第2話 舞踏会の夜に
皇暦1187年11月15日
ディーン・エクセイル、ルイス・ラファール、メル・リーナ、スレイ・シェリフィスの4人が出会ってから
エルシニエ大学も
普段は政治運動に身をやつす学生たちもこの時期ばかりは本気で勉学に取り組まざるを得ない。
4人も・・・いや、ディーン・エクセイルを除く3人もまたぞろ試験勉強に熱を入れていた。
必然的に4人は大学内の図書室に居た。
「うー、こんなにあるぅ」
メル・リーナはテキストを
スレイの助言と手ほどきにより、他の学友たちが
しかし、いよいよ
史学科に属するメルとルイス・ラファールが学んでいるのは
「中原外交史」、「古代諸王の伝説と実証」、「文学にみる
「うーん、提出レポートが5つと筆記が4つ、それに口述試験が3つかー」
ルイスは指折りに数えてうなだれる。
「なんだ、わりと少ないね」と言ったのはスレイだ。「ボクら政治経済学部は提出レポートが7つと筆記が8つ、もっとも口述試験は1つだけだけれどね」
言い終えてから、スレイは
「ちきしょー、なんだよそれっ?」
ディーンはみせびらかすように10枚の書面を並べ、「わははは」とその
「みせて」とすばやくひったくったルイスはそこに書かれた文面に目を通すと整った顔を
「・・・ズルい」
それもその
ディーンの前に並んでいるのは各教授からの試験免除許可証だった。
「ふっふっふっ、取り敢えず10枚か。今回の挑戦者は3人ときた。いやいや腕が鳴るねぇ」
「挑戦者って教授たちのこと?」
メルが呆れた顔をする。
「いかにも、ボクの役目は彼らの不明に目を光らせ、その思い上がりを
そう
「まっ、この二人は問題にならないとして・・・くっそー、ベックスのじじぃがまたしょうこりもなく挑戦してきやがったか、今回も絶対に返り討ちにしてやる」
「血圧あげないようにほどほどにな。
一応、“
「そんなわけで、手の
パチパチパチパチ
メルとルイスは
「おいっ、なんだそりゃ?なんだって
ディーンは
「おいおい、もう忘れたのかいディーンせんせっ。あの悪夢のような1週間の図書室での
「ぐっ、がっ・・・うぅっ」
メルたちが
正しく悪夢のようなスケジュールで論文執筆にあたっていたディーンを支えていたのは相棒のスレイばかりでなくメルとルイスだった。
もっともその好意は最初、一晩のお礼という
「そーよ、なにかと大変だったんだから。近いからってウチの台所使ったり、他に場所がないからってウチの物干し使ったりしたせいで、近所の人から『ついに男ができた』ってからかわれてさぁ、ほんと災難だわっ」
しばらくの間、物干し台を占拠した男物のパンツと白いシャツのせいで隣室の老夫婦はおろか、出入りの魚屋にまで誤解されることになったルイスは本当に災難だった・・・のだろうか?
どのみち数年後にディーンの下着を洗うのはルイスの仕事になる。
さすがにスレイの下着は洗わなかったが、スレイの息子クルトのおしめも洗っていた。
「でもね、お料理はほとんどあたしが作ったんだよね。ルイスが作ると味がめっちゃ
台所と調理道具を提供したのはルイスだったが、実際にはメルがほとんど手がけていた。
お嬢様育ちとは思えないほど彼女の作る家庭料理は男達の口を楽しませ、その胃袋を満たした。
母セシリアを早くに亡くしたメルは仕事で帰宅の遅い父パトリックのために
ハウスメイドのエリーシャ・ハラン仕込みの腕前は確かなもので、それだけならば十分に主婦として通用する。
もっとも他は
なにしろお嬢様のすることだから片手落ちにもなる。
「うるさいわねっ!どーせあたしの作る料理は田舎料理で都会の皆様のお口には合いませんよーだっ!」
一人暮らしのルイスも一通りは家事をこなせるのだが、
「あの
なにを知っているんだかディーンだけがボヤく。
「まぁ、なんのことかしら、ディーンっ!」
机の下で向こう
「まあまあまあ、取り敢えず“ディーンせんせ”も自分の立場をよーく理解したようだから、遠慮なくこき使ってください。そんなわけで僕は自分の勉強に専念致します」
スレイ・シェリフィスは自分の荷物を
「ん?ちょっと待て、スレイ」
ディーンの目がキラリと光る。
「なんでしょうか、ディーンせんせ?」
「メシ食ったのも洗濯させたのもお前も同罪だったよな」
「そうそう、なにしろあたしたちと違ってタダ働きじゃないんだし」
「う゛っ!」
口ごもるスレイにメルが追い打ちをかける。
「大体、好き嫌いなくなんでもしっかり食べてくれるディーンと違って、スレイはあれこれ好き嫌いが多いから作る方はすっごく苦労したんだよ」
「わかった、わかりました。私めも出来る範囲でお手伝いいたします」
「ふっふっふっ、学内一の秀才と知る人ぞ知る天才を味方につけちゃった。ほんと
「うん、先行投資がさっそく実を結んだわね、ルイス」とメル。
「“
男共のボヤキ節を彼女たちは軽く笑って受け流す。
「そんなの決まってるじゃない、頭のいい“ケダモノ”たち」
「よし分かった、君たちがそういう態度ならビシビシいくから覚悟しろよ」
「眠たくても寝られない辛さを味合わせてあげようかねぇ・・・ヒヒヒ」
4人は
パルムの季節は冬へと変わった。
12月に入り年末考査も随時終了し、学生達は
年末年始をまたぐ1ヶ月あまりの休みを前にして学内はにわかに浮き足だっていた。
地方や外国からの留学生たちは故郷に帰ってひとときの団らんを楽しむ。
パルムの街も新たな年を前にしてにわかに
学生街へと繋がる表通りを歩きながら、ディーンとスレイはなごやかに談笑していた。
二人並んで歩くとわかるがディーンはスレイよりも背が低かった。
「メルの家で
ディーンは驚きのあまり
「そう、お前んとこにも来ただろ、招待状」
ディーンはふむと考えてアレがそうだったのかと手を叩いた。
「ああ、あれがそうだったか。今朝ウチに届いていたみたいだけど、出がけで
この時代、郵便と新聞とが同時に配達されることも少なくない。
郵便を扱う郵政局職員はいわゆる受け取り確認が必要な速達や
電報が速達に変わる手段となりつつある。
郵便強盗といった手合いもいるので
「来週の終わりだってさ」
ディーンは頭の中でスケジュールを再確認した。
ディーンは手帳は常に持ち歩いているが、スケジュール帳はない。
持つことに不都合があるからだった。
「ふーん、多分大丈夫だろ。ここのところ上からの呼び出しも少ないからな」
スレイはディーンに耳打ちした。
「それより、各界の
ディーンにはさして関心もない。
「うへっ、苦手なんだよなぁ。そういう
確かに
だが、もう一つの
「毎日、この国で最も
「それを言うなよ。仕事とプライベートとは別だろ」
要するに仕事としては一通り
だが、
「そりゃそうだよな。華やかな場所が苦手なのはむしろ俺の方かもな」
スレイは自分の発した言葉に苦笑していた。
(お前だって公の顔の方はそういうトコに散々出入りして、
ディーンは親友スレイの
大体、スレイの一人称が僕から俺に変わるときは物騒な
ある種の警戒心が働いている時は俺になることをディーンは見抜いていた。
大学内ではメルやルイスの前でも僕で通しているが、大学の外やら裏家業関係では俺か自分になる。
だが、ディーンにしたところで、自分が私になるだけの違いで、他はまったく同じだった。
女皇暦1187年12月20日18時21分
パルム東区 リーナ
「本日はお
ひどく物慣れた様子で
娘のメルから聞いていた話とは全く異なる印象の青年がそこに立っていた。
礼装に身を固め、髪をオールバックに
いったいこの青年のなにが気に入らなくて婚約を保留にしているのかを彼女に問い
先に紹介されたスレイ・シェリフィスほどの“絶世の美男子”とは言わないまでも、容姿も
「君はトワントの
「はい、トワント・エクセイルは父ですが、それがなにか?」
「お父上によく似ている。しかし、君は・・・」
パトリックがそう言いさしたとき、新たな来客があった。
そうした様子をディーンは涼しげな表情で見守っている。
「ディーンくん、
パトリックの申し出にもディーンは
「ご
「なるほど、どうやら君は本当の意味で紳士らしいね」とパトリックは感心していた。
「はい、これでも
ディーンはひどく涼しげに笑ってみせた。
「ほう、では後ほど。楽しみにしているよ」
太った年配の男を出迎えたパトリックを尻目にディーンは招待客の
「さてと、スレイたちはどこかな?」
すると、背後から誰かに
「遅いわよディーン」
「すまない、急いだのだけれど所用が立て込んでいて」
言い訳を口にした次の瞬間、ディーンは我が目を疑った。
「ルイすっ?」
「誰だと思ったのよ」
女は化ける。
言葉の上ではよく知るディーンだったが、さすがに面食らった。
衣装に負けぬように精一杯の化粧は健康的で男勝りな女学生を一人の
真っ赤な
「・・・
「歯の浮くお
格好は
「盗み聞きしていたのか。レディにしてはお
ルイスは
「別に盗み聞きしていたわけじゃないわ。ただ、メルからアンタを探して連れて来るように言われたから、出入り口で張ってただけよ」
もっともな話だと納得したディーンは
「それは本当にすまない。メルとスレイは中かい?」
「そうよ。まったく、到着が遅いと大物のゲストと鉢合わせるから早めに来るようにってわざわざ書いてあったでしょう。なんにも見ていないんだから」
「仕方ないんだよ。副司令から突然呼び出しがかかって、国騎の
「親父が造園業者を呼んで庭を手直しするようにって急に言い出したものだから」
一瞬の空白があった。
「そう、それは大変だったわね」と
聞こえるか聞こえないかという小声で
「貸しひとつね」
ディーンは小さく苦笑した。
「無事に来られただけでもよしとして欲しいね、さてと・・・」
「二人は奥よ。メルは
ディーンとルイスが奥へ行こうとしたそのときだった。
時計が18時30分になっていた。
パーン
開会を告げるクラッカーが鳴らされ、音楽が鳴り響く。
「あちゃあ、始まっちゃったか・・・」
「あらら、これじゃしばらく動けないわよ」
来客全員が主催者を注視する中、忙しく動き回っているのは
シャンパンタワーの近くには
「おいおい、あれ」
「あらま」
パトリックと並んで
来客の女性たちは早くもうわさ話に花を咲かせはじめていた。
「まぁ、あの若い素敵な殿方はもしかして・・・」
「きっとそうよね、メル様もお年頃ですから・・・」
「しかし、どちらの
「あらぁ、ワタクシ存じあげておりますわよ。元老院のフェルディナンド様のご子息でスレイちゃん」
「そうそう、
「ほう、それではパトリックもいよいよ本格的な政界工作に乗り出すということか?あるいは
(わざとなら人が悪すぎるぞ、スレイ。今のメルに特定のパートナーなんて居ないことの確認かよ)
「ったく、あいつも不用意な」
ディーンはスレイではなく、
「どういうこと?」
事情がよくわかっていないルイスは目を白黒させている。
「聞いたとおりだ。スレイの親父さんは元老院の議員なんだよ」
「えっ、そんなの知らなかった・・・」
「知らないぞ、後で大変なことになっても。ただでさえ
「えっ!?」
「元老院左派の
元老院左派はディーンたちが生まれる前にあった「アラウネの改革」において守旧派を退け、一時期は政治の中心となっていた革新系のグループの
改革が事件によって
皮肉なもので真っ先に裏切って政敵に
その左派グループに門閥貴族でありながら協力し、皇女アラウネの片腕と目されていたのがローレンツ公。
先代カロリファル公爵で「永遠の貴公子」と称された
ローレンツ公自身、「アラウネ事件」の影響で
その一人息子というのが近年宮廷の話題を独占している国家騎士団の
トレードマークの鼻ヒゲから「ヒゲ公爵」とアダ名されている。
父の
それが現段階ではオラトリエス出兵こと「東方外征」(東征)である。
祖国が戦争状態に突入したことにより、世間に漂う
大国ゼダによる突然の戦争断行に政治活動が活発化してレジスタンスや学生運動がにわかに勢いを増しつつある。
反戦派の一部が過激化しており、急進派の中には
ガチャーン
広い室内の奥でガラスの割れる大きな音が響き渡る。
なごやかな音楽が流れ、パトリックの
「なんだ、何事だっ?」
慌てた様子で正装した警備員たちが音のした方向へと向かう。
ホール内はにわかに
「まずいな、あちらは
ディーンは部屋の構造を瞬時に
「あっちだ、
ディーンは文字通り床を
恐怖のあまり座り込んでしまった女性のドレスの
その様子は正に一陣の風だった。
途中、
熱を帯びたその棒を小刀のごとく構えて突進する。
事情の分からぬ客たちはディーン自身が暴漢ではないかと
ディーンは壇上近くで
次の瞬間、扉が
暴漢たちが銃器をホルスターに
たちまちにして二人が倒れた。
「なっ、なんなんだこいつは?」
襲撃者のリーダーらしき
「私は女皇正騎士フィンツ・スターム少佐相当官である。女皇陛下の治める皇都パルムを荒らす
ディーンの
スカートのしもべと
その中でも騎士手合いで不敗伝説を誇る“
その
そして
「パトリック様、メル、こちらへ」
ルイス・ラファールの登場にメルとパトリックは
「ルイスっ」
「おおっ、すまない」
靴を脱ぎ捨て、
ルイスと入れ替わるようにしてスレイが
「
スレイの下した的確な指示により、ガラスの割れる音に気をとられて持ち場を離れていた警備員たちが
4人ほどがディーンが交戦している隣室付近に向かい、3人ほどが会場で客たちをなだめる。
残りは裏口から後庭へと向かった。
「倒れている
指示を下したスレイがパトリックたちのもとに戻るのと入れ替わり、ルイスは壁際に掛けられた
「ルイス・・・」
不安げな表情を浮かべたメルをパトリックが抱きかかえる。
「やれやれ、ディーンは自ら正体をバラしましたか。まっ、あの二人に任せておけば大丈夫でしょう。こうしたことには慣れっこみたいですからね」
スレイは何事もなかったかのように落ち着き払った様子でメルの肩に手を置き
「ご推察のとおりです、メル
言われないとわからないほどに別人のように振る舞っていたが、メルははじめから気づいていた。
「なるほどそういうことか」とパトリックはすっかり感心している。
先程はほぼ毎日新聞で目にしている“フィンツ・スターム少佐”が“ディーン・エクセイル”だと名乗ったのでどういうことなんだと確認したくなったのだ。
どうやら天は二物を与えたらしい。
パトリックは手合い観戦の道楽は誰かさんと違って持ち合わせなかったが、親友の息子となれば話は別だった。
(
パトリックは襲撃者が
娘と二人、床にみっともなく
「いえいえ、自分は腕っ
パトリック・リーナはこれだけの事態が起きても冷静さをまったく失っていなかった。
むしろ、これを幸いとばかりに娘の友人達をしっかり
スレイ・シェリフィスにはパトリック・リーナのそうしたしたたかさがよく分かっていた。
「要領というより
(違いますよ。まっ、政治の方はオマケです)
スレイ・シェリフィスはニヤっと笑んで代わりに総帥の腹を探る。
「つきまとう風評と交友関係とが余計な敵を増やす。銀行家も
「総帥?言われるまでもない。私とてこの程度のトラブルには慣れている」
表面的には
「あの連中もそうした
パトリックは暗にこの出来事の背景には客人達の誰かが
手引きした
スレイ・シェリフィスの方では更に背後関係とこの
パトリックに非も落ち度もない。
本当に悪いのは誰あろう自分だ。
だが、スレイが仕組んだのでもない。
反政府レジスタンス同士の主導権争いというヤツだ。
パルム市民の大半を占める中間所得層にも説得力持つ穏健現実路線のレジスタンスたちを
それがスレイ・シェリフィスというだけだ。
「なら、
(はなっからそうするつもりでしょうし、ディーンがああ動いた以上、明日の新聞紙面の巻頭も決まった)
戸を立てられぬ人の口を通じて、多数の来客を迎えた屋敷に
むしろ、こうした機会を狙ってパトリックの
そうした
「
「娘の前だ。それは言ってくれるな」
パトリックは苦笑した。
よもや彼の財界での通称まで知る若造がいるものかといったばかりに・・・。
「やれやれ終わったか」
大立ち回りを終えたディーンは折れ曲がった
総勢10人ばかりの
逃げ散った者もいるにはいたが、しばらくは屋敷には近づけないであろう。
ディーンのやり口は徹底しており、
打撲や骨折を負って倒れ込んだ
もしくは足をとって引きずり倒そうと試みる。
行動を三択まで追い込まれているのだ。
後から駆け付けた者たちは馬乗りになって取り押さえるだけで良い。
どの道、走っては逃げられないのだから捕まるのは時間の問題だった。
武器にした
襲撃者たちはそれぞれ手にした武器でチャンバラを挑むつもりが焼けた鉄棒を二の腕に押し当てられ、
銃器で狙いを定める前に、ディーンの鋭く素早い一撃が襲い発砲させなかった。
賊たちは服の下に
刃物を防ぐ
決して、たまたまそうなったのでなかったのは最初からそうした戦い方していたことでも明らかだった。
無力化。
それがディーンの、あるいはフィンツ・スターム少佐の戦術思想だ。
必要以上に相手を痛めつけることなく
これを生身でもやれるし、
足を折られたり、腕に
そして生かして捕らえれば口を割らせることが出来る。
そうなれば、なんらかの思想や思惑をもって襲撃者を送り込んだ黒幕を引きずり出せるというものだ。
ただ一つの問題は、
ただの護身術というには
そんなものは訓練と
その答えが女皇正騎士フィンツ・スターム少佐相当官だった。
ディーンは折れた飾り剣を放り出し、ドレスの
「助かったよ。“君も”来てくれてさ」
「あたしに礼はいいわよ。むしろ、“この程度のトラブル”で
ルイスはそう言って
「せっかく招かれているのだから、それなりの働きをしてみせないと
いざという時は刃物を防ぐボディアーマーになる合金製のコルセット。
大立ち回りの際、ドレスの
強く
外して構えればダガーナイフとなる
優雅に見える見た目とは裏腹に有事に備える女性たちはそうした装備を必要とした。
だが、最後の最後に物を言うのは覚悟だ。
「おかしいでしょ、結局こんなことしてる私が?」
「むしろ君の方がボクを道化だと思っただろう?『どうしてアンタ“なんか”が学生の
「折角、お互い過去の事には
「およその事情を知っている君がどう思うかよりも、今はこんなことがあってもメルの前で普通に笑えるかってことだけを気にしている」
ディーンはさみしそうにうつむいた。
「メルには初対面でバレていたんで、いずれ時間の問題だとは思っていたけれど、こんなに早いと正直せつなくなる」
ルイスはディーンを励ますようにした。
「メルはそうと分かっても気にしないでしょ。それにスレイは知ってるのね?」
「ああ、そうさ。お互いの嫌な面についても知ってるよ。だから互いに“相棒”という他ないだけさ」
二人が息と心とを落ち着かせている間に、ホールでは
「あとは警備の人たちに任せましょう」
「そうだな」と言ってディーンはルイスを横抱きに抱え上げた。
「なっ、なにするのよっ!?」
いわゆる“お姫様だっこ”をされたルイスは動揺と気恥ずかしさに顔を真っ赤にしたが、ディーンは意に
「靴がないだろ」
ストッキングのまま走り回っていたルイスを
そして、不敵に
「それにこれぐらいの役得がないとやってられん」
会場に戻った二人は瞬く間に客たちに取り囲まれた。
ディーン・エクセイルの名前も顔も知らなくても、フィンツ・スターム少佐ならば会場にいるほぼ全員が知っていた。
フィンツ・スターム少佐は元老院議会に承認された女皇正騎士たちの中でも飛び抜けた人気と実力とを誇る。
まさかこんな場で本人を直接目にする機会があるとはと、つい先刻の暴漢たちの
明日の朝刊では女皇正騎士フィンツのお
それさえ、ディーンは
結局、誰を目的とし、なにが狙いの襲撃事件だったかなどは叩き伏せた張本人の
わざわざ
ルイスの
「スターム少佐、
「ええ、喜んで」
初老の貴夫人の求めに、ディーンは快く応じてみせた。
ひとしきり踊るや、別の貴婦人の求めにも応じてみせる。
今夜の
「はぁー、やるなぁアイツぅ」
スレイはカクテルグラスを片手にしばし見事なダンスの腕前を
「ねぇ、スレイ。あなたは?」
「いや、俺は・・・」と言いかけてスレイはグラスを
「やめてよ」と言いながらもメルは小さな手を差し出した。「アタシ苦手なの。ここに居る人たちはみんな知ってるわ」
(それでか)
メルは主役の
誰も彼女を誘いに来ないのだ。
そんなメルを少し
「そうそう、上手い上手い」
二度三度足を踏んでもスレイは痛そうな素振りすら見せない。
曲が進むにつれ、メルの心は次第に軽くなっていく。
それにあわせて二人の動きは大きく軽やかになっていった。
足を踏むこともちょっとコケることも減っていく。
「上手いのはスレイよっ、ダンスがこんなに楽しいのって初めてよっ」
「それは光栄の至りです、姫様」
ひとしきり舞い終えたスレイは会場の隅にルイスを見つけて、メルと交替させる。
主役のメルが会場の中央で見事に舞ってみせたことで、若い男性の客たちは我も我もとダンスを申し込んでいる。
「たいしたものね」
ルイスは踊りながらスレイに
「それよりディーンのやつ、いつの間にか消えている」
スレイは踊りながらも周囲に
「パトリック様もいないわ。もしかして二人で密談でもしているのかも」
「まったく・・・アイツは
実際、そうだった。
「しかし、4人が揃って
言いさした教授の目の前に起き上がったエリザベートがモノクロの写真をつきつける。
「国立図書館に
老眼鏡をかけた教授はモノクロ写真に目を
1187年12月20日と日付が記録された写真の中に確かに彼らがいた。
ティルトの語る物語と変わらぬいでたちの若いディーン・エクセイルが目にとまる。
「ほぉ!?」
「それでこっちがスレイ・シェリフィス、こっちがメル・リーナ。そしてコレがルイス・ラファールよ」
「確かにこれは動かぬ証拠のようだな?」
:ケヴィン教授は目を細めて写真に食い入る。
「しかし、この女性はなんだな」と目の前であられもない格好をしているエリザベートをみやる。「お前にそっくりじゃないか?」
「そりゃ、そうでしょ。ご先祖様なんだから」
パッと机から起き上がったエリザベートは酔いが回って椅子に伏しているティルトに
「ダンスのお相手よろしいかしら?」
「ムリっ。あいにくとボクにはそんなシャレっけはない」
取り合う様子のないティルトが冷たく突き放す。
「なんだつまんないの」
「いつも、言ってるじゃないか。ボクはそういうのは苦手っ。というかムリっ!」
「やれば出来るわよ」
「そういう君こそ出来るのかよ?」
「あらっ、これでも女学院では花形だったのよ」
「男役のだろっ。その話はこれでもう4回目だ」
心持ちほろ酔い加減で良い気分になったケヴィン教授は
(なんだい、いい雰囲気じゃないか)
初夏の月が200年後の空にも
12月20日 午後9時
「珍しいことですね、ライゼル伯」
「いよう。見てたぜ、フィンツ。『手合い』同様になかなかの身のこなしじゃないか」
ソファーに差し向かいに座り、パトリックと先に歓談していたのはライゼル・ヴァンフォート伯爵だった。
ライゼルには二つの通り名がある。
ひとつは「貴族殺しのライゼル」。
財政家として知られ、要職を歴任しているライゼルについた不名誉かつ物騒な二つ名だが、実際に殺し屋とかではない。
ライゼルの貴族縮小政策で
つまりは現職の元老院議員。
もうひとつが「史上最高の手合い評論家」。
ライゼルが道楽と
ことにフィンツの手合いはどこにそんな時間があったんだと
ディーンが珍しいことと言ったのは、ライゼルは公式行事と手合い観戦以外では
なにしろ飲める方ではないし、呼ばれて断れなければ乾杯と挨拶だけ済ませるや、そそくさと帰るのが常だった。
なにせ貧乏伯爵だ。
ライゼルの父、エドワードが残した
その
いつ、ライゼルの首がポロリと落ちてもおかしくない綱渡り生活を続けていると皆によく知られている。
それでいて面倒見だけはやたらといい。
ライゼルに直接相談をねじ込むとあの手この手の抜け道や救済策を用意しているという
だから、
神童と呼ばれていた昔からあけすけで、誰とでも分け
「女皇陛下は元気かい?」
「そんなの伯爵もご存じでしょ。元気が有り余ってますよ」
つい先日も、女皇アリョーネのやらかした出来事で、騒ぎになったばかりだ。
それこそ、フィンツとその上司たるマグワイア・デュランは冷や汗を
「それでどちらがご
「どっちもといったらどうするね?ディーンくん」
パトリックは人の悪い笑みを浮かべている。
ライゼルもライゼルで面白そうに様子見している。
さては二人とも相当事情に詳しいなと察したディーンは敢えてディーン・エクセイルで行くと決めた。
「まぁ、招待状の
「そっちが本名だものな」とライゼルはニンマリ笑う。
なぜ知っているのです?と言うのを待たれているようでディーンは軽く受け流した。
「見ての通りです。
「ほんと、トワントによく似て食えないヤツだな」
ライゼルから言われてディーンは
パトリックからは父トワントと旧知だと聞いたばかりだったが、ライゼルまでもが父を知っているというのには
「伯爵まで父をご存じでしたか?」
「あったりまえだろ。学友だったお前のオヤジのとこに入り
(そうか二人ともエルシニエの学生だったのか・・・)
ディーンからしたら養父トワントの学生時代など産まれる前の話だった。
「ライゼルもそのあたりで」とライゼルがディーンの反応を楽しむ様子を
パトリックの謝礼に対し、ディーンは
「怖い子ですよ。ルイスより先にボクの正体に気づきました」
「やっぱそうか。思っていた通りだったよ」とライゼルがタメ息をつく。「それでトワントの容体はどうなんだ?」
なにもかもお見通しといったライゼルの態度にディーンは取り
「いまは
「だな」とライゼルは先程よりも大きなタメ息をつく。
一方、パトリックは更に沈痛な面持ちを浮かべた。
「いっそだ。親父の手前、身を固めるとかした方がいいんじゃないのか?その方がトワントも安心するだろうに」
ライゼルの提案に今度はディーンがタメ息をつく番だった。
「言われなくても既にそうしているのですが、なにせ向こうからの返事が
パトリック・リーナは渋い顔をした。
「確かになぁ。エリーシャと違い、そちらはどうにもこうにもし難い。あれは何処からどう見ても父親似だからなぁ」
ルイスが父親似と知っているなら、ルイスの実父エイブ・ラファール少将のことまで知っているということだ。
「しゃあねえよ。お前はなにも悪くない。ちゃんと
うっかり聞き流しそうになり、ハッとなったディーンは
「えっ?えええっ、なんでその事情までお二人ともご存じなので?」
同年同日午後9時22分
ディーンの質問は地を突く
地震だ。
それにしては
なにかがせり上がるような縦揺れだった。
「このタイミングでか!?」とライゼルは言い。
「なんだと!?」とパトリックも顔面蒼白になる。
「
暴漢騒ぎに続いてこの地震だ。
被害こそ少ないだろうことは部屋を装飾する調度品の
むしろ突然の地震発生に動揺した人々の起こすパニックの方が怖い。
「呼びつけておいてすまんな、ディーンくん。私も急ぎ会場に戻らねばな」
パトリックは主催者である以上、“知人と別室で話し込んでいました”では済まない。
それに客達を無事に帰すと若造たるスレイ・シェリフィスに宣言したばかりだ。
「俺も退席することにするぜ、パトリック。また来年もよろしく頼むよ。俺は取り急ぎ議事堂に向かう」
地震発生に動揺した群衆が議事堂や女皇宮殿に押し寄せることになるかも知れない。
大陸中部のパルムでは
ライゼルはこと想像力と
「表に車を回す。ライザーいそいでくれっ」
「助かる。それじゃフィンツまたな」
「はい、伯爵」
ディーンはパトリックに先立って宴席会場に駆け戻る。
こちらではシャンパンタワーが倒れるなど物理的な被害が出ていた。
負傷者も出ている様子で
メル、ルイス、スレイはひとかたまりとなっていた。
「三人とも無事か?」
ディーンはまたしてもいずこからともなく現れて、風のように駆け寄った。
「暴漢の次は地震か。よくよく
スレイは皮肉ったが酔いの色は見せていない。
メルを
(エンプレスガードもそれなら務まるよ、ルイス)
ディーンは涼しげな優しい笑みを浮かべて他の客達の様子を見渡した。
負傷者といっても転んで
そうしている間にパトリックが
「えー、ご列席の皆様の間でお
(上手いな。これで客たちも落ち着く
「ルイス、一曲踊ろう」
「いまぁ?」
「いまだからだよ。多分、ボクの次はパトリック様だ。宴席を仕切り直さないとね」
ようやくディーンの意図を理解したルイスはディーンのエスコートに従った。
本日の主役二人がワルツを踊り出したことでやっと
それが正しくディーンの狙いだった。
メルはしばし
「んー、なんかこの二人のこの構図って前にも見た気がするんだよなぁ?」
スレイの
そしてふくれっ面になる。
「うー、なんか
「そうだね。なんかアイツらを見てるだけだと馬鹿馬鹿しくなってくる。いっちょ、あの二人に負けないぐらいにやってみっか」
スレイもメルの手を取って舞い始める。
パトリックはディーンの察した通り、
だが、しばらく二組の様子に見とれる。
(やはりこの組み合わせになるのか?我々の世代の
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