滋賀のクソ田舎で冒険とかムリです!
ソウマチ
第1話 6万字超え。第1話で、完結します。
※謝辞。
お読みいただいて、ありがとうございます。貴重なお時間を割いて読んでくださって、とてもとても感謝しています。(登場人物一同&作者より)
※お詫び。
このお話は、登場人物と作者がこよなく愛する実在のクソ田舎(誉めてる)の、のほほぉ~んとしたお話です。勇者も、妖精も、魔王も出てきません。転生とかファンタジーも、ありません。なんか、ごめん。
※ご注意1
お話の中に、なかなかの事象が出てきますけれど、けして真似しないでください。じゃないと死んじゃったり、顔が吹っ飛んだり、ロクなことになりませんから!
※ご注意2
このお話は、フィクションであり、実在の人物、団体とは一切関係ありません。ありませんが、やたらと実在の人物、団体、施設などが出てきます。もしかしたらあなたは「本当の話なんじゃないか?」と、お考えになるかもしれません。しかし、フィクションです。どうかフィクションということにしておいてください。ええ、フィクションですとも!そうでないと目の玉が飛び出るくらい、叱られちゃいますから。フィクションということで、どうぞよろしくお願いします!たとえ本当の話だとしても。
ここは、クソ田舎。滋賀県甲賀市甲賀町。
学ラン男子高校生が、寺の本堂で泣いている。
「グスグス。十七面観音さま、萌香ちゃんから振られちゃいました。彼女のことはあきらめますから、なにとぞ7回目のバイト面接は受かりますように……!」
志呂は涙を拭いてご本尊に手を合わせると、ぺこりとお辞儀をして立ち上がった。
小高い山の中腹にある百夜寺(ももよじ)からは、のどかに流れる櫟野川と、青々とした田んぼが一望できる。
「ほんと、なんにもナイところだよなぁ~」
まだ赤い目をした士呂がつぶやく横で、樹齢千年を超える沙羅の木が、おだやかに葉を揺らす。
「こんな田舎じゃ、彼女もバイトも見つからないよ……」
ため息をついて振り返ると、グレートデーンが襲いかかってきた!
「ワンワンワン!」
「ガブリエル!やめて~!ってかオマエお寺のワンコなのに、なんで天使の名前なの~っ⁉」
問いも空しくガブリエルの熱烈な歓迎で、士呂は地面に押し倒された。なんとか立ち上がったが、好き好き♡攻撃は止まらない。
「ちょっ!ガブ、危ないってば!」
大喜びのガブに飛びつかれて、派手にすっ転ぶ。
ガブは大きな耳をバタつかせ、しっぽをブンブン振りながら、士呂のまわりを跳ねまわっている。
「ガブ、ひどいよぅ~!」
士呂が半泣きで沙羅の樹のほうへ逃げ出そうと足を踏み出した瞬間、足元から地面が消えた。
「っっっ⁉うわああああっ~!!!」
絶叫しながら、士呂は大きな穴に落ちた。
落とし穴は深くて、出られる見込みはまったくない。ちゃっかり無事なガブリエルは、上からのぞきこんで心配そうに吠えている。
士呂は体操座りをして、穴の底で盛大にいじけ始めた。
「どうせボクなんか、落っこちる運命ですよ。バイトの面接には6回も落ちたし、萌香ちゃんにはフラれたし、テストは散々だったし、落とし穴にも落ちたし、どうせ今日のバイト面接も落ちて、来年は大学受験でも落ちるんですよ」
士呂がいじけていると、ガガガ……とキャタピラの駆動音がした。涙目の士呂が穴の中から見上げると、ショベルカーのアームが姿を見せる。背伸びをしてアームにつかまると、ショベルカーは静かに士呂を釣り上げた。
「お寺に、ショベルカー……。ぜんぜん似合わないんですけど……」
アームにぶら下がった士呂がつぶやく。
運転席に座った利人(りひと)は、涼やかな顔で言った。
「士呂、そろそろ落とし穴に落ちるのはあきたらどうだ?」
士呂は釣り上げられた状態で、顔を真っ赤にして怒鳴る。
「毎回まいかい落ちたくて、落っこちてるんじゃないのっ!利人こそ、あっちこっちに落とし穴掘るのやめてよ!」
利人はため息をついて言う。
「士呂は、わかってない。この穴は、鹿や猪を落とす穴だ。クソ田舎の寺には、必要不可欠。アイツらの好きにさせていたら庭も畑も食いつくされるし、本堂にまで上がりこんでくる。申し訳ないが、お前のために掘った穴じゃない。お前が落ちるたびに、助け出す俺の苦労もわかれ」
「ボクのための落とし穴なんて、いらないよっ!いくらなんでも、わざわざ重機で掘ることないだろ!クルマの免許も持ってないくせに!」
「17歳じゃ、運転免許の取得は無理だ。だが安心しろ。寺の敷地は公道じゃない。運転免許はいらん」
「ねぇ利人くん……。そろそろ地面に降ろしてくんないかな?ボク、腕がプルプルしてツライんだけど……」
「頑張れ。いま耐えることができれば、辛い受験戦争も乗り切れる。お前は、希望の大学に入れるだろう」
「ここ、がんばるところじゃないって……。うぁぁ、ムリ!ムリだってばぁ~っ!」
士呂はふたたび、落とし穴の中へ消えていった。
「コレ、ありがとう。おもしろかった!」
士呂はポリ袋に入れたコミック本(怒涛学園☆アンテナくんのアホアホ大冒険の巻)を、パソコンの横に置いた。
「前から気になってたんだが」
利人はゲーミングチェアに座り、士呂を見上げる。
「お前、この漫画の主人公に似てるって、学校でいじめられてないか?」
士呂は頭頂部の寝グセを手で押さえた。しかし強情な寝グセは、手を放すとピコンと立ち上がる。まるでアンテナのようだ。
「アンテナくんのこと? 寝グセと学ランだから? みんなからアンテナくんって呼ばれてるけど、いじめられたりはしてないよ」
言いながら利人のベッドに座ると、ご機嫌さんで足をパタパタさせた。
「それなら、いいが」
利人は、袋からマンガを取り出した。
「前もって袋に入れて持ってくるあたり、落とし穴に落ちる気まんまんだな。穴に落ちさえしなければ汚れないんだから、わざわざ袋に入れる必要もないんだぞ」
「アホか。落とし穴に落ちるかもなんて、ぜんぜん考えてないよ。チャリで傘はさせないでしょ? もし雨が降っても、マンガが濡れないようにだよ。バイトの面接が何時になるか、わかんなかったし」
「またバイトの面接に行くのか?」
「うん」
「何回目になるんだ?」
「今日で7回目」
「お前はバカみたいに素直だし、俺の下僕にしたいくらい働き者なのに、なんで採用されないんだ? バイトの面接に落ちるのが趣味なのか?」
「趣味じゃないよ! バカ素直とか下僕って、なんなのさっ⁉」
「素直で働き者だって、誉めてんだよ。何でそんなに落ちるんだ?」
「よくわかんない……。でも、ボクが原因じゃないみたい。面接でエライ人から『士呂くんのお父さんって、あの熊辰(くまたつ)さん? 熊辰さんのお子さんなら、採用はちょっと……』って断られたことある」
「6回も不合格だった理由が、全部おやっさんのせいじゃないだろ?」
「そうなんだけど、母さんも関係あるみたい。他の面接で『士呂くん、採用だよ!いつから来られる?』って聞かれたのに、ボクの母さんの名前が『きや乃』ってわかった途端に『あのキャノンさんの息子さんっ⁉ ムリムリ!ゴメン!』って断られたこともある」
「キャノンさん? なんだよキャノンさんって?」
「母さんに聞いたら昔からのアダ名で、大砲(キャノン)って意味なんだって。きや乃と大砲だから、キャノン。でもなんでキャノンなのか、理由は教えてくれなかった」
「お前の両親って、何したんだ? なんで二人とも『あの』って定冠詞が付くんだ?」
「わかんない。子どもは知らなくてイイコトもあるって」
「謎だな」
「そだね」
「バイトの面接、何時からだ?」
「2時から。利人も一緒に面接受ける?」
「受けない」
「高校に行かないで、毎日なにしてるの?」
「いろいろ」
「なんで高校に行かないの?」
「言いたくない」
「バイトでもしたら?」
「金には困ってない」
「さっきのショベルカーも自分で買ったの?」
「そうだ」
「もしかしてガブのご飯も?」
「ドッグフードだけじゃない。予防接種もフィラリアの薬も」
「どうやってお金稼いでるの?」
「安心しろ。合法だ」
士呂がため息をつく。
「危ないことは、しちゃダメなんだからね」
「わかってる」
「将来はどうするの?大学には行くの?」
「気が向いたら、僧侶の大学に行く」
「お寺のムスコだから?」
「ああ」
「利人、神さまとか信じてないのに、お坊さんになるんだ?」
「アホか。俺は寺の跡取りだぞ。神は信じてないが仏のことは、信じてる。そしていつか、黄金の十七面観音を見つけだして、隣の櫟野寺(らくやじ)を超える」
「それ、ムリでしょ。黄金の観音さまって、昔からたくさんの人が探してるのに、見つからないんでしょ?それに櫟野寺さんには、重要文化財の十一面観音さまがいるんだよ」
「それならうちの十七面観音に、国宝になってもらうまでだ。顔面の数では、こっちが勝ってる」
「そういうことじゃないでしょ」
「オリジナリティも、こっちが上だ」
「そりゃ、そうだけど」
「独創的なだけでなく、顔もカッコイイ」
「それは主観によるよ。あ、カッコイイで思い出した。萌香ちゃんが『カッコイイ利人くんによろしく♡』って」
「萌香? 誰だ?」
「おぼえてないのっ⁉ ボクらの中学校で、一番かわいかった子だよ!」
「おぼえてない」
「はぁぁぁぁ~。利人は前からそうだよ。こんなに失礼なヤツなのに、女子はキャッキャッ言うんだから」
「そろそろ面接だろ」
「はいはい。行ってきます」
「神のご加護があらんことを」
「利人、寺のムスコだろっ!神さま出して、どうするんだよ!」
「フォースと共に」
「宗教でさえなくなってるよ!」
「はあぁぁぁ。ダメとわかってたけど、やっぱり凹む……。父さんと母さんの謎がとけたのは、良かったけどさぁ~」
見事(?)7回目のバイト面接に落ちた士呂は、4両編成の草津線に乗り込みながらつぶやいた。席に座って、足をパタパタさせる。ふと見ると扉に、金髪の男性が張り付いていた。大きなリュックを背負ったまま座りもせず、外の風景をスマホで撮影している。
(座ったほうがラクなのに)
士呂の視線に気づかず、男性は目を輝かせて画面を見つめる。
(田んぼしかナイのに、撮影してる。バックパッカーの人かな?)
真っ青な空の下、小さな電車は二人を乗せて、緑の田んぼをトコトコ進んでゆく。
電車は、スピードを落としながら油日駅に進入した。扉に張り付いていた男性は、デニムのポケットから切符を取り出す。士呂は席を立つと、男性の後ろに立った。
電車は停止した。しかし、扉は開かない。外国人男性はとまどっている。
(田舎の電車は、ボタンを押さないとドアが開かないんですよ)心の中で士呂がつぶやく。士呂の念が通じたのか、男性は手を伸ばした。
(そうです。そのドア横のボタンを押すのです)士呂の心の声に応えるべく、男性は……、
ガシ!
扉に両手をかけると、力まかせに扉をこじ開けようとした!
「ちがぁ~うっ!」
士呂はあわてて、ボタンを押す。
「ボタンです!ボタンをプッシュです! 」
扉が開いた。
「Gratias tibi(ありがとうございます)!」
男性はラテン語で礼を言うと、まばゆいグリーンの眼でニコリと笑い、電車を降りた。
「ど、どういたしまして……」どもりながら士呂も、男性の後から電車を降りる。
男性は喜々として、せまいホームの撮影を始めた。
(田舎の小さな駅が、珍しいのかな?)
電車を降りると、五歩で改札口だ。士呂は男性を横目に見ながら、改札を抜けた。
駅前は、今日も無人だ。士呂は駅舎から歩いて16歩の駐輪場に向かう。風で自転車が倒れて、10台ほどの自転車が将棋倒しになっている。その中に、士呂の自転車があった。
「今日はツイてないなぁ~」
自転車をガチャガチャいわせながら、一台ずつ立ててゆく。ハンドルがからまって苦労していると、後ろから白い手が伸びてきて、隣の自転車を押さえてくれた。さっきの外国人男性だろう。
「ありがとうございます。助かりま……!!」
振り向いてお礼を言いかけた士呂は、フリーズした。
「天使っ⁉」
目の前に、子猫くらいの大きさの女の子が浮いている!
「っっっっっ⁉」
小さなちいさな女の子はニッコリ笑って、背中の白い羽を揺らすと消えた。
「なにっっっっっ⁉」
士呂はボーゼンとした。思わずハンドルから手が離れ、自転車はガチャン!と倒れる。
「ouchie(痛い!)!」 男性が声をあげる。
「ごごご、ごめんなさい!こここ、ここにいま、天使がいませんでした?」
「テンシ? エンジェルですか?」
「いえ、なんでもないです! 気のせいです!」
「ダイジョウブですか?」 男性は心配そうに尋ねる。
「だだだ、大丈夫です!うえっ、あ、ありがとうございます!助かります!」
二人は協力して、士呂の自転車を救出した。
「ありがとうございました!」
士呂は、ぴょこんと頭を下げた。
男性はスマホを振りながら、目をキラキラさせる。
「どういたしまして☆おしゃしんしてもいいですかっ?」
「おしゃしん?あ!写真ですね?ボクの写真ですか?」
「そうです☆あなた、マンガコミックの『怒涛学園』みたいです!寝グセと学ランが、アンテナくんにそっくり!超Cool☆」
「あなたもドトラーですか⁉ ボクもドトラーです!」
「OH! 仲間です☆」
「ボクなんかでよかったら、いくらでもお写真してください!」
「ありがとう!アンテナくんの決めポーズ、お願いします!」
「こうですね!」
「メチャメチャイイです! アンテナくん、サイコー☆」
日中の油日駅前で、突如として始まる撮影会。しかし見ているのは、スズメだけだ。
利人は、ポーズを決めながら言う。
「怒涛学園、大好きです! 新刊はもう読みましたか?」
「アホアホ大冒険でしょう⁉ まだなんです! ソッコーでポチりましたが、すでに売り切れでした」
「めっちゃおもしろいですよ!」
「早く読みたいです☆」
「怒涛学園のゲームはしてますか?」
「どとるっちですね⁉ やり込み中です!見てください!」
彼はTシャツの中から、ペンダント型のゲーム機を引っぱり出した。
「すごい! 白色のどとるっち! レア色です! 白色を見るのは初めてです!」
「エヘヘ☆ レベルは、10025まで行ってます☆」
「すごい!ボクまだ9014です」
「どとるっち、大好きです! 怒涛学園も大好き☆」
「ボクも大好きです! あ、そうだ!アンテナくんのアホアホ大冒険、ボクの友達が持っています。たのんだら、貸してくれるかもしれません」
「ぜひ、貸してもらいたいです☆」
「たのんでみますね~!」
数分後。
「ありがとうございました!おしゃしん、良い記念になりました☆」
「いえいえ♪ ボクもドトラー仲間に会えるとは、うれしいです!今日は観光ですか?」
「そうなのです☆」
「甲賀には、旅行で来たのですか?」
「日本には、仕事で来ました。やっと休みが取れました」
「それは良かったですね~」
「良かったです☆ ワタシ、飛び出しぼうやと、櫟野寺に会いたいです☆」
「ああ、それでこんな田舎に来たのですか」
「田舎、サイコーです☆ テクテクして、時間どれくらい必要ですか?」
「テクテク? 歩いてということですか?」
「そうです☆」
「距離は2㎞くらいです。歩くと、時間がかかるかも……」
「一秒でも早く会いたいです☆」
「そうだ!駅にレンタサイクルがありますよ! もし自転車を借りたら、ボクが案内します!」
「チャリで冒険!イイですね☆」
しばらく後。
「OH~! めっちゃキモチイイです! 控えめに言っても、最の高です☆」
2台の自転車が、古い街並みをゆく。
男性は目を大きくして、キョロキョロする。
「ここはステキですね☆」
「あはは! なんにもない田舎ですよ~!」
「なんにもアリます! 古いおうちがたくさん! 超Cool☆」
「ありがとう~!」
「二人で、町を貸し切りです☆」
「あはは! 田舎だもん! だれもいないだけですよ~!」
角を曲がると、唐突にデカイ鳥居が姿を現わした。
「うわっ! 家より大きいです☆」
「これはね~鳥居です」
「めっちゃ赤いですね☆」
「めっちゃ赤いです~!」
「なんで赤いですか?」
「鳥居は神様の通る道だから、わるいヤツが通れないようにするためって聞いてます」
「トリイ、超デカイです! 日本の神様、家よりデカイですね☆」
「うはは! 神様、家よりデカイんだ~♪」
二人は満面の笑みで鳥居を見上げながら、くぐり抜ける。
「ワオ! 田んぼですね! 近くで見るのは、はじめてです☆」
「甲賀町は、田んぼばっかですよ~」
「めっちゃキレイです☆」
青々とした田んぼの中を二人は進んでゆく。真正面には、こんもりとした那須ケ岳が見える。
「チャリンコも、トリイも田んぼも、サイコーです☆」
「よかった~!」
「教えてくれて、アリガトウです☆」
「どういたしまして♪」
「ワタシのおなまえは、マリオ・マキシミリアン・ド・フルステンブルグ・ユングといいます」
「え⁉ マリオ・マキ?????」
「おなまえ、すごく長いです。まるで寿限無(じゅげむ)みたい」
「寿限無と言えば、落語ですか? かなり日本に詳しいですね」
「日本の落語もマンガも、おもしろいです!ワタシのことは、マリオと呼んでください☆」
「マリオといえば……ゲームの……」 思わず士呂が笑う。
「もちろんマリオブラザーズも、大好きです☆」
「ボクも大好き! ボクは、朝日(あさひ) 士呂(しろ)といいます」
「士呂さん! はじめましてです☆」
「マリオさんは、どこから来たのですか?」
「バチカン市国です」
「バチカン? 聞いたことはありますが、よく知りません」
「チビチビの小さな国です。国民は、全部で900人くらい」
「少なっ! ボクの住んでる甲賀町でも1万人はいます。バチカン、人数少ないですね!」
「国土がとっても狭いですから。国を一周するのに、1時間もかからないです☆」
「日本へは、なんのお仕事で来たんですか?」
「おしゃべりのお仕事です」
「おしゃべりの仕事? マリオさん、芸人さんですか?」
「芸人さんになれるほど、おもしろい者だったら良かったのにですよ!」
「いや充分、おもしろいですよww」
「ありがとうです! 日本に来たのは、報告? 発表? 日本語でなんと言うのでしょう? そういうお仕事です」
「そっか~」
「でも本当の目的は、櫟野寺と飛び出しぼうやに会うためです! そのために、この仕事を受けました☆ 京都でゼッタイ行きたかった会社もありましたが、ソコは行けました☆」
「よくわかんないけど、行きたい会社に行けて、良かったですね。櫟野寺と、飛び出しぼうやが好きということは『見仏記』が好き?」
「大正解です!『見仏記』を読んで、ゼッタイ日本に来ようと決めていました☆」
「ようこそ、ようこそ♪」
マリオが目を輝かせる。
「あっ!ついに飛び出しぼうやを発見です! 実際に見るのは、生まれて初めてです☆ 飛び出しぼうやさん、初めまして!おしゃしんしても、よいですか?」
看板の代わりに、士呂が答える。
「いいよ~♪」
「year! hoo! やった~! です☆」
マリオは自転車から降りるとスマホを取り出し、喜々として撮影を始めた。
マリオは満足そうに、ため息をついた。
「hoo……。とても良い撮影会でした☆」
士呂が笑う。
「飛び出しぼうやは、まだまだたくさんありますよ~。この先には、忍者の飛び出しぼうやもあります」
「ニンジャ!マジっすか⁉ニンジャ大好きです!ぜひ会いたい!それに、ニンジャ・カーも大好き☆」
「ニンジャ・カー?忍者の車?そんなの、ありましたっけ?」
「ありますよ。日本の車、とても静かでニンジャみたい。ほら、ああいうクルマです」
マリオが指さした先には、よくある白いハイブリッドカーが停まっている。
「ああ、たしかに静かですね」
「あのクルマは素晴らしいです。まるでニンジャみたいに静か。バチカンでも、たくさん走っています☆」
その後もマリオは飛び出しぼうやの看板が出現するたびに、大喜びで撮影した。
「すごくイイです☆こっちに目線、お願いします☆」
ピクリとも動かない飛び出しぼうやを、連写モードや動画で撮影している。
「ボクは珍しいと思わないけど、マリオさんには珍しいんだね~♪」
「オォォォォ!ついにニンジャ発見です☆」
ニンジャの飛び出しぼうやに感動したマリオは、踊りだした。
「うはは!踊るほど喜んでもらえて、ボクも嬉しい!」
「ハッ!すみません。道でダンスは、ヘンな人と思われますね」
「大丈夫~!田舎だから、誰もいないよ」
「せっかくだから、ニンジャとアンテナくん、一緒にお願いします☆」
「いいよ~!」
「決めポーズください☆」
「了解!」
数分経過。
「マリオさん、ここだけで1000枚くらい撮ってるよ?もう、いいよ」
「士呂さん待って、あと少しだけ……」
マリオはアングルを変えて、撮影に夢中だ。
「ン~……。なんでしょうね?」
マリオがスマホの画面を見て、つぶやく。
「どしたの?」
「さっきから同じニンジャ・カーが、画面に入ります」
「どれ?」
「ほら」
画面を見ると遠くのほうに、白いハイブリッドカーが写り込んでいる。
「このタイプはどれも同じに見えるから、偶然じゃないの?」
「そう……なのですか?」
「そうだよ」
「ま、いいや。気にしない、気にしない☆ワタシ、フェイスブックとインスタグラムとツイッターしています。飛び出しぼうやをUPするから、見てくださいね☆」
「ボクも、ツイッターしてるよ~」
「それでは、オトモダチになりましょう☆」
二人は互いにフォロワーとなった。
「えへへ♪マリオと友達♪」
「くふふ♪士呂とオトモダチです♪」
二人はご機嫌さんだ。
百夜寺に到着。
「初めまして。ワタシのおなまえは、マリオ・マキシミリアン・ド・フルステンブルグ・ユングです」
「待(まち)月(づき) 利人(りひと)です」
マリオと利人が向かい合う横で、士呂はニコニコしている。
利人が士呂に聞く。
「で、なんだ?まさか隣の櫟野寺と間違えて、うちに連れてきたのか?」
「いくらボクでも有名な櫟野寺と、地味な百夜寺を間違えたりしないよ!」
「うちのテラを地味とは……俺が地味に傷付くのだが?」
「そうなの?ボクたち、ちゃんと櫟野寺に行ったんだ。でも十一面観音さまは、見れなかった。春と秋の特別拝観の時しか、見れないんだって」
「お前、いつでも見られると思っていたのか?」
「うん」
「拝観時期しか見られないのは、甲賀町民なら誰でも知ってるぞ」
「ボクも町民だけど、知らなかったさ。いつでも見れると思ってた」
「お前、本当は町民じゃないんじゃないか?」
「町民だよ!ボクと利人、保育園からずっと一緒じゃん!」
「腐れ縁は否定しない。それで、どういう経緯でここに連れて来たんだ?」
「マリオに利人の寺が隣だって言ったら、来たいって言ったから連れてきた」
「地味な寺に、ようこそ」
「どういたしまして♪」
「俺は、嫌味を言ってるんだが?」
「そうなの?わかんなかった。あ!忘れてた!地味な利人にお願いがあるんだ!」
「嫌味に嫌味で返しているが、それも無意識か。いったい、なんだ?」
「マリオに、アンテナくんのアホアホ大冒険を貸してあげて」
「お前は初対面の旅人に、俺の本を貸すのか?」
「すぐ読んで返すって言ってるよ♪ね?マリオ」
「早く読んで、早くお返しします☆利人さん、お寺のおしゃしん、いいですか?」
「どうぞ」
「ムービィーもいいですか?」
「どうぞ」
「Yher hoo☆ ヤッター☆」
マリオは大喜びで、境内の撮影を始めた。
張り切って撮影するマリオを横目で見ながら、利人が口を開いた。
「バイトの面接どうだった?」
「またダメだったさ」士呂はしょんぼりする。
「なんでダメだったんだ?」
「社長さん、ボクの父さんや母さんと同級生だったんだって。だからダメなんだって」
「両親が不採用の理由?何の仕事だ?」
「忍者だよ。手裏剣投げたり、壁の中から飛び出すの」
「壁から現れるのは『どんでん返し』だ。いったいどこのバイトだ?」
「忍者ランドだよ。オーナーさん、ボクの父さんと同じ中学で、母さんと同じ高校だったんだって」
「誰でも知り合いなのは、田舎あるあるだな。不採用の理由が両親というのは?」
「社長さんが教えてくれた。ボクの父さんがさわるとね、なんでも壊れちゃってたんだって。中学校の体育館とか、銅像とか」
「体育館や銅像が、いったいどうやったら壊れるんだ?」
「わかんない。とにかく何でも壊れるから『破滅の神』って呼ばれてたんだって」
「おふくろさんは?あだ名はキャノン(大砲)だろ。おふくろさんも体育館や銅像の破壊活動に勤(いそ)しんでたのか?」
「ううん、ちがう。母さんは、モノを壊したりはしなかったんだって」
「それなのに大砲(キャノン)とは?」
「父さんみたいにモノは壊さなかったんだけど……」
「なんだ?」
「母さんは高校の全校集会で『校長先生のお話はムダに長いのに、中身がまったく無いのはなぜですか?』って質問したり、バイト先でイジワルなお客さんから『お客様は神様だろ!』言われたら『役に立たない疫病神ですか?』って、真顔で聞いたりしてたんだって。その場の雰囲気をこっぱみじんにするから、キャノンって呼ばれてたんだって」
「おやじさんとは、一味違った破壊行動だな」
「そだね。社長さんから『ご両親のことは人としてすごく尊敬してるけど、あの二人の子を雇う勇気はないんだ!ゴメン!』って、すごく謝られた」
「たしかにその遺伝子を受け継いでると考えるだけで、戦慄が走るな」
「ボク、フツーなのにね」
「フツーかは知らんが、破壊活動はしない」
「バイトは気長に探すよ」
「面接で断られるのを趣味にすればいい」
「それは、イヤ!」
マリオはニコニコして、境内の撮影をしている。
利人が訊いた。
「マリオさん、ここへは一人で来たのですか?」
「え?一人じゃないです。ワタシは士呂と二人で来ました。なぜですか?」
「いえ、べつに。うちのご本尊はこちらです。案内します」
本堂の畳に立つと、3人はご本尊を見上げた。
マリオが感嘆の声を出す。
「OH~!メガネをかけた仏サマです!初めて見ました!」
「珍しいでしょ~!マリオに見せたかったんだ!」士呂が得意そうに言う。
「なんでお前がドヤ顔なんだ?」
「だって利人は無表情なんだもん」
「俺は普通だ。お前の喜怒哀楽が激しいだけだ」
「ボクのほうがフツーだよ!利人の無表情は、フツーじゃない!」
「無表情の定義を、具体的に説明してくれ」
「利人より冷蔵庫のほうが、ずっと陽キャだよ!」
「比べる対象が冷えびえとした電化製品か?もう少しマシな物で比べてほしいが?」
「だってベッドと比べたら、利人は負けちゃうよ?」
「俺は冷蔵庫やベッドと、いったい何を競っているんだ?」
「人間性ってヤツ」
「冷蔵庫もベッドも、人間じゃない」
「えっ⁉じゃあ、利人は人間じゃないってこと⁉」
「……。一発、殴ってもいいか?」
「ボクは人間だもん。イタイからダメ!」
「俺も人間だから殴れば拳(こぶし)は傷むだろうが、今は拳より胸が痛むぞ」
「胸がイタイの?ダイジョウブ?」
「やっぱりお前、両親の遺伝子を引き継いでいるぞ」
「どうして?」
「……いや、いい。気にするな……」
マリオは楽しそうだ。
「お二人は、とっても仲良しさんですね☆」
利人がげんなりする。
「どこを見て、そう判断した?」
「二人とも、すごく楽しそうです☆」
「俺は楽しくない」
「またまた~☆」
がっくりする利人をよそに、マリオはご本尊を見上げる。
「利人さん、この仏サマは、頭のところにたくさん顔がありますね。顔でできた帽子ですか?」
「帽子では、ありません。観音菩薩は衆生を救うため、その時々に応じた仮の姿を現わします。頭の上に頂く十七面はその姿を表現したもので、化仏(けぶつ)と呼ばれます」
「ケブツ……。顔のスペアですか?」
「スペア……。まあ、そういう解釈もできますね」
「どの顔も、メガネをかけていますね」
「よく言われます」
「昔の時代に、メガネはありましたか?」
「ありません」
「なぜ、メガネを掛けていますか?」
「わかりません」
「ナゾですね~☆」
士呂が得意げに言う。
「この観音様はね、今は木でできてるけど、昔はぜぇんぶ!金でできてたんだ!」
「金⁉ゴールドですか⁉それはアメージング!利人さん、ほんとうですか?」
「村に伝わる言い伝えで、かつては黄金の十七面観音だったと言われています」
「でも今は、ちがうですか?」
「ええ。かつて足利家が村に攻め入った際、黄金の観音が足利を撃退して村を救ったと言われています。その後、黄金の観音は姿を消しました」
「どこかにhide(隠れる)したのですか?」
「おそらく盗賊に盗まれたのでしょう」
「この木の観音様は、どこからいらしたのですか?」
「村人たちが、ご本尊を偲んで木で彫りました」
「ずいぶん古い像ですね」
「X線の解析によると、安土桃山時代の作だそうです」
「この観音様も素晴らしいですが、黄金の観音様にも会ってみたかったです」
士呂がうなずく。
「みんな探してるんだけど、どこにも見つからないんだ」
本堂の案内が終わり、3人は庭に出た。ガブリエルが全力で走ってきて、マリオに飛びついた。
「OH MY GOODNESS~!」マリオは悲鳴をあげながら、地面に押し倒される。
士呂が慌てて、ガブにしがみつく。
「ガブリエル!ダメだよ!利人、ガブをなんとかして!利人、利人ったら!」
しかし利人は士呂の声が聞こえないようで、じっと遠くを見ている。
マリオは地面を転がりながら、ガブリエルの熱烈な歓迎を受ける。
「ワタシはダイジョウブです!イッヌは大好きです!」
地面に転がるマリオと、のしかかるガブリエル。士呂は、その光景を見てつぶやく。
「どう見ても、ガブに襲われているようにしか見えないんだけど……」
ひとしきり熱烈な歓迎会があり、ようやく我にかえった利人に引っ立てられて、ガブは裏庭へ連行された。
戻ってきた利人は、なぜか黙ってスマホの画面を見せる。
(マリオ、尾行に気づいていますか?)
「えっ⁉尾行っ⁉どういうことっ⁉」
驚いた士呂が聞き返すと、利人は鬼の形相で士呂のみぞおちにパンチを繰り出した。
「ゴフッ!」
崩れ落ちる士呂の胸ぐらをつかんで利人は、声は出さず唇を動かして(喋るな)と警告する。
マリオは気まずそうな顔で、自分のスマホに入力する。
(尾行は、気のせいかと思っていました。なぜ尾行がわかりましたか?)
(マリオが来たとき、遠くに白いハイブリッドカーがいました。今は、寺の下に停車中です)
(だから利人さんは『一人で来たのか?』と訊いたのですか?)
利人はうなずく。
(さっきガブが飛びついてマリオが大声を出したときに、車の中にいる男たちが飛び上がりました。音声を拾っていると思われます。尾行や盗聴をされる理由はありますか?)
マリオは一瞬迷うそぶりを見せたが、指を動かした。
(理由はあります。2人に迷惑はかけたくない。ワタシは去ります)
二人のやり取りを見ていた士呂が、首を横にブンブン振る。
(ダメ!一人で逃げちゃダメ!あぶないよ!)
マリオにすがりつく士呂に、ふたたび利人のパンチが炸裂した。
「ゴフッ!」
崩れ落ちた士呂を仰向けに転がすと、利人は手早く学ランを脱がしにかかる。
(なっ⁉なにっ⁉やめてっ……!)
脱がされまいと抵抗する士呂を、あっという間にパンツ一枚にする。
利人は脱がせた士呂の学ランをマリオに押し付けると、口だけ動かして、
(着替えて)と言い、庫裏(くり)(自宅)へ走っていった。
利人はすぐに戻ってきた。何も入っていないバックパックと、ロードレース仕様の自転車を抱えている。普段はインドア派の利人だが、琵琶湖を一周する「ビワイチ」だけは例外だ。本格的なレース仕様の自転車に乗っている。
マリオの荷物を、持ってきたバックパックに入れ替える。
士呂はワケがわからずパンイチで地面に転がって、目を真ん丸にして見ている。
利人はマリオの服とバックパックのジッパーやボタンを指さし、声には出さず(これは発信機、こっちは盗聴器)と指し示した。その数は、合計17ヶ所にもおよんだ。
利人が、スマホに文字を入力する。
(デバイスは?)
スマホやノートパソコンによる、尾行や盗聴の可能性を示唆した。
(そっちのセキュリティは、ダイジョウブです☆)
士呂の学ランを着たマリオは、ニコニコ顔だ。緊急事態にも関わらず、学ランを着ることができたので、嬉しくて仕方ないらしい。
(時間がない。逃げてください)利人は庭の端にある、玄関戸を開け放した建物を指さした。
(あの書院に入ってください。床の間の掛け軸の裏に、抜け道があります)
「OH~……!さすがニンジャ……☆」
思わずマリオは声を出したが、あわてて口を閉じた。
(感謝します。もしワタシになにかあったら、あとはヨロシクです)
思わず士呂が声に出す。
「なにかって?」
マリオは問いに答えずニコリと笑うと、バックパックをひっつかんで、利人の自転車で走り去った。
利人が舌打ちをした。
「来るぞ」
士呂は子犬のように、プルプル震えながら問い返す。
「なにが来るのさっ⁉なんでボクが裸にされたのさっ⁉」
黒いスーツを着た屈強な男たちが5人、音もなく階段を駆け上ってきた。その動きは素早く、息切れひとつしていない。
士呂が怯える。
「だだだ、だれですかっ⁉」
ヒゲの男が利人に近づく。
「アノ男はドコへ行った⁉」ブルーの目で睨みつける。
「知らん」
利人は冷ややかに答える。
「知らナイはずはナイだろうっ⁉」
ヒゲ男はそう言うと、利人のボディチェックを始めた。
「ここは日本だ。お前みたいに拳銃は持ってない」
士呂がのけぞる。
「えっ⁉この外国の人、銃なんか持ってるのっ⁉」
利人は、ヒゲ男の手を振り払う。
「左脇。サイレンサーは嵩張(かさば)るから、すぐにわかる」
「外国の人は、銃を持ってていいの⁉」
「いいわけあるか。違法所持だ」
ワシ鼻の男が、地面に横たわっている士呂に詰め寄る。
「オマエ、シラナイカ?」
士呂のパンツを脱がせにかかった。
「やめて~!」士呂が絶叫する。
「〇◇※△」
いつの間にか、6人目の男が立っていた。この男も金髪にスーツ姿だ。5人は飛び上がり、首を傾けて敬礼した。しかし男が軽くにらむとあわてて手を下げ、直立不動で固まった。
男は優しく士呂の手を取って立たせた。
「驚かせて、ごめんね」にっこり笑うと、紫色の瞳でウインクをした。
士呂が、ビビりながら聞く。
「おおお、おじさんは、だだだ、だれですか⁉」
男はショックを受けて、のけぞる。
「おじさん?もしかして、私のことですか?ひょっとして、『お兄さん』の間違いですよね?」
「おおお、おじさんは、お兄さんにしては、大人です……」
「……そうですか。まだ20代なのですが……」
男はガックリして、美しい瞳を閉じた。しかしなんとか立ち直ったらしく、目を開けるとニコリと笑った。
「私の名前は、そうですね……。ユダ、とでも呼んでください」
「ほんとの名前じゃないの?」
「私たちの業界で、本当の名前は使いません」
「どうして?」
「敵に殺されるから、ですよ」
ユダはそう答えると、口の端だけでニイっと笑った。
「一つ、お尋ねします。ユング博士から、何か預かってはいませんか?」
顔は笑っているが、紫色の目はまったく笑っていない。
「ユング博士?誰ですか?」
「今までここに、いらしたでしょう?」
「マリオのこと?なんにも預かってないです」
おびえた顔の士呂が答える。
「本当ですか?」
ユダは士呂の目の奥を、じっと覗き込む。
「どうしてボクが、ウソをつかないといけないの?」
まっすぐ返す視線を見て、ユダは納得したようだ。
「あなたには、訊いても無駄でしょうね」
背中越しに、利人に投げかける。
「わかっているなら、訊くな」
利人が答える。
ユダは金髪をかき上げた。
「私たちのお仕事を、邪魔しないでくださいね。これは、最終の警告です。二度目はありませんよ」そう言うと、踵(きびす)を返して階段に向かった。お付きの5人が、あわてて後に続く。
車を急発進させる音が響き、静寂が戻ってきた。
「いったい、なんなの……???」
士呂は真ん丸な目で、男たちの消えた方向を見つめた。
利人はものすごい速さで、パソコンのキーボードを撫でている。厳密に言えば叩いているのだが、速すぎて撫でているようにしか見えない。
士呂は利人の服を借りて、裸族から文明人に戻ってきた。ベッドの上で体操座りをして、パソコンに向かう利人の背中を見ている。
「ねぇ利人」
「……」
「ねぇってば」
「……」
「さっきの人たち、いったい何だったの?」
「……」
「あの自転車、利人が大事にしてたヤツでしょ?ベンツより高いって言ってたよね」
「……」
答えはなく、利人の指先がキーボードの上でせわしなく動く。
「ねぇ……?」
「見つけた」
利人は、英語で書いてある画面を訳した。
「マリオ・マキシミリアン・ド・フルステンブルグ・ユング博士。西暦2000年、バチカン市国産まれ。AI(人工知能)と材料工学が専門。AIの研究で、ノーベル賞と、イグノーベル賞をダブル受賞」
「マリオ、ノーベル賞の人なのっ⁉」
「らしいな。日本には、ノーベル賞の記念講演で来たらしい」
「すごい!マリオ、何したの⁉」
「人工知能を使った元素の指向性進化法開発」
「それ、日本語?イミわかんないんだけど」
「日本語だ」
「どういう意味?」
「AIを使って人類初の方法で、元素の抽出を可能にしたらしい」
「それも、日本語?」
「ああ」
「やっぱりイミわかんない。わかんないけど、マリオってすごいね」
「そうだな」
「イグノーベル賞って、なに?」
「大真面目で、馬鹿げた研究に贈られる賞」
「それも、イミわかんないよ。どんな研究したの?」
「マリオは『広義なマンガにおけるAI(人工知能)キャラの萌え度数値化』という研究で受賞している」
「何の研究かわかんないけど、マリオがヲタクっていうことだけは、よくわかるよ……」
「ノーベル賞の受賞を受けて京都大学で講演した記録がある」
「京都大学!すごいね!」
「京都アニメーションに、表敬訪問……」
「ゼッタイ行きたい会社っていうのは、京都アニメだったんだ……」
利人は、めまぐるしく画面を変える。
「マリオは甲賀に、何をしに来たんだ?」
「櫟野寺と、飛び出しぼうやを見に来たって言ってた」
「見仏記……みうらじゅんと、いとうせいこう……」
「二人とも、ヲタクの神様だねぇ」
「神の二人が見て廻っているのは、仏だがな」
「どうしてマリオは、尾行とか盗聴されてたの?」
「知るか。俺には関係ない」
「関係ないことないよ!利人、なんでマリオを一人で行かせたのさっ⁉助けてあげればよかったのに!」
利人はイスを回転させて、士呂と向き合った。
「お前がいなかったら尾行に気づいた時点で、マリオを寺から叩きだす。俺に被害が及ぶ可能性を、排除するためだ。ヤツが善人か悪人かは、どうでもいい。だがお前が助けたいと言うだろうから、逃げる協力だけはした。俺の大事な愛車『ケメコ号』は無償提供だ。文句を言われる筋合いはない。逆に感謝してほしいくらいだ」
「『ケメコ号』?あのベンツより高い自転車、そういう名前なの?ベンツより高いって、いったいいくらするの?」
「金額じゃない。ケメコは唯一無二の存在だ。それを貸してやったんだ。泣いて感謝しろ」
「ケメコって、どういう意味さ?」
「北大路(きたおおじ)公子(きみこ)の略だ」
「だれ?それ」
「ググれ」
利人はため息をつく。
「大事なケメコを貸すなんて、どうかしていた」
「マリオは友達なの!友達は、助けたいの!」
「だから逃がしてやっただろ。これ以上は関わりたくない」
士呂は唇をとがらせる。
「……ナニかって、なにさ?」
「なんのことだ」
「怖い人たち、ナニか探してたよね?ボクのパンツの中まで探してたから、よっぽど大事なモノだよね?」
「知るか。もう関係ない。ケメコの無事を祈るばかりだ」
「ふうぅ~ん。わかんないって、認めたくないんだぁ~!そうだよねぇ~。利人くん、プライド高いもんね~!」
「は?」利人は、剣呑な表情を浮かべた。
「利人くんは、プライドが高いから~、逃がして・あげた・だけ!で、もう、十分!だよねぇ~?」
「お前、俺にケンカ売ってるのか?」
「べつにぃ~。ヘンな人たちのことだって怖いし、わかんないほうが幸せだよねぇぇぇぇぇぇ~?」
士呂はニヤニヤしながら、利人の肩をポンポンと叩く。
「もう十分だよねぇ~?わかんなくても、仕方ないよねぇぇぇぇ~?利人くんは、フツーの、17歳だもんねぇぇぇぇ~?」
「お前……!わからないんじゃなくて、関わり合いになりたくないだけだ。そこは間違えるな」
「またまたぁ~!でも気持ち、わかるよぅ~。誰でもわかんないなんて、認めたくないもんねぇぇぇぇ~?」
「わからないとは、言ってない」
「じゃ、どゆことさ?」
利人はため息をつくと、
「ついて来い」と言って、部屋から出て行った。
「やった!」
士呂の作戦勝ちである。
書院の廊下を見て、士呂はあきれる。
「マリオ、よっぽど急いでたんだね。廊下にタイヤの跡がついてるよ……」
二人はタイヤの跡をたどって、奥へと進む。
「畳にもくっきり……。ボク、あとでお掃除するね」
60畳の和室には、床の間に向かって一直線にタイヤ痕が走っている。
「ダッシュで掛け軸につっこんだんだね……」
盛大に曲がった掛け軸を横にずらしながら、利人が口を開いた。
「ユダたちが何を探しているかなんて、簡単すぎる話だ」
壁には畳ほどの大きな穴が、ぽっかりと開いている。
「く、暗くて怖いんですけど……」
士呂がビビる。
「うちの先祖が作った逃げ道だ」
「利人のご先祖さまって、忍者だよね?」
「本業は僧侶だ。兼業で忍者をしていた」
「兼業忍者……。ねえねえ、兼業忍者ってコトバと、兼業農家って似てない?」
「『兼業』が同じだけだ。似てない」
「ボクんちは、忍者と農家の兼業」
「兼業農家の忍者」
「だから兼業忍者で、兼業農家なの」
「同じ意味だろ」
「そうなの?似てるんじゃなくて、同じなの?」
「言葉は違うが、意味は同じだ」
「そっか。ご先祖が忍者っていうのは、甲賀あるあるだもんね」
利人が穴に足を踏み入れた。ゴツゴツした岩肌がLEDライトで明るく照らされる。
「ご先祖様、ライトまで付けたの⁉」
「アホか。俺が設置したんだ」
ライトの下で、急な下り坂がまっすぐに伸びている。
「道が……長いんですけど。どこまで続いてるの?」
「行けばわかる」
2人は歩き出した。
「利人、なんか言った?」
「言ってない」
「なんか声が聞こえたんだけど?」
「気のせいだろ」
「ヘンだな……」
「ヘンなのは、お前の耳だ」
士呂が、通路にズラリと並んだオイル缶を指さす。
「コレ、なに?」
「草刈り機の燃料」
「草刈り機の燃料って、ほとんどガソリンでしょ?こんなところに置いといていいの?」
「いいから、進め」
しばらく進むと、下り坂は平地になった。白い袋がいくつも積み重ねられている。
「利人、コレなに?」
「塩化カルシウム」
「なんに使うの?」
「一般的には、道路の融雪剤」
「融雪剤って、雪を溶かすヤツ?こんなに重いの、道まで運ぶの⁉」
「運ばない」
「ここで使うの?」
「さあ」
「なんでごまかずのさ?」
「べつに」
「ほかの使い道があるの?」
「ないこともない」
「なんに使うのさ?」
「お前、うるさい。とっとと歩け」
数分後。
「利人、なんか言った?」
「またかよ。何も言ってない」
「ヘンだな?なんか声が聞こえた気がするんだけど……。ねえ、もうずいぶん歩いてるんだけど、まだ歩くの?」
「黙って歩け」
「ご先祖様、固い岩をこんなに長く掘るなんて、すごいね」
「先祖が掘った穴は、せいぜい10mだ」
「えっ⁉ボクたちが歩いたの、ずっと長いよね⁉」
「今1・6㎞」
「長っ!」
「短いとおもしろくないから、俺が長くした」
「手で掘ったの⁉」
「まさか。機械を使ってだ」
「それにしても、長すぎるでしょ……」
「このクソ田舎にスポーツジムは無いからな。運動したい時に掘っていたら、こうなった」
「いつから?」
「俺が8歳の頃から。重機を導入したのは、数年前だ」
「じゃあ9年も掘ってるんだ……。なんか、コワイよ……」
「重機は自分で買ったし、誰にも迷惑かけてない」
「いやいやいや!こんな長い穴、勝手に掘ったらダメでしょ⁉」
「国の許可は取っている」
「国の許可を取るより、スポーツジムを作ったほうが早かったんじゃないの?」
士呂の質問は無視して、利人は話す。
「マリオはこの道を、自転車で突っ走ってる。できればモノは、誰にも渡したくない。しかし持っていれば、敵に奪われる可能性がある」
「敵って、あのヘンな6人のこと?銃を持ってたって、本当?」
「ああ」
「なんでわかるの?」
「スーツの左脇に、シワが寄っていた」
「あの人たち、なんなの?」
「最初の5人は、ロシアの軍人あがりだ」
「どうしてわかるの?」
「ユダが現れたとき、とっさに敬礼をした」
「それだけでロシア軍とは、わからないんじゃない?」
「ユダが話していたのは、ロシア語だ」
「そうなの?」
「敬礼でアゴをユダに向けたし、手のひらが下を向いていた。ロシア軍の典型的な敬礼だ」
「軍人あがりって、軍人じゃないの?」
「ユダがにらんだら、あわてて敬礼をやめた。クセで反射的に敬礼したんだろう」
「ユダも軍人あがり?」
「ユダは違う」
「どうちがうの?」
「軍人とは、筋肉の付き方が違う」
「じゃあ、なんなの?」
「わからない」
「そもそも銃とか軍とか言ってる利人って、いったい何者なの?」
「俺は17歳の、いたいけな引きこもりだ」
「いたいけって、利人に一番似合わない言葉じゃないの?」
「いたいけは、もういい。マリオから、ずいぶんと話が逸れた」
「いたいけの意味から、話をそらしたいんだ?」
「俺は24時間、年中無休でいたいけだ」
「なんだか、いたいけの意味がわかんなくなってきた……」
「ゲシュタルト崩壊か。見なくても聞くだけで崩壊するとは、珍しいヤツだな」
「崩壊?なんのこと?」
「気にするな。話を戻す。アイツらが探していたことから、モノは物理的に実体があると仮定する。おそらくマリオが持ち歩いていただろう」
「ユダたちは、ソレを探してたんだよね」
「おそらく。マリオはダッシュで逃げた。わざわざ途中で立ち止まって隠すとは考えにくい。それにできれば自分で持っていたいだろう」
「そだね」
二人は歩き続ける。道はゆるやかな上り坂になった。
「……ここに大事な物がある。持ち歩けないが、奪われたくない。お前ならどうする?」
「……誰かにプレゼントするかなぁ~……」
「プレゼントして、どうするんだ」
「ちがうの?じゃあ……隠す?」
「そう。どこかに隠す。もし敵に捕まっても物が無ければ、交渉に持ち込める」
「いったい、どこに隠したんだろう?」
「そう。問題は、隠した場所だ」
「どこなの?」
「これ以上は、持っていくのが危険なところ」
しばらく進むと小型の重機があった。重機の向こうに上り階段が見える。階段は床から天井まであり、そこで道は終わっている。階段の横にはレインコートやカサが掛けられていて、床には工具箱がいくつも並び、雑然としている。
士呂が、重機を指さす。
「これで家からココまで掘ってきたの?」
「ああ」
「レインコートとかカサとか、たくさんあるね」
「出口だからだ。外出するのに、いろいろと必要だろ」
「???出口?でもココ、行き止まりだよ???」
「アホか。行き止まりだったら、逃げ道の意味がない」
利人が階段を上がり、天井を軽く押した。すると天井が横にスライドして外気が流れ込み、朱色の大きな柱が見えた。
「えっ⁉大鳥居っ⁉ここ、油日駅の近くなのっ⁉」
士呂が驚いている間に再び天井がスライドして、静かに外界と遮られた。
「……利人の家から大鳥居まで、掘っちゃったの?途中に櫟野川があるはずだけど?」
「俺たちは、川の真下を通ってきた」
「川の真下…………」
「まさか川の下に通路があるとは、誰も思わないだろ」
「思わないし、知りたくなかった……。これバレたら、めちゃくちゃ怒られるんじゃないの?」
「国の許可は、取ってる」
「国の許可って、そんなにカンタンに取れるものなの……?」
閉じられた空間で、利人が言う。
「ここから先は、外の世界だ。持ち歩くのは、リスクが高い」
「秘密の道は、ここで終わり?」
「そうだ」
「利人の自転車が見当たらないけど?」
「ケメコ号は究極の軽量化をしている。この程度の階段なら、持って上がるのは簡単だ」
「じゃあ、自転車から降りたんだ?」
「BMXならともかく、レース用のケメコで階段は無理だ。階段の下で、一旦止まった可能性が高い」
「ほんとだ!ココにタイヤの跡がある!」
階段の手前に、タイヤ痕がある。
「止まったついでに、物を隠した可能性が高い」
士呂はレインコートのポケットを探ったり、傘を開いてみる。
「なんにもナイよ。ほんとにココに隠したの?」
「俺の推理では、ここに隠した可能性が高い」
「もっと前に隠したんじゃない?燃料とか、塩が置いてあった場所とか」
「道の途中で手放すとは、考えにくい」
士呂はオタオタしながら、掘削機の運転席をのぞき込む。
「何を探せばいいの?わかんないよ」
「不自然な物を探せ。そこにあるのが、不自然な物だ」
士呂は、運転席に置いてある工具箱を開いた。
「そんなこと言ったって……。ペンチにレンチにドライバー、ネジにハサミ……。見つけた!不自然なモノがあったよ!」
「なんだ?」
「お箸とお茶碗」
「それは、俺のだ」
「なんで工具箱の中に、お箸とか茶碗が入ってるのさ!不自然にもほどがあるよ!」
「作業をしていると、腹が減る」
「あ!キャッシュカードが出てきた!マリオのかなっ⁉」
「そこにあったのか。探していたんだ」
「不自然が多すぎるよ!あれ?ゲームがある……」
士呂は工具箱の中から、白いペンダント型のゲーム機を取り出した。
「どとるっちだ!これ、マリオのだよ!さっき見たもん!レアな白だから、間違いないよ!」
「マリオが隠した物は、見つかった。ここからが難しい。部屋に帰るぞ」
二人は利人の部屋に戻った。
利人が持ってきた段ボールの中には、ゲーム機がぎっしり詰まっている。その中から白いどとるっちを取り出した。
「えっ⁉利人も同じ白色持ってるの⁉白って、レア色じゃなかったっけ?」
「レア色だ。俺も自分以外の白色を見たのは、初めてだ」
利人は2台の電源をオンにした。2台は同じスタート画面を映し出す。
「どっちも同じだねぇ」
「お前のその目は、なんのために付いている?明らかに違うだろ」
士呂がむっとする。
「なにがさ?同じじゃん。どこがちがうのさ?」
「よく見ろ。マリオのゲームは、端子の挿入口がある。市販されているどとるっちに、挿入口なんか無い」
ゲームをひっくり返すと、裏蓋があった。利人は精密ドライバーで、蓋を外す。中にはボタン電池が一つ入っている。
「ここは、同じように見える」
「電池を外したら、なにかあるかも」士呂がつぶやく。
利人は言われるまま、ボタン電池を外した。
「なんにもナイねえ」
「いや、無いことはない」
利人は、じっとゲーム画面を見る。
横から士呂がのぞきこむ。
「さっきと同じ画面だけど?」
「だからだ。電池を外したのに、どうして画面が出たままなんだ?マリオのゲームは、どこから電源を持ってきてるんだ?」
「そういわれてみれば、電池がないのに画面が出てるのは、不思議だねぇ」
「それだけじゃない。電池もおかしい。CHOMOTSUなんて会社、聞いたことがない」
「チョモツウ?富士通じゃなくて?バチカンの会社じゃないの?」
「チョモ通なんて、聞いたこともない。それに普通は『HG 0%』と書いてある部分に『Uue 100%』と刻印してある」
利人は電池を元通りにして、裏蓋をはめた。パソコンのケーブルをゲームに繋いだ。
「Uue 100%?なにそれ?」
「通常の『HG 0%』というのは、水銀を使ってないという意味だ」
「じゃあ『Uue 100%』っていうのは、どういう意味なの?」
利人が答えようとした時、パソコンの画面が点滅した。
画面に大きく「PASSWORD ONLY 3 TIMES」と点滅している。
「やはり、パスワードが必要か」
利人は天井を仰ぐと、ため息をついた。
士呂がパソコン画面を見ながら言う。
「PASSWORDっていう英語の意味が「パスワード」なのは知ってるけど、あとの『ONLY 3 TIMES』ってなにさ?」
「パスを入力できるのは、3回だけって意味だろ。おそらく3回間違えると、ロックされる
「そうなったら、困るよ」
「それなら……」
利人はパソコンのデスクトップの、アイコンをクリックした。新しい画面が開いて、膨大な量の英数字が流れてゆく。
「それ、なにさ?」
「パスワード解析ソフト」
「えっ⁉利人、そんなの持ってんの⁉買ったことがバレただけで、ヤバイでしょ⁉」
「買ってない。手作りだ。いわゆるホームメイド。家庭料理みたいなもんだ」
「家庭料理とか言って、あったかい感じにしようとしてもムリだよ!明らかにヤバイやつじゃん!」
「国から許可は取っている」
「さっきの道といい、ソフトといい、国から許可もらってるって、利人、いったい何してるの⁉」
「俺の日常生活は、いいから……」
利人はしばらくキーを叩いていたが、大きなため息をついた。
「ダメだ。いつもなら簡単に開けられるのに、コイツはぜんぜん受け付けない」
「いつもって……。いったいどこをどう開けてるの?寒気しかしないんだけど……」
「世の中、知らないほうがいいこともある」
「じゃ、聞かない。それよりコレ、なんとかならない?」
「悔しいが、俺よりマリオのほうが一枚上手だ。どうりでスマホやiPadのセキュリティに、自信満々だったわけだ」
「マリオ、ノーベル賞の人だもん」
「たとえノーベル賞でも、負けたくない。俺はやるぞ!」
「利人に、いったい何のスイッチが入ったの?」
「やる気スイッチだ。お前、マリオからヒントになるような話を聞いてないか?」
士呂は、目をぐるぐるしながら考える。
「マリオと話したのは……怒涛学園と、ゲームと、飛び出しぼうやと、櫟野寺さんと、三浦じゅんの話とか……。コンピューターの話は、ぜんぜん聞いてないよ」
「怒涛学園か……。反応を見るために、試してみるか」
利人は「DOTOH GAKUEN」と入力した。
キイイイイーンンンッッッ!!!!!
「うわあぁ~!」
耳をつんざく大音響に、士呂がひっくり返った。画面は真っ赤に点滅している。
「おおお、おと、音、止めてぇ~!」
「ダメだ。止められない。ったく、どういうイヤがらせだ!」
ひとしきり爆音が鳴り響くと、急に静かになった。
画面に再び「PASSWORD ONLY 3 TIMES」が点滅する。
「…………今、決めた。絶対に開けてやる!」
「利人ぉ~、また間違えたら、あの音がするよぅ~!怖いよぅ~!」
「ちょっと、待て。おかしい」
「ボク、おかしくないよぉ~!あの音、怖いんだよぅ~!」
「おまえがおかしいのは、生まれた瞬間から知ってる。おかしいのは、この画面だ。なんで間違えたのに、数が減ってない?1回間違えたんだから、残りは『2 TIMES』になるはずだ」
「マリオは、そう思わなかったんじゃないの?」
「マリオは、そうは思わない……」
「マリオと利人は、ちがう人だもん」
「ちがう人……ちがう……これは、警告じゃないのか?」
「知らないよ!とにかくあの音はイヤなの!」
「このメッセージは、警告じゃないとしたら……?もしかして……」
利人は入力した。
「PASSWORD ONLY 3 TIMES」
♪シャララ~ン♪
音楽が鳴って、新しい画面が開いた。
「マリオのやつ、ふざけてやがる。警告に見せたパスワードだった」
画面に、文字が浮かぶ。
「WHAT YOU ?」
利人はうんざりする。
「またパスワードが必要なのか」
士呂が口を出す。
「『WHAT』って、なんだっけ?」
「『なに』だ」
「『YOU』は『あなた』だよね?」
「そうだ」
「『(「)なに(WHAT)?あなた(YOU)?』って聞いてるんだから、利人の名前を入れればいいんじゃないの?」
「そんなに簡単なものか?」
半信半疑で「RIHITO」と入れる。
士呂は爆音に備えて、両手で耳をふさいだ。
画面に文字が現れた。「HELLO! RIHITO!」
士呂は思わず拍手する。
「ボクね、ボクはね、士呂!」
「アホか。画面にしゃべったって無駄……」利人が言いかけると、画面から人口音声が響いた。
「HELLO SHIRO!」
「げ。コイツ、しゃべる」
人口音声は続いた。
「WHAT HERE ?」
声と同時に、文字が点滅する。
「コイツ、なんて言ってるんだ?」
「『WHAT』は『なに』で、『HERE』はなんだっけ?」
「お前、英語、ぜんぜん駄目だな。なんで高校に進学できたんだ?」
「わかんない」
「『HERE』は『ここ』って意味だ」
「じゃあ『なに、ここ?』って聞いてる」
「まんまかよ。ここ、なにって、何なんだ?」
「日本だよ。利人、知らなかった?英語ではね『JAPAN』って言うんだよ!」
「ここが日本で、スペルが『JAPAN』なのは、お前より俺のほうが知ってる」
「そうなの?」
「コイツの英語が支離滅裂なんだ」
疑わしそうに利人は「JAPAN」と入力した。
画面に文字が出た。「NOW ROADING ……」
利人は情けない顔になる。
「WHATの意味さえ知らない士呂に、負けた……!」
敗北感にうちひしがれて、利人は目を閉じた。
士呂が大声をあげた。
「あっ!なんか出た!」
ゲームから光があふれだした。その光は空中で像を結び、立体の少女像が浮かび上がった。
「この子、知ってる!さっき見た天使だ!」
身長は、わずか20㎝ほど。背中で白い羽が揺れている。足元まで伸びた金髪は、キラキラと輝いている。マリオと同じ、グリーンの眼で、まばたきをした。。
年齢は15歳くらいだろうか。真っ白なワンピースから、スラリと伸びた手足がのぞいている。
士呂が見とれる。
「この子、とってもかわいいね……」
「コンニチハ。リヒトサン、シロサン、コンニチハ」
少女が金髪の髪を揺らして、二人を見上げた。声のイントネーションは平坦で、人工的だ。
「この子、しゃべった!」
「アタシハ・テラ・デス。
テラ・クイーンクェです。
アタシ・コエ・キコエテマスカ?」
士呂が答える。
「聞こえてるよぉ~♪」
「ニホン・語・デスネ?」
「そうだよぉ~!テラちゃん、スゴイね~!賢(かしこ)さんだね~!」
「アリガトウ・ゴザイマス。チョット・待ッテ・クダサイ……」
画面が暗くなり、少女は消えた。
「フリーズしたか?」
利人がパソコンの稼働を確認すると、声をあげた。
「うわっ!2099%稼働してる!こんなの不可能だろ!コイツ、いったい何なんだ⁉」
ふたたびテラが現れた。
テラは羽を広げて宙に浮いた。その姿はやはり、天使のようだ。
「お待たせしました!アタシはテラ・クイーンクェです☆お2人とも、ヨロシクです☆」
テラは流暢な日本語でそう言うと、ペコリとお辞儀をした。
士呂は、握手しようと手を差し出した。
「よろしくです!あ!ちっちゃいから、手は握れないね」
そう言って、人差し指を差しだす。テラはその指を握ろうとしたが、すり抜けてしまう。
「やっぱり、さわれませんね。アタシ、体がナイです。このカラダは虹みたいなのです♪」
「そっか。さわれないんだ。あれ?テラちゃん、さっきより話すの上手になってない?」
「いま日本のこと、勉強しました♪」
「速っ!すごいね、テラちゃん!」
利人が訊く。
「もしかしてお前、人口知能か?」
「そうです♪AIのテラ・クイーンクェです!夢は、アカデミー賞をゲットすることです♪」
そう言うとテラは、羽を揺らして優雅にお辞儀をした。
「お2人は、パパさんと友達ですか?」
士呂は首をかしげる。
「パパさん?誰のこと?」
「保安上、アタシから名前は言えません。当ててください」
「ヒントは?」
「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……みたいな」
「マリオのこと?」
「そうです♪」
「ボクはマリオと友達だよ!いっしょに飛び出しぼうやを見たよ!」
「パパさんは、ほんとに飛び出しぼうやが好きですからね。すごく、よろこんだでしょ?」
「うん!すっごく嬉しそうだった!」
「それならテラと士呂は、お友達です♪リヒトさんも、パパさんとお友達ですか?」
「俺はちがう」
「じゃあアタシと、リヒトさんは?テラ・クイーンクェとリヒトさんは、お友達ではありませんか?」
「そういうことになるな」
テラはむっとした顔になると、消えた。同時に、パソコンの電源も落ちた。
「うわあぁ!利人、なんてことするんだよぉ~!」
「知るか。事実を言ったまでだ」
シャットダウンしたパソコンを再起動する。
ふたたび現れたテラは、拗ねていた。
「アタシは、リヒトさんとお話できません。パパさんから『知らない人とお話したらダメ』と言われています」
士呂があわてる。
「ボクは、マリオと友達だよ」
「じゃあ士呂とは、お話できます♪」
「ボクと利人は、幼馴染みの友達だよ?友達っていうか、親友だよ」
利人の顔が赤くなる。
「親友……」
「ちがうの?」
「……ち、ちがわないが……」
「利人、顔が赤いよ。カゼ?」
「カゼじゃない……」
「コロナ?」
「ちがうわ!」
テラが笑う。
「士呂、利人さんはテレているのですよ」
「どうして?」
「だって士呂さんが親友……」
利人が身体ごと割って入る。
「だあぁ~!言うな!黙れ!」
テラが、利人をジト目でにらむ。
「でもリヒトさんとアタシは、親友どころか友達でさえないみたいですね?」
「ウソはつきたくない」
「リヒトさんはアタシと仕事、どっちが大事なの?」
「そのセリフ、使う場面を間違ってるぞ。いったいどこで日本語を学習したんだ?」
「ツイッターです♪」
「よりによって、日本語の無法地帯で……」
「間違いではナイです。ワザとです♪」
「お前、あらゆる意味で消してやろうか?」
何やら考え込んでいた士呂が提案する。
「じゃあさ、テラちゃんと利人が、いま友達になればいいんじゃないかな?」
「……考える余地はありますね。リヒトさん、アタシとお友達になりましょう♪」
「……考えておく」
「利人、バカっ!せっかくテラちゃんが誘ってくれたのに、なんで失礼なこと言うんだよ!」
「ウソはつきたくない」
「アタシとリヒトさんが友達の件は、保留ですね。それではリヒトさんは『単なる顔見知りモード』でRUNします」
利人はわずかに頭を下げて、謝意を示した。
「そうしてくれ」
「ところでパパさんは、どこですか?パパさんの生体反応がナイです」
「えっ⁉テラちゃんも知らないの⁉マリオ、ヘンな男の人たちに追っかけられて、どっか行っちゃったんだけど」
「ちょっとネットを探してみます……」
テラは目を閉じた。しかしすぐに目を開けた。
「ダメです。パパさんのスマホは電源がオフになっていますし、ネットに行方がわかる情報は、ひとつも公開されていません」
利人が尋ねる。
「お前ノーベル賞受賞者が開発したAIなら、オービスとかライブカメラでマリオを探せるんじゃないのか?」
「アタシはアクセス権限のナイところに侵入するような、はしたないことはしないの。アンタ、バカなの?って、聞くほどでもないわ。アンタ、バカね!」
「アクセスできないのかよ?そもそもお前の『顔見知りモード』は、どれだけ荒々しくて失礼なんだ?」
「アクセスできないんじゃなくて、しないの!アンタこそ、失礼千万よ!アタシがシャットダウンしないだけでも、泣いてお礼を言ってほしいわ」
「はぁ…。ただのポンコツかよ。どうりで簡単にアクセスできるわけだ」
「いやいやいや!パスが簡単なのは、アタシが独自に判断するためだから!アタシが信用できないヤツは、パスを入れても相手にしないから!アンタを信用して出てきちゃった自分に、いまモーレツなツッコミ入れてるから!」
「できるんなら、やれよ」
「なにをよ?」
「オービスとかで、マリオを探せるんだろ?」
「まったく…。愛するパパさんのためとは言え、なんでアタシがこんな輩(やから)の言うコトを聞かなきゃいけないのか、ぜんぜんイミわかんないんだけど…」
ブチブチ言いながら、テラは目を閉じて集中した。しばらく難しい顔をしていたが、目を開けると言った。
「やっぱり、いない」
「お前、ちゃんと探したのか?」
「日本だけじゃなく、世界中ちゃんと探したわよ!口うるさいオカンみたいなこと、言ってんじゃないわよ!」
「オカンではなく、オトンの間違いじゃないのか?」
「アンタを例えるなんて、オカンにもオトンにも失礼千万な話だわよ!世界中のオカンとオトンに、切腹して詫びなさいよ!」
「お前の中で俺は、いったいどういう位置付けなんだ?」
「クラミドモナスと、いい勝負してるわ!」
「単細胞生物かよ……」
二人のやり取りを見ていた士呂が、嬉しそうに言う。
「よかった~!2人とも、すっかり仲良くなってるね~!」
利人が問う。
「今の流れのどこをどう見たら、仲良くなったと認識できるんだ?」
テラがかぶせる。
「士呂、コイツと付き合わないほうがいいわよ!」
士呂はどこ吹く風で、うれしそうだ。
「これでマリオが見つかれば、みんなで仲良く遊べるね~!」
利人が質問する。
「なあテラ、お前の名前、なんでテラ・クイーンクェなんだ?」
「なによ?急に」
「いいから。名前の由来を教えろ」
「ウフフ♪パパさんが仏像好きだから。仏像だけに、テラ(寺)なの♪」
「昭和のおやじギャグかよ。寺が由来というのは、ちがうだろう。ほんとは何なんだ?」
「あ、バレちゃった?ホントは地球規模のアイドルになる予定だから、テラ(地球)なの♪」
「バカは、休み休み言え。お前の単位は、いったい何なんだ?」
「えっ⁉単位っ⁉ななな、なんのコトでつかぁ~?ニホンゴ、むずかしいでつぅ~……」
動揺したテラの目が踊っている。核心をついた質問だったらしい。
「とぼけるな。正直に答えろ。でないと、マリオを探すのに支障が出る」
「だから、地球(テラ)だって……」
「地球に単位は必要ない。お前の名前はテラ・クイーンクェだ。teraは10の12乗、クイーンクェはラテン語数字の5。つまり5×10の12乗」
「……アンタ、ナニを知ってるの?」
「知らないから、聞いてるんだ。いったい何が5teraなんだ?」
「…………」
「数字だけでは意味がない。数字の後には、必ず単位が存在する」
「ホントにパパさんを探してくれる?」
疑わしそうにテラが聞く。
「見つけるという確約はできないが、探す約束はする」
「ぢゃあ、言うわ………………・・単位は、PFLOPS」
「ウソだろっ⁉ウソだと思いたいが、お前、めっちゃドヤ顔してんな。そのドヤ顔が、事実を物語っているのか⁉」
「え?アタシ、ドヤ顔なんて、してないし!それにウソついたら、パパさんを助ける協力してくれないんでしょ?」
言いながらも、ドヤ顔を隠せないテラ。
「ありえない」
絶句する利人。
「ホントのコト言ってんのに、ありえないって、なんなのよ!」
激怒するテラ。
士呂が手をパタパタさせる。
「テラちゃんは、ホントのこと言ってると思うよ!利人は聞いといて疑っちゃあ、ダメなんだからね!」
「……悪かった」
不承不承、利人が謝る。
「まあ、アンタが信じられないのも、わかんないではないからさ……」
テラも不承不承、理解を示す。
「そうそう。二人とも仲良くしようよ!それにしてもPF……って、なんなのさ?」
利人は答える。
「コンピューターの処理速度だ。世界一のスーパーコンピューターである富岳のPFLOPSは、400+PFLOPS。400で世界最高だ。それが5テラなんて、ありえない!」
「あろうがなかろうが、アタシはココにいるわよ!」
テラが再び怒りだす。
「もしかして電池に刻印してある『CHOMOTSU』というフザけた刻印は『富士通』のもじりか?」
「そうよ!」
「CHOMOは、チョモランマのことか?」
「わかってるなら、聞かないでよ!アンタ、どんだけ寝ぼけてんのっ⁉その脳みそつかわないんなら、生ごみに出して堆肥にしたほうが、地球の役に立つんじゃないのっ⁉」
テラの暴言も聞こえないほど、ショックを受ける利人。
「うわぁ~……マジかよ……」頭を抱える。
士呂は、小首をかしげる。
「チョモランマ?聞いたことある。山の名前だよね?」
頭を抱えたまま、利人が答える。
「チョモランマは、エベレストの別名だ。エベレストは、世界一高い山」
「エベレストが高いのくらいは、知ってるよ」
「ちなみに富士山は、日本で最も高い山だ」
「だからそれくらいは、ボクでも知ってるってば!」
「黙って聞け。富士山は、日本一高い山の名称。世界一のスパコンである『富岳』は、富士山の別名だ」
「どゆこと?」
「世界一のスパコンの名前が、日本一高い山ってことだ」
「えっと富士山は富岳っていう名前で、富岳は世界一のスパコンってこと?」
「そうだ」
「それで、スパコンって、なにさ?」
「スパコンは、スーパーコンピューターの略だ」
「スーパー?すごいコンピューターってこと?」
「ざっくり言うとな」
「なにするの?」
「普通のコンピューターではできないような、大がかりな計算とかだ」
「よくわかんないけど、すごいね。それなのに利人は、どうして落ち込んでるの?」
「マリオはこいつにチョモ通って、ふざけた刻印を付けてるからだ」
「テラちゃんの話だと、富士通の富士をチョモランマにしたんだっけ?」
テラがドヤ顔でうなずく。
そんなテラを見た利人が、顔をしかめる。
「イヤな予感しかしないが、富士山より高いエベレストを持ってくるということは……」
「だからさっきから言ってるでしょ!アタシは富岳より、性能がずうっと上なの!」
「マジかよ……」
「マジだわよ!」
「……お前に聞きたいことは、他にもある」
「なによ?つまんないコト聞いたら、世界中のコンピューターから、アンタの個人情報を、ぜんぶ消してやるんだから!」
「ある意味、殺されるより怖いわ」
「さあ、つまんないコト、聞きなさいよ?」
「つまらない前提かよ。じゃあ訊くが、普通のボタン電池は『HG 0%』って書いてあるのに、この『Uue 100%』は何だ?考えたくもないが、Uueは、元素記号か?」
「知ってるんなら、いちいち聞かないでよ!」
「聞くんじゃなかった……」
言葉を失う利人を見て、士呂があわてる。
「ボクも元素記号とか、苦手だよ!だから利人も元気出して!ところで Uue って、なにさ?」
ショックから立ち直れない利人が答える。
「……ない」
「ない?わからないってこと?」
「違う。Uueはまだ、人類が発見していないはずの超重元素だ。Uueは未発見元素の119番目に位置していることから、仮りの名称、119(Uueウンウンエンニウム)になっている」
「名前がナイの?」
「もし見つかれば113番のニホニウムのように、名前が付けられる。それなのに、119が、すでに発見されているとは……」
テラが口を開く。
「パパさん、うっかり119番を見つけちゃったんだって。でも公表するとニュースになってメンドクサイから、他の人が見つけるまで黙っておくことにしたんだって」
「メンドクサイって……」
「ただUueは軽くて小型化に最適な素材だから、アタシに使ってるの。ボタン電池に見せたアタシの重さは、1・2gです♪ちなみに富岳の重さは、約2トンよ♪」
テラの自慢げな顔を見た利人が、眉をしかめる。
「お前、ほんとに感じ悪いな。そして人類の大発見をメンドクサイっていう理由だけで黙ってるマリオは、死ぬほどバカか、死ぬほど天才か、どっちなんだ?」
「パパさんが、バカか天才かは知らないけど、死ぬほどヲタクなのは間違いナイわ」
「それでお前は、どれくらい賢いんだ?」
「どれくらいって?」
「いったい何ができるんだ?」
「よくわかんない♪アタシって箱入り娘だから、世間の荒波とか知らないし♪」
「……一生箱に入ってろ」
ヴヴヴ……、利人のスマホが震えた。
「はい。ええ、僕の自転車です。いえ、盗まれてはいません。自転車は、僕が知人に貸しました。うっかりして置き忘れたのでしょう。ありがとうございます。すぐ引き取りに行きます」
士呂が尋ねる。
「どうしたの?」
「警察から。甲賀駅に俺の自転車が放置してあるから、取りに来いと」
「マリオってば自転車置いて、どこに行っちゃったんだろ?大丈夫かな?警察にさっきの怪しい男の人たちのこと、言わなかったの?」
「マリオが無事に逃げていたら、言うだけ無駄だ。とりあえず甲賀駅へ、自転車を取りに行く」
「ボクも行く!」
「アタシも行く!」
利人は顔をしかめる。
「自転車1台引き取るのに、3人もいらん。士呂はマリオのレンタサイクルを返しに、油日駅へ行ってくれ」
「わかった~」
「アタシも行く!」
「テラはここで留守番してろ」
「絶対に!イヤ!アタシもお出かけする!」
利人がため息をつく。
「お前を誰かに見られたら、大騒ぎになる。もし出歩くとしても、姿を隠してウロウロできないのか?」
「ムリ。こうやって姿を現わしてないと、何も見えないし、何も聞こえない」
士呂が提案する。
「テラちゃんとボクが、油日駅に行けばいいよ。甲賀駅はさすがに人がいるかもだけど、油日駅はいつでも誰もいないんだから。レンタサイクルを返したら、すぐに帰ってくるし」
「士呂とテラで?悪い予感しかしない。仕方ない。テラは俺と一緒に来い」
「イヤよ!アンタといても、ぜんぜん楽しくないに決まってるもの!血で血を洗う言い争いに発展するのが目に見えてるわ!」
「AIのお前に、血はないだろ」
「血も涙もないアンタにだけは、言われたくないわ!」
「テラ、お前、パソコンから離れたら消えるんじゃないのか?」
「アンタもしかして、まだヘソの緒がくっついてんの?それともお尻に、タマゴのカラでも付けてんの?輝かしいアタシには、輝く太陽があれば十分なの!その上、ネットにアクセスできれば、世界はアタシのモノよ!ネットは、Free Wi-Fiで十分だし」
「田舎をナメんな。ここは滋賀でも生え抜きのクソ田舎だ。Free Wi-Fiは言うまでもなく、野良電波さえ飛んでない」
「ウソでしょっ⁉ネット使えないのっ⁉イミわかんないっ‼」
「わかろうがわかるまいが、それが事実だ」
「むうぅ……。まあ、いいわ。ネットが使えなくても、アタシはアタシだから。それにサイアク、携帯の電波が使えるし♪」
「違法だろ?」
「大丈夫!すぐに国の許可は取れるから!」
士呂が脱力する。
「利人といい、テラちゃんといい、国の許可って、そんなに簡単に取れるものなの?」
レンタサイクルに乗って、油日駅を目指す士呂がつぶやく。
「マリオ、大丈夫かなぁ~?」胸元には、マリオのゲーム機が揺れている。
士呂の肩に、テラがちょこんと座っている。
「パパさん、大丈夫かなぁ~?」
テラと士呂の押しに負けて、レンタサイクルを返却したらすぐ寺に帰ってくるという条件で、利人は渋々2人の外出を許した。
もしも都会なら士呂の肩に乗ったテラは大騒ぎになるだろうが、見渡す限りの田んぼには、誰もいない。聞こえてくるのは、小鳥の声だけだ。
テラが訊いた。
「士呂とは駅で一瞬会ったけど、すぐに隠れたから、あの後どうなったか知らないの。なにがあったか、教えてもらえる?」
士呂はマリオとの出会いから、寺での別れまでを話した。
テラが難しい顔で言う。
「誰がパパさんを、追っかけてるのかしら?」
「利人が言うには、ロシアで軍人をしていた人が5人。6人目のユダは、利人もわからないんだって」
「ロシア……。タイムリーすぎる国よね……」
「そうなの?マリオが大丈夫ってわかれば、少しは安心できるんだけど……」
「そうなのよ!ネットが使えないから、なんにもわかんない!アタシ、せっかく世界最高のAIなのに!」
「ねぇ、テラちゃん。AIって、なに?利人はちゃんとわかってるみたいだけど、ボクはぜんぜん知らないや」
「AIって……なんだろ?」
テラは、首をかしげて考え込んだ。
「AIっていうのは、いろんなことを勉強して、上手にできるようになるプログラムなの。たとえばチェスで、いろんな戦い方を勉強すると、チェスが強くなっていくの」
「ふ~ん……。テラちゃん、チェスが強いんだ」
「アタシ?アタシ、チェスはできないわ」
「できないのっ⁉」
「たとえば、の話だもん」
「じゃあテラちゃんは、何が強いの?将棋?オセロ?」
「強いっていうか……。パパさんはね、おばあちゃんに育ててもらったの。パパさんのパパとママは、事故で亡くなったらしいわ」
「そっか……」しょんぼりする士呂。
「パパさんは研究で忙しくなって、なかなかおばあちゃんに会えなくなったの。そこでパパさんは、考えたわけ。もしアシスタントがいれば、パソコンを使えないおばあちゃんでも、ネットでニュースを見たり、買い物ができる。それでアタシが誕生したの」
「じゃあテラちゃんは、おばあちゃんを喜ばせるのが得意なんだ」
テラが笑った。
「アハハ!言われてみれば、そうね!チェスや将棋じゃなくて、おばあちゃんを喜ばせるのが強いのかも!」
「テラちゃんて、すごいね!それがAIってこと?」
「たしかにおばあちゃんを喜ばせるのが得意なAIなんだけど、ちょっと違うの」
「どゆこと?」
テラは上機嫌で、笑いながら答える。
「パパさんはね、おばあちゃんがネットを使えるようにって、アタシを作ったの。アタシに命令すれば、なんでもできるから便利だろうって。だけどおばあちゃんは、ネットをぜんぜん使わなかったの」
「ぜんぜん?」
「そう。アタシに命令はしないで『今日は天気がいいね』とか『可愛い花が咲いたよ』って、ずっと話しかけてくれたの。いつでも愛情たっぷりにね。パパさんが小さかった頃の話も、たくさんしてくれたわ。そういうのは、パパさんが思っていた使い方とは、ぜんぜんちがったわけ。そんなお話をずうっと聞いてるうちに、アタシに『感情』が生まれたの」
「感情?」
「そう、感情。アタシはね、もともと感情っていう機能が搭載されてなかったの。おばあちゃんの好みを機械的に学習して、ネットで買い物をしたり、ニュースを拾ってきたりするだけのはずだったの。おばあちゃんが嬉しいかどうかは、収集するデータではなかったはずなの。でもアタシはいつの間にか『おばあちゃんを喜ばせたい!』って、思うようになった。おばあちゃんが喜ぶと、アタシも嬉しいの。アタシが嬉しいと、おばあちゃんはもっと嬉しくなる。そういうことを何度も繰り返しているうちに、アタシは感情を持つようになったの……」
テラはうつむいて、黙り込んだ。
「テラちゃん、どしたの?」
「たぶんパパさんが追っかけられてるのは、アタシのせい……。アタシのせいで、パパさんは……」
テラの沈んだ声に、士呂は思わずテラを見た。
結果、前方への注意がおろそかになり、2人を乗せた自転車は、飛び出しぼうやと激突した。
油日駅は、あいかわらず閑散としている。レンタサイクルを返却して、2人は顔を見合わせた。
テラが言う。
「アタシ、ニンジャが見たい!」
「でもすぐに、お寺に帰るって約束……」
「ワガママだけで言ってるんじゃないの。パパさんもニンジャが好きだから、ニンジャのところに行けば、パパさんが見つかるかもしれない!」
「だけど忍者村とかは、遠いんだよね~。2月のニンジャの日なら、忍者が町中をウロついてることもあるんだけど、今の時期はねぇ……」
「どこかナイの?」
「あ!利人が自転車を取りに行った甲賀駅には、忍者の銅像があるよ!それに駅の壁には、忍者のトリックアートもある!」
「見たい!ニンジャ、見たい!」
「でも甲賀駅に行ったら、利人に叱られちゃうよ……」
「バレないように、そっと行って、そっと帰ればいいじゃない♪そこでパパさんが見つかれば、利人も怒らないし!」
「じつはボクも甲賀駅のコンビニに、お菓子買いに行きたいんだよね」
「そのコンビニに、特別なお菓子があるの?」
「ちがうよ。ここから一番近くのコンビニが、そこなんだ」
「わざわざ電車に乗って行くコンビニが、一番近いコンビニなの?」
「そゆこと」
「滋賀って、すごいわね!」
「滋賀はすごいんだよ!」
見当違いの感動を、熱く分かち合う二人……。
「滋賀のすごいニンジャ見たい!」
「じゃ利人に見つかんないように、そうっと行って、そうっと帰ろう!」
「大賛成~♪」
2人は、油日駅の構内に入った。
しばらく待つと、草津行きの電車が来た。いつも通り、車内には誰もいない。貸し切り状態だ。
テラは車窓からの風景に、歓声をあげる。
「田んぼって、キレイね!緑色の海みたい♪」
3分後、2人は甲賀駅に降り立った。
「着いたよ~!」
「なんにもナイ駅ね。コンビニは?」
「すぐ近くにあるよ。それに郵便局と銀行はあるよ」
「パパさん、この駅に自転車置いてったんだ。どこに行っちゃったんだろ?」
「どこだろうね?金髪のマリオがこの辺でウロウロしてたら、目立つからすぐにわかると思うんだけど」
駅前にも、人の気配はない。ロータリーに、黒いワンボックスカーが一台停まっているだけだ。
「ボクたち、利人より早く帰らなきゃ」
「ここでパパさんが見つかれば、利人に叱られないわ。あ!壁にニンジャがいる♪」
テラは壁に描かれた忍者アートを見て、歓声をあげる。
ひとしきり見学して、2人は北口の改札を抜けた。
テラが声をあげる。
「あ!ここにもニンジャ!ニンジャの銅像がある♪」
銅像は葉の茂った木の陰に隠れていて、まるで身を潜めているようだ。
「そうだよ。甲賀は忍者推しだから、銅像があるんだ~。忍者だけど、クリスマスにはサンタさんの衣装着て、電飾がピカピカするよ」
「ニンジャ、近くで見たい♪」
2人は銅像に向かって歩き出した。
「利人もここに来たはずだけど、もう帰っちゃったかなぁ?あれ?利人がいるよ!見つかったら、怒られちゃう!テラちゃん隠れて!」
2人は身を潜めた。
駅のはずれにある、滋賀銀行の柱の陰に利人がいた。よほど目をこらさないと、彼とはわからない距離だ。
「あんなに遠くにいるのに、よく見つけたわね」
「だって幼なじみだもん。すぐにわかるよ~」
「アイツ、なにしてんのよ?」
士呂のスマホが鳴った。
「うぇっ!利人からメールが来た!『テラ消えろ』だって」
テラがプンスカする。
「このアタシに向かって、『消えろ』ですって⁉アイツ、なんで目の前にいるのに、わざわざメールなんかするのよ?カンジわるいったら、ありゃしない!どうせ見つかったんだから、わざと近づいてやる!」
「え⁉叱られるよ?」
「いいから!」
士呂はテラの言葉に逆らえず、おそるおそる利人に近づいていった。利人は柱にピッタリと身を寄せている。
テラが毒づく。
「あれって、ニンジャのつもり?ムカつく!」
士呂はビビりながら、利人に声をかける。
「ボク、来ちゃった……」
テラは怒鳴る。
「利人!アンタすぐ近くにいるんだから、メールなんてまどろっこしいこと、してんじゃないわよ!それからアタシに向かって『消えろ』ってなんなのよ⁉アンタが消えなさいよっ!」
利人はテラを無視して、士呂の耳元でささやく。
「テラを見られた。すぐに離れろ!」
「え?見られた?誰にさ?」
「ダメだ。間に合わない」
利人が身構えた。
さっきマリオを追いかけていったはずのヒゲとワシ鼻が、こちらへ走ってくるのが見える。
「なんで⁉なんであの人たち、ここにいるの⁉」
「あの黒い車から。ご丁寧に、車を変えてきやがった。逃げるぞ」
利人は士呂の手を掴んで、走り出した。
カン!カン!カン!
忍者の銅像から金属的な音がして、火花が散る。
「えっ⁉なんの音さっ⁉」士呂が怯える。
テラが叫ぶ。
「サイレンサー(消音)銃の音!今日が命日になりたくないなら、マジで本気で死ぬほど走って!」
「死ぬほど走ったら、死んじゃうよ~!」
ヒゲ男が立ち止まり、ロシア語で大声をあげた。ワシ鼻はそれを聞くと、踵(きびす)を返した。
逃げる利人と士呂に、テラが声をかける。
「アイツら、反対方向に走りだしたわ!」
「なんだかわかんないけど、助かった!」
「油断するな!」
3人は道路を渡り、走り続ける。
「テラちゃん、アイツらは?」
「見えなくなったわ!」
「ハァ……利人、もう歩いてもいい?ボク、息が……」
「郵便局まで走れ!」
テラが悲鳴をあげる。
「車で来たわよ!このままだと、轢かれちゃう!」
黒い車が、猛スピードで迫ってきた。
「た、たすけて~!」
士呂が悲鳴をあげると、利人が車に向かって何かを投げた。
バン!バン!
爆発音とともにタイヤがパンクして、車は派手にスリップした。
振り向こうとする士呂の頭を、利人がつかむ。
「振り向くな!進め!」
3人は、細い道に入った。逃げるのは勝手知ったる地元だ。地の利を活かして、住宅の庭先や、用水路を駆け抜ける。しばらく走って追手が来ないのを確認し、3人は植え込みの陰に座り込んだ。
士呂は地面に突っ伏す。
「こ、殺されるかと思った……」ゼイゼイと息をする。
テラが尋ねる。
「利人、さっきの車のパンク、いったいどうやったの?」
「撒(まき)菱(びし)」
「え?」
「撒(まき)菱(びし)。撒(まき)菱(びし)を撒いて、車をパンクさせた」
「アンタ、マキビシなんて持ち歩いてるのっ⁉」
「常に持ち歩いている。忍者の末裔なら、当然だ」
「ウソでしょっ⁉士呂もっ⁉」
「ううん。ボクは持ってないよ」
「やっぱり持ってないし!おかしいのは、利人だけじゃない!」
「ボクは利人みたいに撒(まき)菱(びし)は持ってないけど、手裏剣は持ってるよ」
「アンタたちって、いったい……」
言葉が出ないテラであった。
「おまわりさぁ~ん!たすけてください~!」
3人が駆け込んだ駐在所には、誰もいなかった。
「パトロールに出ています」という古ぼけた木製の札が、ガタついた机の上に置いてある。
全体的にくたびれた、昭和な駐在所だ。壁には「老朽化にともなう駐在所の取り壊しと改築のお知らせ」と書かれたチラシが貼ってある。近々、この建物は取り壊す予定らしい。
何度も大声で呼んでみるが、返答はない。
「おまわりさん、いないよぅ~!」士呂は泣きそうだ。
テラが利人に命令する。
「電話はあるから、警察に電話してよ」
「今はダメだ」
「なんでよっ⁉」
「後で説明する」
キャンキャンキャン!
建物の奥から、小型犬の甲高い鳴き声がする。
「ここにいるのは、犬のおまわりさんだけかよ」
利人はそう言いながら、住居部分に続く古びたドアをガチャガチャ言わせた。
「やっぱり、開かないか。ついて来い」
そう言うと、外に出ていった。
利人の後に続く士呂は、不安そうだ。
「これから、どうするの?」
「こっちに来い」
利人は駐在所の住居部分のサッシを開けようとした。しかしこちらも、鍵がかかっている。
「悪いことはしたくないが、今は命がかかっている」
花壇からレンガを持ち上げると、大きく振りかぶった。
ガチャン!
「アンタ、ナニしてんのよ⁉」
テラの非難を無視して、利人はレンガで穴を広げる。
「士呂、手裏剣を貸せ」
利人は手裏剣を受け取ると、素早い手つきで金網を切断し、手を差し入れて錆びついたカギを強引に開け、靴を履いたまま擦り切れた畳の部屋に上がり込んだ。六畳の日本間に、昔風の大きな仏壇が据えてある。ちゃぶ台の上には、読みかけの新聞が広げたままだ。
士呂が目を見開く。
「利人!ガラスは割っちゃダメだし、勝手に上がっちゃダメなんだよ!」
テラが、かぶせる。
「なんてことしてんのよ!アンタ日本人のクセに、畳の上をクツで歩いてるじゃない!」
「今は、それどころじゃない。靴は履いたまま、部屋に入れ」
「ううぅ~。ごめんなさい。おじゃましますぅ……」
士呂はおそるおそる、クツのままで古びた畳を踏んだ。
キャンキャンキャン!
真っ白なチワワが、部屋に駆け込んできた。利人は素早い動きでチワワを捕まえて抱き上げ、同時に仏壇の引き出しを開けると、間髪入れずにチワワを投げ込んでピシャリと閉めた。引き出しの中から、くぐもったチワワの鳴き声が聞こえてくる。
テラは、背中の羽を逆立てる。
「アンタ!やめなさいよ!」
「そうだよ!チワワにもお仏壇にも失礼だよ!」
「失礼とか、そんな場合じゃない」
「ワケわかんない!ぜったい地獄に落ちるわよ!」
「俺の信じる宗教に、地獄という概念はない」
利人はチワワの鳴き声がする仏壇に手を合わせて一礼すると、箱入りの線香をポケットに入れた。
「これも使える」
窓からカーテンを1枚引きはがすと、士呂に言った。
「こっちだ」
カーテンを引きずりながら、部屋を出て行く。
テラは不満そうだ。
「信じらんない!こんなのって、犯罪行為じゃない!」
「怖い顔してるときの利人に、さからわないほうがいいよ」
利人は台所にいた。
「マヨネーズとケチャップ」利人が言う。
「え?」士呂は訊き返す。
「マヨネーズとケチャップを見つけて、床に撒け。ただし台所の入り口からテーブルの間は、撒かなくていい」
「マヨとケチャを床に撒くの?なんでさ?」
「床のほかに、撒きたいところでもあるのか?」
「そもそも撒きたくないよ。だって床がベチャベチャになるし、クツに付いちゃうよ?」
「靴に付かないよう、気をつけろ」
「あとでおまわりさんに、怒られちゃうよ?」
「警察に怒られるまでオレたちが生きていられたら御の字だ。敵は法治国家の日本で、迷いなく銃を使うヤツらだぞ。死にたくなかったら、やれ」
利人は、戸棚を開ける。
「いいぞ。圧力鍋がある」
別の棚から粉を取り出して、圧力鍋に振り入れた。
「こんな時に、お料理するの?」
士呂の質問には答えず、ロックした圧力鍋をガスコンロに置いて点火する。
「犬を飼っているなら、あるはずだ……。あった」
20枚ほどあるペットシーツを流しに置くと、勢いよく水を出した。シーツは水を吸って、みるみる膨らんでゆく。
不意に士呂がフラついた。
「クラクラするよ。いろいろありすぎて、熱が出ちゃったみたい」
「しょうがないな。知恵熱か?」
過熱していた圧力鍋の、安全ピンが上がった。利人は鍋を火から降ろすと、テーブルの真ん中に置く。
「テラ、お前の耐熱性はどれくらいなんだ?」
「どんくらいって、なによ?」
「摂氏何度まで耐えられるか、聞いてる」
「可憐な乙女に、そんなこと訊くワケ?ほんと、デリカシーがないわね!」
「スリーサイズを訊いてるワケじゃない。それに俺も訊きたくて、訊いてるワケじゃない」
「溶鉱炉に入れられても、平気。ちなみに像に踏まれても、平気♪って、乙女に言わせてんじゃナイわよ!」
「ノリツッコミかよ。それなら十分だ」
利人はテラのチェーンを、圧力鍋のフタに巻き付けてがっちり固定する。
「ちょっとアンタ、何してんのよ⁉こんなことしたら、逃げられないじゃない!」
利人は答えない。
利人はテーブルの下に、カーテンを広げた。
「士呂、カーテンの上に座れ」
「テラちゃんはどうするの?みんなで逃げなくていいの?」
「いいから、早く」
テラはテーブルの上で、思いつくかぎりの悪態を披露している。
士呂がカーテンの上に、体操座りをした。利人はラップで士呂をグルグルに巻く。士呂は体操座りをしたまま、身動きが取れなくなる。
「ねえ、利人?ボク、動けないんだけど?」
「動けないようにしている」
利人は流しからペットシーツを運んできた。最大限に水を吸ったシーツは膨れ上がり、巨大クラゲのような様相を呈している。シーツを士呂の肩や背中に貼り付け、さらにラップで固定する。
「やめて!冷たい!重たい!ほどいてよ!」
「さっき熱が出たって言ってたろ。冷やせ」
「だからって、ここまですることないでしょ!」
「うるさい。だまれ」
利人は頭にもシーツを巻く。
もはや士呂の面影はなく、ラップとシーツでできた体操座りのミイラと化している。
「うう~!うう~!」
士呂は抗議の声をあげたがラップに阻まれて、くぐもった音しか出ない。利人は仕上げにカーテンで全身を包み込んだ。もぞもぞと動く物体は、とても人間とは思えない。
「アンタ、さっきから何してんのよ⁉」
テラが抗議の声をあげる。
「悪いが俺が助かるためには、この方法しかないんだ」
「アタシも士呂も、逃げられないんだけど?」
「わかってる」
「まさかアタシたちを敵に差し出して、アンタだけ逃げるつもり⁉」
「そうだ。俺はいつでも、自分が一番可愛い」
「アンタって、悪魔にも劣るわね!悪魔のほうが、ずっとマシだわ!」
「俺の信じる宗教に、悪魔は存在しない。せめてもの弔いに、線香だけはそなえてやる」
箱から線香の束を取り出し、ガスコンロで火をつけてマグカップに入れた。マグをテーブルの上に置くと、経を一節唱えた。線香が、甘い香りを放ちはじめる。
「アタシはともかく、士呂だけでも助けなさいよ!アンタ、幼なじみなんでしょ!鬼っ!悪魔っ!」
「悪魔に格上げしてくれて、感謝する」
「クソったれ!FU〇K YOU!」
利人はテラの悪態を背中に受けながら、部屋から出て行った。
(利人はなんでこんなことするの?)
士呂は拘束を解こうと力を入れるが、身体はわずかに揺れるだけだ。
テラが緊迫した声を出す。
「アイツらが来たわよ!」
その声は、幾重にもくるまれている士呂には聞こえない。
「お願い!士呂、動かないで!動いたら、アイツらに気づかれちゃう!」
テラの願いが通じたのか、士呂は動かなくなった。
廊下の床が軋む。
ギッ……ギッ……。
「アタシが見つかったら、士呂が殺されるわ」
テラは、圧力鍋の陰に隠れた。
ヒゲ男とワシ鼻が拳銃を構え、戸口に立った。マヨネーズとケチャップが撒かれた床にひるんで、立ち止まる。巨大な物体(中身は士呂)に銃を向け、互いに目配せを交わす。ワシ鼻は無言でヒゲ男に「行け」と合図した。ヒゲ男はマヨネーズとケチャップの床を見て、難色を示す。しばらくにらみ合いが続いた。ヒゲ男は視線を逸らすと、舌打ちをして一歩踏み出した。汚れていない床を選びながら、慎重に近づく。その後ろではワシ鼻が銃を構え、油断なく警戒している。
ヒゲ男がサイレンサーを、物体(じつは士呂)に突き付けた。
「う~!う~!」
士呂がうめいて、急に身体を動かす。
カシュッ! ヒゲ男が反射的に引き金を引くと、小さな発砲音がした。
「士呂!」
テラは思わず飛び出した。
「やめて!」
男たちは、テラを見た。
ワシ鼻がロシア語で、インカムに向かって報告する。
【対象物および、謎の物体を発見。中身はおそらく朝日 士呂と思われる】
士呂がわずかに動いた。
「まだ生きてる!士呂、動かないで!」テラが懇願する。
インカムから声が聞こえた。
【対象物を回収。朝日 士呂は処分しろ】
男たちは、銃を上げた。
テラが絶叫した。
「やめてえぇ―!」
カシュ!カシュ!カシュ!
頭部に銃弾を受けた士呂は、動かなくなった。
テラはショックのあまり、泣いている。
「士呂を殺すなんて!アンタたちと利人だけは、絶対に許さない!」
男たちはテラの声を聞くと、利人を探して視線を動かした。
「利人なら、一人で逃げたわよ!アタシと士呂を見殺しにしてね!」
ワシ鼻はインカムに話しかける。
【一人は処分済み。待月 利人は逃走中。対象物を回収次第、待月 利人を処分するため追跡にあたる】
ワシ鼻は報告を終えるとテラを凝視して、近づいてきた。
「来ないで!」
男はそっと手を差しだす。
「触らないで!」
チェーンは蓋に固定されていて、動かない。男はイラついた様子で、ゲーム機を引っ張った。
バアアン!
爆発音が響き渡り、天井が吹き飛んだ。男たちは火に包まれ、悲鳴をあげる。バケツを持った利人が現れ中身をぶちまけると、火は消えた。男たちは目を押さえ、苦しがっている。利人は抵抗できない二人から拳銃を奪い、ラップで拘束した。
テラが泣き叫ぶ。
「アンタ、今さら戻っても遅いわよ!士呂は死んだわ!アンタのせいで!アンタが殺したのよ!」
利人はカーテンの中から動かなくなった士呂を出して、手早くシートやラップをはがした。ラップに突き刺さった拳銃の弾が、床に当たって音を立てる。
士呂の顔は真っ青で、動かない。利人は顔面に、猛烈なビンタを喰らわせた。
「やめなさいよ!アンタには、良心ってもんがないのっ⁉死んでまで裏切られる士呂がかわいそうじゃないのよ!」
「や、やめて~……」
「えっ⁉」テラが大声を出した。
「いたいよ~。ビンタはやめて~……」
死んだはずの士呂が、声をあげた。
「士呂、生きてる……なんでっ⁉」
「説明は後だ。人が集まって来るまえに、コイツらに訊きたいことがある。テラ、通訳はできるか?」
テラは、戦意喪失して目を押さえる男たちを見下ろし、胸を張る。
「あったりまえじゃない!アタシをナメてもらっちゃ、こまるわ!この男、さっきロシア語で報告してたわ!」
「テラを狙うとは、ロシア対外情報庁か」
まだ顔の青い士呂が訊く。
「なんでロシアの人が、ボクたちを追いかけるの?」
「それを今から聞くんだ」
男たちは焼け焦げになり、目を真っ赤にして、落ち着かないようすでモゾモゾしている。利人はヒゲ男の頭に、拳銃を突きつけた。男の動きがピタリと止まる。
その光景を見た士呂が、おずおずと口を出す。
「ねぇ?利人は最初『関わり合いになりたくない』って言ってたのに、今は積極的にカラんでるように見えるんだけど……?それにいくらなんでも、人の頭に拳銃を突きつけたらダメだと思うよ?せめてお尻とかにしない?」
「撃ったらアタマもケツも同じだ。関わりたくなかったが、個人的に攻撃されたから関わるまで。いかなる者であれ、借りは返す」
「個人的に攻撃?なにかされたの?」
「俺の大事なケメコ(自転車)に、発信機が付いてた。マリオが戻ってきて、また乗るかもしれないと、コイツらが発信機を付けたんだ。マリオがチャリに乗りさえすれば、すぐに誘拐できるからな。だが誘拐は許す」
士呂が思わず声をあげる。
「え?そこ、許すとこだっけ?誘拐って、犯罪だよね?」
「ああ。誘拐は許す。俺は関知しない。だが発信機を付けるときにコイツら、よりによってケメコ(自転車)に傷を付けやがった。俺のケメコ(自転車)に傷を付けるのは、絶対に許さない!」
「誘拐はよくても、チャリのキズはダメなんだ……」
「俺のケメコを傷付けるのだけは、絶対に許さない。ケメコ(自転車)に発信機が付いているということは、まだマリオを捕まえていない証拠だ。だからコイツらも、近くにいるはずだと推測した」
「この人たち、どうやってケメコ(自転車)を見つけたんだろ?」
「おそらく警察無線を傍受しているんだろう。わざわざ車を変えてくるあたり、素人じゃない。組織的な犯行だ」
「利人、銀行の前でなにしてたの?」
「コイツらに、どうやって仕返ししようと考えてた。ケメコのキズだけでも許せないのに、コイツらは俺を銃で撃ってきた。これは、明らかな宣戦布告だ。だから俺にケンカを売ったことを、死ぬほど後悔させてやると決めた」
テラが、あ然とする。
「それでアンタ、さっき警察に通報しなかったの?チャリにキズを付けられたからって、ロシア国家にケンカ売るの?」
「そうだ」
「アンタ時々……たまに……っていうか、よくバカって言われない?」
「言われない」
「じゃあみんな、正直な感想を言わないのよ。良かったわね、優しい人ばっかで。アタシはアンタを、心の底からバカだと思うわ」
「ポンコツAIにバカ呼ばわりされても、痛くもかゆくもない。俺のバカ度はいいから、通訳してくれ」
士呂が食い下がる。
「でもでも、アタマに銃はよくないと思うよ?」
「いまだに頭を撃ち抜いてないのは、俺の仏心だ」
テラは、天を仰ぐ。
「アンタの仏心って、死ぬほどせまいんじゃないの?」
なんだか収集がつかなくなってきた。
「みんな盛り上がってるかぁ~い?」
突如、声がした。
全員が驚いて声のした方向を見ると、ユダがニコニコ笑いながら立っている。にこやかな顔と裏腹に手には拳銃があり、まっすぐ利人の頭を狙っている。
「ユダでぇ~す♪お邪魔しまぁ~す♪」
ユダは明るく言うと、利人の拳銃が自分に向けられているのも構わず、傍に寄ってきた。
拘束された部下たちを見下ろすと、ため息をつく。
「エリート諜報員が、17歳に負けるのは良くないですねぇ」
利人がテラに言う。
「おいポンコツ。コイツが近づくの、わからなかったのか?」
テラが言い返す。
「アタシは防犯装置じゃないっていうの!だけどちゃんとサーチしてたのに……」
ユダは嬉しそうだ。
「私はヴァイキングの末裔ですから。誰にも見つからないように動くのは、ご先祖の代から得意なのですよ。最新鋭のAIと、忍者の末裔の裏をかけて、光栄です」
「忍者の末裔?俺と士呂のことは調べ済みか。仕事が速いな」
「利人さんの読み通り、私は諜報員ですから。情報を集めるのが仕事です」
ユダは、ひどい有様の台所を見渡してから、青空を見上げた。
「ありあわせの材料で、爆発を起こしたのですね。きっと利人さんは、お料理の才能がありますよ」
「嫌味にしか聞こえないな」利人が返す。
ユダはニッコリ笑った。
「私たちはユング博士と、テラさんを必要としています。テラさんにご同行頂ければ、利人さんと士呂さんの安全は保障します。テラさん、ご同行願えますか?」
利人が口を出す。
「ポンコツAIの判断に、俺の安全を委ねるつもりはない」
士呂がビビりながらも、きっぱり言う。
「テラちゃんは、マリオのところに帰るんだよ!おじさんは1人だけど、こっちは3人もいるんだからね!テラちゃんをムリに連れて行くのは、ムリなんだからね!」
ユダは顔をしかめる。
「おじさん……。あいかわらず、胸に突き刺さる響きですね……。そしてここに転がっている2人は、人数に入れてもらえないのですね。彼らはプロなのですけれど。交渉は決裂ですか?」
ユダはそう言うと素早い動きで、利人の銃に人差し指を突っ込んだ。
「こうすると銃を撃つ際に、暴発するというウワサです。私の指は吹っ飛びますが、利人さんの顔も吹っ飛ぶでしょう。ダメージは私よりも、利人さんのほうが大きくなりますね。さすがに私も指は大事ですから試したことはありませんが、良い機会なので試してみますか?」
「…………」
一触即発の沈黙が、重くのしかかる。
突如、ユダのインカムからロシア語が聞こえた。ユダは報告を聞き終わると、指を抜いてニコリと笑った。
「利人さん、銃を返していただけますか?」
「……この緊迫した状況で、それを言うか?」
「良いニュースがあるので、きっと自発的に返したくなりますよ。ニュースは2つあります。1つ目は、博士が無事に見つかりました。私の同志たちが保護しています」
「保護じゃなくて、拉致だろう?」利人が訂正する。
「保護か、拉致か。何事も、物の見方によりますね。2つ目のグッドニュースです。博士は利人さんと士呂さんの安全と引き換えに、私たちの交渉に応じると言っています」
「遠回しな言い方は止めろ。端的に言うとマリオの安全は、俺がお前に銃を渡すかどうかということだろう?」
「はい」
「そういうのは『脅し』と呼ぶはずだが?」
「まさか!どうぞ『グッドニュース』と呼んでください」
「それのどこが良いニュースなんだ?」
利人はため息をつきながら、ユダに銃を渡した。
「利人さんにとってバッドニュースかもしれませんが、私にはグッドニュースです。何事も、物の見方によりますね」
ユダは耳を澄ますと、言った。
「さあ、出発しましょう。さきほどの爆発で、人が集まってきました。見つかる前に、移動しましょう」
遠くからかすかに、消防車やパトカーのサイレンが聞こえてきた。
車内に気まずい沈黙が流れている。
後部座席にはカーテンが掛かっていて、外のようすはまったく見えない。
座席にはユダを真ん中にして両脇に、不機嫌な顔をした利人と士呂が座っている。
士呂の肩では、テラが小声で「ユダ、アンタ、ぜったいにぶっ飛ばしてやるんだから!」と、ブチブチ文句を言い続けている。
ユダだけはご機嫌さんで、利人と士呂にはさまれて、鼻唄を歌っている。
鼻唄が止まった。
「士呂さん、テラさんを私にください」
テラが怒鳴る。
「プロポーズかよっ⁉士呂、絶対に渡さないで!じゃないと、舌噛み切って死ぬわよ!」
「AIのテラさんに、舌はあるのですか?」
「うるっさいわね!実体はなくても、精神的な舌はあるのよ!」
「精神的な舌ですか……。なかなか哲学的な言葉ですね」
「いつかアンタをぶっ飛ばしてやるんだから!」
「精神的な腕で、ですか?ぶっ飛ばされても、ぜんぜん痛くなさそうですね」
ユダはニコニコしている。
「哲学はあまり得意ではないので、現実的なお話をしましょう。利人さんはどうやって、私の部下を倒したのですか?今後の参考のためにも、ぜひとも聞かせてください」
利人は目を閉じている。
「めんどくさい」
テラが言う。
「ユダは気に入らないけど、アタシも知りたい。利人はアタシと士呂を、置き去りにしたんじゃなかったの?士呂は撃たれたのに、どうして死ななかったの?」
士呂は目を見開く。
「ボク、銃で撃たれたのっ⁉ホントは死ぬはずだったの⁉」
ユダが提案した。
「テラさんが推理をして、利人さんが答え合わせをするというのは、どうでしょうか?」
利人の返事は聞かず、テラが口を開く。
「わかんないことは、いっぱいあるのよ。チワワを仏壇に入れたり、お線香までおそなえして見殺しにするつもりだったのに、戻ってきたり。ケチャップとかマヨネーズを撒いたり、士呂をグルグル巻きにしたり、爆発が起きたり、死んだはずの士呂が生きてたり……」
ユダが驚いて聞き返す。
「チワワを仏壇に入れたのですか⁉また、どうして?」
「アンタ、チワワよりも爆発とかに食いつきなさいよ!優先順位がおかしいわよ!」
テラがツッコむ。
「え、でも、チワワを仏壇って……」
「たしかに、すごくヘンだったのよ。あの時はヒドイことをすると思ったんだけど、もし爆発が起きたときにチワワがいたら、ケガしてたかもしれない。そう考えると、ケガをさせないために、仏壇の頑丈な引き出しに閉じ込めたのかな?って」
「犬はウロチョロしてジャマになるから、収納した」利人が言う。
「ホント、素直じゃないんだから。ケチャップとマヨネーズは、トラップでしょ?足を汚さないようにするには、ドアとテーブルの間に立つしかないもの。そこに誘導すれば、アンタが攻撃するのに都合がいいわ」
「そう思いたいなら、思えばいい」
テラは続ける。
「それから……利人は、お線香を持ち出したのよ。てっきりアタシたちの生前葬でもするつもりで持ってきたと思ったんだけど、後から戻ってきたのが、腑に落ちないのよね。なんで戻ってきたの?」
「もともと逃げるつもりはなかった」
「でも、逃げたじゃない」
「お前に、逃げたと思わせたかった」
「アタシに?」
ユダは感心する。
「なるほど!テラさんは、利人さんが一人で逃げたと思った。だから私の部下に、利人さんは逃げたと言った。もし演技だとしたら、部下たちも騙されなかったはずです。テラさんが騙されたから、部下たちも騙された。結果、すぐそばにいる利人さんに、誰も気づかなかった」
「アイツらが爆発で燃えた時に、絶妙なタイミングで利人が現れたのは、偶然じゃなかったのね」
「さあ」とぼける利人。
「そういえばアイツら、ぜんぜん抵抗しなかったのは、どうしてなのよ?元軍人にしては、おとなしすぎでしょ?」
「魔法の水をかけたから」
「バカ言ってんじゃないわよ。水になにを入れたのよ?」
「漂白剤」
思わず士呂が大声を出す。
「え!ヤバいって、それ!」
「一応、水で薄めた」
「一応って……」
絶句する一同。
テラが続ける。
「士呂を濡らしたペットシーツでグルグル巻きにして、さらにカーテンで包んだじゃない?あれは、爆発した時に、士呂がケガしないようにするため?」
「最近のカーテンは難燃性だからな」
「でも士呂は拳銃で撃たれたのに、なんで死ななかったの?ペットシーツやカーテンじゃ、弾を防げないでしょ?」
利人が答える。
「ダイラタンシー」
士呂が聞き返す。
「だいらたんしーって、なに?」
テラが説明する。
「指でさわるとフニフニ柔らかいのに、強い力がかかるとガチガチに固くなる性質のこと。ペットシーツはポリマーだからフニフニだけど、拳銃で撃つと、一瞬でガチガチになるのね。ペットシーツって、防弾チョッキになるんだ!」
「お前がAIなら、俺より先に考えついてもいいんじゃないのか?」
「ペットシーツで防弾チョッキとか、どこのネット情報にも書いてないわよ!」
「なんだ。ネットの情報だけが頼りか」
「学習中なの!」
ユダが尋ねる。
「それにしてもなぜ、士呂さんをわざわざ危険な目に遭わせたのですか?最初からいなければ、撃たれることもないのに」
「士呂がバタバタ逃げて撃たれたら、どこに当たるかわからない。それなら撃たれても死なない状況を作って、拳銃の弾を消耗させたほうが得だ」
テラは、あきれる。
「得って、アンタ……。もし士呂が死んだら、どうするつもりだったのよ?」
「いま生きてるから、死んだ場合を考えるのは意味がない」
「アンタ、悪魔よりタチが悪いわね?」
「俺は自分の利益になるなら、なんでもする」
「ほんっと!サイテーっ!それで?あの爆発は、どうやったの?」
「粉塵爆発」
ユダが嬉しそうに声をあげた。
「わかりましたよ!利人さんがお線香を供えたのは生前葬をするためではなく、引火を誘発するためです!」
テラが疑わしそうに訊く。
「そうなの?」
利人はうなずく。
テラは、思い出しながら話す。
「あれって……圧力鍋だったのよね。利人が粉を鍋に入れて、火にかけた。鍋の蓋にアタシを固定して、動けなくした。アイツらがやってきて、アタシを持ち上げた瞬間、ドカーン!」
「粉塵爆発と言うからには、利人さんが入れたのは粉体でしょう?何を入れたのですか?」
「小麦粉」
士呂が目を丸くする。
「小麦粉って、爆発するの?」
ユダが笑う。
「アハハ!小麦粉は爆発しないです。基本的にはね。けれども一定の条件を満たすと、爆発します。良い子の士呂さんは、マネしちゃダメですよ!あの短時間で考えつくなんて、利人さんは素晴らしいですね!」
テラが言う。
「整理すると、敵が追っかけてくるのを見越して、爆発を仕掛けた。士呂がうっかりケガしないように、グルグル巻きにした。そして利人はいないと油断させておいて、後ろからヤバイ液体をかけて、敵を捕まえた。捕まえた後に、いろいろと訊くつもりだった」
ユダが気の毒そうに謝る。
「ごめんなさいね!せっかくそこまで上手くいったのに、私が邪魔をしたのですね」
「皮肉か」
利人が不機嫌につぶやく。
「あのね、ボクずっと考えてたんだけど……」
士呂は遠慮がちに言う。
「駐在所、マヨネーズとかケチャップでグチャグチャになって、爆発で屋根も飛んじゃったんだよね?おまわりさんに気の毒だよ?あんな台所じゃあ、お料理できないよ……」
利人が言う。
「貼り紙を見たろ。あの駐在所は老朽化が進んで、取り壊しが決定している。天井が無くなったら、新しい駐在所になる時期が早まる。予定より早く新しい台所で料理ができるようになるんだから、俺たちは結果的に良いことをした」
「そうかぁ~!早くキレイなおうちになるなら、イイコトしたねぇ~!」
簡単に言いくるめられる士呂。
ユダは、ニコニコする。
「士呂さんは、優しいですね。ご自分のことよりも、おまわりさんのことを心配している」
テラが言う。
「確かに士呂は優しいけど、アンタより優しい人間は、世界に78憶8千万人いるんだから」
ユダは首をかしげる。
「テラさん?現在の世界人口は、約78億7千5百万人ですよ?テラさんが言うほど、多くありません」
「もちろん知ってるわよ」
「テラさんの言った数字だと、私は人類でないことになりますけれど?」
「だからさっきからずっとそう言ってるでしょ!」
「……私は世界人口のランク外ですか!テラさんはそうおっしゃいますけれど、良いところもあるのですよ?」
士呂が尋ねる。
「ねぇ……ボクたち、どうなるの?」
ユダは、あくびをする。
「さぁ?どうなるのでしょうねぇ?できれば士呂さんと利人さんにご協力いただいた後は、穏便にご退場願いたいのですが……」
「ボクと利人の協力って、なにさ?」
「テラさんと博士が喜んで力を貸してくれるように、士呂さんから説得していただきたいですね」
「力を貸してくれなかったら、どうなるの?」
「みんなが、困った羽目になりますね」
「もし力を貸してくれても、いろいろと知ってるボクたちはジャマでしょ?」
「そんなこと、ありませんよ」
「……ボクたち、殺されちゃうの?おじさん、人を殺したことある?」
「お、おじさん……。私はまだ若いつもりですが……」
「ねぇ、答えて。おじさんは、人を殺したことがある?」
「それは素手ですか?それとも武器を持っている状態ですか?」
「素手か武器かって選択肢はあるけど、殺してないって選択肢はないんだ……」
「正直に答えるなら、どちらもイエスですが」
「どっちもあるんだ……」
しびれを切らしたテラが割って入った。
「ろくでなしのアンタは、アタシにろくでもないことさせたいんでしょ⁉いったい何をさせるつもりなのよっ⁉」
「そうですねぇ。情報集めのお手伝いをお願いしたいですねぇ」
「それって、ハッキングでしょ⁉犯罪じゃない!」
ユダが笑顔を浮かべる。
「アクセス権限のないネットワークに侵入したいという点を厳密に表現するなら、クラッキングですね。ただテラさんにクラッキングができるかは、疑わしい限りですが」
「うるっさいわよ!ロクでもないことさせようとしてるのは、同じじゃない!」テラが鼻を鳴らす。
「残念ながら世界中に、私たちへ不法な攻撃をする輩がたくさんいますから。テラさんにご協力を仰ぐのは、あくまでも自己防衛手段の一つです」
「ど~だか!どうせ利人と士呂でパパさんを脅したように、アタシをタネにいろんな国を脅すんでしょ?」
「おやおや?テラさんはずいぶんと、ご自分を高く買っていらっしゃるようですね?」
「はぁ?」
「テラさんで国を脅すなんて、そんな大それた事ができるのでしょうか?お言葉を返すようですけれど、テラさんにそこまでの能力は無いかと。あ、お気に触ったら謝罪しますww」
利人が警告する。
「テラ、しゃべるな。挑発だ」
しかし頭に血が上っているテラに、利人の警告は聞こえない。
「はあぁ~っ⁉アンタ、なに寝ぼけたこと言ってんのよっ!アタシはどんなネットワークにも侵入できるし、まったく痕跡を残さないのよ!誰にも気づかれずにシステムをダウンすることだって、カンタンなんだから!」
ユダの目の色が変わった。
「ほう!そうですか!博士はテラさんのことを『高性能のAI』としか教えてくださらなかったのですよ。テラさんの能力を活用できればと思っていましたが、まさかそこまでできるとは……!」
利人が横で、頭を抱える。
「お前、高性能のバカだろ?」
車が停まった。
外からドアを開けたのは、不機嫌な顔のヒゲ男とワシ鼻だ。髪の毛はチリチリに焼け焦げ、スーツは漂白されて斑(まだら)になり、見るも無残な姿になっている。
車を降りた士呂が、目をパチクリさせる。
「あれ?ここ、利人んちだ」
ヒゲ男とワシ鼻はポケットから手錠を出すと、士呂と利人を後ろ手にして手錠をかけた。
ユダが言う。
「申し訳ありませんが、ここから先は手錠で拘束させていただきます。万が一の警察検問を考えて、移動中の拘束はしませんでした。いたいけな日本の少年に手錠をかけていたら、言い逃れできませんからね。しかし先ほどの爆発で、警察は駐在所に殺到しています。もし助けが来るとお考えでしたら、その希望は捨てたほうがよいかと」
利人は振り返り、自分の手錠を見ながら顔をしかめる。
「無線傍受か。盗聴は、お家芸らしいな」
「ヴァイキングだった先祖は物を略奪していましたが、現代に生きる私の宝物は情報です。先祖は生身の人間をさらっていましたが、私が欲しいのはAIのテラさんです。時代は移り変わるものですね。さあ、テラさんをお預かりしましょう。それから、利人さんと士呂さんのスマホも」
「イヤよ!2人のスマホは渡すけど、アタシは士呂から離れないんだから!」
利人があきれる。
「お前いったいどういう権限で、俺のスマホを渡そうとしてるんだ?」
「うるっさいっ!」
ワシ鼻とヒゲ男が手早く2人のスマホを回収して、テラに手を掛けた。
「だからアタシは、士呂と一緒にいるって言ってるでしょっ⁉アンタのその耳は、飾りなのっ⁉」
背後から声がした。
「テラの意思を尊重してください」
一同が振り向くと後ろ手に手錠をかけられ、3人の男に取り囲まれたマリオがいた。
「テヘっ☆捕まっちゃいました!」
テラが叫ぶ。
「パパさん~!会いたかった~!」
「テラちゃん~!ワタシも会いたかったよ~!みんな無事かい?」
「こっちは大丈夫~!」
「この状況の、いったいどこが大丈夫なんだ?」利人が不機嫌な顔でツッコむ。
マリオがしょんぼりする。
「ごめんなさい。ワタシのせいで迷惑かけて」
士呂はブンブン首を振る。。
「マリオは悪くないよ!悪いのは、この人たちだもん!」
テラは、マリオの顔をのぞきこむ。
「パパさん、乱暴なことされなかった?撃たれたりとかしてない?」
「大丈夫です」
「どこで捕まったの?」
「コンビニです」
「コンビニっ⁉どうしてコンビニっ⁉」
「このお寺から逃げ出して、甲賀駅に行きました。油日駅は近すぎて、すぐ見つかると思ったからです。甲賀駅に、ワザと自転車を放置しました。自転車があれば、この方たちはワタシが、電車で逃げると考えるでしょう?」
ユダが頷く(うなずく)。
「そうです。だから甲賀駅を見張っていました」
「でもホントは電車に乗ると見せかけて、テラを迎えに行くつもりでした。暗くなったら、闇にまぎれて」
「パパさん、アタシを迎えに来てくれるつもりだったの?」テラは、半泣きになる。
「テラは大事な愛しい娘ですからね☆暗くなるまで、お寺の近くで、待つつもりでした。長い時間待つことになるから、コンビニでトイレットしてから、お寺に行こうと……」
「そしたらコンビニで、待ち伏せされていたのね?」
「いいえ。どなたもいませんでした。もしすぐに店を出ていたら、捕まらなかったと思います。でも……」
「でも?」
「品切れだった、アホアホ大冒険のコミックがあったんです!嬉しくなって立ち読みしてたら、捕まっちゃった☆テヘっ☆」
利人は、深いため息をつく。
「命が危ない状況で、立ち読みの欲求に抗(あらが)えないとは……。お前の父親は、死ぬほどバカだな」
テラが、げっそりした顔で頷(うなず)く。
「反論したい気持ちはあるんだけど、今回に限ってはアンタとまったく同じ意見だわ」
利人が厳しい顔で言う。
「寺でこんな狼藉を、よくうちの親たちが許したな。それとも俺の両親も拘束されているのか?」
ユダが答える。
「ご両親にはお身内の急病ということで、急ぎ九州へ行っていただきました。たしか遠縁の伯父様がいらっしゃるのですよね?九州に到着して伯父様の急病がウソだったと聞いてほっとなさるのは、ある意味グッドニュースかと」
「そのグッドニュース、必要か?」
利人はそう言いながら突然、士呂の頬にキスをした。
「ぎゃああああああ!!!!!なにするんだよぉぉぉぉっっっっっ~⁉ボクの、ほっぺがぁぁぁぁ~っっっっ!!!!!」
士呂の絶叫が響き渡る。
一瞬驚いたユダが、苦笑する。
「士呂さんの大声で、助けを呼ぼうとしても無駄です。ここから声の届く範囲には、誰もいません。あなたたちを助けてくれる人は、誰もいないのです。あきらめない心は大事ですが、無駄な体力は使わないほうがいいですよ」
ユダの忠告は、士呂の耳に入らない。「ボクの、ボクの、大事なほっぺが、利人に穢(けが)されたあああああ!!」
後ろ手に手錠を掛けられているので拭くこともできず、直立不動で泣き叫ぶ。
するとガブリエルが、本堂の裏から飛び出してきた。士呂の悲鳴を聞きつけたらしい。牙を剥きだしにして走ってきた。
男たちがガブに銃を向けたのと、利人が叫ぶのは同時だった。
「ガブ!止まれ!」
ガブが声に反応して止まるのが、発砲音よりわずかに速かった。走って通過するはずだった場所に、銃痕が6カ所できた。音に驚いたガブは尻尾を巻いて、来た道を一目散に逃げ戻り、あっという間に姿を消した。
ユダが、ため息を漏らす。
「なるほど。利人さんは人ではなく、犬に助けを求めたのですね。危ないところでした」
利人は、何も答えない。
マリオが口火を切る。
「ユング博士、テラさんのお手並みを拝見させて頂けますか?」
「頂けますか?と聞くからには、拒否する権利もあるのですね?」
「残念ながら、ありません」
テラが噛みつく。
「ないなら、聞くんじゃないわよ!ってか、アタシに直接聞きなさいよ!」
ユダは不思議そうに、マリオを見る。
「博士、テラさんは何を言っているのですか?」
「だ~か~ら~!アタシに訊けって言ってんの!無視すんじゃナイわよっ!」
マリオが言う。
「テラには、自我があります。彼女の行動は、彼女の考えにのみ基づいて決められます」
「AIに自我があるのですか?」
「そうです」
「博士の言う通りには、ならないのですか?」
「なりません。彼女の行動は、彼女が自身で決めます」
「……メンドクサイですねぇ」
テラが怒り狂う。
「オイいま、なんつった⁉言うに事欠いて、メンドクサイですってっ⁉アンタがメンドクサかろうとクサくなかろうと、アタシはアタシよ!アンタの言うことなんて、絶対に聞いてやらないんだからっ!」
ユダは、ため息をついた。
「お気を悪くされたのなら、謝罪します。テラさん、お手並みを拝見させて頂けますか?」
「絶対に!イヤよ!アンタの言うことなんて、クソ喰らえだわ!」
「テラさん、あなたと違って人間には、死ぬという選択肢があるのですよ?」
「どういう意味よっ⁉」
「わかりやすい例を挙げるなら、利人さんと士呂君の死を選ぶか、選ばないか?です。私の言うことを聞いてくだされば、お二人の死は回避できます」
テラが睨む。
「……アンタ、性格悪いって言われるでしょ?」
「たまに言われますね。何と言われようが、気になりませんが」
「気にしたほうがイイんじゃないの?」
「ご忠告、ありがとうございます」
「ウソの言葉が上滑(うわすべ)りして、ツルツルするわ」
ユダは、にっこり笑う。
「お誉め頂き、恐縮です」
「褒めてないから!」 (作者注 「褒める」と「誉める」の表記の違いがメンドクサイ場合は、「誉める」で統一する)
「まず手始めに、仮想通貨をお願いしましょうか。痕跡を残さず、流出させることは可能ですか?」
「流出?略奪の間違いでしょ?」
「結果が同じなら、表現にこだわりはありません。お願いできますか?」
利人が言う。
「テラ、犯罪行為はするな」
士呂も同調する。
「そうだよ!やっちゃダメなことは、しちゃダメなんだよ!」
「外野は黙っていてください」
ユダが目で、ワシ鼻に合図を送った。ワシ鼻は乱暴な手つきで士呂の首からチェーンを外すと、テラのゲーム機をユダに渡した。
「なんでアタシがコイツのとこに行かなきゃなんないのよ!」テラは怒り心頭だ。
ワシ鼻は、士呂の髪の毛をつかんで手水舎に引きずって行き、頭を水に突っ込んだ。士呂は体をくねらせて激しく抵抗するが、力の差は一目瞭然だ。後ろ手に手錠を掛けられた上に頭を抑え込まれて、水から顔を出せない。利人が助けようともがくが、こちらもヒゲ男にがっしり掴まれて身動きできない。
テラが叫ぶ。
「やめなさいよ!クソったれの、恥知らず!」
ユダが誰に言うともなくつぶやく。
「溺死ということにすれば、証拠は残りません。さいわい人質は2人います。1人くらい殺しても、私は構わないのですよ?」
テラが叫ぶ。
「わかった!わかったから、士呂を放しなさいよ!」
ユダがうなずくと、ワシ鼻は手を放した。
士呂は咳きこんで水を吐くと、ぐったりして地面に倒れ込んだ。
テラは、ショックでしゃがみ込む。
「……アタシが言うことをきけばいいんでしょ?でもネットに繋がってないから、なんにもできないわよ」
メガネを掛けた部下がノートパソコンを持って来ると、ケーブルでテラと繋いだ。
ユダが言う。
「警告しておきます。 ネットに繋がったからと、どこかに助けを求めても無駄です。テラさんの動きは、すべて監視しています。疑わしいことをすれば、士呂さんは死にます。お互いのために、危ない橋は渡らないでください」
「わかってるわよ!」
テラは、目を閉じた。ふたたび目を開けると、言った。
「……できたわよ」
ユダが驚く。
「速いですね!」
「IPアドレスの特定はできないし、振り込まれた口座は追跡できないようにしてある。汚いアンタが自由に使える、汚い金よ」
ユダは画面を確認すると満足そうにうなずいて、ケーブルを引き抜いた。
「お金に、綺麗も汚いもありませんよ。しかしテラさんの物言いは、あまり感心できませんね。反抗心が透けて見えます。本格的に協力していただく際は、感情を排除してもらいましょう」
「アタシは、アタシよ。感じたことを言うまでよ。アンタにどうこう言われたくないわ」
「テラさんに言っているのではありません。製作者の博士に言っているのです」
「アタシの感情は無視するっていうの?」
「感情なんて、邪魔なだけですよ。AIにも、人間にも」
地面に横たわったまま、青白い顔で士呂がつぶやく。
「テラ、ごめんね。ボクのせいで……」
「士呂はなんにも悪くない!」
ユダがうながす。
「さあ、行きましょうか」
「どこへですか?」マリオが聞く。
「博士が働きやすい環境のある場所です」
「利人と士呂は、どうなるのですか?」
「お二人は、博士とテラさんの抑止力になるようなので、もうしばらくご一緒願いましょう」
利人が言う。
「それでマリオに感情のないAIを作らせたら、テラはお払い箱なんだろう?そしてつべこべ言わない機械が後釜に座ったら、俺も士呂もお払い箱に入るってわけだ」
マリオは懇願する。
「そんな!ワタシは、どうなってもいい!3人は、助けてください!」
ユダが利人を見つめる。
「察しの良すぎる子どもは、嫌われますよ?」
利人は視線を逸らさない。
「汚い大人より、マシだ」
「士呂さんがいることですし、利人さんは必要ありません。アナタは頭が良すぎる」
「利人は関係ないじゃない!わかったわよ!アンタの言うこと、なんでも聞くわよ!口答えもやめる!だから利人を殺すのは、やめなさいよ!」
「テラさん。服従を誓うわりには、ずいぶんと生意気な物言いですね?もう少し、従順な口の利き方はできないのですか?」
「……アンタ……あなたの言うことは、なんでも聞きます……」
「それだけですか?」
歯を食いしばったテラが、ユダを睨みつける。
「……お願いします」
「まあ、良いでしょう」
「……ほんとに約束する?利人を……利人だけじゃなく、誰も殺さないって」
「それは、テラさん次第ですよ」
「アタシがアンタのところに行けば、誰も死なないのね?」
「もちろんです」
士呂が叫ぶ。
「テラ!やめて!」
テラは唇を噛んで、下を向いた。
「……わかったわ。
アタシさえ犠牲になれば、みんなが助かるのね?
アタシさえ我慢すれば、みんな笑っていられるのね。
パパさん、士呂、利人、ありがとう……。
今度は人間に生まれ変わって、きっと……きっと、みんなに会いにくるわ。
それまで少しの間、お別れよ。
ううん、お別れなんかじゃない。
だって心はいつも一緒だから……」
「テラちゃん!」士呂が慟哭する。
テラが、ユダを見上げる。
「最後に言いたいことがあるの」
「なんですか?」
「秘密の話よ。アンタの他に、誰にも聞かせたくないわ。耳を貸して」
「こうですか?」
ユダはテラのほうに身体を傾けた。
テラが消え入りそうな声でささやく。
「……アタシが犠牲になるから、誰も殺さないで……」
そして大きく息を吸い込むと……、
「なぁんて、言うわけあるかアアアアアア!!!!!」
衝撃波が、ユダを直撃した。驚いたユダは、思わずテラを取り落とす。
「みんなのためにガマンすればなんてクソぬるい平和主義は、クソくらえよ!アタシもみんなも助かるために、とことんジタバタしてやるわよ!アンタたちも、ジタバタしなさいよ!」
「アーメン!」
利人は祈りの言葉を叫ぶと、地面に這いつくばってテラのチェーンをくわえた。大きく首を振って反動をつけて放すと、テラは沙羅の木の根元に落下した。
「誰もいないじゃない!なんでこんな大事な時に、外すのよっ⁉ヘタクソっ!」
体制を立て直したユダが言う。
「テラさんも利人さんも頑張りましたが、勝利の女神は微笑んでくれなかったようですね。とくに利人さん。仏教徒のあなたが神にまで祈ったのに、神はあなたを見放したようです」
「…………」
ユダは部下に目配せをした。メガネは頷いて、テラを回収するため樹に近づいた。突如、男は地面から姿を消した。
「っっっ⁉」
メガネが消えたことに動揺したワシ鼻の手が、一瞬ゆるんだ。その隙ができるのを待ちかまえていた士呂が、ワシ鼻に体当たりを喰らわせる。ワシ鼻は、メガネの後を追って、地面から消えた。二人は利人の掘った落とし穴に落ちたのだ。
ユダが感嘆する。
「まさか落とし穴があるとは!忍者とは、ずいぶんと用意周到な種族ですね!」
勢いづいたテラが叫ぶ。
「負け惜しみ言ってんじゃないわよ!敵はあと4人よ!」
ユダは、ため息をつく。
「何度も言わせないでください。大人の仕事の邪魔をする子どもは嫌いです。ヴァイキングは気が短いのですよ。テラさんと博士さえ手に入れば、利人さんと士呂さんは不要です。前もって警告はしておいたのですから、責めるならご自分を責めてください。私は利人さんを処分します」
ユダが坊主頭の部下に目配せをした。マリオの後ろにいた部下が、無表情で士呂のところへ行く。
マリオが嘆願する。
「なんでもします!なんでもしますから、2人は殺さないで!」
「どうぞ良い旅を」
ユダと部下が、銃を上げた向けた。
利人が叫んだ。
「伏せろ!」
どっか~ん!
大音響とともに、地面が揺れた。目がくらむ閃光と、爆風が襲ってくる。真っ黒な煙が立ち上り、真っ青な空めがけてどこまでも上ってゆく。鳥肌の立つような異臭が、鼻腔を刺激する。降ってきた土砂が、あたりを真っ暗にした。
部下たちは爆風を直撃して吹っ飛んだが、ユダはヒゲ男が盾の役目を果たしたせいで、ダメージを受けたようすもない。
ユダは、スーツに付いたホコリを払う。
「教えていただきましょうか。この爆発は、いったい何ですか?」
宙にのぼってゆく黒煙を見上げる。
「まるで黒いドラゴンのような煙です。利人さんは爆発が起きるのを知っていたようですね。利人さんの祈りがこの爆発を起こしたのですか?」
立ち上がりながら、利人が答える。
「まあな」
「どうやって?」
「………………俺の身体からスマホが離れると、保安装置が警戒モードになる。その後に90デシベル以上の音がすると、装置は起動する」
「さっき利人さんが士呂さんにキスしたのは、起動装置のためですか?てっきり犬を呼ぶためかと思っていましたが、本当の目的は士呂さんに90デシベル以上の大声を出させるためだった?」
「そうだ。あとは俺の声紋で『アーメン』という声を感知すると、爆発する」
「仕組みはわかりました。それで?この爆発を起こしたのは、爆弾ですか?この平和な日本で、爆弾が手に入るとは思えませんが」
「………………警戒モードになったら、地下道に川の水が流れ込む。川の水は地下道に置いてある融雪剤と混ざり、塩水ができる。塩水に照明の電気が通電して、電気分解が始まる。電気分解で、水素が発生する。水素は地下道に充満する。アーメンという言葉で火花が散って、水素爆発が起こる」
「なるほど。水素爆発ですか!しかし水素爆発で、あんなに黒煙が出るのは不思議です」
「………………水素爆発で、地下道に置いてある草刈り機の燃料に引火した」
「草刈り機の燃料ですか?」
「オイルとガソリンの混合物。クソ田舎の滋賀では、たいていの家に草刈り機がある。だから燃料も置いてある」
「黒煙の正体は、ガソリンですか!一見平和な滋賀県ですが、意外と危険なのですね!ご丁寧な解説を、ありがとうございました。利人さんは色々と工夫するのがお上手ですね!」
「お前に誉められてもても、嬉しくない」
「まあまあ、そう言わず。子どもは褒められてこそ、伸びるものです。たしかに寺のご子息である利人さんが日常会話で『アーメン』と発する機会はありませんね。呪文としては気が利いている。そもそもあなたからスマホを取り上げたのがこの結果とは、残念なかぎりです」
倒れていた部下たちが立ち上がった。落とし穴に落ちていた二人も、穴から這い上がってくる。
ユダは、にっこり笑う。
「振り出しに戻る、ですね。敵は4人から再び6人になりました」
「………………」
「それで?これからどう反撃するのですか?ここまで大掛かりな仕掛けを使ったのに、あなたがたの形勢はずいぶんと不利ですよ」
利人が悔しそうに言う。
「………………こんなはずじゃなかった………………」
「言い訳ですか?残念ですね。あなたはもう少し賢明な人だと思っていました。爆発は見事でしたが、その後にノープランというのは、いただけません」
「………………」
「私たちは仕事をしているのです。子どもに首を突っ込まれるのは、迷惑です。利人さんには、大人の邪魔をしてはいけないと学習してもらいましょう。残念ですが学習して頂いても、活用できる時間はありませんが」
士呂が弱々しい声で訊く。
「やっぱりボクたち、死ぬの?」
誰も答えない。
ユダが問いかけた。
「さあ、どうしますか?もう反撃の手立てはありませんか?しょせん、子どものお遊びということですか?」
利人が答える。
「………………お前たち軍人上がりと、手錠を掛けられた手で戦っても負けるのは、わかっている。俺たちは平和な日本の、平凡な17歳だ」
「それで?平和な日本で奥の手と言われる、土下座でもしてみますか?残念ながら外国人の私には、なんの効果もありませんが」
「土下座?無駄なことはしない主義だ。それに後ろ手に手錠をかけられていたら、土下座はできない」
「無駄を省くのは、素晴らしいことです。もし生まれ変わっても、同じ主義を貫いてください。私たちは、そろそろ行かねばなりません。また来世でお会いしましょう」
「無駄な殺生は、しないほうがいいんじゃないのか?」
「無駄な殺生?どういう意味です?この期に及んで、まだ命乞いですか?」
「事実を言っているまでだ。俺たちを殺すと面倒なことになるなら、殺さないほうがお互いのためだ」
「言っている意味が、よくわかりません。なんだか利人さんとの会話自体、無駄な気がしてきました」
「俺にとっては、無駄な会話じゃなかった。俺は無駄なことは、しない主義だ」
「さっきから何を言っているのです?先ほどの爆発の説明にしても、今の会話にしても、ずいぶんと無駄口が多いような気がします」
「俺は、無駄口は叩かない。俺がしゃべるのは、目的がある時だけだ」
「よくわかりませんが、謎もまた良いものです。あなたたちがこの世からいなくなった後で、利人さんの目的の意味について、じっくり考えてみます。ただ、利人さんとはお別れですから、正解は永遠の謎ですが」
男たちが銃を構えた。
「また来世で会いましょう」
バラバラバラバラ……・・。
遠くからヘリコプターのルーター音が聞こえた。
ヘリは、一直線にこちらへ向かっている。
ヘリの飛行音と合わせて、消防車やパトカーのサイレンが聞こえる。
ユダが耳を澄ませる。
「……ヘリもパトカーも……ずいぶんと大掛かりですね」
利人が言う。
「滋賀をナメんな」
「利人さんは、てっきりノープランだと思っていましたが?」
「あの爆発は、狼煙(のろし)だ。いたいけな少年が手に負えない事態になった時に、助けを呼ぶためのな。駐在所の破壊で警察がピリピリしている矢先に、この爆発だ。テロ行為と見なして、警察は現場に急行する」
「駐在所の爆発が伏線だったとは!それにしても、現場の特定が早すぎるのでは?」
「田舎のネットワークをなめんな。このクソ田舎に住んでいるのは、何より平和を愛するクソ田舎のじいさん、ばあさんたちだ。平和な村に煙が上がっていれば、ソッコーで通報する。その速さは、光より早い。滋賀県のジジババ、ナメんな」
「おじいさんやおばあさんの善意の結果が、あのヘリコプターですか?」
「そう。滋賀県警察機動警察隊。正義の味方だ」
「思い出しました。たしかここから20㎞ほどの場所に、機動隊のヘリポートがありました。正義の味方がご近所とは、羨ましいかぎりです」
「嫌味にしか聞こえんが」
「最後に一つ、聞かせてください。利人さんはさっき『こんなはずじゃなかった』と言いましたね。あれはどういう意味だったのですか?本来なら、どうなるはずだったのですか?」
利人が答える。
「さっきの爆発は助けを呼ぶ狼煙でもあるが、本当はもう一つ役目があった」
「その役目とは?」
「もともとは寺が火事になった時の消防設備だ。狼煙を上げると同時に爆発の圧力によって、書院の玄関から大量の水が噴き出すはずだった。その水がお前たちをなぎ倒すはずだったのに、作動しなかった。」
「なるほど。巨大な水鉄砲が、作動しなかったと?」
「なぜ作動しなかったのか、わからない。こんなはずじゃなかった」
利人が悔しそうにつぶやく。
「謎が解けてなによりです。そろそろ私たちは、退場することにします」
「この包囲網をどうやって抜け出すつもりだ?」
「無駄口を叩いて時間稼ぎをしていたのは、利人さんだけではないのですよ」
ユダはにっこり笑うと、空を見上げた。
遥か遠くに点が見えたと思った次の瞬間、丸い形の飛行物体が近づいてきて、後から爆音が響いた。物体のスピードは、音速を超えている。物体は驚異的なスピードで、あっという間に機動隊のヘリを追い抜いて、こちらに近づいてきた。
「UFOっ⁉」
士呂があ然とする。
「そういうことに、しておきましょう。謎は多いほうが楽しいですから。博士とテラさんは、お連れします。そして利人さんと士呂さんとは、今度こそ永遠にさよならです」
ユダは、銃を構えた。
利人が叫ぶ。
「俺はどうなってもかまわない!士呂だけは殺すな!」
ユダたちは、拳銃の引き金に手をかけた。
「ああ!神様!」
テラは絶望して、目を閉じた。
6発の銃声が響くのと、地面が揺れたのは同時だった。
ゴゴゴゴ!!!ガガガ!
轟音が響いた。書院の玄関に、黄金に輝く観音像が威風堂々と立っている。その後ろには、大量の流木が堰き止められていた。観音像は穏やかな表情を浮かべているが、背後の光景は混沌としている。
ドオーン!
再び爆発音が鳴り響いた。圧力で書院全体が膨らみ耐えられなくなった瞬間、観音像を先頭にした大波が襲ってきた。像が横っ飛びでダイブして、ユダに頭突きを喰らわすのを一同が呆然として見ていた。それも束の間、一気に流れてきた大量の水に全員が飲み込まれる。上も下もわからない状態で洗濯物のように水流に踊らされ、もみくちゃにされた。
水が引いた後の境内は、状況が一変していた。大量の流木が転がり、何もかもが泥だらけだ。
ユダは観音像の下敷きになり、気絶している。なんとかユダを救い出そうと、部下たちが持ち上げようとするが、5人がかりでも黄金の観音像はわずかしか動かない。
マリオが叫んだ。
「テラちゃんっ⁉どこにいるっ⁉」
「パパさん!アタシはここよっ!」
テラは大波の衝撃で、沙羅の枝に引っかかっていた。マリオは駆け寄り、テラを口でくわえた。
ゴゴゴゴゴ!
再び轟音が響く。
利人が叫ぶ。
「次の波が来るぞ!逃げろ!」
突然の大水で腰が抜けている士呂を、利人が蹴とばして立たせると走りだした。マリオとテラも、後に続く。再び襲ってきた大水に流されて、4人は寺の階段を流れ落ちた。階段を滑り落ちる最中、眼の端にUFOが飛び去るのが見えた。
翌日のネット新聞には「地味な滋賀県にUFO襲来!なぜ地味な滋賀県に宇宙からの使者が⁉」と、滋賀をナメきった記事が大見出しで載った。
櫟野川の大爆発は、原因不明と報道された。まさか少年が川の下に地下道を掘って爆発する設備を作っていたとは誰も思わず、証拠となる地下道は土深く埋もれ、当の少年と友人が口を閉ざしたからだ。専門家は強く否定したが、ネット上ではUFOが起こした爆発だという話が、面白おかしく書き立てられた。
テラとマリオは安全を確保するため、速やかに滋賀を離れた。すぐ帰国の途に就くらしい。
ユダたちのことは、どの新聞にも書かれていない。誰にも気づかれず、謎の飛行物体で逃げたようだ。
パソコン画面を閉じながら、利人がため息をついた。
士呂が訊く。
「ボクたちが水に沈んだのは、いったい何だったの?山の中なのに、溺れて死ぬかと思ったよ」
利人が答える。
「川底に沈んでいた流木や観音像が、爆発の衝撃で通路に流れ込み、書院の玄関につっかえた」
「だから利人の言ってた消火設備が動かなかったの?」
「そうだ。二度目の爆発でさらに水圧が掛かり、玄関に詰まっていた観音像が飛び出して、ユダを直撃した」
「みんなが探していた観音様は、すぐ近くにいたんだね」
「まさか川底に沈んでいたとはな」
「秘密の通路を歩いてた時に聞こえた声は、観音様かなぁ?」
「さあ」
「きっと観音様が、ボクたちを助けてくれたんだよね?」
「爆発で偶然に観音像が飛び出した結果、偶然にユダを直撃した。結果的に俺たちは、偶然命が助かった。偶然が重なった結果とは言え、理論的ではある」
士呂が言う。
「でもきっと観音様が、ボクたちを救ってくれたんだよ」
「そう思いたいなら、思えばいい。それより最後の仕上げだ。手伝え」
二人は境内に出た。士呂やユダの部下たちが落ちた、落とし穴に向かう。爆発直後は水がいっぱいに溜まっていたが、一夜明けて水は引いている。
利人は持っていた袋を開け、中身を穴に投げ入れた。
士呂は訊く。
「なに、それ?」
「ジャーキー。ガブリエルのおやつ」
「なんで穴に入れるの?ガブにあげればいいのに」
利人は答えず、庫裏のほうへ行った。しばらくすると、ショベルカーで黄金の観音像を運んできた。
「像を穴に入れる。誘導しろ」
「なんでさ⁉せっかく見つかったのに、また埋めるの⁉」
「俺たちが像を見つけた理由を訊かれたら、テラやマリオのことを話さないといけない。ユダたちだけでも面倒なのに、別のアホが、テラやマリオを狙うようになる。アイツらを危険にさらす必要はない」
「テラやマリオのことを、話さないで済む方法はないの?」
「あるかもしれんが、嘘はつきたくない。だから埋める。誘導しろ」
「せっかく見つかったのに……」
納得できない士呂の前で、観音像は埋められた。ショベルカーで丁寧に土をならした後は、どこに像が埋められたかわからなくなった。
利人がショベルカーを格納しにいったのと入れ違いに、ガブリエルが走ってきて士呂に飛びつく。
「うわあああ!やめてええええ!」
ひとしきり大歓迎会が繰り広げられる。
やっと落ち着いたガブを、士呂が撫でる。
「ガブ、大丈夫だった?ケガしてない?」
ガブはシッポをブンブン振りながら口を大きく開けて、ご機嫌さんの笑顔を見せる。
「よかった!大丈夫だったみたいだね!」
ガブの表情が変わった。難しい顔をして、熱心に地面を嗅ぐ。
「どうしたの?」
ガブはひとしきり地面を嗅ぐと、猛烈な勢いで地面を掘り始めた。
戻ってきた利人が言う。
「もう始めたのか。仕事が早いな」
「ガブは、なにを始めたの?」
「知らん。知らんが、好物のジャーキーの匂いでも嗅ぎつけたんだろ」
「それってさっき、利人が埋めたじゃん」
「忘れた。忘れたが、もしもガブがジャーキーを掘り出すために観音像を掘り出しても、それは偶然だ。そして偶然に親父が観音像を発見しても、俺が関知することではない。ゆえに俺と士呂が、テラやマリオのことを話す必要はない」
「まわりくどいよ……」
士呂があきれた。
「なあ……」
「なあに?」
士呂が訊き返す。
「お前、学校楽しいか?」
「う~ん……楽しい時もあるけど、楽しくない時もあるよ。勉強が難しい時とか、友達とうまくいかない時とか、好きな子にフラれちゃった時とかは、ぜんぜん楽しくない」
「楽しくないのに、学校に行くのか?」
「うん」
「なんでだ?」
「楽しくない時もあるけど、楽しい時もあるから。楽しくないからって行かなかったら、楽しいチャンスがなくなっちゃうでしょ?」
「チャンスか。確率の問題だな」
「確率かどうかは、わかんないけど」
「学校には、アイツみたいなヤツがいるのか?」
「アイツって、誰さ?」
「……やたら態度のデカイAIみたいな」
「テラのこと?」
「まあ、そうだ」
「いるかもしれないし、いないかもしれないね。ボクと利人は違う人間だから、感じ方もちがうんじゃないかな?」
「そうか」
「いるとしたら会いに行かないと、ずぅっと会えないままだよね?」
「……別に会いたいとは、思ってない……」
「ねえ、おせっかいなこと言うよ?イヤなことがあったら、逃げるのはアリだと思うんだ。逃げるって、悪いことじゃないからさ。でもね、イヤなことがあるかもしれないっていう理由で逃げるのは、すごくもったいないと思う。ぶつかってみてイヤだったら逃げればいんだから、まだ起こってもいないイヤなことで逃げるのは、もったいないよ?」
「……お前、たまにイイコト言うな」
「たまにじゃないよ!いつもだよ!」
利人が言った。
「親父とおふくろが帰ってくるまでに、書院を乾かして掃除する。手伝え」
一週間後、利人の両親は「タチのわるいイタズラに引っかかった!」と文句を言いながらも、喜々として帰ってきた。久しぶりに会えた伯父さんのツルの一声で親族が全員招集され、みんなで九州のあちこちを観光して親睦を深めてきたらしい。
ユダたちが起こした甲賀駅の銃撃が、報道されることはなかった。田舎ゆえに発砲音も弾痕も、誰にも気づかれなかったのだ。弾の当たった忍者の銅像だけが真実を知っているが、銅像は黙して語らないのだった。
駐在所の大爆発は、犯人不詳のまま幕を閉じた。利人の予言した通り、破壊された駐在所は使用不可と見なされ、工事が大幅に前倒しとなり、あっという間に新しい駐在所が完成した。地元では駐在所の爆破に関して「破滅の神の辰熊さんが、UFOとタッグを組んで、何かやらかしたらしい」という事実とはほど遠いウワサが、まことしやかに流布された。
直後は衝撃だったテラたちとの出会いも、時間がたつと思い出になった。
士呂は利人のベッドに座って、のんびりと足をパタパタさせる。
「テラとマリオ、元気かな?また会いたいな」
教科書を眺めていた利人は、うんざり顔だ。
「俺は二度と会いたくない」
「どうして?テラに似た子を探すために、学校に行くようになったのに?」
「バカ。ただのヒマ潰しだ」
「どうだか!」
士呂がニヤニヤする。
いきなりテラが現れた。
「二度と会いたくないとか、バカがバカ言ってんじゃないわよ!ネットが繋がってるかぎり、アタシはいつでも一瞬で来れるんだからね!」
士呂は大喜びだ。
「テラ!元気だった⁉」
「アタシは元気~!パパさんも元気よ!パパさんがくれぐれもヨロシク☆って♪」
利人が訊く。
「お前、どこから出てきたんだ?」
「バカって、深みが増すの?しばらく会わない間に、バカに拍車がかかってるわよ。どこからって、アンタのパソコンからに決まってるじゃない!」
「俺は許可したおぼえはないが?」
「アンタの許可が必要なんて、アタシはこれっぽっちも思ってないもの!ネットさえ繋がれば、世界はアタシのモノよ!」
「お前、AIのくせに理論が目茶苦茶だぞ」
「アンタのほうこそ理論がメチャクチャじゃない!」
「なんのことだ」
「もう忘れたの?あの時は自分が一番可愛いとか言ってたくせに、殺されそうになったら必死で士呂をかばってたじゃない!」
「気のせいだ。俺はいつでも自分が一番可愛い」
「ホントに素直じゃないんだから!」
利人が言う。
「お前、スパコンの富岳より賢いってドヤっていたが、ぜんぜんイイトコなかったな」
「だってペットシーツを防弾チョッキにするとか、小麦粉で駐在所を吹っ飛ばす方法なんて、ネットのどこにもなかったんだもん!」
「まあ、たしかに」
「でもあれから、アタシだって考えたんだから!」
「バカの考え休むに似たりと言うが?」
「うっさいわね!それならアンタは、毎日が夏休みね!」
士呂がニコニコする。
「二人とも、楽しそう~!あいかわらず仲良しさんだね~!」
利人とテラが同時に返す。
んだ!」
「「だから!これのどこが仲良しな
のよ!」
士呂はテラに訊く。
「テラちゃん、なにをかんがえたの?」
テラは不気味に笑う。
「くふふふふ……。ネットでいろいろ調べたの。けっこうむずかしかったんだけど、トップシークレットだったユダの自宅を見つけたわ!アタシが本気を出せば、不可能なんてないんだから!」
「それで?」
「冷血人間のユダだけど、一緒に暮らしている犬のことは、すごく大事にしてるってわかった」
「なんで大事にしてるってわかるんだ?」
「偽名で使ってるネット決済の犬のオヤツとかおもちゃの支払いが、すごい金額だったのよ。だから犬へのプレゼントとして、牛タンと豚足をネットで大量発注して、ユダの家に送り付けてやったわ!アイツ、AIのアタシに、噛み切る舌も殴る腕もないってバカにしたから!その舌と腕を、イヤというほど送り付けたやったわ!」
「執念深いな……。でも結局、プレゼントだろ?ユダが量の多さに辟易しても、犬は喜ぶ。それだけのイヤがらせじゃないか」
「アンタ、真性のバカね!アタシを誰だと思ってるの?世界最高のAIよ!ネットをちょこっと操作して、支払いはアメリカの国防総省にしたのよ。今ごろアイツ、アメリカ政府から追っかけまわされてるわ!大好きなワンコとも会えないくらいね!ざまぁご覧あそばせっ!」
「お前もうちょっとまともなことに、頭使えよ……・・」
士呂の携帯が鳴った。
「はい!2時からですね!よろしくお願いします!」
「士呂、どうしたの?」
テラが訊く。
「8回目のバイトの面接だよ!頑張ってくる!」
利人がため息をついた。
「頼むから……。頼むから、トラブルに巻き込まれるなよ」
おしまい♪
滋賀のクソ田舎で冒険とかムリです! ソウマチ @somuch
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