曲がっていたんですよ。そのせいで軌道がそれて、フィンツは完全にかわしたつもりが僅かにかすめていたわけです。まっ、致命打にはほど遠いですがね」

 「水入り」の間に運営委員のメンテナンサーたちが機体の点検に入っており、武器の交換も行われている。

 厳正げんせいすために両者は搭乗席をおりた。

「あれが実剣ならどうなってたんだよ?」

「それなら、降りてくるルイスさんの表情をみればわかります」

「なにっ?」

 トリエルは目をこらした。

 正面スタンド前では荒い息をつき、ひどく青ざめた表情のルイスが汗をしたたらせている。

「フィンツの一閃がまともに突きを弾いたのですから、実戦なら二発目の時点でレイピアがくだけています。勿論、三度目以降の突きには入れませんでした。彼女はそれがわかっていますよ」

「そうか、それであんな余裕のない表情を」

 観衆の度肝どぎもを抜く弾丸のような突きを繰り出しながら、ルイスの心中は穏やかではないだろう。

 偶然かすめた五発目以外はすべてかわされるかはじかれるかしている。

「そもそもフィンツはハンデをつけるために敢えて重量のある幅広剣はばひろけんを使っているわけです。手合いの試合なのですから、装甲を破壊する必要性なんてないでしょ?それこそ同じレイピアなんて使っていたら勝負にすらならない。にもかかわらず、あれだけ武器の重量差がありながら渾身こんしんの突きを三度も弾いているんです。慌てたのはむしろルイスさんでしょうね」

 ミラーの言葉はルイスの心中を見事に代弁していた。

「《十六夜》っていう手の内をさらして、『水入り』だともう勝機はないだろうな」

「どうでしょうね、ここまでの戦いだけをみれば五分五分です。連続で八発の突きをたたき込む《十六夜》が使えるとなると単発の攻撃ならもっと速い。連続攻撃は軽いというのが定石ですが、かすめただけでもソードカバーを破壊し、装甲を焼くのですからはじいたつもりが急所を貫通することもありえます」

幅広剣はばひろけんと組上がったばかりのジェッタ。それほど実力差がない相手にはハンデが大きすぎたかな」

「いいえ、もうルイスさんは気づいている筈です。幅広剣はばひろけんは武器であって単なる武器ではないことに」

「どういうことだ、それは?」

「さっ、そろそろ試合が再開しますよ」


 ベルカとルイスはそれぞれの機体に再び乗り込んだ。

 だが、再開前とは明らかに異なっている。

 カナリィは両手にレイピアを所持していた。

「なにっ?」

「やっぱりそうきましたか」

 トリエルとミラーのつぶやきは大きなどよめきにかき消された。


 試合を注視する誰もがルイスのカナリィが「二刀流」となったことに驚きと戸惑いを隠していない。

 だが、会場で唯一人ベルカだけが冷静にその事実を受け止めていた。

「それでこそ、ボクの見込んだルイス・ラファールさね」

 観客が「二刀流」の意味を理解したのは間もなくのことだった。

 試合が再開されるなり、ルイスは再び突きの構えに入る。

「もう後がないわ。舞えっ《十六夜》っ!」

 先程と同じく《十六夜》の体勢に入ったカナリィに対して、フィンツのジェッタは明らかに構えが変わっていた。

 なにより機体の向きが正対している。

 肩を押し出すように斜めに構えるのが正統とされ、幅広剣はばひろけんで正対するのは不利だった。

「いくよっ、遊べ《浜千鳥》」

 フィンツの構えの正体は間もなく明らかになった。


 ビルビット・ミラーは思わず席を立ち上がった。

「嘘だっ!なんだあれっ!」

「えっ、《浜千鳥》だろ?フィンツお得意の『天技』」

「そんなのエドナの天技指南書のどこにものってませんっ!バックステップになるアレは見た目以上に難しい。だいたい誰が《浜千鳥》なんて名付けたんですか?」

「えっ?」

「少なくとも剣聖エドナは見たことがない筈です。だけどアレは確かに文句なしのだ」

 再び始まった突きの連打をジェッタは軽やかにかわしていく。

 右へ左へと軽やかなバックステップを踏む。

 その様子はさながら波打ち際でちょんちょんと左右に足を踏み出す小鳥に似ている。

 最小限の動きが正確な突きの連射を軽やかにかわしていく。

 正対するところの意味は明白だった。

 可能な限り死角を生み出さず両目で動きを見切り、攻撃の軌道を見切る。

 無論、先程のように反撃など行わない。

 幅広剣はばひろけん正眼せいがんに構えたままだ。

 右手の繰り出したきっちり八発の突きはすべてかわされた。

「まだよっ!」

 カナリィの構えが瞬時に切り替わる。

 右手のレイピアを投げ捨てたカナリィは即座に左手で突きを繰り出し始めた。

「えっ?」

「やはり、“本物”の《十六夜》ですかっ」

 これこそが《十六夜》の《十六夜》たる所以ゆえんだ。

 左右で八発ずつ、計一六発の突きから成る怒濤どとうの連続技。

 だが、カナリィの右手が繰り出す突きが止んでもジェッタの構えには全く変化がなかった。

 再び千鳥の舞いが再現されるかと誰もが思った。

「バックステップの《浜千鳥》ならフロントステップは・・・」

「ハニバル司令は《啄木鳥》と呼んでいたな」

 恐るべき速さの突きをかいくぐるようにジェッタが軽やかに踏み込んでいく。

 左右と背後に移動する《浜千鳥》に対して、《啄木鳥》はとんとん拍子に前に前にと踏み込む。

 本来なら踏み込みと同時に連続攻撃を繰り出すのが《啄木鳥》の真骨頂だったが、あいにくなことに幅広剣はあまりに大きく重すぎて連続攻撃など出来る筈がない。

 ジェッタの踏み込みでずれた位置を修正してカナリィの突きは続く。

 だが、その修正さえも凌駕りょうがするようにジェッタは僅かずつ確実に前進していく。

 左手が五発目の突きを繰り出したそのとき、カナリィは機体ごと弾け飛んだ。


「《虎砲》かっ!」

 ビルビット・ミラーは即座にそれがフィンツの放った3つ目の天技だと理解した。

 密着ゼロ距離からの強烈な攻撃がカナリィを襲う。

 タメも間合いもない、だが強烈な一撃だ。

 不意を襲われた乗り手が失神してもおかしくはない。

 斬るというより身体全体でのしかかるようなカウンター攻撃だった。


「しまったっ!」

 ベルカには二つの誤算があった。

 一つはジェッタとカナリィの重量が思いの外軽く、刃引きの刃では両断どころか胸部装甲を強くはじくだけだったこと。

 もう一つは、カナリィの構えが左であったせいで体が開いて威力が内にこもらず外側に逃げたことだ。

 その場に叩き伏せられる筈のカナリィは後方に大きく押しやられ、その分だけ威力は分散した。

 カナリィはジェッタの右前方に飛びすさった形になる。

 ルイスは懸命に機体を建て直した。

「っ、やるわね、ベルカっ!」

 カナリィは膝をつき、ジェッタは片膝を大きく沈み込ませている。

 これが強烈なカウンター攻撃の正体だ。

 剣を前に押し出すのではなく体重をかけて下方向に叩き付ける。

「食いちぎれ《紅孔雀》っ!」

 一瞬息を呑んだのはベルカだった。

 完全に死に体と思われたカナリィがクラウチングスタートさながらに一気に突進する。

 腰溜こしだめにしたレイピアの刃を右手がしっかりと支える。

 その体勢に入ったならばあとは三択攻撃になる。

 腰溜こしだめの構えから左手から大きく突きを繰り出すか、押し出した右肩口で体当たりをかけて弾きとばすかあるいは・・・。

 ルイスは瞬時に第三の選択肢を選んだ。

 左手をすっと離し、右手で刀身を握りしめたまま駆け抜けざまに脇腹を食いちぎる。

 多重装甲の胸部と比べて脆弱な腹部の装甲めがけてレイピアを突き立てる。

 その筈だった・・・。

 ジェッタは立ち上がりかけた中途半端な体勢のまま、逆手にした幅広剣を右脇から地面に突き立てた。

 突き立てる筈のレイピアは広い刀身に阻まれ、ソードカバーごと切っ先が折れ曲がる。

 幅広剣に足をとられたカナリィは前のめりに倒れ込んだ。

「まったく、殺す気か・・・。いや、本気で殺す気だったのか・・・?」

 カナリィはそのまま起きあがらなかった。

 すっと立ち上がったジェッタがカナリィの無防備な背中にコンコンと剣を当てていたからだ。

「勝負あったね」

「ぐっ」

 カナリィの操縦席でルイスは虚脱感と敗北感に襲われ、失神していた。


 全力を尽くした。

 完全な《十六夜》を繰り出した。

 最後は《紅孔雀》で三択攻撃に持ち込んだ。

 それでもすべてにおいて上回るジェッタとベルカに圧倒された完敗だった。


「武器であり盾か」

 トリエルは最後に串刺しを防いだ幅広剣ですべてを理解していた。

「ええ、幅広剣はばひろけんの本来の扱い方はあの広い刀身を生かした守りにあります」

 攻撃では様々な場面で不利をもたらした巨大な刀身が最後の最後に物を言った。

 カナリィが転倒したのも重量のあるあの武器に飛び込みでバランスを崩した足を取られたからだった。

「しかし、分からないのは最後のアレだな」

「《紅孔雀》は剣聖エリンの編みだした三択攻撃です。一瞬の突撃から三つの攻撃を用意する。左腰溜めからの突き、右肩からの体当たり、そして右手ですれ違いざまに脇を刺す」

 ミラーは構えを作って実演した。

「相手の体勢に合わせて攻撃を選ぶ。彼女の選択は間違っていませんでした」

 トリエルはジェッタの体勢を再現する。

「ここで突きを繰り出したら、右膝に僅かに体重をかけるだけでかわされてしまいます」

 ミラーは右手を大きく振り出した反動で長い突きを繰り出すがトリエルは右膝に体重をかけて頭をそらす。

 角度から言って届くとしても強靱きょうじんな装甲を誇る右肩ぐらいしか目標がない。

「有効なのは体当たりの筈・・・ところがそれが意味を成さないことはその前の《虎砲》で明らかでした。なにしろ、あの時点で勝負あったにもかかわらず、後方に弾かれ体勢を立て直せたのは、正にお互いの重量が少なかったせいです」

「なるほど、あの技は受けた側の機体の重量がそのまま中の人間を叩きのめすわけか」

 掌底しょうていで繰り出す《虎砲》はその実トリエルの特技だったが、敢えて知らんふりをする。

 そもそも《虎砲》をディーンに伝授したのはトリエルと子爵だった。

「そうです。そこにフィンツの誤算が生じた。勿論、滅多にない左構えだったせいもあるでしょうね。右から左下に叩き伏せたときに左構えだと重心の位置から右前方に弾け飛んでしまうわけです。ルイスもそれを一瞬で理解していました。体当たりでは弱すぎてジェッタを転がすことが難しい。結局、完全な三択攻撃にはならずに、駆け抜けざまの串刺しを狙う他に道はなかった」

「仕切り直していたとしたら、連続技の反動でガタガタになっている両腕でフィンツの攻撃をしのぎきらなきゃならない・・・そういうことか?」

「ええ、そこまで追い込んだのは間違いなく・・・」

咄嗟とっさに3つの天技を用いてみせたフィンツの才能か・・・」


 ベルカ・トラインの見事な勝利に会場は大いにいていた。

 会場で見物していた国家騎士団の幹部たちは兄のシモンと同様に妹のルイスをも拾い上げようと考えていたが、その考えを改め断念した。

 パルム警護のため娘の晴れ舞台を見物しなかったエイブ・ラファール准将だけが、相当酷い試合をしたのだと誤解した。

 だがこの後、ベルカ・トラインに片膝をつかせたことの意味がどれほど恐ろしいかが知れ渡ることになる。

 ベルカ・トラインこそが偽名で出場していた女皇騎士団の秘蔵っ子であり、フィンツ・スターム新少佐として女皇正騎士に元老院議会満場一致で選出された大陸一の騎士だと皆が知ることになったからだった。

 ただし、ベルカ・トラインとして試合にいどみ、フィンツ・スタームとして正騎士になるディーンせんせはこの夜の「再戦」でルイスに完敗し、その後の人生において一生尻に敷かれることになるのだった。


 オマケのおまけ 刹那せつなの衝撃


皇暦1183年8月12日

ゼダマルガ

 エドナ杯決勝前日


 準決勝から決勝まで3日空くのは通例だがその理由に関しては経済効果だろうと言われている。

 なぜなら、エドナ杯で一番盛り上がるのが決勝戦前の3日間だからだ。

 誰もがにわか評論家となって興奮気味に贔屓ひいきの選手を持ち上げる。

 オッズメーカーが刻一刻と変わる勝敗予測と選手評をわめき散らし、本当なら禁止されている「賭け事」として行うが、お上からお目こぼしされている。

 今大会に関してはベルカの勝利に一番大金を詰んだのがアリョーネ女皇だとまことしやかにウワサされていた。

 だが、人々の注目の的である筈のベルカ・トライン陣営が異様な沈黙に包まれていた。

 対戦相手のアリオン・フェレメイフがそれだけ要注意だからとも、あるいは想定外のアクシデントがあったのだともささやかれていた。

 そうした出所不明な情報が3日の間に出回りまくるのだ。

 皆ソワソワしていても立っても居られなくなる。

 そうした街の喧騒けんそうを尻目にトリエル・シェンバッハ大佐副司令とビルビット・ミラー少佐はとてもフクザツな表情を浮かべ、苦り切っていた。

「なんですとっ・・・」

「センパイ、どうすんですかっ?」

 ベルカ・トラインことフィンツ・スタームは別に健康を害したりはしていない・・・と二人は思いたかった。

「コワイなぁ」

「あの試合の夜のアレのあとですよっ、シャレになってませんて」

 もはや吉報なのか悲報なのかさえ判断がつかない。

 誰よりへこんだのが耀犀辰ようさいしんだった。

 あまりの落ち込みようにイアン・フューリーは掛ける言葉さえ見つからなかったという。

 その次にへこんだのが亜羅叛あらはんだった。

 目の前に居た愛弟子をまんまと拉致らちられたのだ。

 男一人抱えて宵闇よいやみに消えたルイスを亜羅叛あらはんは追い切れなかった。

 大体にして、色男優男ながらわりと身ぎれいなミラーはともかく、不良中年蛇皇子トリエルに関してはすねが傷だらけ故にディーン坊やを責める資格など皆無だったし、そもそも怪物騎士たちの手で「品行方正に仕立て上げられた坊や」がこの大事な場面で粗相そそうするはずがなかった。

「あの娘までモンスター女子の同類だというのが血は争えないというのでしょうかねぇ、先輩っ?」

「いやいや、それだけは言ったらマズいよ、ビリー」

 おおよその事情は察した上で、結局のところ苦労人なのは自分たちだし、そのうち「フィンツ坊や」も加わって苦労人トリオになると察すると、もはやタメ息しか出なかった。

 地上勤務が極端に制限され、基本的にジジイのお守りだけしていればいいイアンの方がかなりマシだったが、あちらはあちらで別の気苦労が絶えないとのことだった。

 かなり遅れてようやく待ち合わせにやってきたベルカ・トラインことフィンツ・スタームの姿に二人はガックリとうなだれた。

 憔悴しょうすいしているどころではない。

 はっきりボロボロだった。

「たはははは」と力無く笑った坊やの姿に全てを察したトリエルも鬼ではなかった。

「皆までいうな、あとはオジさんに任せろ」

「あと一戦戦えるよね?」

 ビルビット・ミラー少佐に念押しされたフィンツ・スタームは力無くうなずいた。

「それに関しては問題ナイっす。完全覚醒しちゃいましたから」

「いっ?」とミラーは仰天ぎょうてんする。

「でなきゃこんなことになるわけナイでしょ。犀辰センセイにはお二人からも謝っておいてくださいな」

「なんですとっ!?」

 前章のナダル・ラシールと耀紫苑が正に騎士覚醒だった。

 情緒不安定になり、き上がる衝動しょうどうに身も心もズタズタになった後に、目覚めは唐突に訪れる。

 その前後の崩壊した人格はそのときだけのものだ。

 唐突に訪れる悟りの境地きょうちが騎士たちを覚醒させる。

「つまり、ソレって?」

「“ナノ・マシン使い”としてなんでも出来るってことです」

 その後、フィンツ坊やはトリエルとミラーに耳打ちした。


皇暦1183年8月13日

エドナ杯決勝当日


 決勝戦だけのことはあり、当日はセレモニーづくしだった。

 来賓席らいひんせきのアリョーネ・メイダス女皇への敬礼やら国歌斉唱、出場選手紹介も桁違けたちがいの規模で行われる。

 ベルカ・トラインもアリオン・フェレメイフも気力体力充実の様に見えた。

 ベルカは大会後について女皇騎士団入りを宣言し、アリオンは国家騎士団入りを宣言する。

 決勝まで駒をすすめた段階で二人とも進路が内定していた。

 後は正々堂々戦い雌雄しゆうを決するだけだ。

 審判団による機体のチェックも行われ、ジェッタとアリオンの使うパルサスも準決勝までの仕様に間違いないと確認された。

 審判長による「騎士道精神にのっとり、正々堂々と戦いその名を大陸にとどろかせよ」という最終宣言にベルカとアリオンは握手した。

「さて本気で行くからね」とアリオンが不敵な笑みを浮かべれば、対するベルカは少しも笑うことなく言った。

「死ぬなよ」

 なにそれと一瞬だけアリオンはベルカを凝視ぎょうしした。

 死ぬなよ?

 まるで他人事みたいな口ぶりだったし、よくよく表情を確認して憐憫れんびんだったことをもう少しだけ考える余裕があったならば・・・。


「嘘でしょ!」とアリオンは思わず叫んでいた。「なんでアンタなのよ!?」

 目の前にいるのはジェッタだ。

 そして、確かに試合開始の直前まではベルカ・トラインと名乗る“ディーン”だった。

 実際、健闘を約束する握手もし、言葉も交わしている。

 そうか、ウォーミングアップのときだ。

 あのときジェッタは来賓席のアリョーネ女皇に挨拶するため観客席に近付いてジェッタに片膝をつかせ、深々と頭を下げていた。

 少し長いなと感じたくらいに。

 偽名であるベルカ・トラインの所属はともかく“ディーン・エクセイル”は女皇騎士団の騎士なのだから当然の行為だと思っていた。

 そのとき以外には搭乗者が入れ替われるタイミングはない。

 仮に二人とも覚醒騎士だったとしてナノ・マシンで目眩めくらましをかけても自分の目は誤魔化せない。

 何処の馬の骨とも知れない無名の天才騎士「アリオン・フェレメイフ」ならいざ知らず、それなりの両親のもとに生まれた凄腕騎士だ。

 まやかしはいっさい通じない。

(あのお父様の見立てが外れた?)


 勝負もなにもあったものでもない。

 ジェッタで、大剣で、瞬きほどの時間で、アリオン・フェレメイフは後にその代名詞となる秘天技を繰り出すことなく、まさに刹那せつなで完敗させられた。

 固唾呑む一瞬で決した決勝戦を“刹那せつなの衝撃”と称したのは中原最高の手合い評論家たるライゼル・ヴァンフォート伯爵だった。

 この人物の見立ては全て当たる。

 残念ながら、パルムから夜逃げしたライゼルのその後が知られていないせいで知る人ぞ知るだが、《ベリアの悪魔》と誰からも怖れられた後半生を知る者たちに言わせれば、ライゼルの予言にも似た評価は「絶対」だった。

 紅孔雀べにくじゃくきわみ

 国家騎士団入りしたアリオン・フェレメイフは一生付いていくと決めたマイオドール・ウルベイン少佐(アリオンの入団当時。その後、中佐に昇進)から自分を叩きのめしたその技の名を告げられた。

 変幻自在、予測不可能と人々に言わしめた後の剣聖マイオも正に食わせ物であり、決勝戦を見物していた彼は後ににも伝える。

 《紅孔雀》の三択攻撃ではなく三つの異なる属性もつ攻撃を一瞬で叩き込む。

 寸止めされたのでパルサスは無傷で大事なかったが、アリオンの精神とプライドは一瞬で叩き壊された。

 失神し、失禁し、白目をいたアリオンにそっと純白のマントを差し入れたのは女皇騎士団正装姿で“同僚”のディーン・エクセイルだった。

「よく生き残ってくれた、アリオン。いや、ほんとアッチで良かったよ」

「・・・どういうこと?」

「これから先、女皇正騎士“フィンツ・スターム”として機会があれば幾らでも相手してやる。負けて悔しかったら腕をみがくしかないのが騎士なんだ。それに騎士は騎士に負けた数だけ強くなるんだ」

(女皇“正”騎士・・・なに言ってるの?アンタは議会承認なんかされてない「影」じゃん・・・それにフィンツってどういうこと・・・?)

「そっか、ディーン。まけちゃったのか」

 アリオンの記憶は途中からとんでいた。

 直前の濃密な思考はいわば走馬灯そうまとうのようだった。

 肉体が「死」を覚悟するほどの怒濤どとうの攻撃。

 決勝戦は「同門対決になる」のだという事実誤認がアリオンの油断だったとでも言うのか?

 初手でディーンが絶対に知らない秘奥義をぶつければ勝てないまでも長期戦に持ち込めるし、「いかに機動性と防御とに優れるディーンの機体であれ、あの技を食らうか受けるかすれば、もともと脆弱ぜいじゃくなジェッタは必ず壊れる。あとは何処どこかをかばいながらの戦いになる」とかなり具体的な試合内容を指示されていた。

「キミの親父さんも負けたよ。見ていて痛々しいほどに心が折れる音が聞こえるかのようだった。ボクも負けたよ。『表の準決勝』は勝ちを拾えた。だけど、『裏の準決勝』ではアイツに完敗した。アレはもうボクらが知っている天技なんかじゃなかった。言い訳のしようなんかないよ。ボクは試作機といえトリケロスを、アイツはスカーレットを使ったんだ。それでボロ負けさ」

 イアン・フューリー提督が輸送艦バルハラでジェッタの他に会場に持ち込んでいたのはゼダ最新鋭の次期主力真戦兵2機だった。

 勿論、エドナ杯本戦とは異なる目的で密かに運び入れていた。

 悪知恵に長けたヘビ中年副司令は誰かの思惑をくじくためにそこまでしていた。

「嘘でしょ?トリケロス・ダーインを使ったお兄ぃが負けた?」

 女皇騎士団の関係者ならほぼ全員が知っていた。

 ファング・ダーインを超えるスカーレット・ダーインとベルグ・ダーインを超えるトリケロス・ダーイン。

 亡き妻の設計書から天才マイスターの耀犀辰ようさいしんが組み上げた2機の次期主力真戦兵は試作機とはいえ国家騎士団でさえ、何処にも一機たりとも配備されていないゼダの最新鋭機だった。

 そして、拠点防御に優れたベルグ・ダーインの後継機たるトリケロス・ダーインはある意味、トリエルとディーンという「防御を全面に押し出して戦闘力とする二人の騎士たち」が使うことを想定して建造されていた。

 対称的にスカーレット・ダーインは皇分家筋にある女性騎士たちが使うことになると想定されていた。

 実際、実戦投入したのは皇分家の産んだ剣皇エセルの末裔たちとその関係者たちだった。

 傑作機けっさくきサーガーンの設計とオリジナルダーインの設計をベースに現代版として改良された600年前の天才マイスターたるジュリアンと耀圓明ようえんめいのいいとこ取りした反則的な超攻撃機。

 今は亡き耀多里亜ようたりあのこした子供たち。

 そして、多里亜の本当の子がこの時代が産みだした「もう一つの究極決戦兵器」の作り手となる。

 その名はフランベルジュ。

「だから、表の決勝戦をアイツにゆずったんだ。ボクらがアイツと戦う機会はこの先もう一度としてない。いや、違うな。『ボクはこの先ずっと負け続けることになる』よ。だが、お前の場合はアレで最後さ」

 手合い200戦無敗神話もつフィンツ・スターム少佐のスタートは苦すぎる敗戦から始まった。

「ウワサは本当だったんだ・・・」

 剣皇エセルでさえおそらく敗北するであろう究極の怪物。

 本当の意味でのエウロペア最強騎士。

 神無きセカイに放り出された《嘆きの聖女》の最終形。

「それからコレは新大陸にいる“子爵”師匠からの伝言だ。『恥じることも、哀しむこともしなくていい。俺たちも泣いて、泣いて、気が狂うほど負けたから今に到っている。勝つべきとき、勝たねばならない相手に勝つのが真の騎士だ』とね。あの人はいつだって優しいよ。あるいは“人食い”師匠よりもね。だからさ、泣いてもいいんだよ」

 ディーンの最後の言葉に、後に《氷の貴公子》と称されるアリオンの目から悔し涙がつたい落ちた。

 だが、誇りと志たかき騎士達が流した悔し涙はやがてエウロペア大陸に完全勝利をもたらすことになるのだった。

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