断章 特記第六号条項
いよいよ物語の舞台はパルムから西に移動する。
しかし、ここで「正史」とティルトの語る「真実のものがたり」は最初の
「正史」には決して記されない事実。
そして、4人が
物語の続きを語る前にこの時点の状況を少しだけ整理しておきたい。
彼らの口を借りてこの時代を整理したい。
統一暦1512年11月6日
ファードランド邸
既に冬の
ファードランド邸の主セオドリック、アンナマリー夫人、ティルト・リムストン、エリザベート・エクセイルの4人は客間のソファーで
話題はすぐにエリザベートの要望により、皇暦1188年の話となっていた。
「皇歴1188年ねー」エリザベート・エクセイルは待っていましたとばかりに口火を切る。「この年は色々ありすぎて困る年だわね。彼ら4人を中心とした物語の中では半年間はパルムは雲行きが怪しくても平和そのものだったようだけれど・・・」
ところが実際はそうでもない。
「ところが夏を境にしてたちまちにして、ゼダ国内は内戦と革命前夜という大嵐に見舞われる。その発端となったのが『トレドの
「トレドの
人口40万人のトレド市民の一部が武装蜂起するという誤情報に国家騎士団西部方面軍と国軍とが西の最果てトレド市街で女子供を構わず
どうしてそんな
メイヨール公国はこの時代より200年前まではこの後登場するヴェローム公国と並ぶゼダ四大公爵家の半独立国だった。
そんな中、エスターク・メイヨール公爵がゼダ女皇に戦いを挑んだ。
メイヨール公はバスラン要塞を拠点にしてゼダ本国を奇襲攻撃し、一時はパルム包囲占領の一歩手前まで軍を進めた。
そもそも
ところが其処に
後の3代目剣皇エセル・フェイルズ・スタームだ。
禁門騎士団の下級騎士だったエセルの働きで息を吹き返した禁門騎士団は補給線を寸断してメイヨール鉄馬騎士団を押し返した。
その後の激闘により、エスタークはエセルに討たれ、バスラン要塞は陥落し、メイヨールはゼダに
戦後処理の過程で、禁門騎士団は国家騎士団と女皇騎士団とに役割を分けて消滅した。
旧メイヨール領は反体制的だとゼダ中央では信じられてきたのでちょっとした噂に尾ヒレ歯ヒレが付け加えられた結果、トレドで
そして、リーナ家に仕えていたエリーシャが虐殺犠牲者となり、4人が反乱軍に加わる決定的動機となった。
調査の旅の途上で状況を整理する為、一時的にパルムに戻ったティルトは列車を乗り継ぐ長旅にくたびれ果てていた。
アンナ夫人の注いだアイスティーを口に運びながら、ティルトはしきりに目をしぱたかせている。
昨夜もロクに寝ていない。
パルムはもうすぐ本格的な冬を迎えようとしていた。
「それでティルト。あなたが確信した事実だけを教えて」
アンナマリーはじれったそうに話を
彼女の隣には夫のセオドリック・ファードランド教授がこちらもやはり眠そうな顔をして座っている。
彼は昨夜遅くに戻ったティルトの
「結論から先に言うと『トレドの
「えっ?」
二人の女性はそれぞれ驚きの表情を浮かべた。
ファードランドは黙って
「『正史』では『トレドの虐殺』を目の当たりにした4人がそれぞれ別の動機と思惑で反乱軍に身を投じることになります。でも、『トレドの虐殺』なんてものは起きていません。それどころか彼ら4人は最初から最後まで反乱軍に加わったことがありません。そんな
「どういうこと?」
エリザベートの表情が曇る。
“純白のフレアール”の名と共に、ディーン・フェイルズ・スタームの名は“
二人は反乱軍のトップエース騎士であり、正に反乱軍の中心にいた筈だった。
「そもそも当時の人口で40万人を誇るトレド市が国軍や国家騎士団に狙われるいかなる理由も動機も見当たりません。なにしろ、《アラウネの改革》により鉄道網と電話線が整備された結果、パルムとは大陸横断鉄道で地続き。仮に反乱軍の協力者や潜伏先があったとしても、女子供を含む40万人の市民全員の大多数が
「『トレドの
「ゼダの東征」は一般市民の死者数を抑える目的で行われ、オラトリエス国内の要所でしか戦闘が発生しておらず、それでも4000人が戦争で死亡したのは東征を指揮したトゥドゥール・カロリファルにとっては痛恨事だ。
数字のカラクリはあり、「ゼダ東征」が「東方戦争」となってから死者が激増していた。
「その通りだ」ファードランドが
「それだと不十分なの?写真もあるのに」
エリザベートは中等学校時代に目にした歴史の教科書の写真に鮮烈な記憶を植え付けられていた。
ガスマスク姿の兵士たちが市民の
「あー、アレが決定的な嘘の証拠。当時まだ毒ガス兵器は発明もされていなければ、防毒マスクが国軍に配備されてもいません。防護装備品だけあったという方がおかしい。大体、反乱軍が国軍よりも装備や兵器面で勝ると思うの?そもそもガスマスク自体、何処の誰がなんのために用意してたのさ」
つまりその写真は毒ガスが兵器化し、防毒マスクが発明された後になってから誰かが用意した偽物の裏付け証拠だった。
「確かにそうね」とアンナ夫人は納得した。
「ただ、現実にトレドで40万人の市民が
むっつりと黙り込んだ二人の女性を前にファードランドはじっと腕組みをした。
「歴史を語ることの難しさか・・・」
「やはり物的証拠が必要になる。それで、ボクは来年夏に
「“あるもの”ってなに?」
「龍虫さ」
ティルトにかわりファードランドが答える。
ティルトは黙って
「りゅうちゅう?」
「ドラゴニックワーム、あるいはドラゴニックビーストと呼ばれる前人類史に登場する生物兵器のことだよ」
ファードランドの簡潔な説明にティルトはさすがは教授と感心する。
もっともその認知ですら嘘にまみれていた。
前人類史という認知、生物兵器という認知、人類の負の遺産だという認知。
すべてが誤りであり、龍虫はメロウがネームレスの戦う手段として用意した。
「はい。そしてそれこそがトレド市民の大半をあっという間に殺傷したのだと思うのです。この生物兵器はただ其処に居るだけでガス状の毒物を散布する。それこそ、寝ている間にほとんどの市民は犠牲になった。そして、市民の
「・・・・・・」
「どうして龍虫が『正史』には全く登場しないのか、どうしてそれらの生き物の居た
ティルトは伏し目がちになりながら、明るく目映い日差しには不釣り合いなこの奇妙な話の終わりを見出そうとしていた。
「なるほどね」
ファードランドは普段の彼が見せないほどに険しい表情を浮かべる。
「もし仮にですよ、ファーバ教団と各国家がグルになってすべての歴史書からその事実を
ティルトの目は
睡眠不足もあったが、史家を志したのにディーン・エクセイルの「中原史」が嘘だらけだったと信じたくないのは誰よりも自分だからだ。
「つまり、我々歴史家でさえそうした『常識』に
「はい、そうです。それにそもそも十字軍がなんの為に集められ、どのようにして4カ国が歴史上から消え去ってしまったか。そして、その後数百年にわたり故郷を追われた人々が難民として世界各地に発生した。そのことへの説明は、龍虫の定期襲撃があったからだと一言説明するだけで事足りるように思います」
ファードランドは苦笑した。
SFだかオカルトのように聞こえる話がティルトが語ることによってにわかに真実味を増していく。
彼が自分の受け持った学生でもずば抜けた知性と論理性を持った優秀な学生だと前もって認めていなければ、一笑に伏したかもしれない。
それ以上にとても嫌な予感がしていた。
「龍虫の
ティルトの言う龍虫の軍事利用という
「軍事利用?たしかにもともと龍虫は兵器として生み出されたものだが、それが兵器として扱えるようなものではなくなったが故に前人類は苦境に立たされたのではないかね」
「勿論そのままでは使えません。ですが、職工集団たる人形師たちが加工を加えて、
セオドリック・ファードランドは
「まさか、龍虫の遺骸や骨格、筋肉それらすべてが真戦兵の構成パーツとして利用されていたというのか?確かに軍事利用だし軍事機密だ。保存状態の良いものほど、良質な資源として有効活用されたとしたならば、そのままの状態でなど残っている筈がない・・・くそっ、やられたな」
ファードランドは思わず天を仰いだ。
神話級の存在が人々の前に異なる形でその目の前にあった。
「
一瞬の静寂があった。
騎士の意味、虐殺の真犯人、歴史の闇の証拠は対抗手段として活用された。
十字軍がその実、何とどう闘ったのか?
「ボクはそうした事実を裏付けるためにベリア共和国首都エリンシアに向かいました。そして、旧メルヒン王国の歴史書、税収、人口変動、ありとあらゆる記録から皇歴1188年に相当する年代前後の確かな記録が一切合切欠落しているという事実を確かめました。誰が消したのか、ボクはそれらは後にベリア共和国の伝説的指導者となる国父ライザー・タッスルフォートと、当時のミロア法皇ナファド・エルレイン、そしてそうするべきだと進言したアリアス・レンセンの
ここで“正史”という呼称を一度止める。
各国の正史とは“
つまり、ティルト・リムストンやセオドリック・ファードランド教授たちの知る歴史とは歴史家たちの作り出した
「なんてこった・・・」とファードランドは
「だけど、どうしてそんなことが必要だったの?」とアンナ夫人が即座に尋ねる。
「簡単な話です。我々人類に明るい未来を指し示す為には過去の人類が遺した重すぎる負の遺産は消し去る必要があった。そうでなくては恐怖と絶望とを取り払って未来を生きることが出来ない。そして龍虫のもたらす悲劇と惨劇はボクらが想像する以上の脅威と絶望とで、それこそトレドのような中規模の都市がそこに暮らす住民もろとも
“それだけのこと”が持つ重みにファードランドは絶句していた。
想像力が人並み以上に発達したエリザベートの顔面は
そしてアンナマリーは最大の疑問を口にした。
「だけどなぜ、あなたはそうした話を確信したの?それに今までの話とファーバ教団は決して結びついたりしないわよ」
アンナマリーの問いかけにティルトは小さく
「『特記第6号条項』。一般の方には耳慣れない単語ですよね?軍事専門用語で現在はほぼ死文化しています。内容は『第1項、国家並びに国内外の勢力に属さない勢力。“あるいは人類以外の勢力による不測の事態”が発生した場合、各軍事勢力の最高指揮権は神殿騎士団の代表者に自動的に
「えっ、今もまだあるの?」とエリザベートは驚愕した。
「あるよ。だから知ってたのさ。士官学校に入ったら当然座学で学ぶ」
「・・・・・・」
ティルトを除く3人は息を
「こんな一文が一体なんの為に用意されているのだと士官学校時代には
「十字軍、大戦と女皇戦争か・・・」
「そんなところです。教授ならあと更に2回は発動したと思いませんか?」
「女皇戦争以降で・・・あっ、フェリオ連邦アストリア王太子の暗殺事件の後に起きた欧州危機の際と、東邦帝國に対する包囲網によるステイツ主導の悪質な経済封鎖で、東邦帝國とステイツとが一触触発の危機の際か?」
「多分このときは“
ティルトの指摘にセオドリック・ファードランド教授は「むぅん」と
「よく考えてみたらすごいシステムだよね。人類同士の大きな戦いも未然に防げてしまう」
「取り敢えず、十字軍と大戦のあった皇歴700年代と女皇戦争と6月革命があった皇歴1180年代は間違いないです。あるいは十字軍での龍虫との死闘、その後長く続いた混乱を教訓として法律が明文化され、各国軍と各国騎士団に非常時対応のシステムとして制度に組み込まれたのではないかとボクは考えます」
ティルト・リムストンはこの段階ではそう推理した。
だが、実際には違っていた。
特記6号条項の歴史は更に古かったし、なによりティルトですらこの段階ではまだディーンの嘘に
「つまりこういうことか」とファードランドは厳かに言葉を選んだ。「始めから反乱軍との戦いなどなかった。しかし、膨大な死者が生じ戦いはあった。それは人間同士の戦争ではなく龍虫との死闘・・・」
「龍虫。ヤツらは確かに
「なるほど・・・」
「そして、後に『正史』となる旧メイヨール領内での反乱の
「女皇アリョーネ率いる
「いいえ、アリョーネ女皇による親征は最終盤で、はなっからメリエル皇女、ナファド法皇、剣皇ディーン、紋章騎士ルイス、ミシェル・ファンフリート
「
「それこそ『正史』の『女皇戦争』なんか小競り合いという規模の大きな戦いだったのでしょうね。そうでないと軍人と民間人を合わせて800万人が戦没するなんてあり得ませんから」
まだこのときのティルトは知らない。
実際の戦いがどんなだったか、龍虫がどれほど厄介な敵か。
そして、フレアール駆るディーンがどれほどの強さであり、そんな彼の
オマケ ベルカ対ルイス
皇暦1183年 8月10日
エドナ杯準決勝
「努力を
ベルカ・トラインのフェイント攻撃を受けても、ルイス・ラファールは尚も構えを崩さなかった。
偽名であるベルカ・トラインことディーンの駆るジェッタ。
ルイス・ラファールの駆るカナリィ。
カナリィは年代物の真戦兵だが前回大会でシモンが使って優勝した実績ある機体だ。
ラファール家は名門騎士家だから相当質の高い機体を一族で所有している。
一方のジェッタに関しては観客席で見物しているトリエルとミラーにしたら、ハラハラさせられる
マイスター(建造者)こそ、女皇正騎士で人形番の
だが、“ベルカ・トライン”はそんな裏事情をまったく感じさせなかった。
影も踏ませない圧倒的な戦いぶりに、勝ち上がるごとに評価を上げている。
「ベルカ、お前を野放しには出来ない。騎士の誇りと私の存在にかけてっ!」
「やってくれるね、ルイス・ラファール。だけどいつまで続けられる?」
交戦中の真戦兵同士で会話など出来る筈がない。
無線通信機を
だが、二人の心が共鳴していた。
ベルカは薄く笑みを浮かべ、舌なめずりをする。
だが、意気込んでみたものの、さすがのベルカも容易に攻め手を見いだせなかった。
じりじりと
「スゴイねぇ、あの娘」
観覧席のトリエル・シェンバッハ女皇騎士団副司令は心底感心していた。
「完璧なタイミングだった『坊や』の斬撃を二度も完全にかわしましたよ」
「坊や」とはフィンツ・スタームの通称だ。
女皇アリョーネは常々、「アタシの可愛いフィンツ坊や」と
「ええ、“格上”の騎士と戦う見事なお手本です」
銀髪長身のイケメン騎士たるビルビット・ミラー少佐はこと真戦兵が
ビルビット・ミラーこそ、知る人ぞ知る騎士戦闘解析の第一人者だ。
「あの娘は三回戦までレイピアをまったく使わなかった。なのに今回は最初からレイピアばかり5本も用意している。なぜだか分かりますか、先輩?」
「まったくわかりませーん」
トリエルは目線を切らずに応じた。
目を離すと折角の良い場面を見逃しそうだからだ。
「相手の攻撃が速い場合には、反応が一瞬遅れてもどうにか対応できるように軽い武器で受け流すしかない。それでも重い攻撃にはそう何度も耐えられない。だから、武器を複数用意して、自分からは決して仕掛けない。相手が達人になればなるほどカウンターには
「そういうことですか」
カナリィの背後には5本のレイピアが突き立てられている。
対するジェッタの背後には予備の武器は置かれていない。
「しかも、受けるかかわすかの判断をギリギリかつ正確に行わなければ、
「ふむ、しかし、それだけでは勝てませんね。ばかりか積極性に欠けるということで減点の対象になってしまいます」
「だから、彼女は勝負を判定に持ち込むことなど、最初から考えていやしません。受けきって、避けきって、焦りを呼び込んで、来るか来ないか分からない一瞬の好機を待って、そこで仕留めるつもりなんです」
「あらら、それではまるで」
「ご推察のとおりです。彼女は初めて対戦するフィンツの能力をかなり把握しています。そして、格上だと見切った。考えに考え抜いて現状で
「ほぉ?」
「『天才は天才を知る』ということです。フィンツ・スタームが
「ふーん、そいつは面白いですね。君のライバルはとんだ妹君をお持ちということですか」
そこいらの現役騎士を自認するトリエルは乾いた笑い声をあげた。
それこそこの男お得意の大嘘だ。
「あるいは才能だけならば兄のシモン・ラファール中佐(1187年次は大佐)さえ
「それはさすがに言い過ぎじゃありませんか?」
シモン・ラファール中佐といえば国家騎士団でも最強を
そして、1178年に行われた前回大会の最年少優勝者だ。
アリョーネの御前試合でも女皇騎士団最強のハニバル・トラベイヨ司令と引き分けたほどの腕前でもある。
「たしかにシモンは実力者ではあるし、天才と称する人も多い。ですが、本質的にシモンは努力型の秀才ですし、大きなハンデがある。
ミラーは隣に座るトリエルの顔をまじまじと見据えた。
「むしろ先輩に似てますよ。本来のシモンも、あそこにいる妹のルイスもね。兄妹共に模擬戦より実戦で優れた力を発揮するタイプです。あの見切りの技術は並大抵のものではありません。現に受けに専念していると分かっていて、フィンツが攻め手を失っているではないですか。隙なく守りを固めるその奥で、彼女は鋭い牙を隠していますね。そうか・・・」
「鋭い牙ねぇ」
ミラーはトリエルの
「彼女は“天技”を使えるんですよ」
「えっ・・・」と言ったきり、トリエルは絶句した。
「ここ一番で使える大技があるから、あんな一見消極的ととれる戦法がとれるんだ」
「おいおい冗談だろう。あの年で天技使いなんて、フィンツやお前たち以外にもそんな奴が」
「いるところにはいるようですね。正直なところ驚きです」
ビルビット・ミラー少佐はそう断じていた、
二人の戦いはじりじりとした
ジェッタの踏み込みの間合いを外すため、カナリィは距離をおいて積極的に前に出ない。
フィンツは時折、フェイントを交えて踏み込みのタイミングを
すり足でにじり寄っても、やはりじりじりと距離を置かれる。
ただ、下がるだけなら押し込めそうだが円を描くように回り込まれ、間合いを維持されてはまるで意味を成さない。
なにより武器の重量差が災いしていた。
巨大な刀身を持つ幅広剣は
対して軽量のレイピアは通常なら先手をとって手数を稼ぐのにもってこい。
待ちの戦法にはまるで向いていない。
「なにかあるんだよな、なにかがさ」
ベルカは敢えて軽量の武器を選んだルイスの選択に意味があると察していた。
単に得意だからというのではあるまい、なにしろルイスは予選からここまであらゆる武器を使いこなしてきた。
そして、一番得意なのは片手槍だと判断した。
準々決勝で“パーン・クライス”を一瞬で追い詰めた鮮やかな槍さばき。
だから今回もそれで来ると思っていた。
あの“メディーナ”が速度勝負でまったく歯が立たなかったのだ。
幼少期からパーンことメディーナをよく知るベルカにしてみたら驚きを通り越して呆れていた。
強い女騎士たちをよく知るベルカは騎士に性差などないことをよく知っている。
筋力も精神力も真戦兵は簡単に埋め合わせる。
「来ないのか、ベルカ?」
ルイスのカナリィは挑発するようにレイピアの切っ先をくるくると回す。
「なんか狙ってるとこ、簡単に踏み込めるかっ」
ジェッタは右に構えた
「来ないのなら、こっちから行くぞ」
ルイスの駆るカナリィは一瞬だけ構えを崩した。
「ここだっ!」
フィンツの駆るジェッタはルイスが攻撃に切り替えたのを見計らいすかさず前に出た。
「行くぞっ!踊れ《十六夜》」
カナリィが
上体は中段に構えて崩さず、低い姿勢を保ちながら恐るべき早さで間合いを詰める。
ジェッタもまた前に出ていたが、一瞬で突撃を察知し、体を開いて応戦の構えをみせる。
「くらえっ!」
ルイスは気合いを込めた突きを繰り出した。
「なっ!?」
フィンツは
かすめただけでバランスが崩れるほどの深く鋭い突き。
それが目にも止まらぬ早さで次々と襲いかかる。
しかし、それで動揺したり機体のバランスを完全に失うベルカではない。
弾くと同時に、
一閃した幅広剣を再び突きが襲っていた。
切っ先がぶつかり合い激しい火花を散らす。
想定外の強烈な一撃にジェッタの体勢が完全に崩れる。
その肩先を三発目の突きがかすめる。
驚異的な反射神経で突きをかわしたジェッタは踊るように一回転する。
回転の反動を利用して再び一閃した幅広剣に四度目の突きが入る。
広い刀身に阻まれたレイピアは鈍い音をたてた。
「せいっ!」
ルイスの気合いとともに、カナリィはなおも次の突きを繰り出す体勢に入っている。
ジェッタは幅広剣の重量に身を任せ、ゆらりと流れるように構えを建て直す。
ぎしっという鈍い音と共に、カナリィの五発目の突きはジェッタの機体の左腕を
「なにっ?今のどうなったんだ?」
完全に見切った筈の突きがかすめた感触にベルカは動揺した。
その一瞬の動揺を見透かされたようにカナリィが迫る。
「とどめだっ!」
「ちっ、させるかっ」
二機がぶつかり合おうとした
「なにっ!」
それぞれの操縦席で二人が同時につぶやいた。
脇にいた筈の主審が間に割って入っている。
「とまれっ!」
6発目の突きを繰り出そうとしたカナリィを、間隙をついて割って入った3体のブロウラが押し留める。
ジェッタもまた同様に取り押さえられていた。
「主審判断により、この勝負。しばし、水入りっ!」
「水入り」とは対戦が危険と判断した際に主審および副審の判断で試合を止めることを意味する。
プラスニュウムを焼く強烈な悪臭があたりに
詰めかけた観衆たちはしばし呆然と取り押さえられる二機の真戦兵を
「おいおい『水入り』かよ」
「仕方ありません。あのまま《十六夜》で攻めきったとしてもルイスさんは反則負けになります。僕と同じ理由で」
《十六夜》は計八発の連続突きで構成される天技である。
最大の特徴は早い踏み込みから上体を崩すことなく伸びのある突きを全身で繰り出すというもの。
単なる連続突きなら同じ場所を狙うだけで速度に慣れさえすれば避けるのは困難でも受けることは出来る。
わかりやすくボクシングでたとえるならジャブだ。
早い分だけ一発一発は軽い。
だが、離れた間合いから腕全体をしなやかな鞭のように使い広範囲かつ正確に一点を射抜く突きを繰り出すところが「天技」と言われる
一発一発が重く鋭い。
真戦兵の肘関節は人体と違い僅か5度程度だが外方向に曲げることが出来る。
ここで小さくタメを作るのだ。
全力で繰り出す突きに人間なら筋肉と関節が悲鳴を上げるところだが真戦兵はそれほどヤワではない。
さすがに短時間に何度も繰り出すことは素体疲労の問題上不可能で連続八発が限度と言われている。
それ以上続けて繰り出せば素体に深刻なダメージを負い、腕自体が使い物にならなくなる。
むしろ、乗り手に求められるのは姿勢と狙いを維持し続ける
息もつかせず上下左右から内に外にと振り回すのでなくては連続技の意味がない。
並の腕ならば一、二発目で、それなりの使い手でも四発目あたりで勝負がついている。
そもそも八発も耐え
「なるほど、ソードカバーか?」
「ええ、最初の突きでフィンツのが、四発目の突きでルイスさんのが弾け飛んだ」
刃を削らない「なまくら」な武器同士でもまともにぶつかり合えば致命傷を与える心配がある。
そこで更にプラスニュウム製のカバーをつけているのだが、それすら簡単に弾け飛び、その一部が観客席に飛び込んでいた。
「おいおい、あれじゃ怪我人が出るぞ」
幸い大きな破片は闘技場端の砂地に刺さり、砕けた小さな破片が安全のため空席とされている最前列に散らばる程度ですんでいた。
「それより、普通はなまくらなレイピアがかすめただけで装甲が焼けるなんてありえません。それに、あれ見てください」
カナリィの持つレイピアが真ん中からぐにゃりと曲がっていた。
「うわっ、なんだよあれ」
「四度目の突きでフィンツの剣とぶつかったでしょう?あのとき、僅かに折れ曲がっていたんですよ。そのせいで軌道がそれて、フィンツは完全にかわしたつもりが僅かにかすめていたわけです。まっ、致命打にはほど遠いですがね」
「水入り」の間に運営委員のメンテナンサーたちが機体の点検に入っており、武器の交換も行われている。
「あれが実剣ならどうなってたんだよ?」
「それなら、降りてくるルイスさんの表情をみればわかります」
「なにっ?」
トリエルは目をこらした。
正面スタンド前では荒い息をつき、ひどく青ざめた表情のルイスが汗をしたたらせている。
「フィンツの一閃がまともに突きを弾いたのですから、実戦なら二発目の時点でレイピアが
「そうか、それであんな余裕のない表情を」
観衆の
偶然かすめた五発目以外はすべてかわされるか
「そもそもフィンツはハンデをつけるために敢えて重量のある
ミラーの言葉はルイスの心中を見事に代弁していた。
「《十六夜》っていう手の内を
「どうでしょうね、ここまでの戦いだけをみれば五分五分です。連続で八発の突きをたたき込む《十六夜》が使えるとなると単発の攻撃ならもっと速い。連続攻撃は軽いというのが定石ですが、かすめただけでもソードカバーを破壊し、装甲を焼くのですから
「
「いいえ、もうルイスさんは気づいている筈です。
「どういうことだ、それは?」
「さっ、そろそろ試合が再開しますよ」
ベルカとルイスはそれぞれの機体に再び乗り込んだ。
だが、再開前とは明らかに異なっている。
カナリィは両手にレイピアを所持していた。
「なにっ?」
「やっぱりそうきましたか」
トリエルとミラーのつぶやきは大きなどよめきにかき消された。
試合を注視する誰もがルイスのカナリィが「二刀流」となったことに驚きと戸惑いを隠していない。
だが、会場で唯一人ベルカだけが冷静にその事実を受け止めていた。
「それでこそ、ボクの見込んだルイス・ラファールさね」
観客が「二刀流」の意味を理解したのは間もなくのことだった。
試合が再開されるなり、ルイスは再び突きの構えに入る。
「もう後がないわ。舞えっ《十六夜》っ!」
先程と同じく《十六夜》の体勢に入ったカナリィに対して、フィンツのジェッタは明らかに構えが変わっていた。
なにより機体の向きが正対している。
肩を押し出すように斜めに構えるのが正統とされ、
「いくよっ、遊べ《浜千鳥》」
フィンツの構えの正体は間もなく明らかになった。
ビルビット・ミラーは思わず席を立ち上がった。
「嘘だっ!なんだあれっ!」
「えっ、《浜千鳥》だろ?フィンツお得意の『天技』」
「そんなのエドナの天技指南書のどこにものってませんっ!バックステップになるアレは見た目以上に難しい。だいたい誰が《浜千鳥》なんて名付けたんですか?」
「えっ?」
「少なくとも剣聖エドナは見たことがない筈です。だけどアレは確かに文句なしの天技だ」
再び始まった突きの連打をジェッタは軽やかにかわしていく。
右へ左へと軽やかなバックステップを踏む。
その様子はさながら波打ち際でちょんちょんと左右に足を踏み出す小鳥に似ている。
最小限の動きが正確な突きの連射を軽やかにかわしていく。
正対するところの意味は明白だった。
可能な限り死角を生み出さず両目で動きを見切り、攻撃の軌道を見切る。
無論、先程のように反撃など行わない。
右手の繰り出したきっちり八発の突きはすべてかわされた。
「まだよっ!」
カナリィの構えが瞬時に切り替わる。
右手のレイピアを投げ捨てたカナリィは即座に左手で突きを繰り出し始めた。
「えっ?」
「やはり、“本物”の《十六夜》ですかっ」
これこそが《十六夜》の《十六夜》たる
左右で八発ずつ、計一六発の突きから成る
だが、カナリィの右手が繰り出す突きが止んでもジェッタの構えには全く変化がなかった。
再び千鳥の舞いが再現されるかと誰もが思った。
「バックステップの《浜千鳥》ならフロントステップは・・・」
「ハニバル司令は《啄木鳥》と呼んでいたな」
恐るべき速さの突きをかいくぐるようにジェッタが軽やかに踏み込んでいく。
左右と背後に移動する《浜千鳥》に対して、《啄木鳥》はとんとん拍子に前に前にと踏み込む。
本来なら踏み込みと同時に連続攻撃を繰り出すのが《啄木鳥》の真骨頂だったが、あいにくなことに幅広剣はあまりに大きく重すぎて連続攻撃など出来る筈がない。
ジェッタの踏み込みでずれた位置を修正してカナリィの突きは続く。
だが、その修正さえも
左手が五発目の突きを繰り出したそのとき、カナリィは機体ごと弾け飛んだ。
「《虎砲》かっ!」
ビルビット・ミラーは即座にそれがフィンツの放った3つ目の天技だと理解した。
密着ゼロ距離からの強烈な攻撃がカナリィを襲う。
タメも間合いもない、だが強烈な一撃だ。
不意を襲われた乗り手が失神してもおかしくはない。
斬るというより身体全体でのしかかるようなカウンター攻撃だった。
「しまったっ!」
ベルカには二つの誤算があった。
一つはジェッタとカナリィの重量が思いの外軽く、刃引きの刃では両断どころか胸部装甲を強く
もう一つは、カナリィの構えが左であったせいで体が開いて威力が内にこもらず外側に逃げたことだ。
その場に叩き伏せられる筈のカナリィは後方に大きく押しやられ、その分だけ威力は分散した。
カナリィはジェッタの右前方に飛びすさった形になる。
ルイスは懸命に機体を建て直した。
「っ、やるわね、ベルカっ!」
カナリィは膝をつき、ジェッタは片膝を大きく沈み込ませている。
これが強烈なカウンター攻撃の正体だ。
剣を前に押し出すのではなく体重をかけて下方向に叩き付ける。
「食いちぎれ《紅孔雀》っ!」
一瞬息を呑んだのはベルカだった。
完全に死に体と思われたカナリィがクラウチングスタートさながらに一気に突進する。
その体勢に入ったならばあとは三択攻撃になる。
ルイスは瞬時に第三の選択肢を選んだ。
左手をすっと離し、右手で刀身を握りしめたまま駆け抜けざまに脇腹を食いちぎる。
多重装甲の胸部と比べて脆弱な腹部の装甲めがけてレイピアを突き立てる。
その筈だった・・・。
ジェッタは立ち上がりかけた中途半端な体勢のまま、逆手にした幅広剣を右脇から地面に突き立てた。
突き立てる筈のレイピアは広い刀身に阻まれ、ソードカバーごと切っ先が折れ曲がる。
幅広剣に足をとられたカナリィは前のめりに倒れ込んだ。
「まったく、殺す気か・・・。いや、本気で殺す気だったのか・・・?」
カナリィはそのまま起きあがらなかった。
すっと立ち上がったジェッタがカナリィの無防備な背中にコンコンと剣を当てていたからだ。
「勝負あったね」
「ぐっ」
カナリィの操縦席でルイスは虚脱感と敗北感に襲われ、失神していた。
全力を尽くした。
完全な《十六夜》を繰り出した。
最後は《紅孔雀》で三択攻撃に持ち込んだ。
それでもすべてにおいて上回るジェッタとベルカに圧倒された完敗だった。
「武器であり盾か」
トリエルは最後に串刺しを防いだ幅広剣ですべてを理解していた。
「ええ、
攻撃では様々な場面で不利をもたらした巨大な刀身が最後の最後に物を言った。
カナリィが転倒したのも重量のあるあの武器に飛び込みでバランスを崩した足を取られたからだった。
「しかし、分からないのは最後のアレだな」
「《紅孔雀》は剣聖エリンの編みだした三択攻撃です。一瞬の突撃から三つの攻撃を用意する。左腰溜めからの突き、右肩からの体当たり、そして右手ですれ違いざまに脇を刺す」
ミラーは構えを作って実演した。
「相手の体勢に合わせて攻撃を選ぶ。彼女の選択は間違っていませんでした」
トリエルはジェッタの体勢を再現する。
「ここで突きを繰り出したら、右膝に僅かに体重をかけるだけでかわされてしまいます」
ミラーは右手を大きく振り出した反動で長い突きを繰り出すがトリエルは右膝に体重をかけて頭をそらす。
角度から言って届くとしても
「有効なのは体当たりの筈・・・ところがそれが意味を成さないことはその前の《虎砲》で明らかでした。なにしろ、あの時点で勝負あったにもかかわらず、後方に弾かれ体勢を立て直せたのは、正にお互いの重量が少なかったせいです」
「なるほど、あの技は受けた側の機体の重量がそのまま中の人間を叩きのめすわけか」
そもそも《虎砲》をディーンに伝授したのはトリエルと子爵だった。
「そうです。そこにフィンツの誤算が生じた。勿論、滅多にない左構えだったせいもあるでしょうね。右から左下に叩き伏せたときに左構えだと重心の位置から右前方に弾け飛んでしまうわけです。ルイスもそれを一瞬で理解していました。体当たりでは弱すぎてジェッタを転がすことが難しい。結局、完全な三択攻撃にはならずに、駆け抜けざまの串刺しを狙う他に道はなかった」
「仕切り直していたとしたら、連続技の反動でガタガタになっている両腕でフィンツの攻撃を
「ええ、そこまで追い込んだのは間違いなく・・・」
「
ベルカ・トラインの見事な勝利に会場は大いに
会場で見物していた国家騎士団の幹部たちは兄のシモンと同様に妹のルイスをも拾い上げようと考えていたが、その考えを改め断念した。
パルム警護のため娘の晴れ舞台を見物しなかったエイブ・ラファール准将だけが、相当酷い試合をしたのだと誤解した。
だがこの後、ベルカ・トラインに片膝をつかせたことの意味がどれほど恐ろしいかが知れ渡ることになる。
ベルカ・トラインこそが偽名で出場していた女皇騎士団の秘蔵っ子であり、フィンツ・スターム新少佐として女皇正騎士に元老院議会満場一致で選出された大陸一の騎士だと皆が知ることになったからだった。
ただし、ベルカ・トラインとして試合に
オマケのおまけ
皇暦1183年8月12日
ゼダマルガ
エドナ杯決勝前日
準決勝から決勝まで3日空くのは通例だがその理由に関しては経済効果だろうと言われている。
なぜなら、エドナ杯で一番盛り上がるのが決勝戦前の3日間だからだ。
誰もがにわか評論家となって興奮気味に
オッズメーカーが刻一刻と変わる勝敗予測と選手評を
今大会に関してはベルカの勝利に一番大金を詰んだのがアリョーネ女皇だとまことしやかにウワサされていた。
だが、人々の注目の的である筈のベルカ・トライン陣営が異様な沈黙に包まれていた。
対戦相手のアリオン・フェレメイフがそれだけ要注意だからとも、あるいは想定外のアクシデントがあったのだとも
そうした出所不明な情報が3日の間に出回りまくるのだ。
皆ソワソワしていても立っても居られなくなる。
そうした街の
「なんですとっ・・・」
「センパイ、どうすんですかっ?」
ベルカ・トラインことフィンツ・スタームは別に健康を害したりはしていない・・・と二人は思いたかった。
「コワイなぁ」
「あの試合の夜のアレのあとですよっ、シャレになってませんて」
もはや吉報なのか悲報なのかさえ判断がつかない。
誰より
あまりの落ち込みようにイアン・フューリーは掛ける言葉さえ見つからなかったという。
その次に
目の前に居た愛弟子をまんまと
男一人抱えて
大体にして、色男優男ながらわりと身ぎれいなミラーはともかく、不良中年蛇皇子トリエルに関しては
「あの娘までモンスター女子の同類だというのが血は争えないというのでしょうかねぇ、先輩っ?」
「いやいや、それだけは言ったらマズいよ、ビリー」
おおよその事情は察した上で、結局のところ苦労人なのは自分たちだし、そのうち「フィンツ坊や」も加わって苦労人トリオになると察すると、もはやタメ息しか出なかった。
地上勤務が極端に制限され、基本的にジジイのお守りだけしていればいいイアンの方がかなりマシだったが、あちらはあちらで別の気苦労が絶えないとのことだった。
かなり遅れてようやく待ち合わせにやってきたベルカ・トラインことフィンツ・スタームの姿に二人はガックリとうなだれた。
はっきりボロボロだった。
「たはははは」と力無く笑った坊やの姿に全てを察したトリエルも鬼ではなかった。
「皆までいうな、あとはオジさんに任せろ」
「あと一戦戦えるよね?」
ビルビット・ミラー少佐に念押しされたフィンツ・スタームは力無く
「それに関しては問題ナイっす。完全覚醒しちゃいましたから」
「いっ?」とミラーは
「でなきゃこんなことになるわけナイでしょ。犀辰センセイにはお二人からも謝っておいてくださいな」
「なんですとっ!?」
前章のナダル・ラシールと耀紫苑が正に騎士覚醒だった。
情緒不安定になり、
その前後の崩壊した人格はそのときだけのものだ。
唐突に訪れる悟りの
「つまり、ソレって?」
「“ナノ・マシン使い”としてなんでも出来るってことです」
その後、フィンツ坊やはトリエルとミラーに耳打ちした。
皇暦1183年8月13日
エドナ杯決勝当日
決勝戦だけのことはあり、当日はセレモニーづくしだった。
ベルカ・トラインもアリオン・フェレメイフも気力体力充実の様に見えた。
ベルカは大会後について女皇騎士団入りを宣言し、アリオンは国家騎士団入りを宣言する。
決勝まで駒をすすめた段階で二人とも進路が内定していた。
後は正々堂々戦い
審判団による機体のチェックも行われ、ジェッタとアリオンの使うパルサスも準決勝までの仕様に間違いないと確認された。
審判長による「騎士道精神に
「さて本気で行くからね」とアリオンが不敵な笑みを浮かべれば、対するベルカは少しも笑うことなく言った。
「死ぬなよ」
なにそれと一瞬だけアリオンはベルカを
死ぬなよ?
まるで他人事みたいな口ぶりだったし、よくよく表情を確認して
「嘘でしょ!」とアリオンは思わず叫んでいた。「なんでアンタなのよ!?」
目の前にいるのはジェッタだ。
そして、確かに試合開始の直前まではベルカ・トラインと名乗る“ディーン”だった。
実際、健闘を約束する握手もし、言葉も交わしている。
そうか、ウォーミングアップのときだ。
あのときジェッタは来賓席のアリョーネ女皇に挨拶するため観客席に近付いてジェッタに片膝をつかせ、深々と頭を下げていた。
少し長いなと感じたくらいに。
偽名であるベルカ・トラインの所属はともかく“ディーン・エクセイル”は女皇騎士団の騎士なのだから当然の行為だと思っていた。
そのとき以外には搭乗者が入れ替われるタイミングはない。
仮に二人とも覚醒騎士だったとしてナノ・マシンで
何処の馬の骨とも知れない無名の天才騎士「アリオン・フェレメイフ」ならいざ知らず、それなりの両親のもとに生まれた凄腕騎士だ。
まやかしはいっさい通じない。
(あのお父様の見立てが外れた?)
勝負もなにもあったものでもない。
ジェッタで、大剣で、瞬きほどの時間で、アリオン・フェレメイフは後にその代名詞となる秘天技を繰り出すことなく、まさに
固唾呑む一瞬で決した決勝戦を“
この人物の見立ては全て当たる。
残念ながら、パルムから夜逃げしたライゼルのその後が知られていないせいで知る人ぞ知るだが、《ベリアの悪魔》と誰からも怖れられた後半生を知る者たちに言わせれば、ライゼルの予言にも似た評価は「絶対」だった。
国家騎士団入りしたアリオン・フェレメイフは一生付いていくと決めたマイオドール・ウルベイン少佐(アリオンの入団当時。その後、中佐に昇進)から自分を叩きのめしたその技の名を告げられた。
変幻自在、予測不可能と人々に言わしめた後の剣聖マイオも正に食わせ物であり、決勝戦を見物していた彼は後に本人にも伝える。
《紅孔雀》の三択攻撃ではなく三つの異なる属性もつ攻撃を一瞬で叩き込む。
寸止めされたのでパルサスは無傷で大事なかったが、アリオンの精神とプライドは一瞬で叩き壊された。
失神し、失禁し、白目を
「よく生き残ってくれた、アリオン。いや、ほんとアッチで良かったよ」
「・・・どういうこと?」
「これから先、女皇正騎士“フィンツ・スターム”として機会があれば幾らでも相手してやる。負けて悔しかったら腕を
(女皇“正”騎士・・・なに言ってるの?アンタは議会承認なんかされてない「影」じゃん・・・それにフィンツってどういうこと・・・?)
「そっか、ディーン。まけちゃったのか」
アリオンの記憶は途中からとんでいた。
直前の濃密な思考はいわば
肉体が「死」を覚悟するほどの
決勝戦は「同門対決になる」のだという事実誤認がアリオンの油断だったとでも言うのか?
初手でディーンが絶対に知らない秘奥義をぶつければ勝てないまでも長期戦に持ち込めるし、「いかに機動性と防御とに優れるディーンの機体であれ、あの技を食らうか受けるかすれば、もともと
「キミの親父さんも負けたよ。見ていて痛々しいほどに心が折れる音が聞こえるかのようだった。ボクも負けたよ。『表の準決勝』は勝ちを拾えた。だけど、『裏の準決勝』ではアイツに完敗した。アレはもうボクらが知っている天技なんかじゃなかった。言い訳のしようなんかないよ。ボクは試作機といえトリケロスを、アイツはスカーレットを使ったんだ。それでボロ負けさ」
イアン・フューリー提督が輸送艦バルハラでジェッタの他に会場に持ち込んでいたのはゼダ最新鋭の次期主力真戦兵2機だった。
勿論、エドナ杯本戦とは異なる目的で密かに運び入れていた。
悪知恵に長けたヘビ中年副司令は誰かの思惑を
「嘘でしょ?トリケロス・ダーインを使ったお兄ぃが負けた?」
女皇騎士団の関係者ならほぼ全員が知っていた。
ファング・ダーインを超えるスカーレット・ダーインとベルグ・ダーインを超えるトリケロス・ダーイン。
亡き妻の設計書から天才マイスターの
そして、拠点防御に優れたベルグ・ダーインの後継機たるトリケロス・ダーインはある意味、トリエルとディーンという「防御を全面に押し出して戦闘力とする二人の騎士たち」が使うことを想定して建造されていた。
対称的にスカーレット・ダーインは皇分家筋にある女性騎士たちが使うことになると想定されていた。
実際、実戦投入したのは皇分家の産んだ剣皇エセルの末裔たちとその関係者たちだった。
今は亡き
そして、多里亜の本当の子がこの時代が産みだした「もう一つの究極決戦兵器」の作り手となる。
その名はフランベルジュ。
「だから、表の決勝戦をアイツに
手合い200戦無敗神話もつフィンツ・スターム少佐のスタートは苦すぎる敗戦から始まった。
「ウワサは本当だったんだ・・・」
剣皇エセルでさえおそらく敗北するであろう究極の怪物。
本当の意味でのエウロペア最強騎士。
神無きセカイに放り出された《嘆きの聖女》の最終形。
「それからコレは新大陸にいる“子爵”師匠からの伝言だ。『恥じることも、哀しむこともしなくていい。俺たちも泣いて、泣いて、気が狂うほど負けたから今に到っている。勝つべきとき、勝たねばならない相手に勝つのが真の騎士だ』とね。あの人はいつだって優しいよ。あるいは“人食い”師匠よりもね。だからさ、泣いてもいいんだよ」
ディーンの最後の言葉に、後に《氷の貴公子》と称されるアリオンの目から悔し涙がつたい落ちた。
だが、誇りと志たかき騎士達が流した悔し涙はやがてエウロペア大陸に完全勝利をもたらすことになるのだった。
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