其の弍
腕のいい大工で若えころは火消しもやってた。
お江戸に火の手がちらつきゃあ、
「おとっつぁん」
「おめえはだまってな」
口をはさもうとするお鈴ちゃんを、ぴしゃりとしかりつけた。
辰政の死んだ嫁ってのは、三町先の蕎麦屋の娘で、まだお鈴ちゃんが幼いころに流行り病でぽっくりと
いらい男手ひとつで後妻もめとらず、それこそ朝飯から下の世話までなんでも手前でやってきた。
手塩にかけたそのかわいい一人娘をかっさらおうってんだから、辰政親分も心中おだやかでなかったんだろうさ。
見れば口のはじっこはひくついてて、こめかみには青筋までういてやがる。
なにか一言でも言いかえそうもんなら、たちまちでっかい雷が落ちただろうぜ。
おっと、やっと酒が着きやがった。
おそいってんだいつまで待たせやがる。
つまみ、つまみはねえのか。
食いもんなんざそこいらにいくらでもあるだろう。
さっさと持ってこいってんだ。
すまないねえ、まま一杯。
安酒だがおいらがひいきにしてる酒屋の
さて、どこまで話したっけな。そうそうでっけえ雷ってところだ。
部屋の中だってえのに鼻にツンとキナ臭くて、あといくつか数えりゃ
が、相手の男もてえしたもんだった。
一度下げた頭を、一向に上げやがらねえ。
さすがに育ちがいいとちがうもんだね。
そのうち辰政のほうが
「おい、もうそこらでかまわねえから顔ぉ上げな。こちとら空に浮かぶお月さんじゃねえんだ、いつまでもおめえさんの青々と剃った頭ぁ見てるのは、気色がわるい」
それでそいつはようやく面をあげた。
あらためて見なおしても、ほれぼれするような男っぷりだったね。
顔の形は細っこいくせに、眉毛はきっちりして目玉がまた綺麗で、おいらの前に陣取った女房連中からいくつもため息が重なって聞こえたもんさ。
「本日はかような」
「そういうかしこまった
この上まだ頭を下げられちゃかなわねえとばかりに、辰政親分はたてつづけにいった。
それでも腕ぇ組んでたがいの袖に手をかくし、大あぐらのまま苦虫顔をゆるめもしねえ。
「おめえさん見たとこ、なんだ、ずいぶんとご立派な血筋に見えなさる。なにもこんな
お鈴ちゃんのうらめしそうな顔なんて見やしねえ、目はびしりと坂東のご子息をとらえてた。
あの目が怖いのさ。
おいらもまだ餓鬼の時分、悪さのいくつもしたもんだが、そいつが親分の耳に入ってあの目でじっとにらまれた日にゃあ、生きた心地がしなかったもんよ。
気がつきゃあることみんな白状しちまう。
それっくれえあの人にはこう、何だ、目とそのまわりに力があるのさ。
「いいえ。
あの眼光をまっこう受けとめ、はきはきと返しなさる。
これには女房連中だけでなく、男どももどよめいた。
「いいねえ。いい
「背筋ののびかたにも、
「なにしょせん遊びに決まってら。見てみろあの
「
いっぽうお鈴ちゃんへのほめ言葉を、恥ずかしげもなくはっきり言われちまった親分、しばらくは二の句がつげねえ。
むむむとうなり、そのうち気をとりなおして言ったさ。
「俺は生まれも育ちもここ
そりゃあそうだ。
器量よしといってもしょせんお鈴ちゃんはおいらたちと同じ町屋に住む、
だけど本当に
「いえ、もしもお許しがもらえるのなら、私は武士の身分を返上し、こちらの長屋に参りたいと存じております」
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