第二節『笑って』③

 ――あれはまだ二年の夏休みだった。

 特段遊ぶ相手もおらず、暇を持て余していた。課題こそあれ、毎日なんてことはない。ただなんとなく、夏休みの間も学校の図書館が解放されていたことを思い出した。休みの間ずっと家に引きこもるのも気が進まないなんて、大した理由でもなく夏休みの学校に訪れた。校門をくぐりながら見えた時計は「11:30」と時刻を示していた。

 ――図書館の閉館は確か午後の四時だったか。

 時計を見て、夏休み前に聞いた記憶を掘り起こした。と言っても、そんなに長居するつもりもないし、適当に時間を潰して、どこかで昼食を摂ってから帰ろうか。なんて一日のプランを漠然と決めた。

 やはり、長期休暇中なだけあって、校内には普段の半分ほどの人影も無かった。グラウンドには休みだというのに、炎天下で部活動に励む運動部の姿があった。

「頑張ってるな」

 なんて、変に達観ぶった感想を抱きながら、図書館の扉を開けた。蒸し暑い廊下に、エアコンに冷やされて籠った図書館内の涼しい空気が流れ込み、額に滲んでいた汗に吹き付けて少し肌寒いくらいに冷やされて心地良い。

 中に入ればすっからかんで、人の姿は、カウンターにいる司書さんと、片手で数えられるほどの人数の生徒がいるだけだった。その数少ない生徒も課題をやっていたり、本を取り出して読んでいるような生徒は一人もいなかった。

 ――まぁ、夏休みなんてそんなもんだよな。

 心で呟きながらカウンターの方へ歩く。

 ここの司書である森下もりしたさんとはちょっとした顔見知りにだった。というのも、普段から休み時間などに度々立ち寄っており、手伝いなんかをすることもあって、すっかり気に入られてしまった。それもあって、表の本棚に置いているものは大体把握してしまっていて、今日はせっかく来たのだし書庫の方を覗きたいと考えた。

 うちの学校の図書館は、原則として書庫に生徒は立ち入り禁止なのだが、森下さんに一言断わって許可を貰えれば、特段問題無くは入れてしまう。これまで盗難などもなく、校内の治安を信用しての制度らしい。

「書庫の方入っても良いですか?」

「あぁ涼風くん。どうぞ、目当ての本が見当たらなかったら声かけてね」

 森下さんはいつもの朗らかな笑顔で言った。ぺこりと一礼だけして書庫の方へと入った。中は、多少のカビ臭さ埃臭さがあるが不快なことはなく、むしろ丁度良く薄暗く、所狭しと本棚が立ち並ぶ空間は、落ち着く雰囲気さえあった。

「さて――」

 態々許可を貰って入ったはいいが、特に何か読みたい物がある訳でもない。なんというか、本当になんとなく、退屈しのぎ程度に立ち寄った図書館で、表の方に居ても退屈だからと、書庫まで入って来ただけだった。

 せっかくだから。と目的も宛もなく、ふらふらと本棚の隙間を歩く。ぼーっと視界の隅へ流れていく本の背表紙を見ながら、なんとなく興味をそそる題名と探す。

 しばらくそれを続けていると、一冊の本が目に留まった。随分と古ぼけた和綴じの本だ。

 『七不思議』と大きく銘打たれ、脇には小さくこの学校の名前が書かれていた。

「うちに七不思議なんてあったのか。」

 かれこれ一年以上生活しているのに、風の噂にすら聞いたことが無かった。友達が少ないせいで耳に入らなかったとも考えられるが――まぁ、考えても仕方がない。せっかく興味を惹かれる書物を見つけたのだから、読んでしまおう。

 書庫の中に、本を拾って読むための小さな机を見つけ、手前の椅子に腰かけて本を開いた――


 ――学校の七不思議。

 それは、人の口を介し言葉として象られる、生徒たちの好奇の化身。食傷、悪意、思い出によって作られる。退屈な日常が少しでも楽しくなって欲しいという願望。攻撃性からくる中傷の意を籠めた根も葉もない陰口。学生時代の苦い記憶や、時刻毎に移ろう雰囲気に呑まれた空想。

 感情が、学校と言う器に集まり、濁らせる澱の塊。七不思議というのは、そういうものだ。


 表紙を捲った最初のページは、そんな語りから始まった。次のページは目次になり、年代別でページが振られていた。それは数十年以上前のものから始まり、つい最近の年代まで、三年刻みで書かれていた。墨やインクの滲み方から、本当にその年代ごとに書かれていることが伺え、不気味な信憑性がこの本にはあった。

 ページを捲っていけば、三年毎にその年代の七不思議がまとめられていた。途中、八つに増えたり六つに減ったりしていたが、最初のページの語りの通り、七不思議とは生徒たちの口で語られ形成されるもの。なら、どれか一つを忘れたり、七つの内一つを入れ替えたりなんてこともしたのだろう。

 七不思議の一つ一つに、名前が書かれ、その詳細が書かれている。驚くべきは、その詳細には概要だけでなく、なぜその七不思議が語られるようになったのか、どういう経緯で話の形が纏まったのかまで書かれており、まるで歴史研究の内容の用だった。『トイレの花子さん』『動く人体模型』『ひとりでに演奏しだす音楽室のピアノ』『開かずの間』などの、学校の七不思議といえばと考えればすぐに出てくる、ポピュラーなものばかりだ。だが時折、聞いたこともない、恐らくこの学校特有の七不思議であろう物が幾つか混じっていた。それも、所詮は生徒の噂で作られるから、と納得できるのだが、一つだけ違和感があった。

 どの年代においても存在する七不思議があった。当然『七つ目を知れば不幸になる』なんてお決まりの話もあったが、それとは別で、必ず存在する七不思議。


 『不思議狩り』

 ――それは、の七不思議を狩る者。

 あらゆる時代、どれだけ時間が経っても存在し続け、毎夜七不思議と戦っている。七不思議はとても危険な物で、放置すれば昼間に活動する生徒に被害が及ぶ。

 そんな非日常の危険から生徒を守るために、学校が生み出した免疫細胞。

 かつては生徒として存在した彼女は、常に代替を探している。一人の生徒を捕まえ、入れ替わって自らが人間の高校生として青春を送りたいと、切に願っている。

 もし不思議狩りと遭遇すれば逃げる術はなく、影で取り込まれて、次の不思議狩りにされてしまう。


 と、内容はそう書かれていた。

 この話に限っては、できた理由や経緯は書かれていなかった。きっと、成り立ちが昔すぎて調べられないのだろう。

 ただの噂、オカルトでしかない七不思議と戦うなんて、突拍子がなく、如何にも学生が好きそうな内容だった。他の七不思議の中でも特に真実味は薄いが、どうにもこの本の不気味な信憑性に呑まれてしまっているらしい。奇妙なことに、このオカルトが嘘八百の作り話には思えなかった。

 生霊なんて物が語られるくらいなのだから、生徒の噂や感情がなんらかの形を取ることだってあり得るのではないのだろうか。

 変に思考が回って、深い没入に陥り――

「ねぇ君」

 ――かけたのを、背後から飛んだ声と掴まれた肩の感触に遮られた。

「うわぁっ――!?」

 完全に不意を突かれ、肩を跳ね上げて驚いた。

 話しかけるにしても、もうちょっと気配と言うか。突然にもほどが――いや、本を読むのに夢中で近付かれているのにも気が付かなかったのだろうか。

「っははごめんね、驚かせたかい?」

 後ろを振り向けば、一人の少女が可笑しそうに笑っていた。奇妙なほどに整った端麗な顔立ち。艶のある黒髪は肩辺りまで伸び、綺麗に切り揃えられた前下がり。指定のセーラー服を着て、首元までインナーが露出している。深淵のように黒い瞳は一筋の光を湛えている。すらっと体のラインは細く、身長は創よりも少し小さいくらいだろうに、長い脚と相まって長身に見える。

 その浮世離れしたような姿に、思わず見惚れていた。正直声をかけられた時は驚いて心臓が飛び出そうだったが、顔を合わせた途端、言葉を失ってしまった。そうなるだけの魅惑的な美しさが、その少女にはあった。

「――?どうしたの?」

 少女にそう問われて初めて、少し不自然なくらいの時間見つめていたことに気が付いた。少女は不思議そうな顔できょとっと小首を傾げている。

 このままでは見惚れていたことに気付かれるだろうか。数瞬目を泳がせて、自然に切り替えられる話題を探す。

「い、いや。そっちこそ、どうして急に声をかけてきたんですか?」

 どもりながらも答えは出た。相手のセーラー襟に架かるリボンの色から三年生であろうと読み取って、咄嗟に敬語を取り繕って問いを返した。

「あぁ、そうだそうだ。あんまり見惚れてくれるものだから本題から逸れちゃったね。」

 ――この人気付いた上で態々聞いてきたのか。

 そう思考が回って苦い笑いが零れた。

「もうとっくに閉館時間を過ぎているよ?」

 こちらの苦笑など意にも介さず、少女はさらっと言った。

「えっ?」

「だから、とっくに閉館だってば。もう表は誰もいないよ。」

 焦ってポケットから携帯を出して時間を確認する。ロック画面の電子時計は「16:35」と時刻を示していた。

 確かに創は活字を読むのが特段早いという訳ではない。寧ろ遅い方だ。だからって、一つの本を読むのに没頭して時間をすっかり忘れるなんて、今まで経験のないことだった。

「その本、そんなに面白かった?」

 少女が、創の脇から机を覗き込んでいった。見れば、和綴じの本は『不思議狩り』のページのまま開いて机に置かれていた。

「え、あぁいや。特段面白いかと言えばそうでもないんですけど…なんか引き付けられるって言うか、吸い込まれるみたいって言うか…」

「っふ、君は感受性が豊かなんだね。」

 なんて、今度は少女が上品に笑みを零した。

「まさか、普段からこうな訳じゃないですよ」

 少女の笑顔に心臓が高鳴るのを感じたが、それを悟られては気恥ずかしいので、誤魔化しながら本を閉じて元の棚に戻す。

「そっか――じゃあ、今日は少し運が悪かったんだね」

「全くです。昼には帰るつもりだったのに」

「そういう意味じゃ――いや、同じことかな?」

「何のことです?」

「ほら、七不思議について読んでたなら見なかったかい?『図書館の妖怪』。つい最近の物で、閉館時間の過ぎた書庫に夕方の四時四〇四分まで居ると、妖怪に本棚の奥の奥まで連れ去られるって。」

 と、少女は突然怪談を始めた。

「え、あぁ、ありましたけど…確かその手に捕まれるともう逃げられないとか…」

 ――なんのつもりだろうか

 言いながら創がそんな言葉を心の中で呟いた時、少女は口角を吊り上げて笑った。

「そう、もう逃げられないんだ」

「――っ」

 創は、目の前の少女にさっき

 ――まさか目の前の少女は、自分がそうだとでも言いたいのか。

 そこまで考えたところで、首元に感触があった――何か、締めあげる、ようなくルしい感、触ガ――


 それはだ。


 頸動脈が徐々に狭まっていく。ゆっくりと、だが万力のような激しい力で、徐々に首を締めあげられていた。

「か――…ッ、」

 声にもならぬ声が漏れた。気管に残っていた空気が押し出され、本格的な窒息が始まっている。

「お出ましだね。」

 少女はそう呟いたかと思えば、人差し指と中指を立てた右手を、頭上を指すように胸の前へ、控えめに振った。

 刹那――少女の影が伸びた。

 影から何か、黒い棘のようなものが迫り出したかと思えば、創の首を絞めつける感覚がさっぱり消えた。

「っ――は、ぁ」

 窒息していた肺に、死に物狂いで空気を吸い込んだ。埃っぽくて咽そうだが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 本能的に少女は味方で、創の首を絞めた人の手が敵であるのだと判別して、少女の背後まで倒れるように転がり込んだ。

「なんだ、今の――」

「これが図書館の妖怪。その正体さ。埃っぽい書庫に棲み着く、列記とした魔性の怪物だよ。」

 少女はこちらには視線を向けず、真っ直ぐと書庫の奥を見据えている。釣られてそちらに視線をやった。

 そこにあるのは、紛れもないだった。影から迫り出した棘に、手首を突き刺された。そして、その周囲を無数に蠢く同種の

 その光景は、創の知る日常では有り得ないはずの、正しくだった。

「これ、が――?」

「そう。これが七不思議ってやつの実体さ。面白がれる様なもんじゃないだろう?」

 気付かぬうちに震えていた体で、懸命に頷いた。今は、そのくらいの返答が限界だ。

「うんうん、初対面でそのくらいの反応ができるなら上出来だよ。」

 ちらりとこちらに視線をやると、少女は微笑んで言った。その言葉に、少しだけ勇気を貰えた気がして、震えが和らいだのを確かに感じた。

「さぁ少年。下がっていたまえ。ここからは私の――の仕事さ」

「え――」

 少女はそれ以上何も言わなかった。こちらが何かを問おうとした時、既には動いていた。

 串刺しになったは霧のように消え、代わりにその他無数のが少女へ殺到する。それは、。その七不思議を象徴する異能と呼べるものだ。それが無数。やたらめたらに襲いくる。

 だと言うのに、少女の表情に焦りや恐怖のようなものは一つもない。胸の前に構えていた右腕を、今度は何かを掴み取るように静かに下げて、掴んだ何かを投げ飛ばすように前へ突き出した。その手に煽られたように少女の影が波立ち、ある一点を中心に数えきれない程の棘が迫り出した。大量の棘が飛び交う無数のを捉えて突き刺す。逃れた手を、無尽蔵に迫り出す棘が捉える。

 結果、数が勝利したのは少女の方だった。全てのを串刺しに捉えたかと思えば、少女は棘の根元が集中する一点を掴み取り、豪快に引っ張った。棘は鞭のようにしなり、少女に引っ張られるままに突き刺したを引き寄せる。

「さ、これで終いだ――ッ!」

 少女は棘を引っ張った手を離さず、空いた片手を構え直す。引き寄せられるについてきて、塊のような何かが奥から飛び出してきた。それは脈を打ち、の心臓部であろうことが感覚的に理解できた。

 の心臓を充分に引き寄せると、少女は棘を引く手を離し、「よっ」と軽い声を漏らし、背後に一歩ステップを踏む。そして、構えた手を上に振り上げた。少女が足を離した影から、真っ黒で薄い板のようなものが飛び出し、の心臓を真っ二つに切り裂いた。

 心臓部を破壊されたたちは、一気に力を失ってバタバタと音を立てて床に落ち、やがて霧散して消えた。

「よ~し、仕事終わりっと。少年、怪我はないかい?」

 少女は、ぱんぱん と埃を落とすように両掌を打ち合わせると、腰に手を置いてこちらに顔を向けた。その顔には、一仕事終えてすっきりしたというような、清々しい笑顔が浮かんでいた。

「えっと――何がなんだか…」

「ん、あぁ。それもそうか。ごめんごめん、君があんまりにも平然としているから、つい慣れてるのかと思っちゃった」

 なんて謝りつつも別に悪びれる様子のない少女が、感情の読めない微笑を浮かべた。

「んー、何から説明しようかな。見ちゃったからには誤魔化せもしないし……」

「その――貴女が不思議狩り…何ですか?」

「うん。まずはそこからだね。如何にも。私が不思議狩り、その人さ。あぁ、けどちゃんと名前はあるよ?黒井 悠くろい ゆうっていう立派な名前がね。男っぽい名前だけれど、ちゃんと女の子だよ。

 そうだなぁ……呼びやすいだろうしって呼んでくれていいよ」

 呼びやすいだろうし、なんて枕詞を付けるには少し強制力のある言い方と表情に感じられるが、呼びやすいのは事実なので、それにあやかるとしよう。

「じゃ、じゃあ、先輩」

「ん、どうしたんだい?」

「その…今のって…」

「全く。君は頭が悪い訳じゃないだろう?あれは七不思議の一つ。私も七不思議の一つ。まぁ君はほら、有り体に言うなら――ってやつさ。」

 非常なことを、あんまりあっさり言うものだから、一週回ってすんなり受け入れてしまった。

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卒業できればいい。 椒 朔月 @hajikami_39

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