第2話 舞踏会の夜に


 皇暦1187年11月15日


 ディーン・エクセイル、ルイス・ラファール、メル・リーナ、スレイ・シェリフィスの4人が出会ってからまたたく間に10日が過ぎようとしていた。

 エルシニエ大学も年末考査ねんまつこうさの期間に入った。

 普段は政治運動に身をやつす学生たちもこの時期ばかりは本気で勉学に取り組まざるを得ない。

 4人も・・・いや、ディーン・エクセイルを除く3人もまたぞろ試験勉強に熱を入れていた。

 必然的に4人は大学内の図書室に居た。

「うー、こんなにあるぅ」

 メル・リーナはテキストを文机ふづくえに並べて頭を抱えていた。

 年末考査ねんまつこうさ前哨戦ぜんしょうせんだったロモンド教授のレポートは無事に提出した。

 スレイの助言と手ほどきにより、他の学友たちが軒並のきなみ不可再提出を求められる中、二人とも一発で高い評価をもらえた。

 しかし、いよいよ年末考査ねんまつこうさの本番となるや、勉強漬べんきょうづけの毎日が待ち受けていた。

 史学科に属するメルとルイス・ラファールが学んでいるのは女皇国じょおうこくゼダの歴史にとどまらない。

 「中原外交史」、「古代諸王の伝説と実証」、「文学にみる政治変遷せいじへんせんの歴史」・・・これにはメルばかりでなくルイスもまいっていた。

「うーん、提出レポートが5つと筆記が4つ、それに口述試験が3つかー」

 ルイスは指折りに数えてうなだれる。

 才媛さいえんで通るルイスも今回ばかりは乗り切れるかどうかの瀬戸際せとぎわにあった。

「なんだ、わりと少ないね」と言ったのはスレイだ。「ボクら政治経済学部は提出レポートが7つと筆記が8つ、もっとも口述試験は1つだけだけれどね」

 言い終えてから、スレイはうらめしそうにディーンを見やる。

「ちきしょー、なんだよそれっ?」

 ディーンはみせびらかすように10枚の書面を並べ、「わははは」とその師匠ししょうばりに一人高笑いしている。

「みせて」とすばやくひったくったルイスはそこに書かれた文面に目を通すと整った顔をゆがませた。

「・・・ズルい」

 それもそのはず

 ディーンの前に並んでいるのは各教授からの試験免除許可証だった。

「ふっふっふっ、取り敢えず10枚か。今回の挑戦者は3人ときた。いやいや腕が鳴るねぇ」

「挑戦者って教授たちのこと?」

 メルが呆れた顔をする。

「いかにも、ボクの役目は彼らの不明に目を光らせ、その思い上がりをただすことにあると言っても過言かごんではない」

 そう豪語ごうごするディーンは許可証を出さなかった三人の顔ぶれを確認してふんと鼻を鳴らした。

「まっ、この二人は問題にならないとして・・・くっそー、ベックスのじじぃがまたしょうこりもなく挑戦してきやがったか、今回も絶対に返り討ちにしてやる」

「血圧あげないようにほどほどにな。師匠ししょうは歳も歳だから」

 一応、“師匠ししょう”とあおぐベックス・ロモンド教授の健康に配慮はいりょしてみせつつ、スレイはメルたちに向き直った。

「そんなわけで、手のいた我らが『ディーンせんせ』が君たち二人の臨時講師を買って出てくださることになりました。はい、拍手はくしゅぅ」

 パチパチパチパチ

 メルとルイスはこうべを垂れつつスレイに言われるがままに取り敢えず拍手はくしゅした。

「おいっ、なんだそりゃ?なんだっていそがしいこのボクがっ!」

 ディーンは憤然ふんぜんと立ち上がりかけたが、スレイが軽く袖を引いて制した。

「おいおい、もう忘れたのかいディーンせんせっ。あの悪夢のような1週間の図書室での籠城戦ろうじょうせんにおいて、貴重な兵站へいたんを担当し、悪戦苦闘するキミの胃袋を温かいスープやらほかほかのグラタンやら湯気の立つポトフで満たしてくれたのは一体誰だったのかなぁ?ついでにカビ臭い毛布やら、汗臭いシャツやら、猛烈な異臭いしゅうを放つパンツを洗濯してくれたのは一体誰だったかねぇ」

「ぐっ、がっ・・・うぅっ」

 メルたちが闖入ちんにゅうした11月4日から丸一週間。

 正しく悪夢のようなスケジュールで論文執筆にあたっていたディーンを支えていたのは相棒のスレイばかりでなくメルとルイスだった。

 もっともその好意は最初、という社交辞令しゃこうじれい一環いっかんでしかなかったのだが、連日深夜までの作業に、見るも無惨に憔悴しょうすいしていくディーンとスレイの様子を見るに見かねた女性陣はという条件つきで援助を申し出たのだ。

「そーよ、なにかと大変だったんだから。近いからってウチの台所使ったり、他に場所がないからってウチの物干し使ったりしたせいで、近所の人から『ついに男ができた』ってからかわれてさぁ、ほんと災難だわっ」

 しばらくの間、物干し台を占拠した男物のパンツと白いシャツのせいで隣室の老夫婦はおろか、出入りの魚屋にまで誤解されることになったルイスは本当に災難だった・・・のだろうか?

 どのみち数年後にディーンの下着を洗うのはルイスの仕事になる。

 さすがにスレイの下着は洗わなかったが、スレイの息子クルトのおしめも洗っていた。

「でもね、お料理はほとんどあたしが作ったんだよね。ルイスが作ると味がめっちゃいから」

 台所と調理道具を提供したのはルイスだったが、実際にはメルがほとんど手がけていた。

 お嬢様育ちとは思えないほど彼女の作る家庭料理は男達の口を楽しませ、その胃袋を満たした。

 母セシリアを早くに亡くしたメルは仕事で帰宅の遅い父パトリックのために厨房ちゅうぼうに立つ機会が多かった。

 ハウスメイドのエリーシャ・ハラン仕込みの腕前は確かなもので、それだけならば十分に主婦として通用する。

 もっとも他は及第点きゅうだいてんに遠く及ばないのだが、それはさておく。

 なにしろお嬢様のすることだから片手落ちにもなる。

「うるさいわねっ!どーせあたしの作る料理は田舎料理で都会の皆様のお口には合いませんよーだっ!」

 一人暮らしのルイスも一通りは家事をこなせるのだが、生来せいらいがさつな性で失敗も多い上に万事適当ぶりが目立つ。

「あの繊細せんさいな技の使い手がねぇ・・・」

 なにを知っているんだかディーンだけがボヤく。

「まぁ、なんのことかしら、ディーンっ!」

 机の下で向こうすねを思い切り蹴り上げられ、「ぐはっ」とディーンは悶絶もんぜつした。

「まあまあまあ、取り敢えず“ディーンせんせ”も自分の立場をよーく理解したようだから、遠慮なくこき使ってください。そんなわけで僕は自分の勉強に専念致します」

 スレイ・シェリフィスは自分の荷物をまとめて歩み去ろうとしていた。

「ん?ちょっと待て、スレイ」

 ディーンの目がキラリと光る。

「なんでしょうか、ディーンせんせ?」

「メシ食ったのも洗濯させたのもお前も同罪だったよな」

「そうそう、なにしろあたしたちと違ってじゃないんだし」

「う゛っ!」

 口ごもるスレイにメルが追い打ちをかける。

「大体、好き嫌いなくなんでもしっかり食べてくれるディーンと違って、スレイはあれこれ好き嫌いが多いから作る方はすっごく苦労したんだよ」

 が悪いと悟ったスレイは呆気あっけなく白旗をげた。

「わかった、わかりました。私めも出来る範囲でお手伝いいたします」

「ふっふっふっ、学内一の秀才と知る人ぞ知る天才を味方につけちゃった。ほんとづけしといて正解だったわ」とルイス。

「うん、先行投資がさっそく実を結んだわね、ルイス」とメル。

「“づけ”とか“先行投資”とかって、一体君らは僕等をなんだと思っているんだか」

 男共のボヤキ節を彼女たちは軽く笑って受け流す。

「そんなの決まってるじゃない、頭のいい“ケダモノ”たち」

「よし分かった、君たちがそういう態度ならビシビシいくから覚悟しろよ」

「眠たくても寝られない辛さを味合わせてあげようかねぇ・・・ヒヒヒ」

 4人ははるか昔からの仲間たちのようになごやかな空気の中でひとしきり笑い転げていた。


 パルムの季節は冬へと変わった。

 12月に入り年末考査も随時終了し、学生達は勉強漬べんきょうづけの毎日からようやく解放されていった。

 年末年始をまたぐ1ヶ月あまりの休みを前にして学内はにわかに浮き足だっていた。

 地方や外国からの留学生たちは故郷に帰ってひとときの団らんを楽しむ。

 パルムの街も新たな年を前にしてにわかにはなやいでいく。

 学生街へと繋がる表通りを歩きながら、ディーンとスレイはなごやかに談笑していた。

 二人並んで歩くとわかるがディーンはスレイよりも背が低かった。

「メルの家で舞踏会ぶとうかい!?」

 ディーンは驚きのあまり敷石しきいしつまづきかけた。

「そう、お前んとこにも来ただろ、招待状」

 ディーンはふむと考えてアレがそうだったのかと手を叩いた。

「ああ、あれがそうだったか。今朝ウチに届いていたみたいだけど、出がけであわててたから封も切らずにそのまま家に置いてある」

 この時代、郵便と新聞とが同時に配達されることも少なくない。

 郵便を扱う郵政局職員はいわゆる受け取り確認が必要な速達や書留かきとめの配達が主であり、手が足りないので一般郵便物は新聞配達たちに委託いたくされていた。

 電報が速達に変わる手段となりつつある。

 郵便強盗といった手合いもいるので現金書留げんきんかきとめは制度的になく、少額でも各銀行の発行する小切手の形で配達され、換金時かんきんじには本人確認とサインを必要としていた。

「来週の終わりだってさ」

 ディーンは頭の中でスケジュールを再確認した。

 ディーンは手帳は常に持ち歩いているが、スケジュール帳はない。

 持つことに不都合があるからだった。

「ふーん、多分大丈夫だろ。ここのところからの呼び出しも少ないからな」

 スレイはディーンに耳打ちした。

「それより、各界の著名人ちょめいじんが集まるっていうかなり大がかりなパーティらしいぜ。ルイスのやつはこの機会にドレスを新調するって言ってた」

 ディーンにはさして関心もない。

「うへっ、苦手なんだよなぁ。そういうはなやかな場所って」

 確かに新進気鋭しんしんきえいの学生学者ディーン・エクセイル先生にはまったく似合わない場所だった。

 だが、もう一つのかおの方は結構お似合いなんじゃないのとスレイは思った。

「毎日、この国で最もはなやかな場所にいるお前の口から聞くとは思わなかったよ。大体、社交ダンスだろうが社交トークだろうが、慣れっこだろ、

「それを言うなよ。仕事とプライベートとは別だろ」

 要するにとしては一通りそつなくこなせる。

 だが、宮廷雀きゅうていすずめたちの話題には全く興味がない。

「そりゃそうだよな。華やかな場所が苦手なのはむしろ俺の方かもな」

 スレイは自分の発した言葉に苦笑していた。

(お前だっての方はそういうトコに散々出入りして、四方山話よもやまばなしの中から使えそうな情報拾い集めるのが得意なクセになに言ってんだよ)

 ディーンは親友スレイの厚顔こうがんぶりにあきれていた。

 大体、スレイの一人称がからに変わるときは物騒な裏家業絡うらかぎょうがらみのときだ。

 ある種の警戒心が働いている時はになることをディーンは見抜いていた。

 大学内ではメルやルイスの前でもで通しているが、大学の外やら裏家業関係ではになる。

 だが、ディーンにしたところで、になるだけの違いで、他はまったく同じだった。


 女皇暦1187年12月20日18時21分

 パルム東区 リーナてい別邸べってい


「本日はおまねいただまことにありがとうございます」

 ひどく物慣れた様子で挨拶あいさつされて、ベルシティ銀行総帥たるパトリック・リーナは内心面食らった。

 娘のメルから聞いていた話とは全く異なる印象の青年がそこに立っていた。

 礼装に身を固め、髪をオールバックにまとめたディーンは居心地の悪さを毛ほどにも感じさせずに優雅なたたずまいを見せている。

 いったいこの青年のなにが気に入らなくて婚約を保留にしているのかを彼女に問いただしたくなる。

 先に紹介されたスレイ・シェリフィスほどの“絶世の美男子”とは言わないまでも、容姿もたたずまいもそう捨てたものではない。

「君はトワントのせがれなのか?」

「はい、トワント・エクセイルは父ですが、それがなにか?」

「お父上によく似ている。しかし、君は・・・」

 パトリックがそう言いさしたとき、新たな来客があった。

 執事しつじ袖口そでぐちを引かれ、パトリックはやむなく話を打ち切らざるを得なくなった。

 そうした様子をディーンは涼しげな表情で見守っている。

「ディーンくん、つのる話は後ほどにしよう。あとで別室を用意する」

 パトリックの申し出にもディーンは快活かいかつ微笑ほほえむ。

「ご随意ずいいに。そうそう、お嬢さんをお借りするかも知れませんがご心配ないように。これでも分別ふんべつはわきまえております」

「なるほど、どうやら君は本当の意味で紳士らしいね」とパトリックは感心していた。

「はい、これでもみやの末席にある身ですから」

 ディーンはひどく涼しげに笑ってみせた。

「ほう、では後ほど。楽しみにしているよ」

 太った年配の男を出迎えたパトリックを尻目にディーンは招待客のあふれる邸内ていないに進み行った。

「さてと、スレイたちはどこかな?」

 はなやかな装いの人混みの中でディーンは視線を走らせる。

 すると、背後から誰かにそでを引かれた。

「遅いわよディーン」

「すまない、急いだのだけれど所用が立て込んでいて」

 言い訳を口にした次の瞬間、ディーンは我が目を疑った。

「ルイすっ?」

「誰だと思ったのよ」

 女は化ける。

 言葉の上ではよく知るディーンだったが、さすがに面食らった。

 浅黄色あさぎいろのドレスに純銀のティアラ。

 衣装に負けぬように精一杯の化粧は健康的で男勝りな女学生を一人の淑女しゅくじょへと変貌へんぼうさせていた。

 真っ赤なべにを引いた口元に思わず吸い寄せられそうになり、ディーンはあわてて咳払せきばらいして居住まいを正した。

「・・・綺麗きれいだよ、見違えた」

「歯の浮くお世辞せじは間に合ってるわよっ。それより、あんたパトリック様となにを話していたの?」

 格好は淑女しゅくじょでも中身はいつものルイスだ。

「盗み聞きしていたのか。レディにしてはお行儀ぎょうぎが悪いぞ」

 ルイスは心底呆しんそこあきれていた。

「別に盗み聞きしていたわけじゃないわ。ただ、メルからアンタを探して連れて来るように言われたから、出入り口で張ってただけよ」

 もっともな話だと納得したディーンは折角せっかく整髪油せいはつゆで固めた頭をついいつもの癖でポリポリといた。

「それは本当にすまない。メルとスレイは中かい?」

「そうよ。まったく、到着が遅いと大物のゲストと鉢合わせるから早めに来るようにってわざわざ書いてあったでしょう。なんにも見ていないんだから」

「仕方ないんだよ。副司令から突然呼び出しがかかって、国騎の増援ぞうえん対策に・・・」と言いさしてディーンはあわてて口をつぐんだ。

「親父が造園業者を呼んで庭を手直しするようにって急に言い出したものだから」

 一瞬の空白があった。

「そう、それは大変だったわね」と微笑ほほえんだルイスの目は冷ややかだった。

 聞こえるか聞こえないかという小声でささやく。

「貸しひとつね」

 ディーンは小さく苦笑した。

「無事に来られただけでもよしとして欲しいね、さてと・・・」

「二人は奥よ。メルは主催側しゅさいがわだから挨拶あいさつに追われてる。スレイは良い酒がそろってるって、さっそく飲んだくれてるわよ」

 ディーンとルイスが奥へ行こうとしたそのときだった。

 時計が18時30分になっていた。

 パーン

 開会を告げるクラッカーが鳴らされ、音楽が鳴り響く。

「あちゃあ、始まっちゃったか・・・」

「あらら、これじゃしばらく動けないわよ」

 執事頭しつじがしらによる開会の言葉に始まり、応接から人混みをかき分けて壇上だんじょうに登ったパトリック・リーナが来客たちを前に挨拶あいさつをはじめる。

 来客全員が主催者を注視する中、忙しく動き回っているのは給仕きゅうじたちだけだ。

 シャンパンタワーの近くには豪華ごうかな料理が湯気を立てていた。

「おいおい、あれ」

「あらま」

 パトリックと並んで挨拶あいさつをしているメルの隣でスレイがにこやかに愛想あいそを振りまいている。

 傍目はためにはどう言いつくろってもパートナーとしか見えない距離だ。

 来客の女性たちは早くもうわさ話に花を咲かせはじめていた。

「まぁ、あの若い素敵な殿方はもしかして・・・」

「きっとそうよね、メル様もお年頃ですから・・・」

「しかし、どちらの御仁ごじんなのでしょう?」

「あらぁ、ワタクシ存じあげておりますわよ。元老院のフェルディナンド様のご子息でスレイちゃん」

「そうそう、跡取あととりのスレイ坊ちゃまよ。いやはや、ついこの間までお坊ちゃまだったのに今や素敵な殿方とのがた

「ほう、それではパトリックもいよいよ本格的な政界工作に乗り出すということか?あるいは後釜あとがまか」

(わざとなら人が悪すぎるぞ、スレイ。今のメルに特定のパートナーなんて居ないことの確認かよ)

「ったく、あいつも不用意な」

 ディーンはスレイではなく、忌々いまいましげに噂話うわさばなしに花を咲かせる来客たちをにらえた。

「どういうこと?」

 事情がよくわかっていないルイスは目を白黒させている。

「聞いたとおりだ。スレイの親父さんは元老院の議員なんだよ」

「えっ、そんなの知らなかった・・・」

「知らないぞ、後で大変なことになっても。ただでさえ宮廷雀きゅうていすずめたちはかまびすかしいんだ。パトリック・リーナ氏がカロリファル公爵派の金庫番だっていうのは周知の事実なんだから」

「えっ!?」

「元老院左派の首魁しゅかいたるフェルディナンド・シェリフィス議員と、父親の意趣返いしゅがえしに燃えているってうわさのトゥドゥール・カロリファル公爵をパトリック・リーナが引き合わせたなんていう情報が年が変わらぬうちに広まって、たちまち大騒動になりかねない。なにがはなやかな場所は苦手だよ」

 元老院左派はディーンたちが生まれる前にあった「アラウネの改革」において守旧派を退け、一時期は政治の中心となっていた革新系のグループの残滓ざんしである。

 改革が事件によって頓挫とんざしたことで彼らは次第に発言権を失い衰退すいたいしていった。

 皮肉なもので真っ先に裏切って政敵に籠絡ろうらくされていたと当時は思われていたフェルディナンド・シェリフィス議員が、養父だったヴェルナール・シェリフィス元議長の死後は、皇女の後ろだてを失ってもなお、皇女の遺志を継いだかのように左派グループを率いて改革の火を絶やさぬ努力を続けている。

 その左派グループに門閥貴族でありながら協力し、皇女アラウネの片腕と目されていたのがローレンツ公。

 先代カロリファル公爵で「永遠の貴公子」と称された稀代きたい傑物けつぶつである。

 ローレンツ公自身、「アラウネ事件」の影響で失脚しっきゃく余儀よぎなくされて、せりがちになり、先年失意のうちに亡くなった。

 その一人息子というのが近年宮廷の話題を独占している国家騎士団の副総帥ふくそうすいにして現公爵であるトゥドゥール・カロリファル公爵だ。

 トレードマークの鼻ヒゲから「ヒゲ公爵」とアダ名されている。

 父の薫陶くんとうを受けて成長し、早世そうせいした父の無念を一身に背負うことになったその若者はという目に見える力を背景にして有力政治家たちを次々に籠絡ろうらくし、ついには実力行使に踏み切った。

 それが現段階ではオラトリエス出兵こと「東方外征」(東征)である。

 祖国が戦争状態に突入したことにより、世間に漂う自粛じしゅくムードを考慮こうりょして、このパーティでさえ中止されそうになったほどだった。

 大国ゼダによる突然の戦争断行に政治活動が活発化してレジスタンスや学生運動がにわかに勢いを増しつつある。

 反戦派の一部が過激化しており、急進派の中には要人ようじんを狙ったテロまがいの行為も・・・。

 ガチャーン

 広い室内の奥でガラスの割れる大きな音が響き渡る。

 なごやかな音楽が流れ、パトリックの挨拶あいさつが続く間も談笑の花が咲いていた会場は、一瞬にして水をうったかのように静まりかえった。

「なんだ、何事だっ?」

 慌てた様子で正装した警備員たちが音のした方向へと向かう。

 ホール内はにわかに騒然そうぜんとし、壇上だんじょうに立つパトリックも挨拶あいさつの中断を余儀よぎなくされた。

「まずいな、あちらは陽動ようどうだ。本命は・・・」

 ディーンは部屋の構造を瞬時に把握はあくする。

「あっちだ、壇上だんじょうに近い隣の部屋」

 ディーンは文字通り床をって飛び出していた。

 恐怖のあまり座り込んでしまった女性のドレスのすそを踏み、きょろきょろしょといさいなげな男性を突き飛ばしてホールを走り抜ける。

 その様子は正に一陣の風だった。

 途中、暖炉だんろに突き立てられていた火掻ひかき棒を手にする。

 熱を帯びたその棒を小刀のごとく構えて突進する。

 事情の分からぬ客たちはディーン自身が暴漢ではないかと錯覚さっかくしたほどであった。

 ディーンは壇上近くで驚愕きょうがくした様子の主催者たちに一瞥いちべつをくれる。

 次の瞬間、扉が蹴破けやぶられ覆面ふくめんをした数名の暴漢がホールへとなだれ込んできた。

 闖入者ちんにゅうしゃの襲来に、ホール内は混乱と恐怖の絶頂に達した。

 暴漢たちが銃器をホルスターに鈍器どんきを手にしているとみたディーンは側背から接近するや躊躇ちゅうちょなく火掻ひかき棒をふるう。

 たちまちにして二人が倒れた。

「なっ、なんなんだこいつは?」

 襲撃者のリーダーらしき覆面男ふくめんおとこは段取りを台無しにした一人の青年に気を取られた。

 屹立きつりつしたディーンは迷うことなく大喝たいかつする。

「私は女皇正騎士フィンツ・スターム少佐相当官である。女皇陛下の治める皇都パルムを荒らすぞくども、狼藉ろうぜきあきら神妙しんみょうばくにつけっ!」

 ディーンの大喝たいかつぞくたちは震え上がった。

 揶揄やゆされる女皇騎士。

 その中でも騎士手合いで不敗伝説を誇る“騎士喰らい”フィンツを知らない都人みやこびと皆無かいむだ。

 その間隙かんげきをついて一人の女性が壇上だんじょうに音もなく近づく。

 そして壇上だんじょうつくばっている二人に寄り添った。

「パトリック様、メル、こちらへ」

 ルイス・ラファールの登場にメルとパトリックは安堵あんどしていた。

「ルイスっ」

「おおっ、すまない」

 靴を脱ぎ捨て、裾止すそどめでひざのあたりまでドレスをたくし上げたルイスは白い向こうすねあらわにして壇上だんじょうに駆け寄るや屋敷の主たちをその背にかばいつつ、来客の中に姿を隠すよう誘導した。

 ルイスと入れ替わるようにしてスレイが壇上だんじょうに立つ。

ぞくはこっちだ。連中は隣室の奥から来た。半分は裏手から回り込んで退路を断て。残りはホールの警護を」

 スレイの下した的確な指示により、ガラスの割れる音に気をとられて持ち場を離れていた警備員たちがただちに反応する。

 4人ほどがディーンが交戦している隣室付近に向かい、3人ほどが会場で客たちをなだめる。

 残りは裏口から後庭へと向かった。

「倒れているぞくから捕縛ほばくして、終わったらホールを封鎖ふうさっ!」

 指示を下したスレイがパトリックたちのもとに戻るのと入れ替わり、ルイスは壁際に掛けられたかざり剣を手にしてぞくの方へと走った。

「ルイス・・・」

 不安げな表情を浮かべたメルをパトリックが抱きかかえる。

「やれやれ、ディーンは自ら正体をバラしましたか。まっ、あの二人に任せておけば大丈夫でしょう。こうしたことには慣れっこみたいですからね」

 スレイは何事もなかったかのように落ち着き払った様子でメルの肩に手を置き微笑ほほえんだ。

「ご推察のとおりです、メルじょう。“ディーンがフィンツ”です」

 言われないとわからないほどに別人のように振る舞っていたが、メルははじめから気づいていた。

「なるほどそういうことか」とパトリックはすっかり感心している。

 先程はほぼ毎日新聞で目にしている“フィンツ・スターム少佐”が“ディーン・エクセイル”だと名乗ったのでどういうことなんだと確認したくなったのだ。

 どうやら天は二物を与えたらしい。

 パトリックは手合い観戦の道楽は誰かさんと違って持ち合わせなかったが、親友の息子となれば話は別だった。

ひかえ目にしているがスレイくんだってたいしたものじゃないか)

 パトリックは襲撃者が闖入ちんにゅうした瞬間に少し後ろに立っていたほろい状態のスレイに引き倒された。

 娘と二人、床にみっともなくつくばる格好になったが、お陰で暴漢共に目をつけられることなくやり過ごせた。

 壇上だんじょうに人質にする予定だった主催者の姿がなかったことで狼狽ろうばいしたぞくは棒立ちとなり、ディーンの奇襲きしゅうを許す格好になった。

「いえいえ、自分は腕っぷしはからっきし、自信があるのは要領だけです」

 パトリック・リーナはこれだけの事態が起きても冷静さをまったく失っていなかった。

 むしろ、これを幸いとばかりにをしっかり値踏ねぶみしている。

 スレイ・シェリフィスにはパトリック・リーナのそうしたがよく分かっていた。

「要領というより手際てぎわだな。誰がどの程度の動きが出来るかすっかり把握はあくしている。それも政治屋の跡取あととりには必要な才覚だと思うのだが、違うかね?」

(違いますよ。まっ、政治の方はオマケです)

 スレイ・シェリフィスはニヤっと笑んで代わりにの腹を探る。 

「つきまとう風評と交友関係とが余計な敵を増やす。銀行家も因果いんがな商売ですね」とスレイは襲撃者の背後関係までも把握はあくしているとばかりに皮肉っぽく笑った。「さて、この場をいかがなさいますか?

「総帥?言われるまでもない。私とてこの程度のトラブルには慣れている」

 表面的にはおびえ、恐怖に打ち震えているとみえる客人たちを一瞥いちべつしてパトリックは続けた。

「あの連中もそうした因果いんがとはまったく無縁に生きているとは思えぬな。いかにして被害者然として振る舞い、己の利益とするか、そういう手練手管てれんてくだけた食えない連中さ」

 パトリックは暗にこの出来事の背景には客人達の誰かがからんでいるとみていることを示した。

 手引きした首謀者しゅぼうしゃがいるというのではない。

 ぞくに狙われる後ろ暗さを抱えておおやけの場にのこのこ現れた厚顔こうがんだか粗忽そこつな人物がいるということだ。

 スレイ・シェリフィスの方では更に背後関係とこの稚拙ちせつな襲撃を実行するに到ったかをよく把握していた。

 パトリックに非も落ち度もない。

 本当に悪いのは誰あろうだ。

 だが、スレイが仕組んだのでもない。

 反政府レジスタンス同士の主導権争いというヤツだ。

 パルム市民の大半を占める中間所得層にも説得力持つ穏健現実路線のレジスタンスたちをまとめる天才的な男がいて、そいつの名に功と実績を焦ったのだ。

 がスレイ・シェリフィスというだけだ。

「なら、遠慮えんりょはいりません。何事もなかったかのように宴席えんせきを進行させて彼らをこの場にとどめ、そして何事もなかったかのように無事に送り帰す。さすれば誰もあなたをそしとがめたりはしないでしょう」

(はなっからそうするつもりでしょうし、ディーンがああ動いた以上、明日の新聞紙面の巻頭も決まった)

 あわてて客を帰してしまい、襲撃事件そのものを闇にほうむるようであればそれこそパトリックの名声にきずが付く。

 戸を立てられぬ人の口を通じて、多数の来客を迎えた屋敷にぞくの侵入を許した不手際ふてぎわを世間に広められ、いらぬ腹を探られる羽目になる。

 むしろ、こうした機会を狙ってパトリックの懐深ふところふかくに接近したがっているもいる。

 そうしたやからの目的はパトリックの管理運用する莫大ばくだいな資金に他ならない。

司直しちょく(警察組織)の手に引き渡す前にぞくの目的を割らせれば、誰かの弱みを握れるというもの。それこそ、さすがは“鉄の睾丸こうがん”との世間の認識を強めるでしょうな」

「娘の前だ。それは言ってくれるな」

 パトリックは苦笑した。

 よもや彼の財界でのまで知る若造がいるものかといったばかりに・・・。


「やれやれ終わったか」

 大立ち回りを終えたディーンは折れ曲がった火掻ひかき棒を手近な暖炉に放り込み、礼服の汚れを文字通り軽く払った。

 総勢10人ばかりのぞくはディーンの機敏きびんな働きもあって、そのほとんどが身柄みがらを押さえられた。

 逃げ散った者もいるにはいたが、しばらくは屋敷には近づけないであろう。

 ディーンのやり口は徹底しており、火掻ひかき棒をこれみよがしに見せつつすきをみて足払いをかけ、倒れたぞくの足を踏みつぶして起きあがれぬようにするというものだった。

 打撲や骨折を負って倒れ込んだぞくは痛みにうずくまるか、つくばって逃げ回ろうとする。

 もしくは足をとって引きずり倒そうと試みる。

 行動を三択まで追い込まれているのだ。

 後から駆け付けた者たちは馬乗りになって取り押さえるだけで良い。

 どの道、走っては逃げられないのだから捕まるのは時間の問題だった。

 武器にした火掻ひかき棒も効果的だった。

 襲撃者たちはそれぞれ手にした武器でチャンバラを挑むつもりが焼けた鉄棒を二の腕に押し当てられ、火傷やけどの痛みに武器を取り落として転げ回る羽目におちいった。

 銃器で狙いを定める前に、ディーンの鋭く素早い一撃が襲い発砲させなかった。

 賊たちは服の下に帷子かたびらを着込んでいたが、むしろそれが更に悪い結果につながった。

 刃物を防ぐ帷子かたびらも高熱は防げず、熱伝導で火傷やけどの痛みは全身に広がる。

 決して、たまたまそうなったのでなかったのは最初からそうした戦い方していたことでも明らかだった。

 無力化。

 それがディーンの、あるいはフィンツ・スターム少佐の戦術思想だ。

 必要以上に相手を痛めつけることなく屈服くっぷくさせてしまう。

 これを生身でもやれるし、真戦兵ませんへいでもやれる。

 足を折られたり、腕に大火傷おおやけどっても命に別状はない。

 そして生かして捕らえれば口を割らせることが出来る。

 そうなれば、なんらかの思想や思惑をもって襲撃者を送り込んだ黒幕を引きずり出せるというものだ。

 ただ一つの問題は、一介いっかいの学生に過ぎないディーンがどういうわけでそのようなを持っているかということだった。

 ただの護身術というには物騒ぶっそうなまでに洗練されたスタイル。

 そんなものは訓練と実践じっせんとでしか身に付くものではない。

 その答えが女皇正騎士フィンツ・スターム少佐相当官だった。

 ディーンは折れた飾り剣を放り出し、ドレスのすそを直している一人の淑女しゅくじょねぎらうように声を掛けた。

「助かったよ。“君も”来てくれてさ」

「あたしに礼はいいわよ。むしろ、“この程度のトラブル”で俊敏しゅんびんに動いてくれた貴方には主催のパトリック様にかわってとても感謝しているわ」

 ルイスはそう言って裾止すそどめを外した。

「せっかく招かれているのだから、それなりの働きをしてみせないとへいかに笑われてしまうからね」ディーンは悪戯いたずらっぽく笑い、ルイスがこっそり背中に隠したに視線を向けた。「そんなものを必要とする女性はそうそういないはずなんだけれど、どういうわけかボクは他にも大勢知っているよ」

 いざという時は刃物を防ぐボディアーマーになる合金製のコルセット。

 大立ち回りの際、ドレスのすそをたくし上げるための裾止すそどめ。

 強くるだけでかかとが外れる細工の舞踏靴ぶとうぐつ

 外して構えればダガーナイフとなる髪留かみどめ。

 優雅に見える見た目とは裏腹に有事に備える女性たちはそうしたを必要とした。

 だが、最後の最後に物を言うのは覚悟だ。

 貧弱ひんじゃくな装備よりもきたえあげた己の身にたくわえた鋼の心と日頃の鍛錬たんれんとが最強のたてになる。

「おかしいでしょ、結局こんなことしてる私が?」

「むしろ君の方がボクを道化だと思っただろう?『どうしてアンタ“なんか”が学生の真似事まねごとをしているんだ』ってね」

「折角、お互い過去の事にはれないようにしてたのにね」

「およその事情を知っている君がどう思うかよりも、今はこんなことがあってもメルの前で普通に笑えるかってことだけを気にしている」

 ディーンはさみしそうにうつむいた。

「メルには初対面でバレていたんで、いずれ時間の問題だとは思っていたけれど、こんなに早いと正直せつなくなる」

 ルイスはディーンを励ますようにした。

「メルはそうと分かっても気にしないでしょ。それにスレイは知ってるのね?」

「ああ、そうさ。お互いの嫌な面についても知ってるよ。だから互いに“相棒”という他ないだけさ」

 二人が息と心とを落ち着かせている間に、ホールでは宴席えんせきが再開している様子だった。

「あとは警備の人たちに任せましょう」

「そうだな」と言ってディーンはルイスを横抱きに抱え上げた。

「なっ、なにするのよっ!?」

 いわゆる“お姫様だっこ”をされたルイスは動揺と気恥ずかしさに顔を真っ赤にしたが、ディーンは意にかいした様子もなく、軽々と抱えたままパーティ会場に戻ろうとした。

「靴がないだろ」

 ストッキングのまま走り回っていたルイスを気遣きずかう。

 そして、不敵にわらった。

「それにこれぐらいのがないとやってられん」


 会場に戻った二人は瞬く間に客たちに取り囲まれた。

 めそやかす客達にディーンは苦笑交じりに応対する。

 ディーン・エクセイルの名前も顔も知らなくても、フィンツ・スターム少佐ならば会場にいるほぼ全員が知っていた。

 フィンツ・スターム少佐は元老院議会に承認された女皇正騎士たちの中でも飛び抜けた人気と実力とを誇る。

 まさかこんな場で本人を直接目にする機会があるとはと、つい先刻の暴漢たちの闖入劇ちんにゅうげきさえ忘れてしまったかのようだった。

 明日の朝刊では女皇正騎士フィンツのお手柄てがらとして語られることになる。

 それさえ、ディーンは計算尽けいさんづくだった。

 結局、誰を目的とし、なにが狙いの襲撃事件だったかなどは叩き伏せた張本人の活躍劇かつやくげきを前に吹っ飛んでしまう。

 わざわざ啖呵たんかを切ったのだってが狙いだった。

 ルイスの舞踏靴ぶとうぐつは親切なご婦人が保管してくれていた。

「スターム少佐、是非ぜひダンスのお相手をしてくださいませ?」

「ええ、喜んで」

 初老の貴夫人の求めに、ディーンは快く応じてみせた。

 ひとしきり踊るや、別の貴婦人の求めにも応じてみせる。

 今夜の晩餐ばんさんの主役はあたかもその黒髪の貴公子であるかのようだった。

「はぁー、やるなぁアイツぅ」

 スレイはカクテルグラスを片手にしばし見事なダンスの腕前を披露ひろうするディーンにみとれた。

「ねぇ、スレイ。あなたは?」

「いや、俺は・・・」と言いかけてスレイはグラスを給仕きゅうじに預けた。「これは失礼。私めがお相手でもよろしいですかなっ、姫様」

「やめてよ」と言いながらもメルは小さな手を差し出した。「アタシ苦手なの。ここに居る人たちはみんな知ってるわ」

(それでか)

 メルは主役の愛娘まなむすめであるにもかかわらず壁の花となっていた。

 誰も彼女を誘いに来ないのだ。

 そんなメルを少しあわれむように、スレイはメルの動きに合わせ小さなステップをきざんでいく。

「そうそう、上手い上手い」

 められながら踊るとメルも悪い気はしない。

 二度三度足を踏んでもスレイは痛そうな素振りすら見せない。

 曲が進むにつれ、メルの心は次第に軽くなっていく。

 それにあわせて二人の動きは大きく軽やかになっていった。

 足を踏むこともちょっとコケることも減っていく。

「上手いのはスレイよっ、ダンスがこんなに楽しいのって初めてよっ」

「それは光栄の至りです、姫様」

 上機嫌じょうきげんになったメルにスレイ・シェリフィスは艶然えんぜんと笑ってみせる。

 ひとしきり舞い終えたスレイは会場の隅にルイスを見つけて、メルと交替させる。

 主役のメルが会場の中央で見事に舞ってみせたことで、若い男性の客たちは我も我もとダンスを申し込んでいる。

「たいしたものね」

 ルイスは踊りながらスレイにささやく。

「それよりディーンのやつ、いつの間にか消えている」

 スレイは踊りながらも周囲に目配めくばりを欠かしていない。

「パトリック様もいないわ。もしかして二人で密談でもしているのかも」

「まったく・・・アイツは隠密おんみつかよ」

 実際、そうだった。

 裏界隈うらかいわいでディーンは白の隠密おんみつという通称で知られている。

 あきれて苦笑する二人は目映まばゆいばかりの光の中にいた。


「しかし、4人が揃って舞踏会ぶとうかいに出ていた証拠なんて・・・」

 言いさした教授の目の前に起き上がったエリザベートがモノクロの写真をつきつける。

「国立図書館に寄贈きぞうされた、さる伯爵夫人のアルバムの中に見つけたわ」

 老眼鏡をかけた教授はモノクロ写真に目をらす。

 1187年12月20日と日付が記録された写真の中に確かに彼らがいた。

 ティルトの語る物語と変わらぬいでたちの若いディーン・エクセイルが目にとまる。

「ほぉ!?」

「それでこっちがスレイ・シェリフィス、こっちがメル・リーナ。そしてコレがルイス・ラファールよ」

「確かにこれは動かぬ証拠のようだな?」

 :ケヴィン教授は目を細めて写真に食い入る。

「しかし、この女性はなんだな」と目の前であられもない格好をしているエリザベートをみやる。「お前にそっくりじゃないか?」

「そりゃ、そうでしょ。ご先祖様なんだから」

 パッと机から起き上がったエリザベートは酔いが回って椅子に伏しているティルトにうやうやしく手を差し出す。

「ダンスのお相手よろしいかしら?」

「ムリっ。あいにくとボクにはそんなシャレっけはない」

 取り合う様子のないティルトが冷たく突き放す。

「なんだつまんないの」

「いつも、言ってるじゃないか。ボクはそういうのは苦手っ。というかムリっ!」

「やれば出来るわよ」

「そういう君こそ出来るのかよ?」

「あらっ、これでも女学院では花形だったのよ」

だろっ。その話はこれでもう4回目だ」

 心持ちほろ酔い加減で良い気分になったケヴィン教授は頬杖ほおづえをつきながら二人の様子を見守っていた。

(なんだい、いい雰囲気じゃないか)

 初夏の月が200年後の空にも煌々こうこうと輝いていた。


 12月20日 午後9時


 執事しつじの案内で別室に招かれたディーンはその人物を目にして意外な交友関係もあったものだと内心思った。

「珍しいことですね、ライゼル伯」

「いよう。見てたぜ、フィンツ。『手合い』同様になかなかの身のこなしじゃないか」

 ソファーに差し向かいに座り、パトリックと先に歓談していたのはライゼル・ヴァンフォート伯爵だった。

 ライゼルには二つの通り名がある。

 ひとつは「貴族殺しのライゼル」。

 財政家として知られ、要職を歴任しているライゼルについた不名誉かつ物騒な二つ名だが、実際に殺し屋とかではない。

 ライゼルの貴族縮小政策で破綻はたんして爵位を返上した貴族たちが大勢いたという証だ。

 つまりは現職の元老院議員。

 もうひとつが「史上最高の手合い評論家」。

 ライゼルが道楽と小遣こづかい稼ぎと称する評論記事は連日のように各新聞紙面を賑わせている。

 ことにフィンツの手合いはどこにそんな時間があったんだとあきれるほどマメに見物しているのだ。

 ディーンが珍しいことと言ったのは、ライゼルは公式行事と手合い観戦以外では滅多めったもよおしに出て来ないからだ。

 なにしろ飲める方ではないし、呼ばれて断れなければ乾杯と挨拶だけ済ませるや、そそくさと帰るのが常だった。

 なにせ貧乏伯爵だ。

 ライゼルの父、エドワードが残した莫大ばくだいな借金により一番首が回らないのはライゼル自身であり、貧しい貴族たちはライゼルが我が物顔でいる限り、自分の家をつぶしてなるものかとねばっている。

 そのくせ、本格的に恨まれないのはライゼルが自分の立てた政策で自分自身の首をめていると見做みなさされているせいだった。

 いつ、ライゼルの首がポロリと落ちてもおかしくない綱渡り生活を続けていると皆によく知られている。

 それでいて面倒見だけはやたらといい。

 ライゼルに直接相談をねじ込むとあの手この手の抜け道や救済策を用意しているという周到しゅうとうさだ。

 だから、巷間こうかんの人気はあるいはフィンツのそれと同等だった。

 と呼ばれていた昔からあけすけで、誰とでも分けへだて無く接するので、少々無礼なほどの軽口を女皇宮殿内で叩いたところで誰もとがめないのだ。

「女皇陛下は元気かい?」

「そんなの伯爵もご存じでしょ。元気が有り余ってますよ」

 つい先日も、女皇アリョーネのやらかした出来事で、騒ぎになったばかりだ。

 それこそ、フィンツとその上司たるマグワイア・デュランは冷や汗をらした。

 物慣ものなれた様子でパトリックの隣に座るやディーンは二人の中年男を見比べた。

「それでどちらがご所望しょもうで?女皇正騎士フィンツ・スタームですか?それとも風采ふうさいの上がらない学生学者のディーン・エクセイルで」

「どっちもといったらどうするね?ディーンくん」

 パトリックは人の悪い笑みを浮かべている。

 ライゼルもライゼルで面白そうに様子見している。

 さては二人とも相当事情に詳しいなと察したディーンは敢えてディーン・エクセイルで行くと決めた。

「まぁ、招待状の宛名あてな通りにしますよ」

「そっちが本名だものな」とライゼルはニンマリ笑う。

 なぜ知っているのです?と言うのを待たれているようでディーンは軽く受け流した。

「見ての通りです。今宵こよいは学友たるメルじょうのおまねききにあずかりました」

「ほんと、トワントによく似て食えないヤツだな」

 ライゼルから言われてディーンは狼狽ろうばいした。

 パトリックからは父トワントと旧知だと聞いたばかりだったが、ライゼルまでもが父を知っているというのには驚愕きょうがくする。

「伯爵まで父をご存じでしたか?」

「あったりまえだろ。学友だったお前のオヤジのとこに入りびたってたクチだぜ俺たちゃ。あの古いエクセイルていの構造までしっかり頭に入ってるのさ」

(そうか二人ともエルシニエの学生だったのか・・・)

 ディーンからしたら養父トワントの学生時代など産まれる前の話だった。

「ライゼルもそのあたりで」とライゼルがディーンの反応を楽しむ様子をうかがうのに専念していたパトリックが口を開く。「ウチの子を面倒みてくれているそうだね。父親としてとても感謝している」

 パトリックの謝礼に対し、ディーンはわずかに眉根まゆねを寄せた。

「怖い子ですよ。ルイスより先にボクの正体に気づきました」

 するどく目を光らせたディーンの指摘にパトリックは僅かに動揺どうようした。

「やっぱそうか。思っていた通りだったよ」とライゼルがタメ息をつく。「それでトワントの容体はどうなんだ?」

 なにもかもお見通しといったライゼルの態度にディーンは取りつくろう必要がないと感じて、正直に言う。

「いまは小康しょうこう状態です。しかし、医師の見立てではそう長くはないだろうということ。あの死病は一度罹いちどかかったら悪化することはあっても劇的に回復するなどあり得ません。教壇きょうだんに復帰出来るかは五分五分でしょうね」

「だな」とライゼルは先程よりも大きなタメ息をつく。

 一方、パトリックは更に沈痛な面持ちを浮かべた。

「いっそだ。親父の手前、身を固めるとかした方がいいんじゃないのか?その方がトワントも安心するだろうに」

 ライゼルの提案に今度はディーンがタメ息をつく番だった。

「言われなくても既にそうしているのですが、なにせ向こうからの返事がなしつぶてです。まぁ、ルイスと親しいパトリックさまの方がよくご存じなのでは?」

 パトリック・リーナは渋い顔をした。

「確かになぁ。エリーシャと違い、そちらはどうにもこうにもし難い。は何処からどう見ても父親似だからなぁ」

 ルイスが父親似と知っているなら、ルイスの実父エイブ・ラファール少将のことまで知っているということだ。

「しゃあねえよ。お前はなにも悪くない。ちゃんと筋目すじめを通すヤツだものな。あのあと正式に申し入れたんだろう?その結果がアレだもの」

 うっかり聞き流しそうになり、ハッとなったディーンはあわてて顔を上げた。

「えっ?えええっ、なんでその事情までお二人ともご存じなので?」


 同年同日午後9時22分


 ディーンの質問は地を突く轟音ごうおんにかき消された。

 地震だ。

 それにしてはれが少ない。

 なにかがせり上がるような縦揺れだった。

「このタイミングでか!?」とライゼルは言い。

「なんだと!?」とパトリックも顔面蒼白になる。

 れが完全におさまらないうちにディーンはいそいそと席を立った。

歓談かんだんの途中ですがボクは退席させて頂きます。宴席会場の方が心配です」

 暴漢騒ぎに続いてこの地震だ。

 被害こそ少ないだろうことは部屋を装飾する調度品のたぐいにいっさい被害が出ていないことで一目で確認出来る。

 むしろ突然の地震発生に動揺した人々の起こすパニックの方が怖い。

「呼びつけておいてすまんな、ディーンくん。私も急ぎ会場に戻らねばな」

 パトリックは主催者である以上、“知人と別室で話し込んでいました”では済まない。

 それに客達を無事に帰すと若造たるスレイ・シェリフィスに宣言したばかりだ。

「俺も退席することにするぜ、パトリック。また来年もよろしく頼むよ。俺は取り急ぎ議事堂に向かう」

 地震発生に動揺した群衆が議事堂や女皇宮殿に押し寄せることになるかも知れない。

 大陸中部のパルムでは滅多めったに地震など起きない。

 ライゼルはこと想像力と迅速じんそくな対応にかけてディーンよりも一枚も二枚も上手だった。

 伊達だてに大臣などやっていない。

「表に車を回す。ライザーいそいでくれっ」

「助かる。それじゃフィンツまたな」

「はい、伯爵」

 ディーンはパトリックに先立って宴席会場に駆け戻る。

 こちらではシャンパンタワーが倒れるなど物理的な被害が出ていた。

 負傷者も出ている様子で執事しつじ給仕きゅうじたちが怪我人けがにんへの対応に追われている。

 メル、ルイス、スレイはひとかたまりとなっていた。

「三人とも無事か?」

 ディーンはまたしてもいずこからともなく現れて、風のように駆け寄った。

「暴漢の次は地震か。よくよくたたられているな」

 スレイは皮肉ったが酔いの色は見せていない。

 メルを小脇こわきにしっかりと抱いたルイスも戸惑ってはいたが動揺はしていなかった。

(エンプレスガードもそれなら務まるよ、ルイス)

 ディーンは涼しげな優しい笑みを浮かべて他の客達の様子を見渡した。

 負傷者といっても転んで怪我けがをしたかガラスで切った程度だった様子に見える。

 そうしている間にパトリックが雛壇ひなだんに上がっていた。

「えー、ご列席の皆様の間でお怪我けがされた方は応急ですが私どもで手当てをさせて頂きます。その上でとんだ一夜となりました今宵こよいの記念として写真撮影などいたしたいと思いますので、どうかご列席の皆様で是非にもという方はしばしお食事とご歓談の上、執事しつじ達の案内にてご参加ください。先程の地震で家にるご家族が心配だという方からお車でお宅までお送りいたします」

(上手いな。これで客たちも落ち着くはずだ。帰りたいヤツらはすぐに帰せば良い)

 楽士がくしたちが演奏を再開させているのを見計らいディーンはルイスの手をとった。

「ルイス、一曲踊ろう」

「いまぁ?」

「いまだからだよ。多分、ボクの次はパトリック様だ。宴席を仕切り直さないとね」

 ようやくディーンの意図を理解したルイスはディーンのエスコートに従った。

 本日の主役二人がワルツを踊り出したことでやっとなごやかな雰囲気が戻ったように感じられる。

 それが正しくディーンの狙いだった。

 メルはしばしほうけけたようにして、ディーンとルイスの踊る姿に無言で見とれていた。

「んー、なんかこの二人のこの構図って前にも見た気がするんだよなぁ?」

 スレイの何気なにげない一言にメルは「はっ」と気づいた。

 そしてふくれっ面になる。

「うー、なんかくやしいなぁ。スレイくん『おさらい』に付き合ってくれる?」

「そうだね。なんかアイツらを見てるだけだと馬鹿馬鹿しくなってくる。いっちょ、あの二人に負けないぐらいにやってみっか」

 スレイもメルの手を取って舞い始める。

 パトリックはディーンの察した通り、洒脱しゃだつなルイスを相手にダンスの腕前を披露ひろうするつもりだった。

 だが、しばらく二組の様子に見とれる。

(やはりこの組み合わせになるのか?我々の世代のはかない希望の形・・・)

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